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「お母様、遅いです! 早くしないと、サンドイッチのパンが乾燥してパサパサになってしまいますよ!」
クリムゾン領を見渡す、小高い丘の上。
小さな男の子の声が響き渡った。
シエル・ド・クリムゾン、4歳。
黒髪に青い瞳という父親譲りの美貌を持ちながら、その中身は母親譲りの「食への執着」で満たされた、将来有望な(あるいは末恐ろしい)次期公爵である。
「待ちなさいシエル。焦りは禁物です。美味しいお弁当は、景色という『最高の調味料』が揃って初めて完成するのですから」
息を切らしながら丘を登ってきたメモリーが、巨大なバスケットを抱えて笑う。
その隣には、さらに大きな荷物(折りたたみテーブルと椅子一式)を軽々と持ったシズルの姿があった。
「やれやれ。ピクニックというより、野外レストランの開業準備だな」
シズルが苦笑しながら、木陰にテーブルをセットする。
今日は久しぶりの休日。家族水入らずのピクニックだ。
「さあ、準備完了です! オープン!」
メモリーがバスケットを開ける。
そこには、色とりどりのサンドイッチ、骨付きチキンのハーブ焼き、新鮮なサラダ、そしてデザートのフルーツタルトがぎっしりと詰まっていた。
「わぁ……!」
シエルの目が輝く。
「このチキン、皮の焼き色が完璧ですね! それにサンドイッチの具……あえて厚切りにしたベーコンと、薄切りのキュウリのコントラスト! 計算し尽くされています!」
「ふふ、よく気がつきましたね。さすが私の子です」
メモリーが得意げに息子の頭を撫でる。
シズルは「食レポの英才教育もほどほどにな」と呆れつつも、誰よりも先にフォークを手に取った。
「では、いただこうか」
「「いただきます!」」
青空の下、幸せな咀嚼音が響く。
「ん~っ! やはり外で食べるご飯は格別ですわ!」
メモリーがチキンにかぶりつく。
かつて、孤独に厨房で盗み食いをしていた頃には知らなかった味だ。
誰かと一緒に、「美味しいね」と言い合いながら食べるご飯の味。
「……そういえば、アラン殿下から手紙が来ていたぞ」
シズルが紅茶を飲みながら言った。
「またですか? 懲りませんねぇ」
「いや、今回は『結婚報告』だそうだ」
「まあ!」
「相手は隣国の王女らしい。『彼女は私と同じくらいナルシストで、鏡の前で二人並んでうっとりできる最高のパートナーだ』と書いてあった」
「ぶふっ!」
メモリーが思わず吹き出す。
「それは……お似合いですわね。きっと世界一、鏡の枚数が多い家庭になるでしょう」
「リリナ嬢も、王宮のパティシエと結婚して幸せにやっているそうだ。……みんな、それぞれの場所に収まったな」
シズルが穏やかな目で遠くを見る。
かつて「婚約破棄」から始まった騒動。
それが巡り巡って、全員が自分の幸せを見つけたのだ。
「シズル様」
「ん?」
「私、今とってもお腹がいっぱいです」
メモリーはサンドイッチを置き、お腹をさすった。
『健啖の加護』を持つ彼女が満腹になることは、物理的にはありえない。
つまり、それは――。
「胸がいっぱいで、幸せでお腹がいっぱい、という意味です」
「……そうか」
シズルが優しく微笑み、テーブル越しにメモリーの手を握った。
「私もだ。……君と出会って、私の世界は色鮮やかになった。白黒だった食卓が、君のおかげで虹色に変わったんだ」
「パパとおママだけズルい! 僕も!」
シエルが割り込んで、二人の手の上に自分の小さな手を重ねた。
「僕も幸せ! だって、今日のタルト、イチゴが2個乗ってるもん!」
「あはは! シエルったら!」
三人の笑い声が、風に乗って空高く舞い上がる。
メモリーは思った。
悪役令嬢と呼ばれたあの日。
婚約破棄を突きつけられ、絶望するどころか厨房へ走ったあの日。
もしあの時、お腹が空いていなかったら。
もしあの時、シズルのビーフシチューをつまみ食いしていなかったら。
今のこの景色はなかっただろう。
「(食欲は、運命を切り開くエネルギーですわね)」
メモリーはバスケットの底に残っていた最後のクッキーを手に取った。
「さあ、シズル様、シエル。最後の一個です。ジャンケンで勝負ですよ!」
「望むところだ!」
「負けないよ!」
「最初はグー! ジャンケン……」
「「「ポン!!」」」
勝敗の結果は、神のみぞ知る。
けれど、誰が勝っても、きっとそのクッキーは三等分されて、三人の笑顔と共に消えていくのだろう。
美味しいご飯と、愛する家族。
それさえあれば、人生はいつだって「星三つ」のフルコースだ。
さあ、次はどんなご馳走が待っているのか。
空腹の悪役令嬢改め、世界一幸せな公爵夫人の物語は、これにて「完食」とさせていただこう。
――ごちそうさまでした!
クリムゾン領を見渡す、小高い丘の上。
小さな男の子の声が響き渡った。
シエル・ド・クリムゾン、4歳。
黒髪に青い瞳という父親譲りの美貌を持ちながら、その中身は母親譲りの「食への執着」で満たされた、将来有望な(あるいは末恐ろしい)次期公爵である。
「待ちなさいシエル。焦りは禁物です。美味しいお弁当は、景色という『最高の調味料』が揃って初めて完成するのですから」
息を切らしながら丘を登ってきたメモリーが、巨大なバスケットを抱えて笑う。
その隣には、さらに大きな荷物(折りたたみテーブルと椅子一式)を軽々と持ったシズルの姿があった。
「やれやれ。ピクニックというより、野外レストランの開業準備だな」
シズルが苦笑しながら、木陰にテーブルをセットする。
今日は久しぶりの休日。家族水入らずのピクニックだ。
「さあ、準備完了です! オープン!」
メモリーがバスケットを開ける。
そこには、色とりどりのサンドイッチ、骨付きチキンのハーブ焼き、新鮮なサラダ、そしてデザートのフルーツタルトがぎっしりと詰まっていた。
「わぁ……!」
シエルの目が輝く。
「このチキン、皮の焼き色が完璧ですね! それにサンドイッチの具……あえて厚切りにしたベーコンと、薄切りのキュウリのコントラスト! 計算し尽くされています!」
「ふふ、よく気がつきましたね。さすが私の子です」
メモリーが得意げに息子の頭を撫でる。
シズルは「食レポの英才教育もほどほどにな」と呆れつつも、誰よりも先にフォークを手に取った。
「では、いただこうか」
「「いただきます!」」
青空の下、幸せな咀嚼音が響く。
「ん~っ! やはり外で食べるご飯は格別ですわ!」
メモリーがチキンにかぶりつく。
かつて、孤独に厨房で盗み食いをしていた頃には知らなかった味だ。
誰かと一緒に、「美味しいね」と言い合いながら食べるご飯の味。
「……そういえば、アラン殿下から手紙が来ていたぞ」
シズルが紅茶を飲みながら言った。
「またですか? 懲りませんねぇ」
「いや、今回は『結婚報告』だそうだ」
「まあ!」
「相手は隣国の王女らしい。『彼女は私と同じくらいナルシストで、鏡の前で二人並んでうっとりできる最高のパートナーだ』と書いてあった」
「ぶふっ!」
メモリーが思わず吹き出す。
「それは……お似合いですわね。きっと世界一、鏡の枚数が多い家庭になるでしょう」
「リリナ嬢も、王宮のパティシエと結婚して幸せにやっているそうだ。……みんな、それぞれの場所に収まったな」
シズルが穏やかな目で遠くを見る。
かつて「婚約破棄」から始まった騒動。
それが巡り巡って、全員が自分の幸せを見つけたのだ。
「シズル様」
「ん?」
「私、今とってもお腹がいっぱいです」
メモリーはサンドイッチを置き、お腹をさすった。
『健啖の加護』を持つ彼女が満腹になることは、物理的にはありえない。
つまり、それは――。
「胸がいっぱいで、幸せでお腹がいっぱい、という意味です」
「……そうか」
シズルが優しく微笑み、テーブル越しにメモリーの手を握った。
「私もだ。……君と出会って、私の世界は色鮮やかになった。白黒だった食卓が、君のおかげで虹色に変わったんだ」
「パパとおママだけズルい! 僕も!」
シエルが割り込んで、二人の手の上に自分の小さな手を重ねた。
「僕も幸せ! だって、今日のタルト、イチゴが2個乗ってるもん!」
「あはは! シエルったら!」
三人の笑い声が、風に乗って空高く舞い上がる。
メモリーは思った。
悪役令嬢と呼ばれたあの日。
婚約破棄を突きつけられ、絶望するどころか厨房へ走ったあの日。
もしあの時、お腹が空いていなかったら。
もしあの時、シズルのビーフシチューをつまみ食いしていなかったら。
今のこの景色はなかっただろう。
「(食欲は、運命を切り開くエネルギーですわね)」
メモリーはバスケットの底に残っていた最後のクッキーを手に取った。
「さあ、シズル様、シエル。最後の一個です。ジャンケンで勝負ですよ!」
「望むところだ!」
「負けないよ!」
「最初はグー! ジャンケン……」
「「「ポン!!」」」
勝敗の結果は、神のみぞ知る。
けれど、誰が勝っても、きっとそのクッキーは三等分されて、三人の笑顔と共に消えていくのだろう。
美味しいご飯と、愛する家族。
それさえあれば、人生はいつだって「星三つ」のフルコースだ。
さあ、次はどんなご馳走が待っているのか。
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