悪役令嬢は、婚約破棄をあざ笑う!

夏乃みのり

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王都を出てから三日後。

サンドイッチを乗せた荷馬車は、鬱蒼とした森の中を進んでいた。

「北の森」と呼ばれるこの場所は、魔獣が出没する危険地帯として知られている。

普通の令嬢なら悲鳴を上げて引き返す場所だ。

だが、サンドイッチにとっては違う。

「見て、セバスチャン(代役の御者兼荷運び)。あの木の根元に生えているキノコ、あれこそ『森の宝石』と呼ばれるトリュフの亜種よ!」

「は、はぁ……。しかしお嬢様、先ほどから狼の遠吠えが聞こえるのですが」

「狼? 素晴らしいわね。狼の肉は少し臭みがあるけれど、香草焼きにして赤ワインで煮込めば絶品よ。向こうから食材(デリバリー)がやってくるなんて、なんと親切な森なのかしら」

サンドイッチはナイフとフォークを構え、やる気満々だった。

彼女にとって、世界は巨大な冷蔵庫でしかない。

そんな彼女の視界に、不自然なものが飛び込んできた。

街道の脇、大きな古木の下に、人が倒れている。

「あら?」

馬車を止めさせ、サンドイッチは降り立った。

近づいてみると、それは若い男だった。

泥で汚れてはいるが、衣服は上質な生地を使っている。

そして何より、目を引くのはその顔立ちだ。

彫りの深い端正な顔立ち、長い銀髪、切れ長の目元。

黙っていれば絵画から抜け出してきたような美青年である。

「……死んでるのかしら?」

サンドイッチは足先で男の脇腹をツンツンと突いた。

反応はない。

「困ったわね。死体を放置すると腐敗臭がして、私のランチタイムの邪魔になるわ。埋めるべき?」

彼女がスコップを取り出そうとした、その時。

「……う……」

男が微かに呻いた。

「あら、生きていたわ。もしもし? 大丈夫?」

サンドイッチが声をかけると、男はゆっくりと目を開けた。

その瞳は、深い群青色をしていた。

しかし、そこには生気がまるで感じられない。

絶望の淵を覗き込んだような、暗く澱んだ目をしていた。

「……水……か?」

サンドイッチは水筒を差し出した。

しかし、男は首を横に振る。

「……いらない」

「は? 行き倒れているんでしょう? 水と食料くらい恵んであげるわよ。私の特製サンドイッチが余っているし」

「……いらない……俺を……放っておいてくれ……」

男は力なく呟き、再び地面に突っ伏そうとした。

「なんなの、この陰気な男は」

サンドイッチは眉をひそめた。

せっかくの善意を拒否するとは。

「じゃあ、何が欲しいのよ。医者? それとも神父?」

「……正解……だ……」

「は?」

男は震える指で、自身の足元にある鍋を指差した。

そこには、火の消えた焚き火跡と、少し煤けた寸胴鍋があった。

「……俺には……答えが見つからない……」

「答え?」

「……スープだ」

男はうわ言のように呟いた。

「……三日三晩……寝ずに煮込んだ……。最高の素材、完璧な火加減……なのに……味が……決まらない……」

「……はい?」

「……俺の求めている『究極のコンソメ』には……何かが足りない……。それが何なのか……分からないまま……俺は……料理人としての死を選ぼうとしていたのだ……」

男はガクリと項垂れた。

サンドイッチは数秒間、ポカンとした。

そして、理解した。

(この男……ただの空腹で行き倒れているんじゃないわ。料理の悩みで鬱になって倒れているんだわ!)

なんて面倒くさい男だろうか。

だが同時に、サンドイッチの興味を激しく引いた。

命を賭してまでスープに向き合うその姿勢。

それは、彼女自身の「食」への執着と通じるものがある。

「……ちょっと、見せてみなさいよ」

サンドイッチは男を押しのけ、寸胴鍋の蓋を開けた。

ふわわり。

立ち上る湯気とともに、複雑で濃厚な香りが鼻腔をくすぐる。

「(……! これは……)」

サンドイッチの目が鋭くなった。

黄金色に透き通ったスープ。

牛骨、鶏ガラ、香味野菜。それらが完璧なバランスで煮出されているのが、匂いだけで分かる。

「……驚いたわね。こんな森の中で、これほどの澄んだスープを作れるなんて」

「……だが、未完成だ」

男が地面に顔を埋めたまま呻く。

「……飲んでみれば分かる……。香りは完璧だが……後味が……ぼやけている……。まるで……輪郭のない肖像画のように……」

「いただくわ」

サンドイッチは腰からマイ・スプーンを取り出し(常に携帯している)、スープを一口すくった。

そして、舌の上で転がすように味わう。

ファーストアタックは、濃厚な旨味。

セカンドアタックは、野菜の優しい甘み。

そして、喉を通った後に残る余韻。

「…………」

サンドイッチは無言で鍋を置いた。

男が、縋るような目で見上げてくる。

「……どうだ……? 笑ってくれ……。未熟な俺を……」

サンドイッチは立ち上がり、仁王立ちで男を見下ろした。

そして、冷徹な声で言い放った。

「ええ、笑っちゃうわね」

「……やはり……」

「バカじゃないの?」

「……え?」

男が目を見開く。

サンドイッチは呆れたようにため息をついた。

「貴方、このスープを作るのに、この森の湧き水を使ったわね?」

「……あ、ああ。この森の湧き水は硬度が低く、出汁を取るのに最適だと……」

「それが間違いなのよ。素材に使っているのは、この辺りに生息する『ロックボア(岩猪)』の骨でしょう?」

「……なぜ、それを一口で……」

「ロックボアはミネラル分を多く含む岩塩を舐めて育つのよ。だから骨髄自体に微かな塩分と、独特の金属質の風味がある。そこに軟水の湧き水を合わせたら、ミネラルバランスが崩れて味が喧嘩するのは当たり前じゃない」

サンドイッチはスラスラと解説した。

男は口をあんぐりと開けている。

「そ、そんな……まさか、水の相性だと……?」

「ええ。このスープを完成させたいなら、湧き水じゃなくて、一度沸騰させてカルキを飛ばした街の井戸水……いいえ、もっと手っ取り早い方法があるわ」

サンドイッチは荷馬車に戻り、小さな小瓶を持ってきた。

中には白い粉が入っている。

「岩塩?」

「ただの岩塩じゃないわ。私が独自にブレンドした『魔法の粉(ドライ・ハーブと乾燥貝柱の粉末)』よ」

彼女はそれをひとつまみ、鍋にパラパラと振りかけた。

「さあ、もう一度温め直して飲んでみなさい」

男は半信半疑で、震える手でスプーンを握った。

そして、スープを口に運ぶ。

その瞬間。

カッッッ!!

男の目が見開かれた。

その瞳に、急速に光が戻っていく。

「……な、なんだこれは……!?」

口の中に広がる宇宙。

先ほどまでバラバラだった旨味たちが、指揮者を得たオーケストラのように完璧なハーモニーを奏で始めたのだ。

「ぼやけていた輪郭が……鮮明になった……! 貝柱のイノシン酸が、肉のグルタミン酸と相乗効果を生み出し……ハーブが鉄っぽさを消して、逆に上品なアクセントに変えている……!」

男は震えた。

そして、二口、三口と貪るように飲み干した。

「うまい……! うまいぞ……! これが……俺が求めていた『黄金の滴』だ……!」

男の目から、ツーと涙が流れた。

それは絶望の涙ではない。

真理に到達した求道者の、歓喜の涙だった。

「分かったでしょう? 死んでる場合じゃなかったわね」

サンドイッチが得意げに笑う。

男は鍋を置くと、ゆっくりと立ち上がった。

改めて見ると、長身でスタイルの良い男だ。

彼はサンドイッチの前に歩み寄り、いきなりその手を取った。

「……名前は?」

「え? サンドイッチ・デ・リシャスよ」

「サンドイッチ……なんと美味そうな名前だ」

「よく言われるわ」

男はサンドイッチの手を強く握り締め、熱っぽい瞳で見つめた。

「俺の名はグランシェフ。……しがない流しの料理人だ」

「へぇ、グランシェフ。いい腕をしているわね。基本的な技術は完璧よ。ただ、知識と柔軟性が足りないだけ」

上から目線の批評。

しかし、グランシェフは怒るどころか、恍惚とした表情を浮かべた。

「ああ……その通りだ。俺はずっと、教科書通りの完璧さを求めて迷走していた。だが、君の一言が俺を救った」

グランシェフは、サンドイッチの手の甲に恭しく口付けを落とした。

「頼む、サンドイッチ。俺を連れて行ってくれ」

「は?」

「君の舌は神のギフトだ。君がいれば、俺は料理の真理(さらにたかいところ)へ行ける気がする。俺を、君の専属料理人にしてくれ」

いきなりの求婚ならぬ、求職活動。

サンドイッチは瞬きをした。

(専属料理人? このレベルの腕を持つシェフが?)

彼女の脳内で、高速の計算が弾き出された。

旅先での食事。

自分で作るのは楽しいが、準備や片付けは面倒だ。

それに、この男のスープの腕は確かだ。

こいつを雇えば、私は座っているだけで極上の料理が出てくるのでは?

(……採用ね)

サンドイッチはニヤリと笑った。

「いいわ、グランシェフ。ただし、私の舌は厳しいわよ? 三回連続で不味いものを作ったら、即刻この森に埋めるからそのつもりで」

「望むところだ。君を唸らせる料理を作れるまで、俺は死なん」

グランシェフは不敵に笑った。

その笑顔は、先ほどの行き倒れとは別人のように野性的で、そして危険な色気を放っていた。

こうして、サンドイッチのグルメ・ツアーに、新たな仲間(下僕)が加わった。

「じゃあ、早速だけどお腹が空いたわ。そのスープを使ってリゾットを作ってちょうだい。チーズはたっぷりでね」

「御意、マドモアゼル」

森の中に、鍋とおたまの触れ合う軽快な音が響き始めた。

それは、最強の「食べる専門」と「作る専門」のコンビが結成された瞬間だった。
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