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「……プイッ」
クリムゾン公爵邸のダイニングルーム。
ベビーチェアに座らされた1歳の男の子――シズルとメモリーの息子、シエルが、顔を背けてスプーンを拒否した。
「あれ? シエルちゃん、どうしたのかな? これは王宮のシェフ特製、最高級ニンジンのペーストですよー? 飛行機が来ますよー、ブーン」
メモリーがスプーンを飛行機に見立てて口元へ運ぶが、シエルは興味なさげに小さな手で払いのけた。
「あうー(いらなーい)」
「ガーン! また拒否です!」
メモリーがショックで崩れ落ちる。
ここ数日、シエルの「離乳食拒否」が深刻化していた。
カボチャ、ホウレンソウ、白身魚……あらゆる食材を試したが、一口食べては「ペッ」と吐き出すか、最初から口を開こうとしないのだ。
「……やはり、私の血か」
新聞を読んでいたシズルが、苦い顔でコーヒーカップを置く。
「私に似て、偏食家になってしまったのかもしれない。……すまない、メモリー。私の『食へのワガママ遺伝子』が、君の『何でも美味しく食べる遺伝子』に勝ってしまったようだ」
「そんな! 諦めないでください! この子の将来の夢は『フードファイター』か『三ツ星シェフ』だと勝手に決めているんですから!」
メモリーは立ち上がり、シエルの前に置かれたニンジンのペーストを睨みつけた。
「(……匂いは悪くない。舌触りも滑らか。シェフの仕事は完璧です。だとしたら、なぜ?)」
メモリーは自分の指でペーストを少しすくい、舐めてみた。
「……ん?」
甘い。ニンジンの自然な甘みだ。
だが、何か足りない。
「(……コクがない。そして、香りのレイヤーが単調すぎる)」
メモリーの脳内で、シズルの言葉が蘇る。
『私に似て偏食家』。
そして自分の本能が囁く。
『この子は、ただの偏食じゃない。美食家(グルメ)なんだ』
「シズル様。厨房をお借りします」
「またか? シェフに任せれば……」
「いいえ。この子は、シェフの『教科書通りの離乳食』に飽きているのです。もっと刺激的で、魂を揺さぶるような『旨味』を求めているのです!」
メモリーはエプロンを締め、厨房へ走った。
取り出したのは、冷蔵庫の奥に眠っていた『黄金の出汁(ブイヨン)』。
先日、余ったドラゴン肉の骨を三日三晩煮込んで作った、メモリー秘伝のスープストックだ。
「これを使います!」
小鍋に出汁を張り、そこへ細かく刻んだ野菜と、お米を投入する。
コトコトと煮込むこと数分。
キッチンに、大人でも涎が出るような芳醇な香りが漂い始めた。
「味付けは極々薄く……でも、出汁の旨味でカバー! そして仕上げに、粉チーズをパラリ!」
完成したのは、見た目は普通の白いお粥。
だが、その香りは別次元だった。
「お待たせしました、シエル様。本日のメインディッシュ『ドラゴンブイヨンの極上リゾット粥』です」
ダイニングに戻ったメモリーが、シエルの前に器を置く。
すると。
「……!」
シエルの大きな青い瞳(シズル譲り)が、カッと見開かれた。
小さな鼻がヒクヒクと動く。
そして、自分から身を乗り出し、口を大きく開けた。
「あー!」
「どうぞ!」
メモリーがスプーンを口に入れる。
パクッ。モグモグ……。
一瞬の静寂。
シズルも固唾を呑んで見守る。
シエルは味わうように口を動かし、そして――。
「キャッキャッ! まんま! まんまー!」
満面の笑みでテーブルをバンバンと叩いた。
「もっと寄越せ」の合図である。
「た、食べた……! しかも笑ったぞ!」
シズルが驚愕する。
「やはりそうです! この子は『不味い』から食べなかったのではなく、『味が薄っぺらい』から食べなかったのです!」
メモリーは次々とリゾットを口へ運ぶ。
シエルは雛鳥のように口を開け続け、あっという間に完食してしまった。
「うー! (おかわり!)」
空になった器を指差して抗議する息子。
その姿を見て、シズルは深くため息をついた。
「……なんてことだ。1歳にして『ドラゴンの出汁』の味を覚えてしまうとは」
「英才教育ですわ!」
「将来、彼を満足させる料理人が居なくなるぞ……」
「大丈夫です。その時は私が鍛えますから!」
「いや、食費の問題が……」
シズルは遠い目をして天井を仰いだ。
妻の底なしの食欲に加え、息子のグルメ舌。
クリムゾン家のエンゲル係数は、もはや国家予算並みに膨れ上がろうとしていた。
「まあ、いいか」
シズルは、口の周りをご飯粒だらけにして笑うシエルと、その頬を拭いてあげるメモリーを見た。
「……この幸せな光景が見られるなら、ドラゴンの一匹や二匹、毎日狩りに行っても安いものだ」
「シズル様? 何か言いました?」
「いや。……私も腹が減ったな、と言ったんだ」
「では、シズル様にもリゾットを作りますね! 大人の味付けで、黒胡椒たっぷりで!」
「頼む」
こうして、離乳食戦争はメモリーの勝利(?)で幕を閉じた。
だが、これはほんの序章に過ぎない。
成長したシエルが、やがて「お母様のご飯以外は食べたくない」と言い出し、未来の婚約者を悩ませるマザコン美食家になるのは、まだ少し先の話である。
クリムゾン公爵邸のダイニングルーム。
ベビーチェアに座らされた1歳の男の子――シズルとメモリーの息子、シエルが、顔を背けてスプーンを拒否した。
「あれ? シエルちゃん、どうしたのかな? これは王宮のシェフ特製、最高級ニンジンのペーストですよー? 飛行機が来ますよー、ブーン」
メモリーがスプーンを飛行機に見立てて口元へ運ぶが、シエルは興味なさげに小さな手で払いのけた。
「あうー(いらなーい)」
「ガーン! また拒否です!」
メモリーがショックで崩れ落ちる。
ここ数日、シエルの「離乳食拒否」が深刻化していた。
カボチャ、ホウレンソウ、白身魚……あらゆる食材を試したが、一口食べては「ペッ」と吐き出すか、最初から口を開こうとしないのだ。
「……やはり、私の血か」
新聞を読んでいたシズルが、苦い顔でコーヒーカップを置く。
「私に似て、偏食家になってしまったのかもしれない。……すまない、メモリー。私の『食へのワガママ遺伝子』が、君の『何でも美味しく食べる遺伝子』に勝ってしまったようだ」
「そんな! 諦めないでください! この子の将来の夢は『フードファイター』か『三ツ星シェフ』だと勝手に決めているんですから!」
メモリーは立ち上がり、シエルの前に置かれたニンジンのペーストを睨みつけた。
「(……匂いは悪くない。舌触りも滑らか。シェフの仕事は完璧です。だとしたら、なぜ?)」
メモリーは自分の指でペーストを少しすくい、舐めてみた。
「……ん?」
甘い。ニンジンの自然な甘みだ。
だが、何か足りない。
「(……コクがない。そして、香りのレイヤーが単調すぎる)」
メモリーの脳内で、シズルの言葉が蘇る。
『私に似て偏食家』。
そして自分の本能が囁く。
『この子は、ただの偏食じゃない。美食家(グルメ)なんだ』
「シズル様。厨房をお借りします」
「またか? シェフに任せれば……」
「いいえ。この子は、シェフの『教科書通りの離乳食』に飽きているのです。もっと刺激的で、魂を揺さぶるような『旨味』を求めているのです!」
メモリーはエプロンを締め、厨房へ走った。
取り出したのは、冷蔵庫の奥に眠っていた『黄金の出汁(ブイヨン)』。
先日、余ったドラゴン肉の骨を三日三晩煮込んで作った、メモリー秘伝のスープストックだ。
「これを使います!」
小鍋に出汁を張り、そこへ細かく刻んだ野菜と、お米を投入する。
コトコトと煮込むこと数分。
キッチンに、大人でも涎が出るような芳醇な香りが漂い始めた。
「味付けは極々薄く……でも、出汁の旨味でカバー! そして仕上げに、粉チーズをパラリ!」
完成したのは、見た目は普通の白いお粥。
だが、その香りは別次元だった。
「お待たせしました、シエル様。本日のメインディッシュ『ドラゴンブイヨンの極上リゾット粥』です」
ダイニングに戻ったメモリーが、シエルの前に器を置く。
すると。
「……!」
シエルの大きな青い瞳(シズル譲り)が、カッと見開かれた。
小さな鼻がヒクヒクと動く。
そして、自分から身を乗り出し、口を大きく開けた。
「あー!」
「どうぞ!」
メモリーがスプーンを口に入れる。
パクッ。モグモグ……。
一瞬の静寂。
シズルも固唾を呑んで見守る。
シエルは味わうように口を動かし、そして――。
「キャッキャッ! まんま! まんまー!」
満面の笑みでテーブルをバンバンと叩いた。
「もっと寄越せ」の合図である。
「た、食べた……! しかも笑ったぞ!」
シズルが驚愕する。
「やはりそうです! この子は『不味い』から食べなかったのではなく、『味が薄っぺらい』から食べなかったのです!」
メモリーは次々とリゾットを口へ運ぶ。
シエルは雛鳥のように口を開け続け、あっという間に完食してしまった。
「うー! (おかわり!)」
空になった器を指差して抗議する息子。
その姿を見て、シズルは深くため息をついた。
「……なんてことだ。1歳にして『ドラゴンの出汁』の味を覚えてしまうとは」
「英才教育ですわ!」
「将来、彼を満足させる料理人が居なくなるぞ……」
「大丈夫です。その時は私が鍛えますから!」
「いや、食費の問題が……」
シズルは遠い目をして天井を仰いだ。
妻の底なしの食欲に加え、息子のグルメ舌。
クリムゾン家のエンゲル係数は、もはや国家予算並みに膨れ上がろうとしていた。
「まあ、いいか」
シズルは、口の周りをご飯粒だらけにして笑うシエルと、その頬を拭いてあげるメモリーを見た。
「……この幸せな光景が見られるなら、ドラゴンの一匹や二匹、毎日狩りに行っても安いものだ」
「シズル様? 何か言いました?」
「いや。……私も腹が減ったな、と言ったんだ」
「では、シズル様にもリゾットを作りますね! 大人の味付けで、黒胡椒たっぷりで!」
「頼む」
こうして、離乳食戦争はメモリーの勝利(?)で幕を閉じた。
だが、これはほんの序章に過ぎない。
成長したシエルが、やがて「お母様のご飯以外は食べたくない」と言い出し、未来の婚約者を悩ませるマザコン美食家になるのは、まだ少し先の話である。
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