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子供たちが寝静まり、賑やかだった公爵邸に、穏やかな夜の静寂が戻ってきた。
私は寝室のバルコニーに出て、夜風に当たっていた。
空には、あの断罪の日と同じように、満月が輝いている。
けれど、私の心持ちはあの時とはまるで違っていた。
「……ふぅ」
手すりに寄りかかり、眼下に広がる庭園を眺める。
昼間、子供たちが駆け回っていた芝生は、今は青白い月光に照らされて静まり返っている。
あの日。
「地味で、無能で、華がない」と罵られ、婚約を破棄された日。
私は自分の人生が終わったと思った。
特別な力を持たない私が、一人で生きていくのは過酷な道のりだろうと覚悟していた。
けれど、違った。
「ラミリア」
背後から、愛しい人の声がした。
振り返ると、アレクセイ様が二つのワイングラスを持って立っていた。
銀色の髪が月明かりに透け、結婚から数年経った今でも、思わず見惚れてしまうほど美しい。
「まだ起きていたのか。……子供たちの寝かしつけで疲れただろう?」
「いいえ。あの子たちの寝顔を見ていたら、なんだか胸がいっぱいになってしまって」
アレクセイ様は隣に来て、グラスの一つを私に手渡した。
「……今日は兄上(上皇陛下)も来ていたからな。騒がしい一日だった」
「ふふ、でも楽しかったですよ。陛下も楽しそうでしたし」
私たちは並んで月を見上げた。
肩が触れ合う距離。
その温もりが、私を安心させてくれる。
「……なぁ、ラミリア」
「はい」
「お前は時々、不思議そうな顔をするな」
アレクセイ様が静かに言った。
「今の生活が、まるで奇跡の産物であるかのように」
「……バレていましたか」
私は苦笑して、グラスの中のワインを揺らした。
「私、時々思うんです。もし私が『聖女』のような魔法を使えていたら。もし私が『傾国の美女』だったら。……もっと違う人生があったのかもしれないって」
「ほう?」
「でもね、思うんです。もし私が『特別』な人間だったら、きっと貴方とは出会えなかった」
私がただの事務屋で、裏口で猫に餌をやるような「普通」の令嬢だったから。
貴方が拾った猫に気づき、貴方の不器用な優しさに触れることができた。
「私が『無能』と呼ばれて捨てられたから、貴方が拾ってくれた。……そう考えると、私が『普通』だったことは、人生最大の幸運だったのかもしれません」
私の言葉に、アレクセイ様は少し目を見開き、それから愛おしそうに目を細めた。
「……お前は、まだそんなことを言っているのか」
彼はグラスを置き、私の身体を自分の方へと向けさせた。
「ラミリア。世界中がどう評価しようと関係ない。私にとって、お前はずっと『特別』だ」
「アレクセイ様……」
「お前の淹れる紅茶の温度。書類を整理する際の手際の良さ。使用人にかける何気ない言葉。そして、私に向けるその笑顔。……その全てが、私にとっては代わりの利かない魔法なのだ」
彼の手が私の頬を包む。
その掌は、出会った頃よりも温かく、優しくなっている気がした。
「お前がいない世界など、想像もしたくない。……お前が私を『普通』の男として愛してくれたから、私は『氷の公爵』ではなく、ただのアレクセイになれたのだ」
「……はい」
涙が滲んだ。
特別な力なんていらない。
世界を救う勇者になれなくてもいい。
ただ、目の前の大切な人を幸せにできるなら。
私を必要としてくれる場所があるなら。
それだけで、私はこの物語の「主人公」になれる。
「ありがとう、アレクセイ様。……私を見つけてくれて」
「礼を言うのは私の方だ。……愛している、ラミリア」
アレクセイ様が顔を寄せ、唇が重なった。
月明かりの下、静かで、深い口づけ。
そこには、燃えるような情熱と、長い時間をかけて育んできた信頼が溶け合っていた。
足元で、「にゃあ」と声がした。
見ると、老猫になったスノーが、窓際から私たちを見上げて、満足そうに目を細めていた。
まるで「やれやれ、いつまでも熱いことだ」と呆れているようだ。
「……ふふ、スノーに見られてしまいましたね」
「構わん。あいつは家族だ」
アレクセイ様は笑い、私を強く抱きしめた。
「明日も早いぞ。アルが『早朝から温室の湿度管理をチェックしたい』と言っていた」
「まあ、それは付き合ってあげないと。ララも『パパとピクニックに行く』って張り切ってましたよ」
「……体がいくつあっても足りんな」
嬉しい悲鳴を上げる公爵様。
明日もきっと、騒がしくて、忙しくて、愛に満ちた一日になるだろう。
私は夜空に向かって、小さく微笑んだ。
さようなら、かつての「悪役令嬢」だった私。
こんにちは、これからの「普通で特別な」私。
私の幸せな物語は、ここからまた続いていく。
ページをめくるたびに増えていく、温かな日常と共に。
私は寝室のバルコニーに出て、夜風に当たっていた。
空には、あの断罪の日と同じように、満月が輝いている。
けれど、私の心持ちはあの時とはまるで違っていた。
「……ふぅ」
手すりに寄りかかり、眼下に広がる庭園を眺める。
昼間、子供たちが駆け回っていた芝生は、今は青白い月光に照らされて静まり返っている。
あの日。
「地味で、無能で、華がない」と罵られ、婚約を破棄された日。
私は自分の人生が終わったと思った。
特別な力を持たない私が、一人で生きていくのは過酷な道のりだろうと覚悟していた。
けれど、違った。
「ラミリア」
背後から、愛しい人の声がした。
振り返ると、アレクセイ様が二つのワイングラスを持って立っていた。
銀色の髪が月明かりに透け、結婚から数年経った今でも、思わず見惚れてしまうほど美しい。
「まだ起きていたのか。……子供たちの寝かしつけで疲れただろう?」
「いいえ。あの子たちの寝顔を見ていたら、なんだか胸がいっぱいになってしまって」
アレクセイ様は隣に来て、グラスの一つを私に手渡した。
「……今日は兄上(上皇陛下)も来ていたからな。騒がしい一日だった」
「ふふ、でも楽しかったですよ。陛下も楽しそうでしたし」
私たちは並んで月を見上げた。
肩が触れ合う距離。
その温もりが、私を安心させてくれる。
「……なぁ、ラミリア」
「はい」
「お前は時々、不思議そうな顔をするな」
アレクセイ様が静かに言った。
「今の生活が、まるで奇跡の産物であるかのように」
「……バレていましたか」
私は苦笑して、グラスの中のワインを揺らした。
「私、時々思うんです。もし私が『聖女』のような魔法を使えていたら。もし私が『傾国の美女』だったら。……もっと違う人生があったのかもしれないって」
「ほう?」
「でもね、思うんです。もし私が『特別』な人間だったら、きっと貴方とは出会えなかった」
私がただの事務屋で、裏口で猫に餌をやるような「普通」の令嬢だったから。
貴方が拾った猫に気づき、貴方の不器用な優しさに触れることができた。
「私が『無能』と呼ばれて捨てられたから、貴方が拾ってくれた。……そう考えると、私が『普通』だったことは、人生最大の幸運だったのかもしれません」
私の言葉に、アレクセイ様は少し目を見開き、それから愛おしそうに目を細めた。
「……お前は、まだそんなことを言っているのか」
彼はグラスを置き、私の身体を自分の方へと向けさせた。
「ラミリア。世界中がどう評価しようと関係ない。私にとって、お前はずっと『特別』だ」
「アレクセイ様……」
「お前の淹れる紅茶の温度。書類を整理する際の手際の良さ。使用人にかける何気ない言葉。そして、私に向けるその笑顔。……その全てが、私にとっては代わりの利かない魔法なのだ」
彼の手が私の頬を包む。
その掌は、出会った頃よりも温かく、優しくなっている気がした。
「お前がいない世界など、想像もしたくない。……お前が私を『普通』の男として愛してくれたから、私は『氷の公爵』ではなく、ただのアレクセイになれたのだ」
「……はい」
涙が滲んだ。
特別な力なんていらない。
世界を救う勇者になれなくてもいい。
ただ、目の前の大切な人を幸せにできるなら。
私を必要としてくれる場所があるなら。
それだけで、私はこの物語の「主人公」になれる。
「ありがとう、アレクセイ様。……私を見つけてくれて」
「礼を言うのは私の方だ。……愛している、ラミリア」
アレクセイ様が顔を寄せ、唇が重なった。
月明かりの下、静かで、深い口づけ。
そこには、燃えるような情熱と、長い時間をかけて育んできた信頼が溶け合っていた。
足元で、「にゃあ」と声がした。
見ると、老猫になったスノーが、窓際から私たちを見上げて、満足そうに目を細めていた。
まるで「やれやれ、いつまでも熱いことだ」と呆れているようだ。
「……ふふ、スノーに見られてしまいましたね」
「構わん。あいつは家族だ」
アレクセイ様は笑い、私を強く抱きしめた。
「明日も早いぞ。アルが『早朝から温室の湿度管理をチェックしたい』と言っていた」
「まあ、それは付き合ってあげないと。ララも『パパとピクニックに行く』って張り切ってましたよ」
「……体がいくつあっても足りんな」
嬉しい悲鳴を上げる公爵様。
明日もきっと、騒がしくて、忙しくて、愛に満ちた一日になるだろう。
私は夜空に向かって、小さく微笑んだ。
さようなら、かつての「悪役令嬢」だった私。
こんにちは、これからの「普通で特別な」私。
私の幸せな物語は、ここからまた続いていく。
ページをめくるたびに増えていく、温かな日常と共に。
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