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39.もう一人の恋も終わる
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sideセオドア
エマからの手紙を開いた瞬間、胸がざわめいた。
期待と不安が交互に現れながら、震える指先で紙をなぞる。
『養子の件は残念だけど、実の親の二人は説得できると思う。でも、養子先の伯爵家は、きっと認めてくれない』
やはりそうだよな。目を閉じて、ため息をつく。
エマが養子に入ったばかりの伯爵家が、爵位もない自分を許すはずがない。
家の名誉、格式、未来——どれを取っても、歓迎される要素はなかった。
『だから、文官試験、必ず合格して。あなたならきっと大丈夫。そして、受かったその時には、私を迎えに来てね』
ああ、私を応援してくれる優しいエマ。
エマの筆跡が珍しく揺れているのは、不安なのか、それとも悲しさなのか。早く会って抱きしめてあげたい。
爵位がなくとも、文官として合格すれば、男爵令嬢なら結婚に問題はない。貴族社会の常識からすれば、身分差など誤差のようなもの。……そうだ、エマは男爵家に戻ればいい。
自分の未来のため、そしてエマとの未来のため、今やるべきことは一つだ。
「必ず合格する」
固く誓い、机に向かう。
父上が「最後の情け」だとつけてくれた家庭教師は厳しかったが、教えは的確だった。どれだけ眠くても、どれだけ頭が痛くても、ペンを止めることはなかった。何が何でも合格する——それだけを支えに、夜を徹して勉強に励んだ。
*****
一か月後。
薄い封筒が届いた。
心臓が一瞬、痛むほどに跳ねる。開けるまでもない。合格者には、手続きのための厚い書類が同封されているはずだ。だが、この封筒は薄すぎる。
指の震えを抑えながら封を切る。
紙を引き出し、目にした瞬間、すべてが止まった気がした。
『今回は採用を見送らせて頂くことになりました』
静かに目を閉じる。駄目だった……。耳鳴りがする。周囲の音が遠のいていく。
朗らかに笑うエマの顔が浮かんだが、すぐに暗闇へと消えていった。
エマには悪いが、今の私には、未来が見えない。真っ暗な闇の中で、二人の未来を語る余裕などない。恋に浮かれている場合ではない。
学生のころとは違うのだ……。
ーー受かったその時には、私を迎えに来てねーー
受からなかったのだから、迎えになどいけない。
重い足を引きずるようにして、父上のもとへ向かう。
「……わずかな可能性に賭けてはいたが、やはりそうなったか」
父上の言葉は淡々としていたが、その眼差しは、どこか哀れみを含んでいた。
「私が愚かでした」
声が震える。拳を握りしめる。
「リディアとの間にはなかったエマとの恋に夢中になり……今思えば、恋をしていた自分に酔っていたのかもしれません。本当にエマに恋をしていたかどうかも……」
ふと、リディアが思い浮かぶ——彼女は今、何を思っているのだろう。
あの時の彼女は確かに感情を露わにしていた。
しかし、今はどうだ?
冷静になり、この先のことを考えているのではないだろうか。
この時期に、侯爵令嬢である彼女が次の婚約者を見つけるのは難しい。ましてや、次期公爵というプレッシャーをものともせず、その地位に相応しい男など、そう簡単に現れるはずがない。
彼女は今頃、焦っているのではないか。
「父上、私は、もう一度リディアと話してみようと思います」
父上が驚いたように目を見開く。
「話せるわけがないだろう! 侯爵家の好意で、我が伯爵家の影響は最小限に抑えられているというのに、今さら何の話だ? 言ってみろ!!」
「私の、公爵家への養子の話を——」
言い終わる前に、父上は大きくため息をついた。
「はぁ……養子? そんなもの、すでに——」
すでに? ぞわり、と背筋が冷たくなる。
言葉を飲み込んだ父上が、吐き出すように一気に言った。
「公爵家の養子の手続きはすでに終わっている。もちろん、お前ではない」
「……終わっている?」
言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
「リディア嬢のクラスメイト、レオナード・ボーモントを知っているだろう。今は、レオナード・モンルージュだ」
「なっ……! あの男が? 子爵令息ですよ! そんな者に、公爵の座が務まるわけが——」
「……お前が落ちた文官試験に、一発合格した男だ」
目の前が真っ白になった。
欠員、辞退……まさか。
「文武両道、公爵夫妻にも気に入られ——ああ、そうだな。お前が公爵になるより、何倍も国のためになる」
信じられない。信じたくない。
「……今更だが、こんなことになるくらいなら、もっと早くにリディア嬢と結婚できないと相談してくれれば……他にやり方も、公爵家は無理でもお前が幸せになる道はあったのに」
父上が深くため息をつく。
「……リディアは、きっと騙されている」
拳を握りしめる。
「やはり父上! 私は会いに行きます!」
レオナード——あの男は、最初から狙っていたのだ。
リディアの友人のふりをしながら、私が破滅するのを待っていたのか。思い返せば心当たりがある。
リディアが絶望したその隙を突き、甘い言葉を囁き、巧みに公爵家の後継者の座に納まったのか。
許せない。
「だから、駄目に決まっているだろう! なぜわからんのだ」
父上が厳しい声で叱責する。
「お前のこれからの処遇は、私が考える。それまで、大人しく部屋に居ろ!」
その日から、見張りが増えた。
だが、ここで終わるつもりはない。
食事を運んできたメイドに、さりげなく情報を聞き出した。
——近日中に夜会が開かれ、そこに、リディアとレオナードが出席するという。
数週間、従順なふりをして、機を待った。
そして、夜会の当日——
静かに部屋を抜け出す。
月明かりの下、街へと足を向ける。そして、馬車を借り、夜会会場へと向かった。
全てを、確かめるために。そして、奪われたものを取り戻すために。
エマからの手紙を開いた瞬間、胸がざわめいた。
期待と不安が交互に現れながら、震える指先で紙をなぞる。
『養子の件は残念だけど、実の親の二人は説得できると思う。でも、養子先の伯爵家は、きっと認めてくれない』
やはりそうだよな。目を閉じて、ため息をつく。
エマが養子に入ったばかりの伯爵家が、爵位もない自分を許すはずがない。
家の名誉、格式、未来——どれを取っても、歓迎される要素はなかった。
『だから、文官試験、必ず合格して。あなたならきっと大丈夫。そして、受かったその時には、私を迎えに来てね』
ああ、私を応援してくれる優しいエマ。
エマの筆跡が珍しく揺れているのは、不安なのか、それとも悲しさなのか。早く会って抱きしめてあげたい。
爵位がなくとも、文官として合格すれば、男爵令嬢なら結婚に問題はない。貴族社会の常識からすれば、身分差など誤差のようなもの。……そうだ、エマは男爵家に戻ればいい。
自分の未来のため、そしてエマとの未来のため、今やるべきことは一つだ。
「必ず合格する」
固く誓い、机に向かう。
父上が「最後の情け」だとつけてくれた家庭教師は厳しかったが、教えは的確だった。どれだけ眠くても、どれだけ頭が痛くても、ペンを止めることはなかった。何が何でも合格する——それだけを支えに、夜を徹して勉強に励んだ。
*****
一か月後。
薄い封筒が届いた。
心臓が一瞬、痛むほどに跳ねる。開けるまでもない。合格者には、手続きのための厚い書類が同封されているはずだ。だが、この封筒は薄すぎる。
指の震えを抑えながら封を切る。
紙を引き出し、目にした瞬間、すべてが止まった気がした。
『今回は採用を見送らせて頂くことになりました』
静かに目を閉じる。駄目だった……。耳鳴りがする。周囲の音が遠のいていく。
朗らかに笑うエマの顔が浮かんだが、すぐに暗闇へと消えていった。
エマには悪いが、今の私には、未来が見えない。真っ暗な闇の中で、二人の未来を語る余裕などない。恋に浮かれている場合ではない。
学生のころとは違うのだ……。
ーー受かったその時には、私を迎えに来てねーー
受からなかったのだから、迎えになどいけない。
重い足を引きずるようにして、父上のもとへ向かう。
「……わずかな可能性に賭けてはいたが、やはりそうなったか」
父上の言葉は淡々としていたが、その眼差しは、どこか哀れみを含んでいた。
「私が愚かでした」
声が震える。拳を握りしめる。
「リディアとの間にはなかったエマとの恋に夢中になり……今思えば、恋をしていた自分に酔っていたのかもしれません。本当にエマに恋をしていたかどうかも……」
ふと、リディアが思い浮かぶ——彼女は今、何を思っているのだろう。
あの時の彼女は確かに感情を露わにしていた。
しかし、今はどうだ?
冷静になり、この先のことを考えているのではないだろうか。
この時期に、侯爵令嬢である彼女が次の婚約者を見つけるのは難しい。ましてや、次期公爵というプレッシャーをものともせず、その地位に相応しい男など、そう簡単に現れるはずがない。
彼女は今頃、焦っているのではないか。
「父上、私は、もう一度リディアと話してみようと思います」
父上が驚いたように目を見開く。
「話せるわけがないだろう! 侯爵家の好意で、我が伯爵家の影響は最小限に抑えられているというのに、今さら何の話だ? 言ってみろ!!」
「私の、公爵家への養子の話を——」
言い終わる前に、父上は大きくため息をついた。
「はぁ……養子? そんなもの、すでに——」
すでに? ぞわり、と背筋が冷たくなる。
言葉を飲み込んだ父上が、吐き出すように一気に言った。
「公爵家の養子の手続きはすでに終わっている。もちろん、お前ではない」
「……終わっている?」
言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
「リディア嬢のクラスメイト、レオナード・ボーモントを知っているだろう。今は、レオナード・モンルージュだ」
「なっ……! あの男が? 子爵令息ですよ! そんな者に、公爵の座が務まるわけが——」
「……お前が落ちた文官試験に、一発合格した男だ」
目の前が真っ白になった。
欠員、辞退……まさか。
「文武両道、公爵夫妻にも気に入られ——ああ、そうだな。お前が公爵になるより、何倍も国のためになる」
信じられない。信じたくない。
「……今更だが、こんなことになるくらいなら、もっと早くにリディア嬢と結婚できないと相談してくれれば……他にやり方も、公爵家は無理でもお前が幸せになる道はあったのに」
父上が深くため息をつく。
「……リディアは、きっと騙されている」
拳を握りしめる。
「やはり父上! 私は会いに行きます!」
レオナード——あの男は、最初から狙っていたのだ。
リディアの友人のふりをしながら、私が破滅するのを待っていたのか。思い返せば心当たりがある。
リディアが絶望したその隙を突き、甘い言葉を囁き、巧みに公爵家の後継者の座に納まったのか。
許せない。
「だから、駄目に決まっているだろう! なぜわからんのだ」
父上が厳しい声で叱責する。
「お前のこれからの処遇は、私が考える。それまで、大人しく部屋に居ろ!」
その日から、見張りが増えた。
だが、ここで終わるつもりはない。
食事を運んできたメイドに、さりげなく情報を聞き出した。
——近日中に夜会が開かれ、そこに、リディアとレオナードが出席するという。
数週間、従順なふりをして、機を待った。
そして、夜会の当日——
静かに部屋を抜け出す。
月明かりの下、街へと足を向ける。そして、馬車を借り、夜会会場へと向かった。
全てを、確かめるために。そして、奪われたものを取り戻すために。
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