【完結】恋は、終わったのです

楽歩

文字の大きさ
20 / 43

20.ラファエル第三王子 sideエマ

しおりを挟む
 sideエマ



 人だかりの隙間から、彼の姿をじっと見つめた。視線を外そうと思えば思うほど、吸い寄せられてしまう。胸の奥がざわめき、理性が揺らぐのを必死に抑え込んだ。


『エマ、知ってる? 二つ下に隣国の王子が留学に来たんだって! 一緒に見に行きましょう!』



 弾むような友人の声に引かれ、私は半ば流されるようにしてこの場に来た。

 陽の光を浴びた金色の髪が、柔らかく揺れるたびに眩しくきらめく。


 その輝きに、目を細めずにはいられなかった。深いブルーの瞳が周囲を見渡すたび、人々の視線はまるで磁石に引き寄せられるように彼へと集中する。

 どこか穏やかで気品に満ちた横顔。

 意識していなくとも醸し出される王族特有の威厳。それが彼を、さらに際立たせていた。




「本当に、オーラが違うわね! やっぱり王族は違うわ!」


 隣の友人が、感嘆したように息を漏らす。私たちの周りにいる令嬢たちも、言葉を失ったように彼の姿に見入っていた。

 王子は、自然な仕草で微笑みながら周囲と会話を交わしている。その笑みが生まれた瞬間、周囲の空気が柔らかくほどけ、令嬢たちの小さな息をのむ音が耳に届いた。



 ――その気持ちは、痛いほどわかる。



 彼の存在は、まるで絵画のように完成されていた。優雅に立つだけで、そこに物語が生まれる。誰の目から見ても、彼は間違いなく“理想”そのものだった。



 本当に……美しい……




 おとぎ話の王子が、そのまま現実に現れたかのよう。

 あの瞳に映ることができたら。


 そんな叶うはずのない考えが、一瞬でも心をよぎった自分を、ひどく愚かだと思う。

 わかっているのに。考えたところで、どうにもならないのに。
 それでも。

 彼の姿を目にした瞬間、胸の奥に生まれたこの感情を、否定することはできなかった。






「エマ、こんなところにいたのか。探したぞ」

 低く落ち着いた声が耳に届き、ハッと我に返った。背後を振り返ると、セオが少し眉をひそめてこちらを見つめている。その視線には、心配と安堵が入り混じっていた。


「セオ……」

 その名前を口にするとき、無意識のうちに王子とセオを比べてしまう自分がいた。



 ――セオは、王子ではない。


 そんなことは百も承知だった。無意識に王子を見つめる自分を戒め、視線をセオに戻した。


 セオの金髪は、柔らかく優しい光を帯びている。王族の華麗な黄金とは違い、どこか親しみやすさを感じさせる色だ。瞳は、王子の深いブルーとは異なるが、静かな湖面のような穏やかさを湛えている。

 セオは、確かに凛々しい顔立ちではあるが、王子のような圧倒的な華やかさには届かない。

 どうしても地味に映ってしまう。



 罪悪感が胸を締め付けたが、それは仕方のないことだ。



「……どうした?」

 セオの声が再び耳に届く。


「な、なんでもないわ。行きましょう」


 無理にでも笑顔を作り、踵を返す。けれど、どうしても気になってしまう。

 足を止め、そっともう一度だけ王子の方を振り返る。




 ――彼の婚約者は、どんな人なのだろう? そもそも婚約者はいるのかしら?



 王族に相応しい、美しく聡明な令嬢なのだろうか。それとも……。彼が自由に愛を選ぶことができるのなら、どんな女性を選ぶのか――。



 頭の中で繰り返される問い。王子に憧れる令嬢たちの熱い視線が、心をさらにざわつかせる。彼女たちは皆、王子の隣に立つ自分を夢見ている。


 その心の内が痛いほど伝わってくるからこそ、焦燥と嫉妬が入り混じった感情が芽生える。



 王子の微笑みは、周囲の人々を魅了してやまない。どんな女性が彼の目に留まるのだろうかと考えるたび、胸の奥が締めつけられるような感覚に苛まれた。



 王子に憧れる気持ち、そしてそれが叶わぬことを知っているからこそ、余計にその存在が遠く感じる。手を伸ばしても届かない、遥か彼方に輝く星のように。



 ――これが、一目惚れ?


 自分でも信じられないような感情に戸惑っていたため、セオの声が耳に届くのが一瞬遅れる。



「エマ、どうした? 顔色が悪いぞ」


 その優しい声に、ようやく現実へと引き戻された。

 セオの瞳が、自分を見つめる。その眼差しが、まるで心の奥底まで見透かすかのようで、慌てて視線を逸らした。



「ごめんなさい、ちょっと考え事をしていたの。大丈夫よ、気にしないで」



 セオは一瞬、言葉を飲み込むようにしてから頷き、再び歩き出した。彼の隣を歩きながらも、未だに王子の姿を振り払えずにいた。


 セオの存在をもっと大切にしなければならないとわかっているのに。



 彼が何も言わずとも、その優しさが伝わってくるからこそ、余計に罪悪感が募る。




 でも――



 もし私が伯爵令嬢になれたなら。王子と並び立つ未来もあるのだろうか?

 そんな夢のような考えが、ふと頭をよぎる。




 ――いいえ、そんなことあるはずがない。




 自分の心を戒めるように、首を小さく振る。

 これはただの憧れ。

 せめて遠くから見つめることくらいは許されてもいいはず。



 ――ほんの少しだけ、夢を見てもいい。


 自分の胸に秘めた小さな想いをそっと抱きしめ、再び歩き出した。心は、まだ王子の輝きに囚われたままであった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。

ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。 ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。 対面した婚約者は、 「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」 ……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。 「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」 今の私はあなたを愛していません。 気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。 ☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。 ☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)

『完璧すぎる令嬢は婚約破棄を歓迎します ~白い結婚のはずが、冷徹公爵に溺愛されるなんて聞いてません~』

鷹 綾
恋愛
「君は完璧すぎる」 その一言で、王太子アルトゥーラから婚約を破棄された令嬢エミーラ。 有能であるがゆえに疎まれ、努力も忠誠も正当に評価されなかった彼女は、 王都を離れ、辺境アンクレイブ公爵領へと向かう。 冷静沈着で冷徹と噂される公爵ゼファーとの関係は、 利害一致による“白い契約結婚”から始まったはずだった。 しかし―― 役割を果たし、淡々と成果を積み重ねるエミーラは、 いつしか領政の中枢を支え、領民からも絶大な信頼を得ていく。 一方、 「可愛げ」を求めて彼女を切り捨てた元婚約者と、 癒しだけを与えられた王太子妃候補は、 王宮という現実の中で静かに行き詰まっていき……。 ざまぁは声高に叫ばれない。 復讐も、断罪もない。 あるのは、選ばなかった者が取り残され、 選び続けた者が自然と選ばれていく現実。 これは、 誰かに選ばれることで価値を証明する物語ではない。 自分の居場所を自分で選び、 その先で静かに幸福を掴んだ令嬢の物語。 「完璧すぎる」と捨てられた彼女は、 やがて―― “選ばれ続ける存在”になる。

【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜

高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。 婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。 それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。 何故、そんな事に。 優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。 婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。 リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。 悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。

許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください> 私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

私は愛する人と結婚できなくなったのに、あなたが結婚できると思うの?

あんど もあ
ファンタジー
妹の画策で、第一王子との婚約を解消することになったレイア。 理由は姉への嫌がらせだとしても、妹は王子の結婚を妨害したのだ。 レイアは妹への処罰を伝える。 「あなたも婚約解消しなさい」

言いたいことはそれだけですか。では始めましょう

井藤 美樹
恋愛
常々、社交を苦手としていましたが、今回ばかりは仕方なく出席しておりましたの。婚約者と一緒にね。 その席で、突然始まった婚約破棄という名の茶番劇。 頭がお花畑の方々の発言が続きます。 すると、なぜが、私の名前が…… もちろん、火の粉はその場で消しましたよ。 ついでに、独立宣言もしちゃいました。 主人公、めちゃくちゃ口悪いです。 成り立てホヤホヤのミネリア王女殿下の溺愛&奮闘記。ちょっとだけ、冒険譚もあります。

復縁は絶対に受け入れません ~婚約破棄された有能令嬢は、幸せな日々を満喫しています~

水空 葵
恋愛
伯爵令嬢のクラリスは、婚約者のネイサンを支えるため、幼い頃から血の滲むような努力を重ねてきた。社交はもちろん、本来ならしなくても良い執務の補佐まで。 ネイサンは跡継ぎとして期待されているが、そこには必ずと言っていいほどクラリスの尽力があった。 しかし、クラリスはネイサンから婚約破棄を告げられてしまう。 彼の隣には妹エリノアが寄り添っていて、潔く離縁した方が良いと思える状況だった。 「俺は真実の愛を見つけた。だから邪魔しないで欲しい」 「分かりました。二度と貴方には関わりません」 何もかもを諦めて自由になったクラリスは、その時間を満喫することにする。 そんな中、彼女を見つめる者が居て―― ◇5/2 HOTランキング1位になりました。お読みいただきありがとうございます。 ※他サイトでも連載しています

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

処理中です...