祝・婚約破棄! 喜んだ悪役令嬢の末路は…?

夏乃みのり

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「完璧ですわ、お嬢様! 今日の王都で、いえ、この大陸で、お嬢様より美しいご令嬢はいらっしゃいません!」

シュヴァルツ公爵家の壮麗な馬車の中、侍女のアンナが興奮気味に声を上げる。
今日のサーシャは、アンナの持てる技術のすべてを注ぎ込まれ、完璧な淑女へと変身を遂げていた。
選んだのは、リアムの瞳の色を思わせる、深く美しい青のデイドレス。
髪は編み込みを巧みに使って上品にまとめ上げ、派手な宝飾品はつけず、耳元で揺れる小粒の真珠のイヤリングが、彼女の知的な美しさを際立たせている。

(リアムは、どんな顔をなさるかしら…?)

サーシャは、緊張で少しだけ早くなる鼓動を感じながら、窓の外を眺めていた。
驚くだろうか。それとも、あのぶっきらぼうな顔で、「悪くない」とだけ言ってくれるだろうか。
どんな反応でもいい。ただ、早く、彼に会いたかった。

やがて馬車は、アシュフォード辺境伯が王都滞在時に使用する屋敷の前に、静かに停まった。
貴族街の他の屋敷に比べれば、少し小ぢんまりとしていて、装飾も少ない。
しかし、一本筋の通った、質実剛健な佇まいは、まるで主であるリアムその人を表しているかのようだった。

「わたくしが、ご挨拶に伺いますわ」

サーシャはアンナを伴い、期待に胸を膨らませて、その重厚な扉を叩いた。
応対に出てきたのは、リアムと同じくらい背の高い、しかし物腰の柔らかな年老いた執事だった。

「これは、シュヴァルツ公爵家の…サーシャお嬢様ではございませんか。ようこそおいでくださいました」

「ごきげんよう。本日は、辺境伯様へ先日いただいた贈り物の御礼にと思い、伺いましたの」

サーシャがにこやかに用件を告げると、老執事は、大変申し訳なさそうな顔で、深く頭を下げた。

「誠に申し訳ございません、お嬢様。あいにく、主のリアムは今、屋敷を留守にしておりまして…」

「まあ…!」

一瞬にして、サーシャの心に広がっていた期待が、しゅるしゅると萎んでいくのを感じた。

「おそらく、王都騎士団の訓練場へ、顔を出しているかと存じます。近頃、若手の騎士たちの気が緩んでいると、息巻いておりましたので…」

「そうですの…」

せっかく、勇気を出して来たのに。
会えるのを楽しみに、こんなにお洒落までしたのに。
サーシャの肩が、がっくりと落ちる。

「お嬢様、どうされますか? 一度、お屋敷へお戻りになりますか?」

アンナが、心配そうにサーシャの顔を覗き込む。
このまま、しょんぼりと家に帰るべきだろうか。
いや、とサーシャは首を振った。

(ここで諦めてどうするの、サーシャ・フォン・シュヴァルツ!)

自分の恋心に、正直になると決めたばかりではないか。

「…いいえ、アンナ」

サーシャは、きゅっと唇を結ぶと、顔を上げた。
その瞳には、再び、強い光が宿っていた。

「行きましょう、騎士団の訓練場へ!」

騎士団の訓練場は、男たちの気迫と、土煙と、そして汗の匂いで満ちていた。
剣のぶつかり合う甲高い音、野太い鬨の声。
およそ、貴族の令嬢が足を踏み入れるような場所ではない。

しかし、サーシャは、その圧倒的な熱気に臆することなく、場内の片隅で、目的の人物の姿を探した。
そして、すぐに見つけることができた。
屈強な騎士たちの中でも、ひときわ大きく、ひときわ力強いオーラを放つ、あのたくましい背中を。

リアムは、上半身裸で、その鍛え上げられた肉体から湯気を立てながら、若手の騎士に木剣で稽古をつけていた。

「違う! 腰が引けている! そんな剣筋では、猪一頭仕留められんぞ!」

「は、はいッ!」

彼の指導は、容赦なく厳しい。
しかし、その一挙手一投足には、無駄がなく、洗練された強者の動きが宿っていた。
時折見せる剣の閃きは、あまりにも速く、そして、あまりにも美しい。

(これが…『北の守護神』…)

食堂でカツレツを頬張っていた、あの食いしん坊な男とは、まるで別人だ。
国の最前線を、その双肩で守り続けてきた、真の戦士の姿。
領主としての、彼のもう一つの顔。
サーシャは、そのあまりの格好良さに、改めて、どうしようもなく胸をときめかせた。

やがて、稽古が一段落し、リアムが木陰で休憩しようとこちらへ歩いてくる。
今だわ、とサーシャが声をかけようと、一歩、足を踏み出した、その時だった。

「リアム様、お疲れ様でございます!」

凛とした、よく通る声。
サーシャより一足早く、一人の美しい女性が、リアムの元へと駆け寄った。
騎士の制服に身を包んだ、長身の颯爽とした女性。
短く切った赤毛が、汗に濡れてきらきらと輝いている。

「おお、ソフィアか。お前の今日の模擬戦、なかなか見事だったぞ」

「ありがとうございます! これも、日頃のリアム様のご指導の賜物です」

ソフィアと呼ばれた女性騎士は、そう言って笑うと、持っていたタオルを、ごく自然な仕草でリアムに手渡した。
リアムも、それを受け取ると、気兼ねなく顔の汗を拭う。
さらに、彼女は水の入った水筒を差し出し、リアムはそれを受け取って、豪快に喉を鳴らして飲んだ。

二人の間には、長年の戦友だけが持つような、気安く、そして、揺るぎない信頼関係からくる空気が流れている。
楽しそうに、訓練の反省点を語り合うその姿は、あまりにもお似合いで…。

その光景を見た瞬間、サーシャの胸の奥が、ちくり、と鋭く痛んだ。

(なんなのかしら、この気持ちは…)

今まで、感じたことのない感覚だった。
胸の中心が、黒い靄で覆われたように、息苦しい。
あの女性騎士の、屈託のない笑顔が、なぜか許せない。
リアムの隣で笑っているのは、自分ではない。
その事実が、ひどく、悲しい。

(これが…『やきもち』、という感情なのね…)

生まれて初めて自覚した、醜く、そして切ない感情。
サーシャは、自分でも気づかないうちに、ドレスの裾を強く握りしめていた。

美しくて、強くて、そして、リアムと同じ戦場に立つことができる、あの女性。
それに比べて、自分は?
ただの、食い意地の張った、世間知らずの公爵令嬢にすぎないのではないか。
急に、自信がなくなっていく。

楽しそうに語り合う二人の間に、自分が入り込める隙間など、どこにもないように思えた。

(…来るのでは、なかったのかもしれませんわ)

幸せな再会を夢見て、あんなに胸をときめかせていたのに。
現実は、予期せぬライバルの登場で、サーシャの心を、すっかりかき乱してしまった。

「お嬢様…? お顔の色が…」

アンナが心配そうに声をかけるが、サーシャは、ただ立ち尽くすばかりで、返事をすることもできなかった。
太陽は、まだ高い位置にあるというのに、サーシャの世界だけが、急に色を失ってしまったようだった。
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