断罪中、味方が多すぎて王子が孤立している件について

夏乃みのり

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公爵邸の朝は、今日も平和だった。


私はサンルームで、スノーを膝に乗せながら優雅に紅茶を飲んでいた。
窓の外には、先日手懐けた(?)庭師たちが、楽しそうに鼻歌を歌いながらバラの手入れをしている。
アレクセイ様は執務に出かけており、私は「公爵家の華」として、ただひたすらにぼーっとする業務に従事していた。


「……平和だなぁ」


スノーの背中を撫でながら、しみじみと呟く。
王城での、分刻みのスケジュールに追われていた日々が嘘のようだ。
ストレスフリーすぎて、肌の調子もすこぶる良い。


と、その時だった。
サロンの扉がノックされ、セバスチャンさんが入ってきた。
その手には銀のトレイが乗せられているのだが、彼はなぜか、トレイの上に置かれた封筒を、長い火箸で摘んでいた。


「……セバスチャンさん? それは?」


「汚物でございます」


「えっ」


「失礼、言葉が過ぎました。……王城から、ラミリア様宛の手紙でございます。差出人はジェラルド殿下です」


セバスチャンさんは、まるで放射性廃棄物を扱うかのように、慎重にその手紙をテーブルの端に置いた。
封筒には王家の紋章。
そして、見覚えのある乱雑な筆跡で『ラミリアへ』と書かれている。


「殿下から……? 今さら何でしょう?」


「旦那様にはすでに報告済みです。『燃やせ』と仰せでしたが、一応ラミリア様の目に通してからの方がよろしいかと」


「ありがとうございます。読んでみますね」


私は封筒を手に取った。
火箸で摘むほどではないと思うが、セバスチャンさんはすぐに消毒用アルコールで火箸を拭いている。
徹底している。


ペーパーナイフで封を切り、中身を取り出す。
そこには、驚くべき内容が記されていた。


***


『拝啓 ラミリアへ


この手紙を読んでいるということは、君は今頃、冷酷な公爵の屋敷で、恐怖に震えながら泣いていることだろう。
可哀想に。
僕という太陽を失った君の絶望を思うと、胸が痛むよ。


さて、本題だ。
君がいなくなってから、城の中が少しばかり騒がしい。
書類が見当たらないとか、お茶が不味いだとか、些細なことだが、下々の者たちがうるさくてかなわない。
ミナも「ラミリア様がいないと仕事の引き継ぎが分からない」と泣いている。


そこでだ。
僕は寛大にも、君を許すことにした。


戻ってきなさい。
今すぐ戻ってきて、溜まった書類を片付け、ミナに仕事のやり方を丁寧に教え、僕の世話を完璧にこなしなさい。
そうすれば、今回の騒動は不問にし、側室……いや、ミナの専属メイドとして城に置くことを許可してやろう。


これは僕からの慈悲だ。
泣いて喜び、すぐに馬車を飛ばしてくるように。
なお、帰ってくる際は、僕の好きなアップルパイを焼いてくるのを忘れないこと。


追伸:金がない。戻ってきたらすぐに補填するように。


ジェラルド・フォン・アルカディア』


***


「…………」


読み終えた私は、静かに手紙をテーブルに置いた。
スノーが「なにそれ?」と首を傾げて覗き込んでくる。


「ラミリア様? いかがなさいましたか? もしや、脅迫文でしょうか?」


セバスチャンさんが心配そうに尋ねてくる。
私は深く息を吸い込み、そして言った。


「……赤ペンを」


「はい?」


「赤ペンを持ってきてください、セバスチャンさん。今すぐに!!」


私の目には、怒りの炎が宿っていた。
内容への怒りではない。
もっと根源的な、事務官としてのプライドを逆撫でされた怒りだ。


「なんなのこの文章構成!? 起承転結がめちゃくちゃじゃない! それに、誤字脱字が15箇所もあるわよ!?」


「そ、そこですか?」


「見てこれ! 『慈悲』の『慈』の字、心が一つ足りないわ! 心ないんかい! あと『補填』が『補店』になってる! 店を補ってどうするのよ!」


私は運ばれてきた赤インクのペンをひったくると、猛然と手紙に書き込みを始めた。
職業病が爆発した瞬間だ。


「まず冒頭! 時候の挨拶が抜けてる! 王族の手紙として0点!」


キュッ、キュッ、と赤い線が走る。


「『戻ってきなさい』? 命令形の使い方が雑! 人に物を頼む態度はこう!」
『大変恐縮ですが、業務委託のご相談をさせていただきたく~』と赤字で修正を入れる。


「『ミナの専属メイド』? 雇用条件の提示が不明確! 労働基準法違反! 給与、福利厚生、休日日数を明記しなさい!」


「『アップルパイを焼け』? 業務外労働です! 却下!」


「『金がない』? 知らんがな! 家計簿つけてから出直してこい!」


紙面があっという間に真っ赤に染まっていく。
私は最後に、用紙の右下に大きく花丸……ではなく、バツ印を書き殴り、特大の文字でこう添えた。


『再提出。やり直し』


「ふぅ……」


ペンを置き、私は額の汗を拭った。
スッキリした。
久しぶりに全力で添削指導をしてしまった。


「……ラミリア様」


恐る恐る声をかけてきたセバスチャンさんを見ると、彼は感動で震えていた。


「素晴らしい……。あのふざけた手紙が、見るも無惨な『赤点のテスト用紙』に早変わりしました。これぞ最強の返信です」


「あら、いけない。つい熱くなってしまって。……本当はこんな手紙、破り捨ててしまえばよかったですね」


私が我に返ると、いつの間にか部屋の入り口に人影があった。
アレクセイ様だ。
いつ帰ってきたのだろう。
彼は壁に寄りかかり、クックッと肩を震わせて笑っていた。


「いや、最高だラミリア。破り捨てるよりも、遥かにあいつの精神を抉るだろう」


「アレクセイ様! お、お見苦しいところを……」


「とんでもない。お前のその、仕事に対する厳格な姿勢、惚れ直したぞ」


アレクセイ様は近づいてくると、真っ赤に添削された手紙を覗き込んだ。


「ほう。『心ないんかい!』というツッコミ、秀逸だ。……よし、これをこのまま送り返してやろう。私が直々に封をしてやる」


「えっ、公爵家の封蝋で送り返すのですか? 宣戦布告に見えませんか?」


「構わん。事実上の宣戦布告だ。……『私の婚約者にゴミを送りつけた罪は重い』とな」


アレクセイ様の目が、一瞬だけ笑っていなかった。
どうやら、本気で怒っていらっしゃるようだ。
でも、その怒り方は私への溺愛ゆえだと分かるので、怖くはない。


「では、セバスチャン。これを至急、王城へ送り返せ。使者にはこう伝えさせろ。『当家のラミリアは、低レベルな文章の解読をする暇はない』と」


「承知いたしました。最速の馬を出します」


セバスチャンさんは、今度は火箸ではなく、恭しく手袋をして手紙(赤点答案)を回収していった。


***


数時間後。
王城のジェラルド殿下の執務室。


「おっ、返事が来たか! 早かったな!」


殿下は、公爵家の紋章が入った封筒を見て、満面の笑みを浮かべた。


「やはりな! あいつも強がってはいたが、僕からの手紙を待っていたんだ! すぐに戻ります、愛していますと書いてあるに違いない!」


「殿下、開けてみましょう」


隣で新しいドレス(借金で購入)を着たミナも、ワクワクしている。


「そうだな。どれどれ……」


殿下は自信満々に封を開け、中身を取り出した。
そして、その紙面を見た瞬間、固まった。


「…………は?」


そこにあったのは、真っ赤なインクで埋め尽くされた、彼の手紙だった。


『字が汚い』
『漢字を勉強しろ』
『論理破綻』
『何様のつもり?』
『再提出』


容赦ない赤ペンの嵐。
ラミリアの几帳面な文字で、彼のプライドはズタズタに切り裂かれていた。


「な、な、なんだこれはぁぁぁ!?」


殿下の手が震える。


「しゃ、謝罪は!? 愛の言葉は!? なんで添削されてるんだ!? しかも『再提出』って、僕は王族だぞ!?」


「殿下、裏にも何か書いてありますよ?」


ミナが裏面を指差す。
そこには、アレクセイ公爵の流麗かつ冷徹な筆跡で、一言だけ添えられていた。


『次、このような駄文を私の愛しい人に送ったら、城ごと凍らせる。 ――アレクセイ』


ヒュッ。
殿下の喉が鳴った。
物理的な殺害予告だ。


「ひ、ひぃぃぃっ!!」


殿下は手紙を取り落とし、腰を抜かした。
その顔は、断罪劇の時よりも遥かに青ざめていた。


「ど、どうすれば……どうすればいいんだ……! ラミリアは戻ってこない……ミナは仕事ができない……金はない……叔父上には殺される……!」


四面楚歌。
いや、八方塞がりだ。


「書き直しますか? 殿下?」


空気の読めない文官が、新しい便箋を差し出す。
殿下は虚ろな目でそれを見つめ、そして静かに涙を流した。


「……漢字ドリルを……持ってきてくれ……」


王子のプライドが、完全にへし折れた瞬間だった。


一方、公爵邸では。
私はアレクセイ様と向かい合い、美味しいアップルパイを食べていた。


「ん、美味い。やはり王城のシェフより、うちのシェフの方が腕が良いな」


「はい。殿下が食べたがっていたアップルパイですが、私たちが食べる方が有意義ですね」


「その通りだ。……ラミリア、口元にクリームがついているぞ」


「えっ、どこですか?」


「……ここだ」


アレクセイ様が指で私の唇を拭い、それを自分の口へと運んだ。
その仕草があまりに自然で、そして色っぽくて。


「!!」


私はボンッ!と音が出るほど顔を赤くした。


「あ、あ、アレクセイ様!?」


「ふふ。……甘いな」


彼は悪戯っぽく微笑む。
王子からの手紙なんて、もうどうでもよくなっていた。
この最強で、ちょっと(かなり)過保護な公爵様との生活が、私にとっての「ハッピーエンド」なのだから。


(……でも、また手紙が来たら、次は青ペンで添削しようかな)


転んでもただでは起きない、私の事務官魂はまだまだ健在だった。
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