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ニナ印の食事が提供されるようになってから、私たちの旅は驚くほど順調に進んでいた。
あれほど堅物だった護衛の騎士たちは、今ではすっかり私の料理の虜となり、食事の時間になると子犬のように目を輝かせて私のもとへ集まってくる。
「ニナ様、本日のスープは最高でした!故郷の母の味を思い出しましたぞ!」
「昨夜の干し肉の赤ワイン煮込み、あまりの美味さに夢にまで出てきました!」
彼らの素直な称賛は、私にとって何よりのスパイスだ。
おかげで、毎日厨房に立つのが楽しくて仕方がなかった。
そんな和やかな旅が続いていた、ある日の昼下がり。
森を抜ける街道の先で、馬を連れた一人の男が立ち往生しているのが見えた。
「止まれ!」
護衛隊長の鋭い声で、馬車の列が止まる。
騎士たちが一斉に剣の柄に手をかけ、緊張が走った。
その男は、黒い旅装束に、顔が隠れるほど深いフードが付いたマントを羽織っており、その姿からはただならぬ雰囲気が漂っていた。
連れている黒馬は、片脚をかばうようにしており、どうやら怪我をしているらしい。
男は馬の脚を診ているようだったが、私たちの存在に気づくと、ぴたりと動きを止め、こちらを窺うように視線を向けた。
フードの奥から覗くその眼光は、まるで手負いの獣のように鋭く、近寄りがたい空気を放っている。
「何者だ!」
隊長が警戒して声を張るが、男からの返事はない。
ただ、敵意がないことだけは、その佇まいから感じ取れた。
私が馬車の窓からその様子を眺めていると、ふと、男の腹のあたりから「くぅ…」と、とても小さな音が聞こえた気がした。
(まあ、お腹が空いていらっしゃるのね)
そう思った瞬間、私の体は自然と動いていた。
「皆様、お待ちになって。わたくしが話をしてまいります」
「いけません、ニナ様!危険です!」
騎士たちの制止も聞かず、私は侍女の手を借りて馬車から降りた。
そして、常におやつのために持ち歩いているバスケットを片手に、その男へと近づいていく。
男は、フードの奥から私をじっと見つめている。
私は彼の数歩手前で止まると、にっこりと微笑みかけた。
「ごきげんよう、旅の方。何かお困りのようですわね」
男は答えない。
私は気にせず、彼の連れている馬に目をやった。
「あらあら、可哀想に。脚を痛めてしまったようですわね」
私の侍女は、馬の扱いや簡単な治療にも長けている。
私は侍女に目配せをし、馬の手当てをするように指示した。
その間、私は手持ち無沙汰になった男の方へと向き直る。
「あなたも、さぞお疲れでしょう。よろしければ、これでもいかがかしら?」
そう言って、バスケットの中から一枚のクッキーを取り出し、彼に差し出した。
それは、今朝焼き上げたばかりの、私特製の栄養満点クッキー。
香ばしいライ麦の生地に、クルミやアーモンドといったナッツ類と、甘酸っぱい干し葡萄をたっぷりと練り込んである。
旅の疲れを癒すには、糖分と栄養を一度に摂るのが一番だ。
男は、差し出されたクッキーに一瞥をくれただけで、受け取ろうとはしなかった。
その頑なな態度に、私は少しだけむきになってしまった。
「さあ、ご遠慮なさらずに。腹が減っては戦はできぬ、と申しますでしょう?」
私はさらに一歩近づき、クッキーを彼の顔の前に突き出す。
甘く、香ばしい匂いがふわりと漂った。
その瞬間、男の喉が、ごくりと動いたのを、私は見逃さなかった。
しばらくの沈黙。
男は、差し出されたクッキーと私の顔を、何度か見比べていた。
やがて、諦めたように、あるいは誘惑に負けたように、長い指が伸びてきて、私の手からそっとクッキーを受け取った。
彼はすぐにそれをフードの奥へと運び、口にしたようだ。
サクリ、という心地よい音が聞こえる。
彼の動きが、一瞬だけ、ぴたりと止まった。
フードに隠れて表情は窺えないが、きっとその美味しさに驚いているに違いない。
私は満足感に浸り、にこにこと彼を見守った。
やがて、侍女による馬の応急手当が終わった。
「歩けないほどではございませんが、あまり無理はさせない方がよろしいかと」
その報告を聞くと、男は私に背を向けた。
そして、一言だけ、ぼそりと呟いた。
「…世話になった」
それだけを言うと、彼は馬を引きながら、再び街道を歩き始めた。
あっという間に、その姿は森の奥へと消えていった。
「なんだったんだ、あの無礼な男は…」
騎士の一人が呆れたように呟く。
しかし、私は彼の態度を全く気にしていなかった。
むしろ、清々しい気持ちだった。
(ええ、ええ。美味しいものを食べると、人は無口になるものですわよね)
きっと彼は、言葉にできないほどの感動を、あのクッキーに感じてくれたに違いない。
私は一人でうんうんと頷いた。
隊長が、どこか腑に落ちないという顔で呟く。
「しかし、あの男の目つき…どこかで。あれは、ただの旅人ではなかったような気がするが…」
その言葉は、私の耳には届いていなかった。
「さあ、皆様!私たちもおやつの時間にいたしましょう!クッキーは、まだたくさんありますわよ!」
私の声に、騎士たちの顔がぱっと華やぐ。
こうして、謎の男との奇妙な出会いは、甘いおやつの記憶と共に過ぎ去っていったのだった。
あれほど堅物だった護衛の騎士たちは、今ではすっかり私の料理の虜となり、食事の時間になると子犬のように目を輝かせて私のもとへ集まってくる。
「ニナ様、本日のスープは最高でした!故郷の母の味を思い出しましたぞ!」
「昨夜の干し肉の赤ワイン煮込み、あまりの美味さに夢にまで出てきました!」
彼らの素直な称賛は、私にとって何よりのスパイスだ。
おかげで、毎日厨房に立つのが楽しくて仕方がなかった。
そんな和やかな旅が続いていた、ある日の昼下がり。
森を抜ける街道の先で、馬を連れた一人の男が立ち往生しているのが見えた。
「止まれ!」
護衛隊長の鋭い声で、馬車の列が止まる。
騎士たちが一斉に剣の柄に手をかけ、緊張が走った。
その男は、黒い旅装束に、顔が隠れるほど深いフードが付いたマントを羽織っており、その姿からはただならぬ雰囲気が漂っていた。
連れている黒馬は、片脚をかばうようにしており、どうやら怪我をしているらしい。
男は馬の脚を診ているようだったが、私たちの存在に気づくと、ぴたりと動きを止め、こちらを窺うように視線を向けた。
フードの奥から覗くその眼光は、まるで手負いの獣のように鋭く、近寄りがたい空気を放っている。
「何者だ!」
隊長が警戒して声を張るが、男からの返事はない。
ただ、敵意がないことだけは、その佇まいから感じ取れた。
私が馬車の窓からその様子を眺めていると、ふと、男の腹のあたりから「くぅ…」と、とても小さな音が聞こえた気がした。
(まあ、お腹が空いていらっしゃるのね)
そう思った瞬間、私の体は自然と動いていた。
「皆様、お待ちになって。わたくしが話をしてまいります」
「いけません、ニナ様!危険です!」
騎士たちの制止も聞かず、私は侍女の手を借りて馬車から降りた。
そして、常におやつのために持ち歩いているバスケットを片手に、その男へと近づいていく。
男は、フードの奥から私をじっと見つめている。
私は彼の数歩手前で止まると、にっこりと微笑みかけた。
「ごきげんよう、旅の方。何かお困りのようですわね」
男は答えない。
私は気にせず、彼の連れている馬に目をやった。
「あらあら、可哀想に。脚を痛めてしまったようですわね」
私の侍女は、馬の扱いや簡単な治療にも長けている。
私は侍女に目配せをし、馬の手当てをするように指示した。
その間、私は手持ち無沙汰になった男の方へと向き直る。
「あなたも、さぞお疲れでしょう。よろしければ、これでもいかがかしら?」
そう言って、バスケットの中から一枚のクッキーを取り出し、彼に差し出した。
それは、今朝焼き上げたばかりの、私特製の栄養満点クッキー。
香ばしいライ麦の生地に、クルミやアーモンドといったナッツ類と、甘酸っぱい干し葡萄をたっぷりと練り込んである。
旅の疲れを癒すには、糖分と栄養を一度に摂るのが一番だ。
男は、差し出されたクッキーに一瞥をくれただけで、受け取ろうとはしなかった。
その頑なな態度に、私は少しだけむきになってしまった。
「さあ、ご遠慮なさらずに。腹が減っては戦はできぬ、と申しますでしょう?」
私はさらに一歩近づき、クッキーを彼の顔の前に突き出す。
甘く、香ばしい匂いがふわりと漂った。
その瞬間、男の喉が、ごくりと動いたのを、私は見逃さなかった。
しばらくの沈黙。
男は、差し出されたクッキーと私の顔を、何度か見比べていた。
やがて、諦めたように、あるいは誘惑に負けたように、長い指が伸びてきて、私の手からそっとクッキーを受け取った。
彼はすぐにそれをフードの奥へと運び、口にしたようだ。
サクリ、という心地よい音が聞こえる。
彼の動きが、一瞬だけ、ぴたりと止まった。
フードに隠れて表情は窺えないが、きっとその美味しさに驚いているに違いない。
私は満足感に浸り、にこにこと彼を見守った。
やがて、侍女による馬の応急手当が終わった。
「歩けないほどではございませんが、あまり無理はさせない方がよろしいかと」
その報告を聞くと、男は私に背を向けた。
そして、一言だけ、ぼそりと呟いた。
「…世話になった」
それだけを言うと、彼は馬を引きながら、再び街道を歩き始めた。
あっという間に、その姿は森の奥へと消えていった。
「なんだったんだ、あの無礼な男は…」
騎士の一人が呆れたように呟く。
しかし、私は彼の態度を全く気にしていなかった。
むしろ、清々しい気持ちだった。
(ええ、ええ。美味しいものを食べると、人は無口になるものですわよね)
きっと彼は、言葉にできないほどの感動を、あのクッキーに感じてくれたに違いない。
私は一人でうんうんと頷いた。
隊長が、どこか腑に落ちないという顔で呟く。
「しかし、あの男の目つき…どこかで。あれは、ただの旅人ではなかったような気がするが…」
その言葉は、私の耳には届いていなかった。
「さあ、皆様!私たちもおやつの時間にいたしましょう!クッキーは、まだたくさんありますわよ!」
私の声に、騎士たちの顔がぱっと華やぐ。
こうして、謎の男との奇妙な出会いは、甘いおやつの記憶と共に過ぎ去っていったのだった。
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