婚約破棄? 上等です! 悪役令嬢は、断罪よりも限定タルトが気になる!

夏乃みのり

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平和な午後だった。


私は厨房の片隅にある「試食専用デスク(キース様命名)」で、焼き上がったばかりのマカロンを検品していた。


今日の色はパステルピンク。フランボワーズ味だ。


「うん、ピエ(縁のフリル)の立ち方も完璧。クリームの量も適切ね」


一個を口に放り込む。


サクッ、ムチッ。


独特の食感の後に、甘酸っぱい香りが広がる。


「……幸せ」


この城に来てから、私の肌ツヤは良くなる一方だ。


ストレスフリーな環境と、潤沢な糖分のおかげだろう。


そこへ、執事が神妙な面持ちで現れた。


「ジンジャー様。……王都より、急使が参りました」


「急使? 私にですか?」


「はい。アラン・ド・ロイヤル殿下からの親書でございます」


その名前を聞いた瞬間、私の手元が狂い、マカロンが一つ転がった。


アラン王子。


私を婚約破棄し、国外追放した張本人。


(今さら何かしら? 『やっぱり死刑』とか言ってきたらどうしよう)


私は粉砂糖のついた手を拭き、執事から手紙を受け取った。


封蝋には王家の紋章。紙質は最高級の羊皮紙。


無駄に豪華だ。


「……読みますか?」


執事が心配そうに尋ねる。


「ええ、まあ。読まないと対応できませんし」


私はペーパーナイフで封を切った。


中から出てきたのは、香水を振りかけた(臭い)便箋が三枚。


私はパラパラと斜め読みをした。


『愚かなるジンジャーへ』


冒頭から喧嘩を売っている。


『北の地での暮らしはどうだ? 熊に怯え、飢えに苦しみ、泣いて暮らしていることだろう』


(残念、熊肉のパイ包み焼きは昨日美味しくいただきました)


『僕も心を痛めている。……と言いたいところだが、今はそれどころではない。僕の執務室は書類の山だ』


(知らんがな)


『ミントは可愛いが、書類仕事が苦手なようだ。計算間違いでお茶会の予算が消えたり、隣国への挨拶状を書き間違えたりと、可愛いミスを連発している』


(それ、外交問題に発展するレベルのミスでは?)


私は呆れてため息をついた。


要するに、今まで私が裏で処理していた膨大な実務を、誰もこなせなくなってパンクしているらしい。


そして、最後の一文。


『もし貴様が深く反省し、心を入れ替えて僕に尽くすと誓うなら、特別に側室(書類整理係)として戻ることを許可してやろう。感謝しろ』


「…………」


私は手紙を持ったまま、天を仰いだ。


すごい。


ここまで自己中心的だと、逆に清々しい。


「ジンジャー様……? 大丈夫ですか? 顔色が……」


執事がオロオロしている。


私がプルプルと震えているように見えたらしい。


実際は、怒りではなく「マカロンのクリームが溶けてきたこと」に焦っていたのだが。


「あっ、いけない! クリームが!」


手の体温で、フランボワーズのガナッシュが緩んできたのだ。


このままでは指がベタベタになってしまう。


かといって、この美味しいクリームを一滴たりとも無駄にはしたくない。


皿は……洗い場にあって遠い。


手元にあるのは……。


「……これだ」


私は迷わず、アラン王子の手紙を広げた。


そして、溶けかけたマカロンを、その手紙(特に『感謝しろ』と書かれた部分)の上にドンと置いた。


「ふぅ、危なかった。ナイス吸水性」


羊皮紙は丈夫で、水分をよく吸う。


溢れたクリームを受け止めるのに最適だ。


「ジ、ジンジャー様!?」


執事が目を剥いた。


「そ、それは殿下からの親書では……!」


「ええ。ちょうど良い厚みと硬さでした。さすが王家御用達の紙ですね」


私は手紙を「受け皿」にして、マカロンを美味しくいただき始めた。


そこへ。


バンッ!!


厨房の扉が勢いよく開いた。


「ジンジャー!!」


血相を変えて飛び込んできたのは、キース様だった。


執務中のはずなのに、息を切らせている。


「聞いたぞ! アランから手紙が来たそうだな!」


その目は血走り、全身から黒いオーラ(殺気)が立ち上っている。


「内容はなんだ! 『戻ってこい』か!? それとも脅迫か!?」


キース様が大股で近づいてくる。


「俺がいる限り、貴様を連れ戻させはせん! 例え相手が王族だろうと、軍を動かしてでも……!」


「あ、キース様。落ち着いてください」


私はマカロンを頬張りながら、手紙を差し出した。


「これですか? 読みます?」


「……あ?」


キース様の足が止まった。


彼が見たのは、私が差し出した手紙……の無惨な姿だった。


ピンク色のクリームがべっとりと付着し、マカロンの食べかすが散らばっている。


そして、中央には私の指紋がベタベタとついている。


「……なんだ、これは」


「アラン殿下からの手紙です。マカロンの敷き紙にちょうど良くて」


「敷き紙……?」


キース様はポカンと口を開けた。


そして、手紙の文面(クリームで見えにくいが)に目を凝らす。


『側室として……許可……』という単語が見えた瞬間、彼の眉がピクリと動いた。


「……あいつ、こんなふざけたことを書いてきたのか」


「ええ。寝言は寝て言ってほしいものです」


私は最後の一口を飲み込み、手紙(だったもの)をクシャクシャと丸めた。


「書類仕事が溜まったから戻れだなんて、都合が良すぎます。私はもう、ここの専属パティシエですから」


ポイッ。


私は丸めた紙屑を、ゴミ箱へと放り投げた。


美しい放物線を描いて、王子の手紙は生ゴミ(卵の殻)の中に着地した。


「……未練は、ないのか?」


キース様が、恐る恐る尋ねてくる。


「あるわけないじゃないですか。あんな、砂糖の入っていない紅茶のような男」


「……ぷっ」


キース様が吹き出した。


「砂糖の入っていない紅茶、か。それは貴様にとって最大の侮辱だな」


「ええ。味気なくて渋いだけです。それに比べて……」


私はキース様を見上げた。


「キース様は、最高級のホットチョコレートみたいです」


「……ほう?」


「一見、黒くて苦そうに見えるけど、飲むと甘くて、深くて、温かい。……大好きですよ、私」


私はニッコリと笑った。


もちろん、これは「お菓子としての比喩」であり、雇い主へのリスペクトの表明だ。


しかし。


「…………ッ!!」


キース様は顔を真っ赤にして、口元を手で覆った。


背後の執事が「ああ、旦那様がまた撃沈した……」と天を仰いでいる。


「……貴様、そういうところだぞ」


「はい?」


「……いや、いい。その言葉、忘れるなよ」


キース様は咳払いをし、少し嬉しそうに私の頭をガシガシと撫でた。


「手紙の件は任せろ。俺の方から『丁重に』返事を書いておく」


「お願いします。『今はマカロンの研究で忙しいので無理です』と伝えてください」


「ああ。二度とふざけた口を利けないように……いや、分からせてやろう」


キース様の目が一瞬だけ笑っていなかった気がするが、きっと気のせいだろう。


こうして、元婚約者からの復縁要請(?)は、マカロンの犠牲となって消え去った。


だが、これで諦めるアラン王子ではなかった。


手紙が無視された(ゴミ箱行きになったとは知らない)彼は、次なる実力行使に出ようとしていたのである。
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