悪役令嬢(志望)、婚約破棄? はい、お先に失礼しますわ!

夏乃みのり

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「…さて。まずは土壌の調査、と」

私は、昨日アラン様(と領民たち)をドン引きさせた、あの広大な丘に来ていた。
ドレスの裾は動きやすいようにたくし上げ、頭には日除けのスカーフを巻いている。
完璧な農作業スタイル(令嬢風)だ。

老執事が、どこからか見つけてきた錆びついた鍬(くわ)を一本、おずおずと差し出してくれた。

「ルーシュ様…本当に、これを?」

「ええ! ありがとうございます、執事! まずはわたくしが、この土地の可能性を切り開きますわ!」

私は、意気揚々と鍬を受け取る。
…が、思ったより重い。
しかも、錆びついていて、土がうまく掘り返せそうだにない。

「(う、うぐぐ…)」

私は、渾身の力を込めて、乾いた大地に鍬を振り下ろした。
カツン!

「(痛っ!)」

硬い!
王都の公爵家の庭園とは、わけが違う。
乾き切った大地は、まるで石のようだ。
鍬の刃が、あっさりと跳ね返されてしまった。

「お嬢様、お怪我は!」

「だ、大丈夫ですわ! 悪役令嬢は、この程度ではくじけません!」

(くじけそうですわ…! 腕がしびれました…!)

私は、もう一度、今度は体重を乗せて鍬を振り下ろす。
ガッ!
…数センチしか、刃が入らない。

「こ、これは…想像以上の難敵ですわね…」

私が、鍬と格闘していると、遠巻きに見ていた使用人たちが、ヒソヒソと話し始めた。

「どうする…? あのお嬢様、本気だぞ」

「しかし、我々が手伝って、もし怪我でもなさったら…」

「それ以前に、あの荒れ地を耕すなんて、無謀だ…」

(むっ。聞こえていますわよ)

その時だった。

「…何をしている」

氷のように冷たい、聞き慣れた声が、背後から響いた。

「アラン様!」

振り返ると、そこには、完璧な騎士装束(ただし軽装)に身を包んだアラン様が、眉間に深い皺を刻んで立っていた。

「まあ! ちょうどいいところに!」

「…そのセリフは、昨日も聞いた」

アラン様は、私の姿(スカーフに錆びた鍬)と、数センチ掘れたかどうかの地面を見て、深いため息をついた。

「ルーシュ様。あなたは謹慎中です。労働を強制されているわけではない」

「違いますわ! これは労働ではなく、趣味であり、実益であり、スローライフの第一歩ですの!」

「…(胃が痛い)。その鍬を、こちらへ」

「え?」

「怪我をする前に、取り上げます」

アラン様は、私から鍬を取り上げようと、手を伸ばしてきた。

「お待ちになって!」

私は、鍬の柄を、ぎゅっと握りしめて抵抗する。

「これは、わたくしの夢の第一歩ですの! 取り上げないでくださいまし!」

「夢」

「そうですわ! この大地を、緑豊かな薬草園にするという、壮大な夢が!」

「…その夢のために、あなたが腕を骨折でもしたら、俺の監視責任が問われる」

「(むむむ…!)」

正論だ。
氷の騎士様、相変わらず手強い。

私たちは、一本の錆びた鍬を挟んで、数秒間、にらみ合った。
(こうなったら…!)

「…わかりましたわ」

私は、あっさりと鍬から手を離した。

「(ん?)」

アラン様が、意外そうな顔をする。
私が、こんなに簡単に諦めるとは思っていなかったのだろう。

「やはり、わたくし一人の力では、この大地を耕すのは無理でしたわ」

「…ご理解いただけたようで、何よりです」

アラン様は、心底ほっとしたように、息をついた。

「ええ。ですから、アラン様」

「はい」

「アラン様も、お手伝いくださいまし」

「……………………は?」

アラン様の、あの完璧な無表情が、カシャリ、と音を立てて固まった。
そのアイスブルーの瞳が「この女は、今、なんと言った?」と、雄弁に物語っている。

「だから、お手伝いを。これ、アラン様がお持ちくださいな」

私は、彼が持っていた錆びた鍬を、彼の手(剣を握るための、マメのある手だ)に、ぐいっと押し付けた。

「……」

アラン様は、自分の手に握らされた「鍬」と、私の顔を、ゆっくりと、二往復半ほど見比べた。

「ルーシュ様」

「はい!」

「俺は、クライスト辺境伯であり、騎士団の隊長だ」

「存じておりますわ!」

「そして、あなたの『監視役』だ」

「ええ、それも承知の上ですわ!」

「…なぜ、俺が、鍬を?」

彼の声は、地を這うように低く、冷たくなっていた。
まずいですわ。
これは、本気で機嫌を損ねる一歩手前かもしれない。

「人手不足ですもの!」

私は、悪びれもせず、胸を張って答えた。

「だって、ご覧になって! 使用人の皆さんは、ご高齢の方や、非力な女性ばかり。この硬い大地を耕せるのは、屈強な殿方であるアラン様、あなたしかいらっしゃいませんわ!」

「……」

「それに! 監視役というのは、監視対象から、片時も目を離してはいけないのではなくて?」

「…そうだ」

「わたくしは、これから一日中、この丘で土いじりをいたしますわ。ならば、アラン様も、一日中、この丘で、わたくしのそばにいなくてはなりません」

「(なっ…!)」

アラン様が、絶句した。
私の(ズレた)論理が、彼の思考の隙を突いたらしい。

「ただ、わたくしのそばで、一日中、突っ立っているだけというのは、時間がもったいないと思いませんこと?」

「……」

「ですから、ご一緒に! さあ、アラン様も!」

私は、老執事が気を利かせて(?)持ってきてくれた、もう一本の(少しマシな)鍬を手に取り、満面の笑みを向けた。

遠くで、使用人たちが息を呑む気配がする。
「あのお嬢様、氷の騎士様に、鍬を…」
「無謀だ…」
「いや、逆にすごい…」

アラン様は、数秒間、天を仰いだ。
その手は、錆びた鍬の柄を、まるで宿敵の首でも掴むかのように、ギリギリと強く握りしめている。

やがて、彼は、何か巨大なものを諦めたかのように、重々しい息を吐き出した。

「…(はぁぁぁぁ)。わかった」

「まあ!」

「ただし、だ。俺が手本を見せる。あなたは、それを真似しろ」

「えっ!?」

「その無駄な力任せの振り方では、日が暮れるまでに、腕一本、使い物にならなくなる」

アラン様は、そう言うと、私が握らされた鍬を、軽々と肩に担いだ。
そして、私が苦戦していた硬い地面の前に、無造作に立つ。

「…見ていろ」

次の瞬間。
私は、信じられないものを見た。

ヒュッ!

アラン様が、騎士の剣技とは似ても似つかぬ、しかし、完璧に効率化されたフォームで、鍬を振り下ろす。

ザクッ!

「「「おお…!」」」

私と、遠巻きに見ていた使用人たちから、思わず感嘆の声が漏れた。
私がカツン、と跳ね返されたあの硬い大地に、鍬の刃が、深く、深く突き刺さっている。

アラン様は、無表情のまま、テコの原理を使い、土の塊を掘り起こす。
ザク、ザク、ザク。
その動きには、一切の無駄がない。
まるで、訓練された農夫のようだ。

「(ポカン…)」

「…なぜ、辺境伯である俺が、こんなにも鍬の扱いに習熟しているか、聞きたいか」

「は、はい…!」

「…辺境の騎士団は、自給自足が基本だ。食いたければ、耕すしかない」

アラン様は、淡々と、しかし、どこか遠い目をしながら、土を掘り返し続ける。
その姿は、あまりにも絵になっていた。
氷の騎士(ただし、鍬装備)。

「…さあ。見ていないで、あなたもやれ」

「は、はいですわ!」

私は、慌ててアラン様の隣に立ち、彼の完璧なフォームを真似て、鍬を振り下ろし始めた。
先ほどよりは、少しマシに土が入る。

「腰が入っていない」

「ひゃい!」

「腕の力に頼るな。体重を乗せろ」

「は、はいですわ!」

こうして、辺境の荒れ地で、公爵令嬢(謹慎中)と、氷の騎士(監視役)による、世にも奇妙な『開墾作業』が始まった。

「…隊長が、鍬を…」

「しかも、お嬢様に指導までなさっている…」

「…俺たちも、手伝った方が、いいんだろうか…」

使用人たちと、いつの間にか集まってきた領民たちが、唖然とした顔で、私たち二人の姿を眺めている。

「(…胃が痛い。なぜだ)」

アラン様は、無心で土を掘り返しながら、懐の胃薬の小瓶に、そっと手を伸ばすのだった。
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