悪役令嬢(志望)、婚約破棄? はい、お先に失礼しますわ!

夏乃みのり

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「「「………………」」」

辺境の丘に、不気味な静寂が支配していた。
いや、静寂ではない。
泡を吹いて気絶しているグレート・ボアの、か細い寝息(?)「ぶひ…ぶひ…」という音だけが、虚しく響いている。

領民たちは、開墾用の鍬を持ったまま、完全に固まっていた。
彼らの視線は、一点に集中している。
巨大な魔獣の亡骸(ではない、気絶しているだけだ)と、その前に仁王立ちする、わたくし。
そして、わたくしが誇らしげに掲げる、空になった小瓶(生物兵器)に。

「…おい」

「…ああ」

「…お嬢様が」

「…匂いだけで」

「…あのグレート・ボアを」

「…気絶、させた…」

領民たちの、途切れ途切れの会話が、恐怖とも畏怖ともつかない響きを帯びていた。
『女神様』から、一気に『魔王(臭気属性)』にランクアップしてしまったかもしれない。
悪役令嬢としては、望ましい展開だ。

「(ふふん。わたくしの実力、思い知りましたか、魔獣め)」

わたくしが、小瓶をポシェットにしまい、満足げに頷いた、その時。

「…ルーシュ嬢」

背後から、地を這うような、低い声が聞こえた。
アラン様だ。

「はい! アラン様! ご覧になりましたか! わたくしの…」

「それ以上、言うな」

「え?」

わたくしが振り返ると、そこに立っていたのは「氷の騎士」ではなかった。
氷が溶けて、蒸発して、何もかもが「無」になったかのような、虚無の表情を浮かべたアラン様がいた。

彼は、ゆっくりと、一歩、わたくしに近づいた。
そのアイスブルーの瞳は、何の感情も映していない。
それが、逆に、恐ろしい。

「…君は」

「はい!」

「…君は、一体、何者なんだ」

「(え?)」

わたくしは、きょとんとした。
何を言っているのだろう、この氷の騎士様は。

「わたくしは、ルーシュ・フォン・ヴァインベルグですわ。正真正銘、ヴァインベルグ公爵家の…」

「そうではない!」

アラン様が、珍しく声を荒らげた。
その手は、わたくしの両肩を、がっしりと掴んでいる。
近い!

「(ま、まあ! アラン様、大胆ですわ!)」

「…(ハッ!)」

アラン様は、わたくしに触れていることに気づき、火傷でもしたかのように、慌てて手を離した。
その耳が、また、ほんのりと赤くなっている。

「…失礼した」

彼は、コホン、と咳払いをして、わたくしから二歩、距離を取った。
そして、心底、理解できないという顔で、わたくしをまじまじと見つめた。

「…俺は、王都で、君の噂を聞いていた」

「まあ! わたくしの悪役令嬢としての噂ですのね!」

「(無視)…ヴァインベルグ公爵家の令嬢。エドワード王子の婚約者。才色兼備だが、驕慢(きょうまん)で、嫉妬深い。隣国の姫君に、陰湿な嫌がらせをしている、と」

「(まあまあ! 完璧な悪評! 嬉し恥ずかしですわ!)」

わたくしが、頬を染めて喜んでいると、アラン様は、さらに続けた。

「…だから、今回の監視役も、引き受けた。王都の、甘やかされた令嬢が、辺境の厳しさに耐えかねて、泣きわめくのだろう、と。せいぜい、そうならないよう、事務的に『監視』してやればいい、と」

「ふむふむ」

「…だが」

アラン様の、虚無の表情に、明確な「困惑」と「疲労」が浮かび上がる。

「…君は、なんだ」

「え?」

「婚約破棄された夜会で、むせながら高笑いし(※報告書で読んだ)」

「(うっ…!)」

「辺境への旅路で、走行中の馬車から飛び降り(※ハッピーテイスト)」

「(あ、あれは、事故ですわ!)」

「謹慎先の荒れ地を見て『素材の宝庫』と歓喜し」

「(事実ですもの!)」

「俺に、鍬を持たせ、農作業を指導させ(※なぜだ)」

「(人手不足でしたから!)」

「領民に『三日間眠れなくなる薬』を飲ませて、暴走させ」

「(結果、腰痛が治りましたわ!)」

「俺の最大の秘密(甘党)を暴き、『毒入り(物理)』の菓子を作ろうとし」

「(毒見用ですわ!)」

「そして、今、なんだ。…『くさや汁(濃縮版)』だと…?」

アラン様は、そこまで一気にまくし立てると、ぐらり、とよろめいた。
懐の胃薬の小瓶は、もう、カラカラと虚しい音を立てるだけだ。

「…(はぁ)。俺の知っている『公爵令嬢』という生き物は、もっと、か弱く、繊細で、ドレスの裾が汚れただけで泣き叫ぶような…そういう存在だったはずだ」

アラン様は、天を仰ぐ。

「…ルーシュ・フォン・ヴァインベルグ」

「はい!」

彼は、わたくしの目を、まっすぐに見据えた。
その瞳には、監視役としての任務を超えた、純粋な、学術的な(?)疑問が浮かんでいた。

「君は…本当に、公爵令嬢、なのか?」

「「「(ゴクリ…)」」」

遠巻きに見ていた領民たちも、固唾を飲んで、わたくしの答えを待っている。
アラン様は、わたくしが、実は、公爵令嬢と入れ替わった「何者か」ではないかと、疑っているのかもしれない。

(まあ!)

わたくしは、その問いの意味を、瞬時に(ズレて)理解した。

(アラン様は、おっしゃりたいのですわね!)
(わたくしの振る舞いが、あまりにも『公爵令嬢』離れしすぎていて、もはや、その肩書きが霞んで見える、と!)
(それほどまでに、わたくしの『個性』が、輝いてしまっている、と!)

わたくしは、感動に打ち震えた。
これ以上ない、賛辞ではないか。

わたくしは、アラン様の疑問に、真正面から答えるため、背筋をピンと伸ばした。
そして、公爵令嬢としての完璧なカーテシーではなく、あえて、胸に手を当て、芝居がかった仕草で、宣言する。

「まあ、アラン様。わたくしが、ただの『公爵令嬢』だと、まだ思っていらっしゃったのですか?」

「…? どういう、意味だ」

わたくしは、ニヤリ、と笑ってみせた。
(これぞ、悪役令嬢の笑み!)

「わたくしは、ただのルーシュ・フォン・ヴァインベルグではございませんわ」

「…では、なんだ」

アラン様が、ゴクリと唾を飲む。

「ええ。正真正銘」

わたくしは、この日一番の、自信に満ちた声を張り上げた。

「『悪役令嬢(志望)』ですわ!」

「「「……………………は?」」」

アラン様と、領民たちの、気の抜けた声が、またしても、綺麗にハモった。

「(…あくやくれいじょう…しぼう…?)」

アラン様の、アイスブルーの瞳が、完全に、フリーズしている。
彼の(優秀な)頭脳が、わたくしの言葉を、必死で処理しようとしているのがわかった。

「…『志望』? …『悪役』?」

「左様ですわ! わたくしは、幼き頃より、華々しく断罪される『悪役令嬢』になるべく、日々、努力を重ねて参りましたの!」

「(……………)」

「この薬草学も! この体力も! すべては、断罪された後の、第二の人生(スローライフ)を豊かに生きるため!」

「(……………)」

「ですから、アラン様が、わたくしを『公爵令嬢』ではなく『何者か』と認識してくださったのは、わたくしの努力が実を結んだ証拠! 光栄の至りですわ!」

オーホッホッホ!
今度こそ、わたくしは、むせることなく、高笑いを丘に響かせた。

「「「(ポカーーーーーン…)」」」

アラン様も、領民たちも、開いた口が塞がらない、とは、まさにこのことだった。

「…(カラン)」

アラン様の手から、空になった胃薬の小瓶が、力なく滑り落ちた。

「…そうか」

彼は、すべてを諦めたような、悟りを開いたような、そんな顔で、呟いた。

「…悪役令嬢、だったのか…(志望)」

「(ど、どういうことだ…?)」

「(お嬢様は、悪い人になりたかった…?)」

「(だから、あんな毒薬を…?)」

領民たちが、新たな(そして、さらに深い)混乱に陥っている。

「さあ、皆様! 魔獣も片付きましたし、開墾の続きですわよ!」

わたくしは、気絶したグレート・ボアの横を通り過ぎながら、考える。

(この牙、砕けば、強力な『精力剤』になりそうですわね…! アラン様(の毒見用)に、ぴったり!)

「…胃が、痛い。薬がないのに、胃が、痛い…」

アルの胃痛は、ついに、薬の助けなしに、彼自身を苛み始めるのだった。
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