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24.手を抜くなどあり得ない
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「奥様、商会の者が参りました」
「通してちょうだい」
しんと静まり返った廊下に、規則的な足音が近づいてくる。やって来たのは、商会長と、従業員と思しき男だった。
「奥様、お呼びだと伺いましたが、何かご用でございましょうか」
腰の低い商会長は、まるで私に無理難題を突きつけられると覚悟しているかのように、肌寒いはずの室内で止まらぬ汗を、慌てた手つきでハンカチに吸わせている。
その落ち着かぬ仕草が、場の空気を固くしていた。
「そうですね、わざわざ呼びつけるなんて。てっきり、俺たちのことなんてすっかりお忘れかと思ってましたけど」
隣に立つ男が、投げつけるような声音で言い放つ。歳相応の落ち着いた外見に反して、言葉には刺がある。
「こら、ミガル! ……申し訳ございません、奥様」
叱責されても、ミガルは不満げに視線をそらし、態度を改める気配を見せない。その様子を見る限り、この商会がララにどれほど振り回されてきたか、想像に難くなかった。
小さく息を整え、私は静かに彼らへ向き直った。
「実は、私、階段から落ちて、この十年の記憶がないの。だから私の中では、“はじめまして”になるわ」
「十年もですか?」
二人が、信じられないものを見るように互いの顔を見合わせた。サロンの静けさに、彼らのざわめきがほんの少し揺れる。
「ええ。でも日記を読んで、二人に迷惑をかけていたことは知っているわ。なのに今更、相談のために呼ぶなんて図々しいのは分かっているのだけれど……協力して欲しいの」
私の言葉に、二人は困惑していた。
「記憶がないのであれば……いえ、私たちは伯爵家の商会です。奥様のご所望とあらば、もちろん喜んで協力いたします」
「……無理難題は聞けない、ですけどね」
ミガルが低く呟く。商会長は慌てて彼の脇腹を肘でつつき、必死に場を取り繕おうとしていた。
「実は、王太子妃殿下のお茶会に招待される予定があるの」
「お、おうたい……王太子妃殿下の……?」
二人の瞳が見開かれ、サロンに差し込む光がその表情をさらに緊張へと染める。思わず息をのんだのが分かった。
「ええ。まだ少し時間はあるわ。短く見積もっても二か月ほど」
「そ、それで、どのような品をお考えで?」
商会長が身を乗り出して尋ねる。彼の手の中でハンカチがくしゃりと握られる。
「ハーブティーを好むと聞いたのだけれど」
私が口を開くと、商会長は一瞬だけ眉を上げ、すぐに控えめな苦笑を浮かべた。
「ハーブティー、ですか……。それは、お勧めしかねますな。王太子妃殿下は、各国から取り寄せるほどのこだわりをお持ちだと伺っております。うちのような小さな商会では、それ以上の品となると……さすがにご用意が難しいかと」
商会長の言葉は慎重そのものだった。“それは無理です”と告げられたような印象が残る。
「そこで、相談なのだけれど手土産には、やはりハーブティーを持っていこうと思っているの。ただし、“ブレンドした”ハーブティーよ」
そう告げた途端、ミガルがわずかに眉をひそめる。
「ブレンド……とは、複数のハーブを混ぜ合わせる、ということですか? 味が混ざりすぎてしまうのでは?」
ミガルの疑念を含んだ声に、私は手元のメモをそっと押さえながら説明を続けた。
ハーブ、花、果実、そしてスパイス――。
それらを組み合わせて淹れるブレンドティーは、複雑な香りと風味が幾層にも重なり、体を温めたり心を落ち着かせたりと、目的に合わせた効果を引き出すことができる。
単一のハーブだけでは到達できない“世界”を、繊細な調整で形づくるものだ。
きっと、これは“ララ”の知識。口にした経験があるのか、香りの重なりを自然と想像することができた。
「調整は、私がするわ。組み合わせによっては体を温めたり、リラックスできたり用途に合わせたものを作れると思うの。それに、ハーブを含む薬草のことなら心当たりがあるの。頼りになる先生もいるし」
気づけば、声がほんの少し弾んでいた。その響きに、二人が揃って目を見開く。
「そこまでいうなら」
「そうですね。私たちは、まず何を準備したらいいでしょう」
つい先ほどまで半歩引いていた商会長が、今度は逆に前のめりになる。ミガルも腕を組み、真剣な眼つきに変わった。
「この紙に書かれてあるものを集めて欲しいの。そして、一か月……いえ、二週間後に試飲会よ」
私は机上の紙束から一枚を抜き、商会長に差し出した。そこには必要なハーブの種類を細かく記してある。
彼らはその紙を慎重に受け取り、視線を走らせた。
最高級のハーブティーが無理なら、ブレンドティーで勝負するしかない。
どうか“邪道”だと言われませんように。胸の奥で小さく祈る。
ハーブを使った菓子。
ハーブ入りの石鹸。
もし、気に入ってもらえなかった時の次の一手も、考えておかなければならない。
影響を受けるのは、私の家族だけではない。商会の未来さえ左右する。
ならば、手を抜くなどあり得ないわ。
「通してちょうだい」
しんと静まり返った廊下に、規則的な足音が近づいてくる。やって来たのは、商会長と、従業員と思しき男だった。
「奥様、お呼びだと伺いましたが、何かご用でございましょうか」
腰の低い商会長は、まるで私に無理難題を突きつけられると覚悟しているかのように、肌寒いはずの室内で止まらぬ汗を、慌てた手つきでハンカチに吸わせている。
その落ち着かぬ仕草が、場の空気を固くしていた。
「そうですね、わざわざ呼びつけるなんて。てっきり、俺たちのことなんてすっかりお忘れかと思ってましたけど」
隣に立つ男が、投げつけるような声音で言い放つ。歳相応の落ち着いた外見に反して、言葉には刺がある。
「こら、ミガル! ……申し訳ございません、奥様」
叱責されても、ミガルは不満げに視線をそらし、態度を改める気配を見せない。その様子を見る限り、この商会がララにどれほど振り回されてきたか、想像に難くなかった。
小さく息を整え、私は静かに彼らへ向き直った。
「実は、私、階段から落ちて、この十年の記憶がないの。だから私の中では、“はじめまして”になるわ」
「十年もですか?」
二人が、信じられないものを見るように互いの顔を見合わせた。サロンの静けさに、彼らのざわめきがほんの少し揺れる。
「ええ。でも日記を読んで、二人に迷惑をかけていたことは知っているわ。なのに今更、相談のために呼ぶなんて図々しいのは分かっているのだけれど……協力して欲しいの」
私の言葉に、二人は困惑していた。
「記憶がないのであれば……いえ、私たちは伯爵家の商会です。奥様のご所望とあらば、もちろん喜んで協力いたします」
「……無理難題は聞けない、ですけどね」
ミガルが低く呟く。商会長は慌てて彼の脇腹を肘でつつき、必死に場を取り繕おうとしていた。
「実は、王太子妃殿下のお茶会に招待される予定があるの」
「お、おうたい……王太子妃殿下の……?」
二人の瞳が見開かれ、サロンに差し込む光がその表情をさらに緊張へと染める。思わず息をのんだのが分かった。
「ええ。まだ少し時間はあるわ。短く見積もっても二か月ほど」
「そ、それで、どのような品をお考えで?」
商会長が身を乗り出して尋ねる。彼の手の中でハンカチがくしゃりと握られる。
「ハーブティーを好むと聞いたのだけれど」
私が口を開くと、商会長は一瞬だけ眉を上げ、すぐに控えめな苦笑を浮かべた。
「ハーブティー、ですか……。それは、お勧めしかねますな。王太子妃殿下は、各国から取り寄せるほどのこだわりをお持ちだと伺っております。うちのような小さな商会では、それ以上の品となると……さすがにご用意が難しいかと」
商会長の言葉は慎重そのものだった。“それは無理です”と告げられたような印象が残る。
「そこで、相談なのだけれど手土産には、やはりハーブティーを持っていこうと思っているの。ただし、“ブレンドした”ハーブティーよ」
そう告げた途端、ミガルがわずかに眉をひそめる。
「ブレンド……とは、複数のハーブを混ぜ合わせる、ということですか? 味が混ざりすぎてしまうのでは?」
ミガルの疑念を含んだ声に、私は手元のメモをそっと押さえながら説明を続けた。
ハーブ、花、果実、そしてスパイス――。
それらを組み合わせて淹れるブレンドティーは、複雑な香りと風味が幾層にも重なり、体を温めたり心を落ち着かせたりと、目的に合わせた効果を引き出すことができる。
単一のハーブだけでは到達できない“世界”を、繊細な調整で形づくるものだ。
きっと、これは“ララ”の知識。口にした経験があるのか、香りの重なりを自然と想像することができた。
「調整は、私がするわ。組み合わせによっては体を温めたり、リラックスできたり用途に合わせたものを作れると思うの。それに、ハーブを含む薬草のことなら心当たりがあるの。頼りになる先生もいるし」
気づけば、声がほんの少し弾んでいた。その響きに、二人が揃って目を見開く。
「そこまでいうなら」
「そうですね。私たちは、まず何を準備したらいいでしょう」
つい先ほどまで半歩引いていた商会長が、今度は逆に前のめりになる。ミガルも腕を組み、真剣な眼つきに変わった。
「この紙に書かれてあるものを集めて欲しいの。そして、一か月……いえ、二週間後に試飲会よ」
私は机上の紙束から一枚を抜き、商会長に差し出した。そこには必要なハーブの種類を細かく記してある。
彼らはその紙を慎重に受け取り、視線を走らせた。
最高級のハーブティーが無理なら、ブレンドティーで勝負するしかない。
どうか“邪道”だと言われませんように。胸の奥で小さく祈る。
ハーブを使った菓子。
ハーブ入りの石鹸。
もし、気に入ってもらえなかった時の次の一手も、考えておかなければならない。
影響を受けるのは、私の家族だけではない。商会の未来さえ左右する。
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