婚約破棄? 上等です! 悪役令嬢は、断罪よりも限定タルトが気になる!

夏乃みのり

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「ジンジャー、支度をしろ」


朝食のパンケーキ(三段重ね)を平らげた直後、キース様が言った。


今日の彼は、いつもの執務服ではなく、少しラフな外出用のコートを羽織っている。


それでも隠しきれない高貴なオーラと威圧感は健在だが。


「支度、ですか? どこかへお出かけで?」


「街へ行く。領地の視察だ」


「視察……お仕事ですね。私のような者が同行してもよろしいので?」


私が首を傾げると、キース様は咳払いをして視線を逸らした。


「……菓子屋の視察も兼ねている」


「行きます!!」


私は食い気味に返事をした。


「準備は五分で終わらせます! コートと財布……いえ、胃袋さえあれば十分です!」


「財布はいらん。俺が払う」


「神様!」


私はキース様を拝んだ。


この公爵様、太っ腹すぎる。


          ◇


城下町は賑わっていた。


隣国との国境に近いこの街は、交易の中継地点として栄えているらしい。


石畳のメインストリートには、様々な露店が軒を連ね、活気ある声が飛び交っている。


しかし。


私とキース様が歩き出した瞬間、その喧噪が一瞬だけ凪いだ。


「……おい、あれ公爵閣下じゃないか?」


「うわっ、本当だ。相変わらず怖ぇ顔……」


「隣にいる女の子は誰だ? 連行されてるのか?」


領民たちのヒソヒソ話が聞こえてくる。


やはりキース様の「冷徹公爵」としての知名度は抜群らしい。


人々が恐れをなして道を空けるので、まるでモーゼの海割りのように進むことができる。


「……見ろ、ジンジャー。あれが人気のクレープ屋だ」


キース様が指差した先には、甘い匂いを漂わせる屋台があった。


「おおっ! 生地を薄く伸ばして焼くタイプですね! 具材は?」


「チョコバナナと、イチゴカスタードがあるらしい」


「両方ください!」


私が店主に注文すると、店主は震える手でクレープを焼き始めた。


「へ、へい! 閣下の連れの方ならサービスしやす!」


渡されたクレープは、通常の倍くらいの具材が詰まっていた。


「わぁ、重い! いただきます!」


ガブッ。


口いっぱいに広がるクリームとフルーツの甘み。


「ん~っ! 幸せ!」


私が満面の笑みで頬張ると、隣のキース様がじっとこちらを見ている。


「……美味いか?」


「最高です! キース様も一口どうですか?」


私は自然な流れで、食べかけのクレープを差し出した。


昨日の「あーん」を経て、私の羞恥心回路は少し麻痺しているのかもしれない。


キース様は一瞬たじろいだが、周囲の視線を気にしつつも、素早く顔を寄せた。


パクッ。


「……悪くない」


「でしょう? 生地がモチモチで……」


「いや、クリームが甘すぎないのがいい」


キース様は私の手からクレープを受け取ると、そのまま二口、三口と食べ進めた。


「ああっ! イチゴのところ食べましたね!?」


「税金だと思え」


「暴君!」


そんなやり取りをしながら、私たちは次のお店へと向かった。


周囲の領民たちは、ポカーンと口を開けてその光景を見守っていた。


「……おい、見たか?」


「閣下が……屋台のクレープを食ったぞ……」


「しかも、女の子とシェアして……」


「あんな幸せそうな顔、初めて見たぞ……」


領民たちの間に、激震が走っていた。


しかし、私たちの暴食ツアーは止まらない。


次は焼き立てのチュロス。


その次は蜂蜜をたっぷりかけたワッフル。


さらに、ドライフルーツ入りのヌガー。


「キース様、あそこの『揚げパン』気になります!」


「……よし、行くか」


キース様は文句一つ言わず、私の指差す方向へついて来てくれる。


それどころか、私が「これ、美味しいけど全部は食べきれないかも」と言うと、「貸せ」と言って残りを平らげてくれるのだ。


(なにこれ、最高のデート……じゃなくて、視察じゃない?)


私の左手には食べかけのチュロス、右手には紙袋いっぱいの焼き菓子。


そして隣には、口の端に砂糖をつけた公爵様。


「……ジンジャー」


ふと、キース様が足を止めた。


「はい?」


「少し、休むか。広場にベンチがある」


私たちは噴水のある広場へ向かった。


ベンチに腰を下ろすと、心地よい風が吹き抜ける。


キース様は懐からハンカチを取り出し、私の口元を拭ってくれた。


「……子供か、貴様は。口の周りが粉だらけだぞ」


「すみません。夢中になりすぎて」


「フン、まあいい。美味そうに食うからな、貴様は」


キース様の手つきは優しかった。


その指先が頬に触れ、私はドキッとした。


(あれ……? 私、今ドキッとした?)


目の前のキース様は、相変わらず眉間に皺を寄せているけれど、その瞳はとても穏やかだ。


「……楽しかったか?」


不意に聞かれた。


「はい! こんなに自由に食べ歩いたの、初めてです! 王都では『はしたない』って怒られてばかりでしたから」


「そうか」


「キース様と一緒に食べるお菓子は、一人で食べるより美味しい気がします」


私が素直な感想を述べると、キース様はパッと顔を逸らした。


「……そ、そうか」


「はい! だって、色々な種類を半分こできるじゃないですか! 効率二倍です!」


「……効率の話か」


キース様がガクッと肩を落とした。


「え? 違いました?」


「……いや、いい。貴様らしくて安心した」


キース様は苦笑し、私の頭をポンと撫でた。


その手は大きくて、温かくて。


私はなんだか、胸の奥がムズムズするような、甘酸っぱい気持ちになった。


まるで、レモンタルトを食べた時のような。


「さて、そろそろ戻るぞ。ガストンが夕食の準備をしている頃だ」


「あっ、そうだ! 夕食後のデザート、まだ決めてませんでした!」


「……貴様の胃袋はどうなっているんだ」


呆れつつも、キース様は立ち上がり、私に手を差し伸べた。


「帰るぞ、ジンジャー」


「はい、キース様!」


私はその手を取った。


エスコートされるその背中は、頼もしくて、そして何より「甘い匂い」がした。


城下町の人々は、手を繋いで歩く私たちを見て、もはや恐怖することはなかった。


「……公爵閣下にも、春が来たんだなぁ」


「いいことだ。平和になるぞ」


そんな温かい囁きが、風に乗って聞こえてきた気がした。


これが「視察」という名のデートだったことに、私が気づくのはもう少し先のこと。


そして、この平和な日常が、一通の手紙によって破られることも、まだ知る由もなかった。
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