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カウンターの向こう側で、あの無愛想な男――招かれざる最初の客は、黙々とスコーンを口に運び、紅茶を飲んでいた。その一挙手一投足に、なぜか目が離せない。何を言われるのだろうか。美味しくない、とでも文句をつけられるのだろうか。私の記念すべきプレオープンに、水を差すつもりなのかしら。
(早く食べ終わって、さっさと帰ってちょうだい……!)
心の中で念を送っていると、やがて彼は最後の一口を食べ終え、カップに残っていた紅茶を静かに飲み干した。そして、カチャリと小さな音を立ててカップをソーサーに戻すと、ふうと一つ息をついた。
沈黙が重い。父も母も固唾をのんで彼の第一声を待っているのがわかる。
やがて、彼は私の方をまっすぐに見て静かに口を開いた。
「……美味かった」
その短く素っ気ない一言に私は思わず拍子抜けする。
(それだけ? それだけですの?)
しかし、彼の言葉には続きがあった。
「外側のさっくりとした食感と、中のしっとりとした口当たりの対比がいい。練り込んであるドライフルーツも、甘すぎず紅茶の香りを邪魔しない。素晴らしい出来だ」
「……あ、ありがとうございます」
予想外の賛辞に、私は戸惑いながらも礼を言う。だが、彼の評価はそこで終わらなかった。
「ただ……」
来たわね、と私は身構える。
「このスコーンに合わせるクロテッドクリームだが、ほんの少し、柑橘系の香りを加えても面白いかもしれない。例えば、ラナールオレンジのピールを刻んで混ぜ込むとか。そうすれば、クリームの濃厚さの中に爽やかな後味が生まれて、もう一つ食べたくなるだろう」
「……!」
私は息をのんだ。ラナールオレンジのピール。それは、私が試作の最後の最後まで、加えるかどうかを迷って、結局やめてしまったものだったのだ。私のレシピを知るはずもないこの男が、なぜそれを言い当てたのか。
「それから、紅茶。茶葉は最高級品を使っているようだが、蒸らし時間がほんの少し長い。あと十秒短くすれば、渋みが抑えられ、スコーンの優しい甘みがより一層際立つはずだ」
「な……なぜ、そこまで……」
もはや、驚きを隠せない。彼の指摘は、まるで私の心の中を読んでいたかのように、的確かつ専門的だった。こんな批評、並の美食家でもできるものではない。
「あなた、一体何者ですの? ただの旅人では、なさそうですけれど」
私が問いかけると、彼は少しだけ口の端を上げて、初めて笑ったように見えた。
「さあな。ただの、甘いものが好きな男だ」
そう言って、彼は席から立ち上がると、テーブルの上に代金を置いた。少し多めに入っているそれに、私は慌てて声をかける。
「あ、お釣りは……!」
「いい。美味いものを食わせてもらった礼だ」
彼はそう言うと、「ごちそうさま。また来る」と短く告げ、私に背を向けた。そして、一度も振り返ることなく、カラン、というドアベルの音と共に店から出て行ってしまった。
後に残されたのは、呆然とする私と、興味深そうに顔を見合わせる両親、そしていつもと変わらず静かに佇むセバスチャンだけだった。
「……ふむ」
沈黙を破ったのは、父だった。
「ただ者ではないな。だが、アルカの菓子をあれほど真剣に味わうとは……悪い男ではなさそうだ」
それまで警戒心むき出しだった父が、意外にも彼を評価している。
「ええ、そうね。少し無愛想だけど、目は正直だったわ。あの方、きっとまた来るわよ、アルカ」
母の言葉に、私はなぜか顔が熱くなるのを感じた。
「そ、そんなことありませんわ! きっと、気まぐれで立ち寄っただけです!」
慌てて否定する私を見て、両親は楽しそうに笑うと、「最高のプレオープンだったよ」と言い残して、満足げに帰っていった。
セバスチャンと二人きりになった店内で、後片付けをしながら、私は尋ねた。
「ねえ、セバスチャン。どう思う? あの男のこと」
「そうですね……。お嬢様の才能を、誰よりも正確に見抜く、確かな『舌』をお持ちの方かと」
「……悔しいけれど、その通りだわ」
私は、彼が置いていった言葉を頭の中で何度も反芻する。そして、密かに決意した。
翌朝。
開店前の厨房で、私は彼の言った通り、クロテッドクリームに細かく刻んだラナールオレンジのピールを混ぜ込み、紅茶の蒸らし時間を十秒短くしてみた。
一口、味見をする。
「……美味しい」
昨日よりも、格段に。クリームの爽やかさが、スコーンの甘みを引き立て、紅茶の香りが口の中をすっきりとさせてくれる。悔しいけれど、完敗だった。
「……ふふっ」
なぜか、笑いがこみ上げてきた。負けを認めるのは癪だが、自分の作るものがもっと美味しくなるのは、純粋に嬉しかった。
私はセバスチャンと二人で深呼吸をすると、店のドアに、手作りの『OPEN』の札をかけた。
カラン、とドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませ! 『魔導書のしおり』へ、ようこそ!」
私の新しい人生の記念すべき第一日目の幕が、今、上がった。
(早く食べ終わって、さっさと帰ってちょうだい……!)
心の中で念を送っていると、やがて彼は最後の一口を食べ終え、カップに残っていた紅茶を静かに飲み干した。そして、カチャリと小さな音を立ててカップをソーサーに戻すと、ふうと一つ息をついた。
沈黙が重い。父も母も固唾をのんで彼の第一声を待っているのがわかる。
やがて、彼は私の方をまっすぐに見て静かに口を開いた。
「……美味かった」
その短く素っ気ない一言に私は思わず拍子抜けする。
(それだけ? それだけですの?)
しかし、彼の言葉には続きがあった。
「外側のさっくりとした食感と、中のしっとりとした口当たりの対比がいい。練り込んであるドライフルーツも、甘すぎず紅茶の香りを邪魔しない。素晴らしい出来だ」
「……あ、ありがとうございます」
予想外の賛辞に、私は戸惑いながらも礼を言う。だが、彼の評価はそこで終わらなかった。
「ただ……」
来たわね、と私は身構える。
「このスコーンに合わせるクロテッドクリームだが、ほんの少し、柑橘系の香りを加えても面白いかもしれない。例えば、ラナールオレンジのピールを刻んで混ぜ込むとか。そうすれば、クリームの濃厚さの中に爽やかな後味が生まれて、もう一つ食べたくなるだろう」
「……!」
私は息をのんだ。ラナールオレンジのピール。それは、私が試作の最後の最後まで、加えるかどうかを迷って、結局やめてしまったものだったのだ。私のレシピを知るはずもないこの男が、なぜそれを言い当てたのか。
「それから、紅茶。茶葉は最高級品を使っているようだが、蒸らし時間がほんの少し長い。あと十秒短くすれば、渋みが抑えられ、スコーンの優しい甘みがより一層際立つはずだ」
「な……なぜ、そこまで……」
もはや、驚きを隠せない。彼の指摘は、まるで私の心の中を読んでいたかのように、的確かつ専門的だった。こんな批評、並の美食家でもできるものではない。
「あなた、一体何者ですの? ただの旅人では、なさそうですけれど」
私が問いかけると、彼は少しだけ口の端を上げて、初めて笑ったように見えた。
「さあな。ただの、甘いものが好きな男だ」
そう言って、彼は席から立ち上がると、テーブルの上に代金を置いた。少し多めに入っているそれに、私は慌てて声をかける。
「あ、お釣りは……!」
「いい。美味いものを食わせてもらった礼だ」
彼はそう言うと、「ごちそうさま。また来る」と短く告げ、私に背を向けた。そして、一度も振り返ることなく、カラン、というドアベルの音と共に店から出て行ってしまった。
後に残されたのは、呆然とする私と、興味深そうに顔を見合わせる両親、そしていつもと変わらず静かに佇むセバスチャンだけだった。
「……ふむ」
沈黙を破ったのは、父だった。
「ただ者ではないな。だが、アルカの菓子をあれほど真剣に味わうとは……悪い男ではなさそうだ」
それまで警戒心むき出しだった父が、意外にも彼を評価している。
「ええ、そうね。少し無愛想だけど、目は正直だったわ。あの方、きっとまた来るわよ、アルカ」
母の言葉に、私はなぜか顔が熱くなるのを感じた。
「そ、そんなことありませんわ! きっと、気まぐれで立ち寄っただけです!」
慌てて否定する私を見て、両親は楽しそうに笑うと、「最高のプレオープンだったよ」と言い残して、満足げに帰っていった。
セバスチャンと二人きりになった店内で、後片付けをしながら、私は尋ねた。
「ねえ、セバスチャン。どう思う? あの男のこと」
「そうですね……。お嬢様の才能を、誰よりも正確に見抜く、確かな『舌』をお持ちの方かと」
「……悔しいけれど、その通りだわ」
私は、彼が置いていった言葉を頭の中で何度も反芻する。そして、密かに決意した。
翌朝。
開店前の厨房で、私は彼の言った通り、クロテッドクリームに細かく刻んだラナールオレンジのピールを混ぜ込み、紅茶の蒸らし時間を十秒短くしてみた。
一口、味見をする。
「……美味しい」
昨日よりも、格段に。クリームの爽やかさが、スコーンの甘みを引き立て、紅茶の香りが口の中をすっきりとさせてくれる。悔しいけれど、完敗だった。
「……ふふっ」
なぜか、笑いがこみ上げてきた。負けを認めるのは癪だが、自分の作るものがもっと美味しくなるのは、純粋に嬉しかった。
私はセバスチャンと二人で深呼吸をすると、店のドアに、手作りの『OPEN』の札をかけた。
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