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私の手を握り返した、微かな力の感触。
それは、決して幻などではなかった。
「……ん……」
重い瞼が、ゆっくりと持ち上げられていく。
そして、長い間閉ざされていたその瞳が、再び、この世界の光を捉えた。
虚ろだった彼の目が、やがて焦点を結び、一番近くにいた私の姿を、はっきりと映し出す。
「……リ……リア、様……?」
掠れた、ほとんど吐息のような声。
けれど、それは私の名を呼んでいた。
その瞬間、私の目から堰を切ったように涙が溢れ出した。
安堵と喜びと愛しさが一度に込み上げてきて、もう何も言葉にならなかった。
「団長……! よかった……! 本当に、よかった……!」
私は、彼の手を握りしめたまま、ただ子供のように泣いた。
彼が、私の世界に帰ってきてくれた。
その事実だけで、胸がいっぱいだった。
アシュトン団長の意識が戻ったという報せは、すぐに王宮中を駆け巡り、人々を歓喜させた。
彼は、まさに国を救った英雄だった。
その後、彼の容態は驚くべき速さで回復へと向かっていった。
数日もすると、まだベッドからは起き上がれないものの、はっきりとした口調で会話ができるようにまでなった。
私は、相変わらず彼の部屋に入り浸って甲斐甲斐しく看病を続けていた。
「団長、口を開けてくださいまし。今日のスープは、滋養たっぷりの鶏肉と野菜のポタージュですわよ」
「も、申し訳ありません、リーリア様……。俺のような者のためにそのように手を煩わせて……」
「お黙りなさいな。怪我人は、黙って手当てを受けていればよろしいのです」
私は、熱いスープをふーふーと冷まして、スプーンで彼の口元へと運ぶ。
彼は、顔を真っ赤にしながらも、素直にそれを受け入れた。
その様子を、部屋の入口から見ていた侍女たちが、にこにこと微笑みながら、そっと扉を閉めてくれる。
もはや、私たちの関係は、王宮の誰もが知る、公然の秘密となっていた。
その日も、穏やかな午後の光が差し込む静かな部屋で、私は、彼の傷口に巻かれた包帯を、新しいものへと取り換えていた。
「……リーリア様」
不意に、彼が、私の名を呼んだ。
「ずっと、貴女様が、そばにいてくださったと聞きました。俺のような者のために……本当に、心から、感謝いたします」
「当たり前のことですわ。貴方は、このわたくしのために、その命を懸けてくださったのですから」
「……あの時」
アシュトン団長は、ゆっくりと言葉を続けた。
彼の、まだ力のあまり入らない手が、私の手に、そっと重ねられる。
「俺は、ただ無我夢中でした。もし、貴女様の身に何かあったらと……。そう考えただけで、いてもたってもいられなかった。貴女様を失うことだけは、どうしても、耐えられなかったのです」
彼の真剣な眼差しが、私を射抜く。
私は、息を呑んで、彼の次の言葉を待った。
彼は、一度、深く息を吸うと、決意を固めた目で、はっきりと告げた。
「リーリア様。俺は、ずっと貴女様を誤解していました。王都で聞いていた噂を鵜呑みにし、ただの我儘な令嬢などと……。しかし、貴女様の本当のお姿を知るほどに、その領民を想う優しさに、悪を許さぬその強さに、そして、子供のように無邪気なその笑顔に……俺は、どうしようもなく、惹かれていきました」
それは、あの恋愛指南書に書かれていたような、小手先の言葉ではなかった。
不器用で、朴訥で、けれど、どこまでも真っ直ぐな、彼の魂からの言葉だった。
「身分違いであることは、重々承知しております。騎士団長の地位とて、公爵令嬢である貴女様の前では、何の意味もなさないでしょう。ですが、この気持ちに、嘘はつけません」
彼は、私の手を、ぎゅっと、力強く握りしめた。
「――リーリア様。私は、貴女を、心よりお慕いしております。どうか、この先も、貴女の側にいるという権利を、この俺にください」
鉄壁の騎士と呼ばれた男の、初めての、そして、生涯を賭けたであろう、愛の告白。
私の心臓は、これ以上ないほど、大きく、そして甘く、高鳴っていた。
私も、同じ気持ちだったから。
彼がいない世界など、もはや、考えられなかったから。
しかし。
素直に「はい」と頷けないのが、私の悪い癖だ。
私は、込み上げてくる喜びと、照れ臭さを隠すように、わざと、少しだけ意地悪な顔で、彼を見下ろした。
「……団長。貴方、ご自分が、とんでもないことをおっしゃっているという自覚は、おありなのかしら?」
その言葉に、アシュトン団長の顔に、さっと悲痛な色が浮かんだ。
断られる、と。そう思ったのだろう。
「……も、申し訳、ありません。不躾なことを……」
彼が、握った手を離そうとする。
その弱々しい姿を見て、私は、たまらなく愛おしくなり、ふふっと、笑ってしまった。
「待ちなさいな、早とちりな方」
私は、彼の手に、自分の手を、そっと重ねた。
「……ですが、まあ。考えて差し上げなくも、なくてよ」
「……え?」
「貴方が、あの約束の『超特大フルーツパフェ』を、このわたくしのためだけに、生涯、作り続けてくださるというのなら、ですけれど」
それは、私なりの最大限に素直な、「はい」という返事だった。
一瞬きょとんとしていたアシュトン団長だったが、やがて私の言葉の本当の意味を理解したのだろう。
その顔が、みるみるうちに太陽のようにぱあっと輝いた。
「は、はい! お任せください! 生涯をかけて! 毎日でも、貴女様のためだけにお作りいたします!」
「まあ、毎日なんて言われたら、わたくしが太ってしまいますわ。とりあえずは週に一度で結構です」
そんな軽口を叩きながら、私たちはどちらからともなく笑い合った。
もう、言葉は、いらなかった。
ただ、見つめ合い互いの温もりを感じるだけで心が満たされていく。
長かった王都での面倒ごとは、ようやく終わりを告げた。
そして、私の人生の新しい物語が今この場所から始まろうとしていた。
この、不器用で真面目で誰よりも優しい私の愛する騎士と共に。
それは、決して幻などではなかった。
「……ん……」
重い瞼が、ゆっくりと持ち上げられていく。
そして、長い間閉ざされていたその瞳が、再び、この世界の光を捉えた。
虚ろだった彼の目が、やがて焦点を結び、一番近くにいた私の姿を、はっきりと映し出す。
「……リ……リア、様……?」
掠れた、ほとんど吐息のような声。
けれど、それは私の名を呼んでいた。
その瞬間、私の目から堰を切ったように涙が溢れ出した。
安堵と喜びと愛しさが一度に込み上げてきて、もう何も言葉にならなかった。
「団長……! よかった……! 本当に、よかった……!」
私は、彼の手を握りしめたまま、ただ子供のように泣いた。
彼が、私の世界に帰ってきてくれた。
その事実だけで、胸がいっぱいだった。
アシュトン団長の意識が戻ったという報せは、すぐに王宮中を駆け巡り、人々を歓喜させた。
彼は、まさに国を救った英雄だった。
その後、彼の容態は驚くべき速さで回復へと向かっていった。
数日もすると、まだベッドからは起き上がれないものの、はっきりとした口調で会話ができるようにまでなった。
私は、相変わらず彼の部屋に入り浸って甲斐甲斐しく看病を続けていた。
「団長、口を開けてくださいまし。今日のスープは、滋養たっぷりの鶏肉と野菜のポタージュですわよ」
「も、申し訳ありません、リーリア様……。俺のような者のためにそのように手を煩わせて……」
「お黙りなさいな。怪我人は、黙って手当てを受けていればよろしいのです」
私は、熱いスープをふーふーと冷まして、スプーンで彼の口元へと運ぶ。
彼は、顔を真っ赤にしながらも、素直にそれを受け入れた。
その様子を、部屋の入口から見ていた侍女たちが、にこにこと微笑みながら、そっと扉を閉めてくれる。
もはや、私たちの関係は、王宮の誰もが知る、公然の秘密となっていた。
その日も、穏やかな午後の光が差し込む静かな部屋で、私は、彼の傷口に巻かれた包帯を、新しいものへと取り換えていた。
「……リーリア様」
不意に、彼が、私の名を呼んだ。
「ずっと、貴女様が、そばにいてくださったと聞きました。俺のような者のために……本当に、心から、感謝いたします」
「当たり前のことですわ。貴方は、このわたくしのために、その命を懸けてくださったのですから」
「……あの時」
アシュトン団長は、ゆっくりと言葉を続けた。
彼の、まだ力のあまり入らない手が、私の手に、そっと重ねられる。
「俺は、ただ無我夢中でした。もし、貴女様の身に何かあったらと……。そう考えただけで、いてもたってもいられなかった。貴女様を失うことだけは、どうしても、耐えられなかったのです」
彼の真剣な眼差しが、私を射抜く。
私は、息を呑んで、彼の次の言葉を待った。
彼は、一度、深く息を吸うと、決意を固めた目で、はっきりと告げた。
「リーリア様。俺は、ずっと貴女様を誤解していました。王都で聞いていた噂を鵜呑みにし、ただの我儘な令嬢などと……。しかし、貴女様の本当のお姿を知るほどに、その領民を想う優しさに、悪を許さぬその強さに、そして、子供のように無邪気なその笑顔に……俺は、どうしようもなく、惹かれていきました」
それは、あの恋愛指南書に書かれていたような、小手先の言葉ではなかった。
不器用で、朴訥で、けれど、どこまでも真っ直ぐな、彼の魂からの言葉だった。
「身分違いであることは、重々承知しております。騎士団長の地位とて、公爵令嬢である貴女様の前では、何の意味もなさないでしょう。ですが、この気持ちに、嘘はつけません」
彼は、私の手を、ぎゅっと、力強く握りしめた。
「――リーリア様。私は、貴女を、心よりお慕いしております。どうか、この先も、貴女の側にいるという権利を、この俺にください」
鉄壁の騎士と呼ばれた男の、初めての、そして、生涯を賭けたであろう、愛の告白。
私の心臓は、これ以上ないほど、大きく、そして甘く、高鳴っていた。
私も、同じ気持ちだったから。
彼がいない世界など、もはや、考えられなかったから。
しかし。
素直に「はい」と頷けないのが、私の悪い癖だ。
私は、込み上げてくる喜びと、照れ臭さを隠すように、わざと、少しだけ意地悪な顔で、彼を見下ろした。
「……団長。貴方、ご自分が、とんでもないことをおっしゃっているという自覚は、おありなのかしら?」
その言葉に、アシュトン団長の顔に、さっと悲痛な色が浮かんだ。
断られる、と。そう思ったのだろう。
「……も、申し訳、ありません。不躾なことを……」
彼が、握った手を離そうとする。
その弱々しい姿を見て、私は、たまらなく愛おしくなり、ふふっと、笑ってしまった。
「待ちなさいな、早とちりな方」
私は、彼の手に、自分の手を、そっと重ねた。
「……ですが、まあ。考えて差し上げなくも、なくてよ」
「……え?」
「貴方が、あの約束の『超特大フルーツパフェ』を、このわたくしのためだけに、生涯、作り続けてくださるというのなら、ですけれど」
それは、私なりの最大限に素直な、「はい」という返事だった。
一瞬きょとんとしていたアシュトン団長だったが、やがて私の言葉の本当の意味を理解したのだろう。
その顔が、みるみるうちに太陽のようにぱあっと輝いた。
「は、はい! お任せください! 生涯をかけて! 毎日でも、貴女様のためだけにお作りいたします!」
「まあ、毎日なんて言われたら、わたくしが太ってしまいますわ。とりあえずは週に一度で結構です」
そんな軽口を叩きながら、私たちはどちらからともなく笑い合った。
もう、言葉は、いらなかった。
ただ、見つめ合い互いの温もりを感じるだけで心が満たされていく。
長かった王都での面倒ごとは、ようやく終わりを告げた。
そして、私の人生の新しい物語が今この場所から始まろうとしていた。
この、不器用で真面目で誰よりも優しい私の愛する騎士と共に。
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