婚約破棄された悪役令嬢、堅物騎士団長に胃袋と心を掴まれる

夏乃みのり

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静まり返った応接室。
ゼノン・ヴァーミリオンは、その鉄壁の表情の裏で、人生最大の緊張に耐えていた。
彼の、一世一代の、胃袋を介した愛の告白。
その答えを、目の前の規格外な令嬢はどんな言葉で返すのだろうか。

アリアは、ゼノンの「責任を取ってほしい」という言葉を、頭の中で何度も反芻していた。
そして、彼女の中で、その言葉は一つの完璧な解釈へと収束していた。

(この方は、わたくしを、専属の料理人兼薬剤師として、生涯、雇い入れたいということですのね!)
(なんてこと! わたくしの才能を、そこまで高く評価してくださるなんて!)

アリアは、こほん、と一つ上品な咳払いをすると、もったいぶるように少しだけ間を置いた後、その返事を、ようやく口にした。
それは、ゼノンの長い人生の中で、最も美しい音楽のように響く言葉だった。

「団長様。その、光栄すぎるお申し出……謹んで、お受けいたしますわ」

その瞬間、ゼノンの強張っていた肩から、ふっと力が抜けるのが分かった。
驚きと、そして、心の底からの安堵。
様々な感情が入り混じり、彼は言葉を失っていた。

そんなゼノンに、アリアは、とどめを刺すように、満面の笑みで言葉を続ける。

「まさか、わたくしの作るものを、生涯にわたって食べ続けたいとまで望んでくださる方が、この世にいらっしゃるとは、夢にも思いませんでしたもの!」

(……やはり、話が致命的にズレている)

ゼノンは一瞬、そう思った。
だが、もう、そんな些細なことはどうでもよかった。
彼女が「受け入れる」と言ってくれた。その事実が、彼にとっての全てだった。

アリアは、どこまでも楽しそうに続ける。

「よろしいのですか? これからは毎日、わたくしの実験…いえ、愛情がたっぷりこもった創作料理を、三食きっちり食べていただくことになりますのよ? 時には、炭になったり、泥水になったりもいたしますけれど」

その問いに、ゼノンはようやく口元に微かな笑みを浮かべた。

「ああ。望むところだ」

「ふふふ! なんて物好きな……いえ、なんて懐の深い素敵な方なのでしょう!」

アリアは、心の底から嬉しそうに言うと、ゼノンのごつごつとした大きな手を取りまるで古い友人のようにぶんぶんと上下に振った。

「お約束いたしますわ! これから、この専属料理人アリアが、団長様の胃袋とご健康を生涯かけて責任をもってお守りいたしますね!」

「ああ。よろしく頼む、俺の……専属料理人殿」

ゼノンは、アリアが「結婚」を「専属契約」と、壮大に勘違いしていることに気づきながらも、あえてそれを訂正しなかった。
この自由奔放な令嬢を、自分の隣に繋ぎとめておけるのならどんな形でもどんな呼び名でも構わない。
ゆっくりと、時間をかけて本当の意味を教えていけばいい。
そう、思ったからだ。



この奇妙な『専属契約(という名の婚約)』は、すぐにクライネルト公爵の耳に入り、彼は「うむ!」と感涙にむせびながら、二人の婚約を即座にそして盛大に認めた。

王国騎士団の詰め所は、祝福と、ほんの少しの安堵の声に包まれた。
「あの団長が、ついに……!」「胃袋を掴まれて結婚とは、実に団長らしいではないか!」「これで我々も、あのアリア様の命がけの差し入れから解放されるのか……!」

そして、王宮では失恋の痛手からようやく立ち直ったエリオット王子が二人の婚約の噂を遠くで聞き、静かに、そして今度は何の未練もなく祝福のため息をついたという。



数週間後。
婚約者となった二人の日常は、以前とほとんど変わらないようで、けれど、確実に変化していた。

「団長様! 今日の差し入れは、新作の『骨の形をした、カルシウム増量クッキー』ですわよ! 騎士たるもの、骨も強くなくては!」

騎士団の訓練場に、アリアの明るい声が響く。
ゼノンは、部下たちの同情的な視線を浴びながら、そのどう見ても犬用のビスケットにしか見えないクッキーを一つ無言で口に放り込んだ。

「……うまい」

「おや、団長。それ、先日うちの猟犬にあげた餌と、そっくりなんですが……」

「黙れ、副官」

そんなやり取りも、今や日常の風景だ。

アリアは、クライネルト公爵家の厨房で、目を輝かせながら次の計画を練っていた。
「次は、どんなお料理で団長様を驚かせてさしあげようかしら。南方の、猛毒を持つ魚を使ったお料理なんてスリルがあってよさそうですわね!」

そして、そんなアリアの姿を執務室の窓から、ゼノンが実に愛おしそうな目で見つめている。

(胃袋だけでなく、心もとうの昔に完全に掴まれてしまっていたらしいな)

胃袋も心も、すっかり彼女のものになってしまった鉄壁の騎士団長。
そして、そのことにこれっぽっちも気づいていない元・悪役令嬢。

二人の甘くて時に炭の味がして、泥水の香りがしてドタバタでそして最高に騒がしい恋物語は、今、始まったばかり。
これから先、彼らの食卓が退屈することは決してないだろう。
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みんなの感想(2件)

soarlinnxxll
2025.09.09 soarlinnxxll

腹筋が!
笑いすぎて
よじれるかと。
一話一話噴き出すんですが!
いいね。の数が足りません😆

解除
turarin
2025.09.09 turarin
ネタバレ含む
解除

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