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楽歩

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18.王宮の歯車 side宰相

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 side宰相



 機嫌が悪いという報告が上がり、私はサラのもとへ向かった。

 扉を開けると、彼女は椅子に腰かけ、腕を組んだまま、不機嫌な顔でこちらを見ていた。

 私の姿を認めた瞬間、凍てつく視線が突き刺さる。


「セドリック様が、あの女のところに使いって、どういうこと!」

 ……もう耳に入ったか。ずいぶん早い。


「条約の締結のためです。こちらに有利に運ぶには、王太子という身分が必要なのですよ」

「あなたが行けばいいじゃない!」


 思わず口元に笑みが浮かぶ。


「はは、ご冗談を」


 宰相がわざわざ危険な真似をするなど、正気の沙汰ではない。

 サラは唇を尖らせ、再びふてくされたように視線をそらす。


「……あのときのセドリック様を見たでしょう。面白くないわ。絶対あの女に、見惚れていたもの」

 ああ、やはりそこか。

 嫉妬という感情は、年齢も立場も関係なく理屈が通じない。私は小さくため息をついた。



「驚いていただけでしょう。女神の使徒でもあったのですから」

「それもよ! なぜ隠していたの? 一番自慢できることでしょう!」

 机を叩く乾いた音が響き、頬を紅潮させたサラが涙をこらえるように睨み上げてくる。


「とにかく、使者なんか。そうだわ。私も行く。あの女を再び妃になんて言い出さないように、見張らなきゃ」

「それは難しいでしょうね」

「なぜ? 女神の使徒である私が交渉の場にいたほうが有利でしょう?」

 そこで、私は小さく息を吐き、微笑の端をわずかに歪めた。



「――偽物なのに?」



 サラの動きが止まる。指が震え、ゆっくりと耳たぶへ伸びていく。



「忘れているわけではないでしょう。あなたのその耳の紋章は、創られたものだ。何の力も持たない」

 室内に沈黙が落ちた。

 異世界から現れた少女──民は“女神の使徒”の再来だと歓喜した。

 だが、どれほど調べても、体のどこにも紋章は見つからなかった。


「異世界から来たあなたを“女神の使徒”に仕立て上げたのは、私だ。どれほどの金と人を動かしたと思っている? あなたの語る話はすべて伝承にある使徒と同じ。新しい知識も力もない。……はっきり言って、役には立たない」


 冷たい言葉が部屋の空気を凍らせる。

 サラの瞳が大きく見開かれ、やがて伏せられた。その反応を私は冷静に観察する。驚き、羞恥、恐れ。人はそれで従順になる。



「忘れたわけではないわ。あなたが私に女神の使徒の話をし、提案したの。ぱっと見ただけでは分からなかったということにして、耳たぶの裏に紋章があったことにしましょうって」

「ええ、それであなたも納得した」

「そりゃそうよ。何の力もないなら、王宮から出て市井で暮らせって脅されたのですもの。絶対に嫌よ」

「脅すだなんて人聞きの悪い。王太子の婚約者になれたのですから、むしろ感謝してほしいくらいですよ」



 サラは唇を噛み、視線を逸らした。

 素直ではないが、頭は切れる。こちらの意図を即座に理解し、反発を飲み込む判断ができる。

 異世界人にしては上出来だ。少しの虚飾で、王族も民も簡単に彼女を信じた。



「そんな言い方、やめてほしいわ。ばれて困るのは、あなたも同じでしょう?」

「その通りです。だから余計なことはせず、おとなしく王宮にいなさい。……大事な娘を心配してのことです」

「わかりました。――お父様」


 その呼び方も、いまや“娘”としての役の一部にすぎない。

 部屋を出て扉を閉めると、静寂が戻る。


 本物だろうが偽物だろうが、国が彼女を信じ、王が満足すればそれでいい。

 扱いやすい王だ。

 学院で出会った頃から単純だった。少し甘い言葉をかければ、たやすく信頼を寄せてくる。宰相の座を得てしまえば、あとは簡単だった。

 権力を握り、金を流し、要所を押さえる。

 王も王妃も、贅沢と見栄のためなら多少の違和感に目をつぶる。

 この国の舵は、もう誰の手にあるのか。本人たち以外、皆が知っていた。
 
 実に都合がいい。

 金の流れにも、政治の実情にも無関心。だがさすがに、国が荒れ始めてからは頭を抱えていたようだ。

 そんな折に、三年前――ルシアーナ様が現れた。


 面倒ごとを押しつける好機とばかりに、手に負えぬ案件を次々と回してみた。責任を負わせ、やがて潰れるだろうと踏んでいた。

 だが、結果は逆だった。

 書類は寸分の狂いもなく整い、判断は的確、言葉にも一切の無駄がない。

 彼女に任せれば、すべてが秩序を取り戻す。

 ――だが、それは困る。


「有能すぎる者ほど、使いづらいものだ」

 このまま王太子妃などになられては、私の手綱が届かなくなる。

 そんなとき、サラが現れた。

 異世界からの来訪者。

 何も持たず、何も知らぬ娘。まさに“神の采配”とでも言いたくなるほどの好機だった。

 紋章がないことには一瞬焦ったが、修正は容易だった。養子として迎え入れ、“女神の使徒”の名を与え、王太子を焚きつける。案の定、あの若造は滑稽なほど簡単に心を奪われた。



「王太子の義父。はは、次代も思いのままだ」


 そう、すべて順調だった。


 だが、今度は新たな問題が浮上した。新しい国を興す? 本物の女神の使徒? 

 まったく、厄介極まりない。

 この国に“使徒”は必ず二人現れるだと?


 「なんだ、知らなかったのか?」などと王に笑われたときには、さすがに怒りがこみ上げた。

 王族の血を引く者にしか伝えられぬ伝承を、どうして私が知り得るというのか。なぜサラが見つかった時に、それを知らせなかったのか。

 ……まあ、よい。問題はそこではない。

 ルシアーナ様が“本物の使徒”であるなら、もう一人がどこかに存在する。それが、真の脅威だ。


「まずいな……サラは偽物だ。真実が露見すれば、すべてが崩れる。“三人のうち、偽物は誰か”などと詮索された時点で、一巻の終わりだ」

 もし、その“もう一人”がルシアーナ様の側についたら? その瞬間、私が築き上げた計画は音を立てて瓦解するだろう。


「そうなる前に、もう一人を見つけねばならん」


 冷たい夜気を吸い込みながら、歩調をわずかに緩める。街の明かりが遠くに霞み、風が外套の裾を揺らした。


「もし、もう一人が女で……しかも、美しいとしたら」

 唇が、自然と歪む。



「サラなど、もう用済みだ。王太子に新たな駒をあてがえばいい」


 見切りをつけるには、ちょうどいい頃合いだ。最近のサラは主張が強く、扱いづらくなっていた。

 私は足を止め、窓から差し込む月光を仰いだ。

 静かな白光が床を照らし、己の影を長く引き伸ばす。



 その影の先に、私は笑みを落とした。
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