婚約破棄は蜜の味! ~追放された悪役令嬢〜

夏乃みのり

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サン・デリア使節団が王都を発つ前夜。
彼らのための、最後の夜会が盛大に催されていた。
しかし、その華やかな雰囲気の裏側で、見えざる陰謀は、最終段階へと移行しつつあった。

「――団長! やはり、奴らに動きがありました!」

夜会の会場の片隅。
アシュトン団長の元に、部下の一人が駆け寄り、声を潜めて報告した。

「使節団付きの武官二名が、会場を抜け出し、王宮の西棟にある中央書庫へと向かった模様です!」

「……中央書庫、だと?」

アシュトン団長は、眉をひそめた。
中央書庫は、国の歴史書や一般的な資料が収められている場所だ。機密と呼べるほどのものは、そこにはない。

(おかしい。奴らの狙いが、そんな場所のはずがない。これは、陽動か……!)

彼の脳裏に、先日部下から受けた報告が蘇る。
エミリア様がヴァルモン伯爵に漏らした、数々の情報。
その中にあった、一つのキーワード。
『クライネルト領の、黄金の果実』

(奴らの真の狙いは、我が国の経済を支える、あの果実の独占栽培法……あるいは、その苗木そのもの!)

「陽動に構うな」

アシュトン団長は、即座に決断を下した。

「西棟には最低限の人員を回せ。本隊は、私と共に東棟の特別資料室へ向かう! 奴らの本命は、そこだ!」

東棟の特別資料室。
そこには、王家が管理する、各領地の特産品に関する栽培記録や、品種改良のデータなど、国家の農政に関わる最高機密が保管されている。
そして、その中にはもちろん、「黄金の果実」に関する、門外不出の研究資料も含まれていた。

その頃、私は、夜会の喧騒の中で、得体の知れない不安を感じていた。
ヴァルモン伯爵は、今日も完璧な笑顔を振りまき、貴族たちと談笑している。
しかし、その瞳の奥に、獲物を狙う肉食獣のような、冷たい光が宿っているのを、私は見逃さなかった。

(何か……今夜、何かが起こる)

私の「面倒ごとセンサー」が、過去最大級の警報を鳴らしていた。
私は、すっと立ち上がると、「少し、気分が優れませんので」と侍女にだけ告げ、会場をそっと抜け出した。
ただ、面倒ごとから逃げたい。その一心だった。
しかし、運命は、私をそう簡単には解放してくれないらしい。

廊下に出た途端、遠くから、微かな金属音が聞こえた。
そして、騎士たちが慌ただしく駆けていく足音。
どうやら、私の嫌な予感は、的中してしまったようだ。

(面倒ですわ……。本当に、面倒ですわ……!)

しかし、頭の中に、あの堅物騎士の真剣な顔が浮かぶ。
彼が、今、この王宮のどこかで、危険な任務に就いている。そう直感した。

(……あの朴念仁を、一人で死なせるわけにはいきませんわね)

私はため息一つで覚悟を決めると、妃教育で叩き込まれた、王宮内の複雑な地理の知識を、頭の中でフル回転させた。

一方、東棟の特別資料室では、アシュトン団長の予測が、完璧に的中していた。
分厚い扉の前には、見張りの兵士が倒され、中では、サン・デリアの武官が、まさに機密書類を革袋に詰め込んでいる最中だった。

「そこまでだ!」

アシュトン団長の鋭い声が響く。
武官は、驚くどころか、待っていましたとばかりに顔を上げ、その口元に獰猛な笑みを浮かべた。

「ようやくお出ましか、エルベスハイトの番犬殿」

次の瞬間、男は隠し持っていた剣を抜き、アシュトン団長へと襲いかかった。
キィン! と、甲高い金属音が、静かな資料室に鳴り響く。
始まったのは、外交官のそれではない。熟練の剣士同士の、命を賭した死闘だった。

夜会の会場では、陽動部隊がわざと起こしたボヤ騒ぎで、貴族たちがパニックに陥っていた。

「火事ですって!?」「逃げなさい!」

人々が我先にと出口へ殺到する中、私は、冷静に叫んだ。

「皆様、お静まりになって! こちらの扉は危険ですわ! 西のテラスへとお進みください! そこからなら、安全に庭園へ避難できます!」

私の凛とした声に、人々ははっと我に返り、その指示に従い始める。
混乱の中、私は、東棟へと向かう近道を知っていた。
妃候補生時代の、悪戯好きだった私が、よく侍女の目を盗んで使っていた、古い隠し通路だ。

アシュトン団長は、敵の予想以上の腕前に、苦戦を強いられていた。
相手は、ただの武官ではない。サン・デリアが誇る、精鋭中の精鋭工作員なのだ。

(くそっ、このままでは……!)

じりじりと追い詰められた、その時だった。
資料室の、彼の背後にあったタペストリーが、するりとめくれ、そこから、一人の女性が姿を現した。

「――団長! お怪我は!?」

「リ、リーリア様!? なぜ、ここに……!」

「お話は後ですわ! この部屋の構造は、わたくしの方が詳しい!」

私は叫んだ。

「左様! その甲冑の後ろに、この部屋の警備システムを作動させる、緊急用のスイッチがありますわ!」

私の言葉に、アシュトン団長は、一瞬の躊躇の後、大きく後方へ跳んだ。
そして、私が示した壁のスイッチを、力強く押し込む。
次の瞬間、けたたましい警報と共に、資料室の全ての扉と窓に、分厚い鉄格子が降りてきた。

敵の工作員は、一瞬の出来事に、動きを止めた。
逃げ場は、もうない。

勝負は、決した。
アシュトン団長は、激闘の末、ついに工作員を捕縛することに成功した。

盗まれそうになっていた書類には、サン・デリア王国が喉から手が出るほど欲しがっていた、「黄金の果実」の全ての秘密が記されていた。
彼らの陰謀は、ここに、白日の下に晒されたのだ。

夜会の会場では、ヴァルモン伯爵が、何食わぬ顔で国王に別れの挨拶を述べていた。
そこへ、部下の一人が駆け寄り、彼の耳元で、計画の失敗を告げる。

「……やれやれ。少し、しくじりましたかな」

ヴァルモン伯爵は、誰にも聞こえない声でそう呟くと、その完璧な笑顔を、ほんの少しだけ、歪ませた。
しかし、その瞳の奥の冷たい光は、まだ少しも、揺らいではいなかった。
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