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地下室に、朝日とも呼べないような、どんよりとした光が差し込んだ。
「う、動けない……手が、手が震えるわ……」
マリエッタが、指先をプルプルと震わせながら、雑巾の山を見つめている。
「私など、一晩中、書類の山と格闘したのだぞ。文字が……文字がゲシュタルト崩壊を起こしている……」
レオン王子も、目の下に深い隈を作り、机に突っ伏していた。
そこへ、軽やかな足音が響き、鉄格子の扉が開く。
「あらあら、おはようございます。愛の力で徹夜なんて、若くて羨ましいですわね」
リコが、真っ白なシルクのドレスをなびかせ、優雅に現れた。
その手には、湯気が立ち上るアールグレイのカップが握られている。
「リ、リコ様……その香りは……! お、お恵みを……!」
「ダメですわ。あなたたちの朝食は、昨晩のノルマ分。セバス、判定を」
リコの背後から現れたセバスが、厳格な目つきで成果物を確認する。
「マリエッタ様、雑巾百枚。……縫い目がガタガタです。不合格。王子、書類チェック。……三箇所ほど重大な見落としがあります。不合格」
「「そんな……!!」」
二人の絶望の叫びが、冷たい地下室に響き渡る。
「というわけで、朝食はお預けです。ですが、安心なさい。これから外へ出ますわよ。これこそが本番――『極貧生活体験・下町編』のスタートですわ!」
「外!? ようやくこの地下室から出してくれるのか!」
「ええ。ですがその前に、お二人さん。ジャラジャラと隠し持っている『余計なもの』をすべて出しなさい」
リコの言葉に、二人がビクリと肩を揺らした。
「隠し持っているもの……? 何のことだ」
「とぼけないで。王子の靴の中に忍ばせた金貨三枚。そしてマリエッタさん、あなたの髪飾りの裏に隠した、換金性の高そうな真珠のピン」
「ど、どうしてそれを……っ!」
「私の目は節穴ではありませんわ。セバス、強制執行を」
「はっ」
セバスの神速の動きによって、二人の隠し財産が次々と没収されていく。
「さあ、身一つになりましたわね。これがあなたたちの今日一日の全財産です」
リコが二人の手のひらに落としたのは、古びた、黒ずんだ銅貨がたった十枚。
「……何だ、この汚い鉄屑は。これが何になるというのだ」
「それはこの国の最小通貨、銅貨ですわ。十枚あれば、安物のパンが二つ買えます。……二人で一日、それだけですわよ?」
「二つ!? 少なすぎますわ! マリエッタ、おやつだけでケーキ三つは食べますのに!」
「おやつなんて概念、今日からは捨てなさい。さあ、下町へ向かいますわよ。その麻袋のような服で、王族のオーラを消して歩く訓練です」
リコに引きずられるようにして、二人は華やかな王宮を後にした。
辿り着いたのは、馬の糞の匂いと、威勢のいい商人の怒鳴り声が飛び交う、下町の市場だった。
「ひっ……! 何ですの、この不衛生な場所は! 服が汚れますわ!」
「リコ、こんなところを歩けるか! 民衆に私が王子だとバレたら暴動が起きるぞ!」
「自意識過剰ですわね。今のあなたたちは、ただの『薄汚れた家出カップル』にしか見えませんわ」
リコは鼻で笑い、市場の真ん中で足を止めた。
「さて、ルールを説明します。今日の日没までに、その銅貨十枚を、自分たちの労働で『二十枚』に増やしなさい。増やせなければ、今夜の宿はありません。野宿ですわ」
「野宿……!? こんな泥だらけの地面で寝ろと言うのか!」
「嫌なら働きなさい。そこら中に仕事は転がっていますわよ。荷運び、皿洗い、溝掃除……。愛があれば、どんな汚れ仕事もキラキラ輝いて見えるのでしょう?」
リコは冷たく言い放つと、待機させていた馬車に乗り込んだ。
「私はこれから、一流ホテルのサロンで極上のランチを楽しみますわ。では、健闘を祈ります」
「待て! リコ! 置いていくな!」
「リコ様ぁー! せめてパン一個、パン一個だけでいいですからぁー!」
必死に馬車を追いかける二人を、市場の人々が「なんだ、あの変な奴らは」という目で眺めている。
リコは馬車の窓から、遠ざかる二人を眺めて優雅に扇子を仰いだ。
「……セバス。あの二人がもし盗みを働こうとしたら、即座に叩きのめしてちょうだいね」
「承知いたしました。……お嬢様、やはり少々、楽しんでおられませんか?」
「まさか。私はただ、この国を背負う者たちに『現実』という名の洗礼を与えているだけですわ。……ふふっ、あの王子が泥にまみれる姿、もっと近くで見たかったかしら」
「左様でございますか」
リコの瞳に、ほんのりと愉悦の色が浮かぶ。
一方、市場に取り残されたレオンとマリエッタは、手の中の銅貨十枚を見つめ、途方に暮れていた。
「レオン様……マリエッタ、お腹が空いて死にそうです……」
「……マリエッタ、安心しろ。私が王子としての威厳を見せれば、誰か食糧を献上するはずだ」
「あ、あの! そこのおじ様! 私たちは気高き愛の……」
「あぁん? なんだ、乞食か? 仕事の邪魔だ、どけ!」
「ひっ……!?」
初めて「無視」され、「拒絶」されるという経験。
二人の『根性叩き直しコース』は、まだ始まったばかりであった。
「う、動けない……手が、手が震えるわ……」
マリエッタが、指先をプルプルと震わせながら、雑巾の山を見つめている。
「私など、一晩中、書類の山と格闘したのだぞ。文字が……文字がゲシュタルト崩壊を起こしている……」
レオン王子も、目の下に深い隈を作り、机に突っ伏していた。
そこへ、軽やかな足音が響き、鉄格子の扉が開く。
「あらあら、おはようございます。愛の力で徹夜なんて、若くて羨ましいですわね」
リコが、真っ白なシルクのドレスをなびかせ、優雅に現れた。
その手には、湯気が立ち上るアールグレイのカップが握られている。
「リ、リコ様……その香りは……! お、お恵みを……!」
「ダメですわ。あなたたちの朝食は、昨晩のノルマ分。セバス、判定を」
リコの背後から現れたセバスが、厳格な目つきで成果物を確認する。
「マリエッタ様、雑巾百枚。……縫い目がガタガタです。不合格。王子、書類チェック。……三箇所ほど重大な見落としがあります。不合格」
「「そんな……!!」」
二人の絶望の叫びが、冷たい地下室に響き渡る。
「というわけで、朝食はお預けです。ですが、安心なさい。これから外へ出ますわよ。これこそが本番――『極貧生活体験・下町編』のスタートですわ!」
「外!? ようやくこの地下室から出してくれるのか!」
「ええ。ですがその前に、お二人さん。ジャラジャラと隠し持っている『余計なもの』をすべて出しなさい」
リコの言葉に、二人がビクリと肩を揺らした。
「隠し持っているもの……? 何のことだ」
「とぼけないで。王子の靴の中に忍ばせた金貨三枚。そしてマリエッタさん、あなたの髪飾りの裏に隠した、換金性の高そうな真珠のピン」
「ど、どうしてそれを……っ!」
「私の目は節穴ではありませんわ。セバス、強制執行を」
「はっ」
セバスの神速の動きによって、二人の隠し財産が次々と没収されていく。
「さあ、身一つになりましたわね。これがあなたたちの今日一日の全財産です」
リコが二人の手のひらに落としたのは、古びた、黒ずんだ銅貨がたった十枚。
「……何だ、この汚い鉄屑は。これが何になるというのだ」
「それはこの国の最小通貨、銅貨ですわ。十枚あれば、安物のパンが二つ買えます。……二人で一日、それだけですわよ?」
「二つ!? 少なすぎますわ! マリエッタ、おやつだけでケーキ三つは食べますのに!」
「おやつなんて概念、今日からは捨てなさい。さあ、下町へ向かいますわよ。その麻袋のような服で、王族のオーラを消して歩く訓練です」
リコに引きずられるようにして、二人は華やかな王宮を後にした。
辿り着いたのは、馬の糞の匂いと、威勢のいい商人の怒鳴り声が飛び交う、下町の市場だった。
「ひっ……! 何ですの、この不衛生な場所は! 服が汚れますわ!」
「リコ、こんなところを歩けるか! 民衆に私が王子だとバレたら暴動が起きるぞ!」
「自意識過剰ですわね。今のあなたたちは、ただの『薄汚れた家出カップル』にしか見えませんわ」
リコは鼻で笑い、市場の真ん中で足を止めた。
「さて、ルールを説明します。今日の日没までに、その銅貨十枚を、自分たちの労働で『二十枚』に増やしなさい。増やせなければ、今夜の宿はありません。野宿ですわ」
「野宿……!? こんな泥だらけの地面で寝ろと言うのか!」
「嫌なら働きなさい。そこら中に仕事は転がっていますわよ。荷運び、皿洗い、溝掃除……。愛があれば、どんな汚れ仕事もキラキラ輝いて見えるのでしょう?」
リコは冷たく言い放つと、待機させていた馬車に乗り込んだ。
「私はこれから、一流ホテルのサロンで極上のランチを楽しみますわ。では、健闘を祈ります」
「待て! リコ! 置いていくな!」
「リコ様ぁー! せめてパン一個、パン一個だけでいいですからぁー!」
必死に馬車を追いかける二人を、市場の人々が「なんだ、あの変な奴らは」という目で眺めている。
リコは馬車の窓から、遠ざかる二人を眺めて優雅に扇子を仰いだ。
「……セバス。あの二人がもし盗みを働こうとしたら、即座に叩きのめしてちょうだいね」
「承知いたしました。……お嬢様、やはり少々、楽しんでおられませんか?」
「まさか。私はただ、この国を背負う者たちに『現実』という名の洗礼を与えているだけですわ。……ふふっ、あの王子が泥にまみれる姿、もっと近くで見たかったかしら」
「左様でございますか」
リコの瞳に、ほんのりと愉悦の色が浮かぶ。
一方、市場に取り残されたレオンとマリエッタは、手の中の銅貨十枚を見つめ、途方に暮れていた。
「レオン様……マリエッタ、お腹が空いて死にそうです……」
「……マリエッタ、安心しろ。私が王子としての威厳を見せれば、誰か食糧を献上するはずだ」
「あ、あの! そこのおじ様! 私たちは気高き愛の……」
「あぁん? なんだ、乞食か? 仕事の邪魔だ、どけ!」
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