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「……シナモン。正直に言いなさい。背中に何を隠しているの?」
「なにも隠してないでしゅ! これは、その……くまさんのぬいぐるみでしゅ!」
「くまさんのぬいぐるみからは、焼き立てのクッキーの匂いはしませんよ」
結婚式から三年。
公爵邸の厨房……ではなく、日当たりの良いサンルームで、私は小さな「容疑者」と対峙していた。
私の目の前で、必死に背中に手を回しているのは、三歳になる娘のシナモンだ。
プラチナブロンドの髪はキース様譲りだが、その蜂蜜色の瞳と、食に対する執着心は完全に私譲りだった。
「ママー。これはね、パパのための味見なの」
「味見にしては、お皿ごと持っていこうとしていましたね?」
「……てへっ」
シナモンが悪戯っぽく舌を出した。
その顔があまりにも可愛くて、私はつい叱るのを忘れそうになる。
(いけない、教育よジンジャー。甘やかしすぎると、私のようなわがままボディになってしまうわ)
私が心を鬼にしようとした、その時だった。
「ただいま戻ったぞ」
テラスの扉が開き、キース様が入ってきた。
「パパァー!」
「おお、シナモン! いい子にしていたか!」
キース様がしゃがみ込み、突進してきたシナモンを受け止める。
「冷徹公爵」と呼ばれたかつての面影はどこへやら。
今の彼は、すっかり「溺愛パパ」になっていた。眉間の皺も、娘の前では完全に消失している。
「パパ、おかえりなさい! おみやげは?」
「もちろんあるぞ。南の国から取り寄せた『虹色ゼリー』だ」
キース様が合図をすると、執事が山のような箱を運んできた。
「……キース様、またそんなに買い込んで」
「なに、これでも減らした方だ。店ごと買い取ろうとしたのを、セージに止められた」
相変わらずの財力だ。
「それに、これはジンジャー。貴様のためでもある」
キース様が私に歩み寄り、箱の一つを開けた。
中には、宝石のようにキラキラと輝くフルーツゼリーが入っていた。
「新作だそうだ。……貴様が前『透明感のあるお菓子が食べたい』と言っていただろう?」
「覚えていてくださったんですか?」
「当たり前だ。貴様の言ったこと(特に食べ物関連)を忘れるわけがない」
キース様が、一番大きなゼリーをスプーンですくい、私の口元に差し出した。
「ほら、あーん」
「えっ、子供の前ですよ?」
「関係ない。シナモン、よく見ておけ。これが夫婦円満の秘訣だ」
「あい! あーん!」
シナモンが目を輝かせて見守る中、私は恥ずかしさをこらえて口を開けた。
「……あーん」
プルンッ。
冷たいゼリーが喉を滑り落ちる。
「……美味しい」
「だろう? だが、貴様の作ったゼリーの方が数倍美味いがな」
キース様がサラリと甘いセリフを吐く。
三年経っても、この人の溺愛ぶり(と味覚のジンジャー依存)は変わらない。
「もう……調子がいいんですから」
「事実だ。……さて、シナモンも食べるか?」
「たべるー!」
親子三人で、午後のティータイムが始まった。
テーブルには、私が焼いたクッキーと、キース様のお土産のゼリー、そしてガストンが差し入れてくれた特製プリンが並ぶ。
まさに糖分の祭典だ。
「うーん、おいちい!」
シナモンが口の周りをクリームだらけにして笑う。
その笑顔を見ていると、私はふと思う。
三年前。婚約破棄され、国外追放を言い渡されたあの日。
まさか自分が、こんなに穏やかで、甘い日常を手に入れるなんて想像もしていなかった。
「……どうした、ジンジャー。手が止まっているぞ」
キース様が心配そうに私を見た。
「まさか、腹でも痛いのか?」
「いいえ。ただ……幸せだなと思って」
私は素直に言った。
「アラン殿下に捨てられた時は、人生終わったと思いましたけど……今は感謝しています。あのおかげで、貴方に出会えましたから」
「……フン、俺の方こそ感謝している」
キース様が照れ隠しのように紅茶を啜った。
「貴様がいなかったら、俺は今頃、砂糖不足で干からびていただろうし、この屋敷も暗いままで終わっていた」
彼は私の手を握った。
「ジンジャー。俺の人生を甘くしてくれて、ありがとう」
「こちらこそ。私の人生を美味しくしてくれて、ありがとうございます」
私たちは微笑み合った。
「あーっ! パパとママだけズルい! シナモンも!」
娘が割り込んできて、私の膝の上によじ登る。
「はいはい、シナモンも一緒ですよ」
私は娘を抱きしめ、そしてキース様にも寄りかかった。
窓の外には、ガストンたちが庭の手入れをしているのが見える。
王都からは、たまにミントさんから「激辛唐辛子の新作ができた」という手紙と、セージ様から「最近お腹が出てきた」という悩み相談の手紙が届く。
アラン殿下?
彼は今、ミントさんの実家で立派な「スルメ職人」として更生中だとか。
すべてが、あるべき場所に収まったのだ。
「さて、と」
私は立ち上がり、エプロンの紐を締め直した。
「そろそろ夕食の準備をしますね。今夜は何がいいですか?」
「甘くないものにしてくれ。……デザートが入らなくなる」
キース様が大真面目な顔で言った。
「じゃあ、お野菜たっぷりのキッシュにしましょうか。でも、デザートは別腹ですよね?」
「当然だ。今日は貴様の『伝説のアップルパイ』が食いたい」
「リクエスト、承りました!」
私は厨房へと向かった。
背後から、キース様とシナモンが「アップルパイ! アップルパイ!」と合唱しているのが聞こえる。
私の悪役令嬢としての物語は、婚約破棄から始まり、甘い匂いの中で幕を閉じた。
でも、パティシエ公爵夫人としての毎日は、これからも続いていく。
オーブンがある限り。
食べてくれる家族がいる限り。
「やっぱり、スイーツと旦那様は別腹ですね!」
私は誰に言うともなく呟き、最高に甘い笑顔で、物語のページを閉じた。
「なにも隠してないでしゅ! これは、その……くまさんのぬいぐるみでしゅ!」
「くまさんのぬいぐるみからは、焼き立てのクッキーの匂いはしませんよ」
結婚式から三年。
公爵邸の厨房……ではなく、日当たりの良いサンルームで、私は小さな「容疑者」と対峙していた。
私の目の前で、必死に背中に手を回しているのは、三歳になる娘のシナモンだ。
プラチナブロンドの髪はキース様譲りだが、その蜂蜜色の瞳と、食に対する執着心は完全に私譲りだった。
「ママー。これはね、パパのための味見なの」
「味見にしては、お皿ごと持っていこうとしていましたね?」
「……てへっ」
シナモンが悪戯っぽく舌を出した。
その顔があまりにも可愛くて、私はつい叱るのを忘れそうになる。
(いけない、教育よジンジャー。甘やかしすぎると、私のようなわがままボディになってしまうわ)
私が心を鬼にしようとした、その時だった。
「ただいま戻ったぞ」
テラスの扉が開き、キース様が入ってきた。
「パパァー!」
「おお、シナモン! いい子にしていたか!」
キース様がしゃがみ込み、突進してきたシナモンを受け止める。
「冷徹公爵」と呼ばれたかつての面影はどこへやら。
今の彼は、すっかり「溺愛パパ」になっていた。眉間の皺も、娘の前では完全に消失している。
「パパ、おかえりなさい! おみやげは?」
「もちろんあるぞ。南の国から取り寄せた『虹色ゼリー』だ」
キース様が合図をすると、執事が山のような箱を運んできた。
「……キース様、またそんなに買い込んで」
「なに、これでも減らした方だ。店ごと買い取ろうとしたのを、セージに止められた」
相変わらずの財力だ。
「それに、これはジンジャー。貴様のためでもある」
キース様が私に歩み寄り、箱の一つを開けた。
中には、宝石のようにキラキラと輝くフルーツゼリーが入っていた。
「新作だそうだ。……貴様が前『透明感のあるお菓子が食べたい』と言っていただろう?」
「覚えていてくださったんですか?」
「当たり前だ。貴様の言ったこと(特に食べ物関連)を忘れるわけがない」
キース様が、一番大きなゼリーをスプーンですくい、私の口元に差し出した。
「ほら、あーん」
「えっ、子供の前ですよ?」
「関係ない。シナモン、よく見ておけ。これが夫婦円満の秘訣だ」
「あい! あーん!」
シナモンが目を輝かせて見守る中、私は恥ずかしさをこらえて口を開けた。
「……あーん」
プルンッ。
冷たいゼリーが喉を滑り落ちる。
「……美味しい」
「だろう? だが、貴様の作ったゼリーの方が数倍美味いがな」
キース様がサラリと甘いセリフを吐く。
三年経っても、この人の溺愛ぶり(と味覚のジンジャー依存)は変わらない。
「もう……調子がいいんですから」
「事実だ。……さて、シナモンも食べるか?」
「たべるー!」
親子三人で、午後のティータイムが始まった。
テーブルには、私が焼いたクッキーと、キース様のお土産のゼリー、そしてガストンが差し入れてくれた特製プリンが並ぶ。
まさに糖分の祭典だ。
「うーん、おいちい!」
シナモンが口の周りをクリームだらけにして笑う。
その笑顔を見ていると、私はふと思う。
三年前。婚約破棄され、国外追放を言い渡されたあの日。
まさか自分が、こんなに穏やかで、甘い日常を手に入れるなんて想像もしていなかった。
「……どうした、ジンジャー。手が止まっているぞ」
キース様が心配そうに私を見た。
「まさか、腹でも痛いのか?」
「いいえ。ただ……幸せだなと思って」
私は素直に言った。
「アラン殿下に捨てられた時は、人生終わったと思いましたけど……今は感謝しています。あのおかげで、貴方に出会えましたから」
「……フン、俺の方こそ感謝している」
キース様が照れ隠しのように紅茶を啜った。
「貴様がいなかったら、俺は今頃、砂糖不足で干からびていただろうし、この屋敷も暗いままで終わっていた」
彼は私の手を握った。
「ジンジャー。俺の人生を甘くしてくれて、ありがとう」
「こちらこそ。私の人生を美味しくしてくれて、ありがとうございます」
私たちは微笑み合った。
「あーっ! パパとママだけズルい! シナモンも!」
娘が割り込んできて、私の膝の上によじ登る。
「はいはい、シナモンも一緒ですよ」
私は娘を抱きしめ、そしてキース様にも寄りかかった。
窓の外には、ガストンたちが庭の手入れをしているのが見える。
王都からは、たまにミントさんから「激辛唐辛子の新作ができた」という手紙と、セージ様から「最近お腹が出てきた」という悩み相談の手紙が届く。
アラン殿下?
彼は今、ミントさんの実家で立派な「スルメ職人」として更生中だとか。
すべてが、あるべき場所に収まったのだ。
「さて、と」
私は立ち上がり、エプロンの紐を締め直した。
「そろそろ夕食の準備をしますね。今夜は何がいいですか?」
「甘くないものにしてくれ。……デザートが入らなくなる」
キース様が大真面目な顔で言った。
「じゃあ、お野菜たっぷりのキッシュにしましょうか。でも、デザートは別腹ですよね?」
「当然だ。今日は貴様の『伝説のアップルパイ』が食いたい」
「リクエスト、承りました!」
私は厨房へと向かった。
背後から、キース様とシナモンが「アップルパイ! アップルパイ!」と合唱しているのが聞こえる。
私の悪役令嬢としての物語は、婚約破棄から始まり、甘い匂いの中で幕を閉じた。
でも、パティシエ公爵夫人としての毎日は、これからも続いていく。
オーブンがある限り。
食べてくれる家族がいる限り。
「やっぱり、スイーツと旦那様は別腹ですね!」
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