悪役令嬢(志望)、婚約破棄? はい、お先に失礼しますわ!

夏乃みのり

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王都が、見えない病の影に覆われ始めてから、さらに数日が過ぎた。
王宮薬局は、文字通り、不眠不休の戦場と化していた。

「ダメだ! この配合も効果なし!」

「侍医長! 新たな患者が…! 今度は、文官たちです!」

「(くそっ!)防護用のマスクをさせろ! これ以上、感染を広げるな!」

しかし、その命令も、虚しかった。
病は、マスクの網目など嘲笑うかのように、確実に、王宮の中枢へと忍び寄っていく。

そして、ついに。
その日は、来てしまった。

「(ゴホン…! ゲホッ!)」

「カレン!?」

エドワード王子の私室。
朝の光の中で、カレン姫が、苦しそうに肩を震わせた。
彼女が口に当てたシルクのハンカチに、血は混じっていない。
だが、その咳は、明らかに、あの『流行り病』特有の、乾いた、嫌な音だった。

「(ゴホッ!)…エドワード様…なんだか、胸が…」

「だ、大丈夫だ、カレン! すぐに侍医を…! 侍医長を呼べ! 今すぐにだ!」

エドワードは、血相を変えて叫んだ。
彼の頭の中で、数日前に侍医長が言っていた『死者も出始めている』という言葉が、不気味に反響する。

(まさか…! カレンが…! あの、忌まわしい病に…!?)

すぐに、侍医長が、数人の薬師を連れて、文字通り転がり込んできた。
その顔は、エドワード以上に、蒼白だった。

「ひ、姫様! お脈を…!」

「(ゲホッ…ゴホン…!)苦しい…ですわ…」

カレン姫は、寝台に横たわりながら、か細い声で訴える。
その白い額には、脂汗が滲んでいた。

「…(ゴクリ)」

侍医長は、カレン姫の手首に指を当て、数秒、目を閉じた。
そして、絶望に顔を歪ませる。

「…侍医長! どうなんだ! カレンは!」

エドワードが、侍医長の胸ぐらを掴まんばかりの勢いで詰め寄る。

「(はっ…!)…間違い、ございません。…『流行り病』の、初期症状にございます…」

「(なっ…!)」

エドワードの青い瞳が、怒りと恐怖で、大きく見開かれた。

「ふ、ふざけるな! お前たちは、この数日、一体、何をしていた!」

「も、申し訳ございません! あらゆる手を尽くしては…!」

「言い訳は聞きたくない! 薬だ! すぐに、一番効く薬を持ってこい! 王宮の、ありったけの薬草を使ってでも、カレンを治すんだ!」

「は、はいぃぃっ!」

侍医長たちは、慌てて自室を飛び出し、薬局へと戻っていった。

「カレン…! 大丈夫だ、私がついている。すぐに、あの無能どもに、特効薬を作らせるからな…!」

「エドワード様…(ゴホン!)…わたくし、怖い…」

「(くっ…!)」

カレン姫の、涙に濡れた瞳。
その庇護欲をそそる姿は、エドワードの決意を、あらぬ方向へと加速させた。

(そうだ。カレンが、こんなに苦しんでいる)
(すべて、あの侍医どもが、無能なせいだ)
(私が、もっと厳しく、彼らを管理しなければ…!)



その日の午後。
王宮薬局は、地獄の様相を呈していた。

「侍医長! エドワード王子より、ご下命です!」

「『最高級の竜の息吹草を、カレン姫様のためだけに、すべて使え』と!」

「な、なんだと!? あれは、他の重症患者のために、少しずつ使って…!」

「王子のご命令です! 『カレン姫の治療を、最優先とせよ』と!」

「(ぐ…!)…わかった! 持ってこい!」

侍医長は、苦渋の決断を下した。
薬局の、最後の切り札とも言える、希少な薬草が、カレン姫のためだけに、惜しげもなく投入される。

グツグツ…

黄金色に輝く、最高級の薬湯が、カレン姫の口元へと運ばれた。

「さあ、カレン。これを飲めば、すぐに楽になる」

「(ゴホン…)…はい、エドワード様…」

カレン姫は、エドワードに支えられながら、その高価な薬湯を、ゆっくりと飲み干した。

「…どうだ、カレン?」

「…(コクン)。…少し、胸が、楽になった…ような…」

「そうか! よかった!」

エドワードは、安堵に胸を撫で下ろした。
(さすがは、最高級の薬草だ。金に糸目をつけなければ、治るではないか)

だが、その安堵は、長くは続かなかった。

「(ゲホッ! ゲホッ! ゴホゴホッ!!)」

「カレン!?」

翌朝。
カレン姫の症状は、明らかに、悪化していた。
あれほど高価な薬草を使ったにもかかわらず、咳はひどくなり、ついに、熱まで出始めたのだ。

「う…あ…エドワード様…息が…」

「(なっ…!?)なぜだ! 昨日、あれほどの薬を…! 侍医長! 侍医長を呼べ!!」

エドワードは、完全に、我を失っていた。
彼の怒号が、王宮中に響き渡る。

「どうなっている! あの薬は、どうした!」

駆けつけた侍医長は、カレン姫の様子(急速な悪化)を見て、ついに、その場に膝から崩れ落ちた。

「…だめだ」

「何がダメだと言うんだ!」

「…もう、だめです。王子」

侍医長は、力なく首を振った。

「…王宮薬局の、高価な薬草は、すべて、使い果たしました」

「(なっ…!?)」

「ですが…ですが、姫様の症状は、悪化の一途…。この病は、我々の知る、どんな薬も、受け付けません…!」

「(そ、そんな…!)」

エドワードは、よろめいた。
金も、権力も、この『見えない病』の前には、無力だというのか。

「カレン…カレンが…!」

「(う…うう…エドワード様…わたくし、死んでしまうの…?)」

カレン姫の、弱々しい泣き声が、エドワードの耳に突き刺さる。

(いやだ…! 嫌だ! カレンを失うなど、耐えられない!)
(そうだ。まだ、何か、手があるはずだ)
(従来の薬がダメなら、別の何かを…)

エドワードは、混乱する頭で、必死に記憶をたどった。
(薬…薬草…)

その時。
彼の脳裏に、かつての婚約破棄の日の光景が、フラッシュバックした。

『貴様は、王妃教育もろくに受けず、いつも薄暗い薬草園にばかり入り浸っていた!』

そうだ。
あの女。
ルーシュ。

あいつは、いつも、薄気味悪い『雑草』や『キノコ』をいじくり回していた。
王宮の薬師たちが「迷信だ」と切り捨てるような、得体の知れない知識を、持っていた。

(まさか…)

エドワードは、侍医長の言葉を思い出す。
『この病は、我々の知る、どんな薬も、受け付けません』

(…我々の知る薬がダメなら)

(…『我々の知らない薬』なら、どうだ?)

(あいつが作っていた、あの、怪しげな『何か』なら…)

エドワードは、わらにもすがる思いで、その可能性に飛びついた。
それは、王子としてのプライドも、何もかもを捨てた、ただの、男の叫びだった。

「…(そうだ)…辺境だ」

「王子…?」

侍医長が、怪訝な顔で、エドワードを見上げる。

「…侍医長。辺境に追いやった、あの、ルーシュ・フォン・ヴァインベルグ」

「は、はあ…あの、悪役令嬢様、でございますか…?」

「あいつは、薬草学に、異常なまでの執着を持っていた」

「…(まさか)」

エドワードは、侍医長の肩を、強く掴んだ。
その目は、狂気じみた光を宿していた。

「…辺境の地には、王都にはない、未知の薬草があるはずだ」

「お、王子…? それは、あまりにも、突飛な…」

「うるさい!」

エドワードは、一喝する。

「カレンを救える可能性があるなら、俺は、何にでもすがる!」

「…(ゴクリ)」

「(そうだ…)あいつなら…あいつの、あの、常軌を逸した薬草知識なら…」
「…カレンを救う『何か』を、知っているかもしれない…!」
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