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楽歩

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17.守るべきもの side大公

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 side大公




 扉を叩く音に顔を上げると、ラザフォードが入ってきた。

 手にした瓶を軽く掲げ、いつものように無遠慮な笑みを浮かべている。



「大公、いい酒が手に入ったが、一緒にどうだ?」

「お、いいな。ちょうどルシアーナが買ってきた土産のナッツがある」


 そんな他愛のない言葉を交わしながら、二人で椅子に腰を下ろした。小さな卓に並ぶのは、琥珀色の酒と香ばしいナッツ。

 暖炉の火が静かに揺れ、グラスの中で光が跳ねる。壁に映る影が、ゆらゆらと踊るように揺れた。

 乾杯の音が、静かな部屋に響く。



「しかし、あんなに小さかったルシアーナが、のう?」

「はは、私も似たようなことを言ったら、もう十九だと笑われたよ」

「いや、まだ十九歳だぞ。……よかったのか?」

「……ああ」


 ラザフォードの眉が一瞬、かすかに寄った。

 この男はかつて前王に仕え、誰よりも忠義を尽くした。

 だが現王のやり方に背を向け、王都近くの領地を返上し、わざわざこの地のそばに移り住んだ。不器用で誠実な男だ。

 もし彼が今も王家に仕えていたなら、この国も少しは違っていたのだろうか。

 そんな思いが胸をよぎり、ため息が漏れる。


「大公、貴殿が王では駄目だったのか? 何も、ルシアーナに荷を背負わせずとも」

 ルシアーナを孫のように可愛がってきた彼の声に、責める響きはなかった。
 ただ、悔やむような、祈るような静けさがあった。


「ルシアーナは、生まれながらにして大きな荷を背負っておる。王となることは、その一部なのかもしれぬ」

「だとしても……」


 ラザフォードは言葉を飲み込んだ。

 暖炉の火がぱちりと弾け、再び静寂が満ちる。


「兄が亡くなり、この国のためにと、私も一度は立とうと思った。だが、息子夫婦を意図せず、あの子の両親を失ったとき、心が折れてしまったのだ。泣きじゃくる孫娘を見て、この子だけは守りたい、幸せにしたいと……それだけしか、残らなかった」


 グラスの中で酒が揺れ、光がゆらめく。


「結局、私は一人の幸せしか望めぬ男だ。何を犠牲にしても、民すべてを守る器ではなかったのだろう」


 ラザフォードは黙って杯を傾け、一気に飲み干した。

 その視線の奥に、言葉にならぬ痛みが宿る。

 現王とて決して大きな器ではない。だが、それを認められなかったのだ。


 長い沈黙のあと、ラザフォードはふうと息を吐き、にやりと笑った。





「それはそうと、王配はどうするつもりだ?」


 軽い口調に戻った声が、妙に場を和らげる。グラスをくるりと回しながら、わざとらしく目を細めた。


「まだ早いだろう。ルシアーナはまだ正式な王ではない。それに、婚約を解消したばかりだ」

「何を言う。大事な問題だぞ? 誰でもいいわけではないのだから、早めに考えておかねば」


 まったく、楽しそうに言う。


「実はな、ラザフォード。近隣の国から釣書が多く届いておる」

「なるほどな。承認が早かったのは、つまり、王子か、有力貴族を王配にという腹もあったわけだ。それはそれで厄介だな」

「ふむ、どの国も下心はある。まあ、それだけではあるまいが」


 ルシアーナが王や王妃の代わりに交渉の場に立ち、時には自ら支援物資を取りまとめ、飢えた民のもとへと届けた。

 その事実を、他国が見逃すはずもない。

 飢饉の折には、隣国にまで穀物を融通し、疫病が広まった際には、医師団を派遣して共に立ち向かった。

 彼女のその行動に、いくつもの国が感謝の書簡を寄せた。

 

 琥珀の酒が、ふたりの沈黙をやさしく包み込む。




 夜会の場でも、それは変わらなかった。



 奏者の囁くような小曲が室内を満たす中、王族たちは仮面のように笑っては空っぽな言葉を重ねていた。

 だがルシアーナだけは違う。

 彼女は真っ直ぐ相手国の使節と向き合い、丁寧に、しかし決して弱くはない言葉を尽くした。

 周囲の誰もが見ている。国の行く末が、まだ若い令嬢の手の内にあることを。静かに、しかし確実に理解していたのだ。



「他国もいいが、マルセルはどうだ?」 

 ラザフォードが杯を傾けながら問いかける。


「そうだな、気心も知れているだろうし。だが、少し、頼りなくないか?」

 マルセルは悪い青年ではない。ただ、覚悟が薄い。ルシアーナを支えられるかと問われれば、どうにも心許ない、というのが、本音だった。




「そうか? じゃあ、ユリウスはどうだ。ルシアーナも、案外そのつもりで連れてきたのではないか?」

「いや、しかし、二人とも線を引いているようにも感じないか?」


 あの王宮の中でルシアーナを公然と支持する者が少ない中、味方だったユリウス。

 確かに能力はある。

 しかし二人の間に漂うのは、同志のようなもの、そう思えるのだが。

 互いの瞳に別の何かが映えている、とは見えないな。


「おいおい、貴殿は『誰でも許さん』という感じか?」

「いや、そういうわけでは」


 頑固者呼ばわりする口ぶりに、苦笑が滲む。

「まあ、ルシアーナがきちんと考えているだろう。あの子に任せよう。間違った選択などするまい」

「そうだな」


 手を離す時が近いことは、薄々わかっている。

 だからこそ、信じて見守るしかない。そう自分に言い聞かせるように呟いた。


「そういえば、エミリアの情報では、王太子がこの期に及んでルシアーナを妃にしようと考えているらしいぞ」


 その言葉に、眉がぴくりと動く。

 グラスの中で琥珀色の液体揺れた。


「……それこそ、絶対にありえん」


 美しさに目移りして取り戻したくなったのか。
 愚かしい。手放した宝を、今さら取り戻そうなどという浅慮が許せなかった。



「そうだな。……が、今回の訪問。何か企んでいると思うか?」

「ああ。王太子というより、あの王が、な」


 息子夫婦の不審な死。あの一件は、未だに霧のように晴れない。

 王家が招集された直後に起きた事故──直感が告げていた。それは“偶然”ではないと。悲しみに暮れ、調査が遅れたことを悔やむ夜は未だ多い。

 どれほど掘り下げても、核心には届かなかった。

 

 王太子が王の使いとしてやってくる。

 気を引き締めなければならない。


 ルシアーナに危害が及ばぬよう、王太子の一瞬の表情、呼吸の細かな揺らぎさえ見逃すまいと、心の中で誓った。




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