婚約破棄された悪役令嬢、堅物騎士団長に胃袋と心を掴まれる

夏乃みのり

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祝賀会の夜は、甘く、そして穏やかに更けていくはずだった。
アリアとゼノンのダンスは、王都の貴族たちの記憶に、新たな伝説として深く刻み込まれた。
会場の誰もが、鉄壁の騎士団長とその心を射止めた(と噂の)令嬢の、輝かしい恋物語の始まりを確信し、生暖かい目で見守っていた。

「団長様は、わたくしが作るお菓子とポーションの、ファン第一号ですわね!」

「……まあ、そういうことにしておこう」

ダンスを終え、人いきれを避けてテラスへと向かう二人の間には、どこかぎこちないながらも、確かな親密さが漂っていた。
アリアの盛大な勘違いに、ゼノンはもはや訂正する気力も失っていたが、自分の不器用な言葉に満面の笑みを浮かべるアリアの横顔から、どうしても目を離すことができずにいた。

しかし、そんな穏やかな時間を、打ち砕く者がいた。
エリオット・フォン・アールグレイである。

彼は、ダンスフロアでのアリアとゼノンの姿を、我慢の限界といった表情で見つめていた。
自分が手放した途端に、アリアは急に輝きを増したように見える。
そして、彼女の隣には今、自分よりも遥かに人望が厚く、国中の英雄であるゼノンが立っている。
後悔と、焦り。そして、子供じみた嫉妬。
それらが渦巻いた感情が、ついに彼の理性の箍を外した。

「エリオット様、どこへ…!」

隣でなじるリリアナの声を振り切り、エリオットは、アリアとゼノンが消えたテラスへと、衝動的に追いかけた。



テラスは、会場の喧騒が嘘のように静かで、涼やかな夜風が心地よかった。

「ふう、夜風が気持ちいいですわね。こういう時は、温かいハーブティーが飲みたくなりますわ。安眠効果のあるカモミールと、少しだけリラックス効果のあるバレリアンをブレンドして……」

「……君は、本当に薬草が好きだな」

アリアのマイペースな呟きに、ゼノンが静かに相槌を打つ。
その、穏やかな空気を引き裂くように、切羽詰まった声が響いた。

「アリア!」

息を切らしてテラスに飛び込んできたのは、髪を乱したエリオットだった。
その必死の形相に、アリアはきょとんとする。

「あら、殿下。そのようなにお急ぎになって、何かご用ですの?」

ゼノンは、条件反射のようにすっとアリアの前に立ちまるで盾になるかのようにエリオットの行く手を阻んだ。

しかし、エリオットはそんなゼノンの威圧など意にも介さずその肩越しにアリアに向かって必死に訴えかけた。

「アリア、頼む! もう一度、私とやり直してはくれないか!」

しん、と。
テラスの空気が、一瞬にして凍りついた。
虫の音だけがやけに大きく響いている。

アリアも、さすがにこれには驚きその大きな瞳をぱちくりとさせている。
ゼノンは、眉間の皺を深くし不快感を隠そうともしない。

エリオットは、そんな二人の反応も目に入らないかのように言葉を続けた。

「私が、私が間違っていたんだ! 君という人間の、本当の価値に私は全く気づけていなかった……!」

その声は、悲痛なほどに震えている。

「君が隣にいてくれた日々がどれほど大切だったか、今になってようやく分かったんだ! 君のいない王宮は、あまりにも退屈で色褪せて見える……!」

それは、あまりにも自己中心的で今更すぎる告白だった。
隣国の騎士団長を果物でKOし、鉄壁の騎士団長と恋仲の噂が立つ女性に向かって言うセリフとしては、これ以上ないほど見当違いだ。

「リリアナとのことだって、あれは私の迷いが……いや、若気の至りが原因だったんだ! 決して本心では……!」

ちょうどその時、エリオットを追いかけてきたリリアナがテラスの入り口でその言葉を耳にした。
彼女の顔から、さっと血の気が引いていくのが見えた。

エリオットは、そんなことには気づかずアリアの腕を掴もうと必死に手を伸ばす。

「だから、アリア! もう一度、私の隣に戻ってきてほしい!」

その手がアリアに届く寸前、ゼノンがパシンと鋭い音を立ててその手を厳しく払い除けた。

「王子殿下。彼女の意思を、無視なさるな」

「黙れ! これは君には関係のないことだ!」

エリオットが、子供のように叫ぶ。
そんな彼らの前で、アリアは、必死に自分に愛を告げる元婚約者と、自分を守るように立つ騎士団長を静かに交互に見つめていた。

彼女の頭の中は、しかし恋愛の甘い葛藤などとは全く無縁だった。

(ええと……この非常に面倒な状況、どうすれば一番早く切り抜けて、祝賀会で残っているであろう、あの美味しそうなチョコレートファウンテンの元へ帰還できるかしら……)

切実な食い意地が、彼女の思考の全てを支配していた。
エリオットの情けない後悔。
リリアナの静かな絶望。
ゼノンの燃えるような怒り。
そして、アリアのチョコレートへの渇望。

それぞれの思いが交錯する中、アリアは一つの結論に達した。
そして、ゆっくりとその口を開こうとしていた。
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