忌花

こ★め

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一章 淡紫の泡沫

黒と白

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 闇に包まれ僅かな風を感じた後に、空気が変わった。真っ暗な空間の中、柔らかく明滅する硝子玉が浮き沈みしながら浮遊している。それはさながら海を漂う海月のように、ふわりふわりと泳いでいる。
 幻想的だが、頼りない光源に照らされる闇色の空間。その中にひっそりと佇む、真っ白な少女の姿は神秘的だった。視線を上げれば、幾つもの扉が螺旋状に浮いている。階段は見当たらない。目の前の大扉もまた、宙に浮いている。
 軽く周囲に視線を滑らせると、息を吐いて大扉に向かって歩を進めた。階段も何もない空間を、するすると歩を進めていく。大扉を雑に引けば、あっさりと口を開けた。
「ようこそ、我が城へ」
 中央に座するのは、少女を連れ去ったあの男。アレッシオ曰くセルペンテだった。
「何がようこそだよ、このペテン師」
 いらえを聞くや、満足気に口角を上げる。蒼く燃える瞳の奥に不思議な光が揺らめいた。
「思い出したか?薄情者め」
「思い出すも何も…そもそも、お前がしたんじゃないか」
 不満気に鼻を鳴らし、呆れたように半眼で睨め付ける。
「会えば思い出すかと思えば…」
「生まれたばかりの赤子に期待するな、ロリコン。それに、ちゃんと思い出しただろうに」
「はっ!私がロリコンならば、お前はとっくに魔女だぞ」
 白い少女は、自らの体を抱いて素早く跳び退る。そんな姿を鼻で嗤い、セルペンテは堂々と宣言した。
「毛も生え揃っていないようなツルペタのちんちくりんになど、誰が手を出すか」
「失礼な!!!!」
 花は、成長する事がない。ある一つの条件を除いて、精霊や妖精の類である彼らは、この世界に現界したその瞬間に存在が確定し、固定される。と、世界に認定されている。故に、世界が認識した時点での肉体年齢を超えることはないのだ。
「お前がどう思おうと、現状お前はロリコン確定だ!」
 セルペンテはセルペンテで、ぷりぷりと怒る少女を眺めて片頬を歪めている。ロリコン呼ばわりも全く気にした様子はない。まさに、暖簾に腕押し糠に釘。
「お前がどう思おうが」
 不意に、存外と真摯な低い声が巫山戯た男から聞こえる。靴音がすぐ側で止まった。冷たい指先が白絹の髪を滑り、まろい頬を辿る。
「お前は私のものだ」
 瞬き一つの間に気配は遠退く。掴めないさざなみのようだと思うが、しおらしくするのも大いに癪に障る。顔を逸らして横目で睨み、こちらも高らかに言い放った。
「勝手に言ってれば?」
 ふと、城の外が気に掛った。皮膚を針の先で軽く引掻かれているような、ざらりとした不快感に心が粟立つ。この感覚は知っている。何度も何度も感じた馴染み深く、けれども慣れる事はないものだ。
 瞳が翳った事に気づいたセルペンテが、長い睫毛を伏せて囁くように呟いた。
「それが役目だ」
「わかってるよ。私が一体忌花をしていると思ってるの」
「そうだったな」
 溜息一つで切り替えた少女と違い、セルペンテの感情は読めない。一見すると愁眉を顰めるように見えるだが、そう擬態しながらほくそ笑むくらいは平然とやる男だけに、表情など信用ならない。
 故に、無視した。
「私はもう行くからね。死人が増えるのは寝覚めが悪い」
「ああ、ならば私も行こう」
「はぁ!?」
 寝耳に水である。性格は兎も角、見た目だけは極上で目立つ男と行動を共にするなど、動き難い事この上ない。端的に言えば、冗談ではない。何故か女達が互いに刃物を握り始めた日には、野次馬や警邏は勿論だが、何処から湧いて出たのか騎士連中にまで囲まれてしまったものだ。それも一度や二度ではない。こちらにまで事情を訊かれたのは何故としか言えない。私は関係ないと言っても聞く耳なんて持ちやしないのだから。妹扱いも本当にやめて欲しい。
「お前と行動したら、目立つ上に女に囲まれて動き辛いし散々だ」
 絶対嫌だ、と言外に告げるが、相手が相手だった。断る事自体が徒労なのだということはわかっている。他人の言う事など聞きはしないのだから。
「このままで、とは言っていないだろう」
 ため息まじりのセルペンテからしても、纏わり付く女達は至極迷惑で、片端から首を落としてやりたくなる程度には不愉快なのだと。
「物騒」
 警邏の追跡も鬱陶しいからまだ実行はしないが。と零す声音に、一切冗談の色は見えない。つまりは、限界に達すれば殺る。実行に移していないだけで、いつかは殺る。そうなれば、事情聴取だけでは済む筈もなく、牢獄行き確定だ。この男を拘留できるかは甚だ疑問だが、人殺しだと追い回されていては動きがつかないではないか。
「ついて来るなって。ここでいい子にしててよ」
「冗談だ。本気にするな」
「絶対違う」
 美麗な顔が突然目の前に現れたが、驚くでもなく見返す。思い出せないくらい昔は驚いていた気はするが、いい加減慣れた。顔は良い。この男の場合、顔だけだが。
「顔だけは良いよねぇ…。」
 うっかり褒めてしまったが、顔だけだ。褒める所など顔しかない。
「美人薄命と言う言葉もあるな?」
 認めるのか、と思わないでもないが、一々指摘していては話が進まない。あと、この男の場合薄命はない。あり得ない。絶対死なない。薄命と言うのなら、100年くらい前に叩き斬った際に死んでくれても良かっただろうに、と、心中に毒くもどうせ叶わないと知っている。何せ首が千切れる寸前だったくせに死ななかったのだから。
 そんな少女を見つめ、セルペンテが嗤った。
「何を考えているかは知らんが、どうせ碌でもない事だろう?」
 碌でもない男に言われるのは業腹だが、話が進まないので放置する。これだけは言いたい。お前より碌でもないものが存在するのか?と。…飲み込んだが。
「まあいい。お前を一人にするわけにはいかないからな」
 少女の肩に指を当てると、男の姿が黒い靄に包まれて霞んでいく。体を冷たい気配に包まれたと思ったら、男が消えていた。
『これで良いだろう』
 頭の中で声がする。それに、何か体に違和感がある。嫌な予感もする。肩を覗けば、そこに蛇の頭があった。まるで刺青のように、肌の内側から浮かび上がるようなそれに嫌な汗が止まらない。鎖のような鱗の紋様も連なっているのも確認できてしまった。きっと体にも蛇の胴体があるのだろうそれへ、言うべきセリフは一つだ。たった一つ。それは、真理である。
「変態!!!!!」
 見た目だけは極上の、中身は残念通り越してクソ野郎なペテン師の新技により、彼女は彼から絶対に逃れられない事態となった。




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 月明かりが窓から射し込む廊下を、痩せた男が駆けていく。豪奢な調度品に溢れ、床板も質が良く、磨き込まれている。この家の生活水準を鑑見るに、男はここで椅子に座るのではなく、床や調度を磨く側の人間なのだろうと推察される。彼の主が余程心の広い聖人であっても、草木も眠る宵闇の刻に廊下を走られるのは迷惑だろう。だが、誰も起きて来ない。留守がちな主どころかその家族や使用人頭でさえも姿を見せないのは、何故だろうか。住込みの使用人も多く抱えるこの家で、何故こんなにも気配を感じないのだろう。
 視界の隅で淡い色が動いた。それに気がついた瞬間。
『グシャッ』
 何かが潰れた音がして、視界が揺れた。何か生暖かいものが顎を伝い、目の前が赤く染まって───。
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