【完結】これをもちまして、終了とさせていただきます

楽歩

文字の大きさ
20 / 40

20.眠りに誘われる夜

しおりを挟む
 ノックの音がして、扉がわずかに揺れた。続いて、エミリアとマルセルが息を弾ませながら部屋へ入ってくる。

 ふたりの表情は緊張に強ばり、ただ事ではない、そう告げていた。

 その気配が室内に流れ込んだ瞬間、空気が張り詰める。




「判明しました。その腕輪は、隷属の腕輪です」


 エミリアの言葉は、刃物のように鋭く耳へ刺さった。

 隷属?

 その言葉が落ちた途端、腕にはめたばかりの金属が、生き物のように肌へ食い込むような感覚さえする。

 急に、腕輪が何か別のものに変貌したように感じられ、反射的に腕を押さえた。


「王太子の話では、腕輪を付けた直後に目が合った者の命に従う、とのことです。意識や考える力までを奪うものではないようですが……意志の弱い者ほど、強く影響を受けるようです」

 あのとき――必死に、私の目を覗き込もうとしていた理由が、ようやく分かった。

 背筋にぞわりと鳥肌が立つ。


「つまり、腕輪をはめ、意のままにしようとしたということですね」

 マルセルの低い声が静けさを震わせる。

 唇がかすかに強張り、言葉が喉の奥で固まった。


「おそらく、事前に掴んでいた情報通り……王太子は、ルシアーナ様を妃にすることをまだ諦めていなかったのかと」

 気持ち悪いわ。

 怒りとも嫌悪ともつかない感情が、一瞬で胸の底から噴き上がる。吐き捨てたいほどの嫌悪が、鋭く脈打った。





「国の代表同士の会談での所業。断じて見逃せません。抗議の準備をいたします。王太子単独の行動とは思えません。早速、調べに入ります」

 マルセルは険しい表情のまま深く頭を下げ、足音荒く部屋を出ていった。その背に、重い怒りと責務が滲んでいる。

 エミリアは一度深呼吸し、落ち着いた声に戻して続ける。


「解除については、私の方で調べます。心当たりのある魔方陣もいくつかありますので。ただ……精神に関与しているとなると、慎重に進めねばなりませんね。では、失礼いたします」


 扉が静かに閉まり、部屋にひっそりとした空気が戻る。残されたのは、私とユリウス、そしてアンヌの三人だけ。

 静まり返った空間で、ふと口から言葉がこぼれた。



「隷属、ということは、ふふ。今は、ユリウスが私の主ってことね」

 軽く笑ってみせると、ユリウスは眉をひそめ、すぐに真面目そのものの声で返してきた。



「だめですよ」

 その早すぎる反応に、思わず口元が緩んでしまう。



「ねえ、ユリウス。少し命令をしてみてくれない? どのくらい効果があるのか、知っておきたいの」

「だめです、と言いましたよね。精神に関与するのですよ」

「大丈夫よ。私、意志は強い方だもの。それに、何かあってもアンヌがいるし。こんな機会、もうないでしょう? 今後の参考に、ね?」


 アンヌが横で小さく肩をすくめる。止めても無駄と言いたげな表情で。

 ユリウスは観念したように、静かに息を吐いた。



「……特に命じたいことなど、ありませんよ」

「まじめね」

 くすりと笑いながら手で促す。



「なんでもいいのよ、ほら早く」

「仕方ありませんね。それでは、ルシアーナ様。私の横に座って……私が“いい”と言うまで私の目を見てください」


 その瞬間だった。

 身体がふわりと浮いたように軽くなり、考えるよりも先に自然とユリウスの隣へと移動していた。視線が、吸い寄せられるように彼の瞳へ向かう。

 綺麗な目ね。

 静かな湖底のように深く澄み、揺れる光を閉じ込めている。見つめているだけで心が落ち着く不思議な色だ。



「もう、いいですよ、ルシアーナ様。……どうでしたか?」

「そうね。特に嫌な命令ではなかったからかしら? 無理に逆らおうという気は起きなかったわ」

 腕を組み、考えるように首を傾げる。唇がかすかに動いた。



「次は、もっと私が嫌がりそうなものにしてみて」

 ユリウスは困ったように眉尻を下げる。その真面目な表情が妙に可笑しくて、笑みがこぼれた。



「ユリウス様、それでしたら――」

 待ちかねていたようにアンヌが口を挟む。



「ルシアーナ様に、今日は早く寝るよう命令してください。今日もこの後お仕事をなさるつもりなんです。何度言っても聞いてくれなくて、このままじゃ倒れます」

「アンヌったら。駄目よ、今日の仕事は今日のうちに片づけなきゃ」

「ああ、なるほど。またですね?」

 ユリウスがふっと懐かしげな笑みを漏らす。柔らかな光が瞳の奥で揺れた。



「ルシアーナ様、昔も同じようなことを言って、倒れたことがありましたよね」

 覚えているのね。忘れてくれていいのに。

 

「仕事は私が明日手伝います。今日は今すぐ部屋に戻り、準備を終えたら、まっすぐベッドに行って、朝までぐっすり寝てください」

 その言葉が落ちたとたん、身体が扉の方へ向かって動き出した。意志が糸で引かれているような、不思議な感覚。

 さっきまで「仕事を終わらせなきゃ」と考えていたのに、今は「寝なきゃ」に上書きされている自分がいる。

 アンヌが扉を開けると、背中へユリウスの柔らかな声が届く。



「ルシアーナ様、今日は素敵な夢を見てくださいね」

 その声は温かい風のようで、胸に柔らかく沁みた。


 廊下に出ると、月灯りが長い影を伸ばした。石畳に響く足音が静かな夜気に溶けていく。



「アンヌ、覚えてらっしゃい」

「ふふ、そんなことおっしゃるなら、明日ユリウス様に、私のことを許すよう命じてもらいますね」

 アンヌはくすくす笑いながら肩を揺らす。その軽さが、夜の静寂を少しだけやわらげた。

 歩きながらふと思いがよぎる。


 ――隷属の腕輪と、私の“言葉の力”の違いって、何なのだろう?

 考えるほどに、その線は曖昧になる。




 部屋へ戻り、眠る支度を整える。ベッドに横になった瞬間、糸が切れたように意識がふっと沈んでいった。


 ――ルシアーナ様、今日は素敵な夢を見てくださいね――



 その囁きだけが、優しく残響する。

 先ほどまでの恐ろしさは、どこかへ消えていた。



「私だけだと、なんだか悪いわね」

 小さく呟き、まぶたを閉じる。


『女神を愛する者たちに、今日は素敵な夢が訪れる』

 ふっと微笑み、胸いっぱいの安堵とともに、静かな眠りへ落ちていった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

選ばれなくてよかったと、今は思います

たくわん
恋愛
五年間の婚約を、一夜で破棄された。 理由は「家格の不一致」。 傷ついた翌朝、私は泣くのをやめて仕事着を着た。 王立文書院の渉外部職員として、今日も書類と向き合う。それだけでいいと思っていた。 出勤すると、一枚の張り紙があった。 新長官着任。エドワード・ヴァルツ・シュタイン侯爵。 昨夜の晩餐会で、遠くに座っていた「氷の侯爵」がそのまま上司になった。 彼は口数が少なく、笑わず、感情を見せない。 でも仕事の評価だけは正確だった。 「君の報告書は読みやすい」「渉外部はあの職員が要になっている」——誰かに選ばれたくて生きてきたわけではないのに、仕事を通じて初めて、自分の輪郭がはっきりしてくる気がした。

「『お前に書く手紙などない』と言った婚約者へ、私は7年間手紙を書き続けた——ただし、届け先は別の人でした」

歩人
ファンタジー
辺境伯令嬢リゼットは、婚約者に7年間手紙を書き続けた。返事は一度もなかった。 「お前に書く手紙などない。顔も覚えていない」——婚約破棄。しかしリゼットは 泣かなかった。手紙の本当の届け先は、最初から別にあったから。前世の情報分析 能力で辺境の異変を読み解き、暗号として織り込んだ7年分の手紙。それを受け取り 続けていたのは第一王子。リゼットは誰にも知られず、王国を守っていた。 婚約破棄の翌朝、王子からの手紙が届く。「7年間、ありがとう。迎えに行く」

「貧相な小娘」と罵った第一王子へ。番(つがい)は貴方ではなく、国王陛下(お父様)でした

しえろ あい
恋愛
「お父様、わたくし、あの方と目が合った瞬間、分かってしまったのです」 十六歳のデビュタントの夜、ルーセント侯爵令嬢フェリシアを待っていたのは、残酷な罵倒だった。第一王子カシウスは、可憐な白いドレスを纏った彼女を「貧相な小娘」と呼び、己の番(つがい)であることを真っ向から否定する。 会場に響く冷笑と、愛用の刺繍に込めた自信さえ打ち砕くような屈辱。しかし、絶望の淵に立たされた彼女を見つめていたのは、王子ではなく、圧倒的な威厳を放つ「ある男」だった。 魂を焦がすような熱い視線が重なり、静まり返る謁見の間。この出会いが、王室を揺るがす大事件の幕開けになるとは、まだ誰も知らない。自身の価値を否定された少女が、真実の愛によって世界で最も幸福な王妃へと駆け上がる、逆転溺愛ストーリー。 ※小説家になろう様にも投稿しています※

私の人生に、おかえりなさい。――都合のいい「お姉ちゃん」は、もうどこにもいません

しょくぱん
恋愛
「お姉ちゃんなんだから」 ――それは私を縛る呪いの言葉だった。 家族の醜い穢れを一身に吸い込み、妹の美しさの「身代わり」として生きてきた私。 痛みで感覚を失った手も、鏡に映らない存在も、全ては家族のためだと信じていた。 でも、、そんな私、私じゃない!! ―― 私は、もう逃げない。 失われた人生を取り戻した今、私は、私に告げるだろう。 「私の人生に、おかえりなさい。」

【商業企画進行中・取り下げ予定】さようなら、私の初恋。

ごろごろみかん。
ファンタジー
結婚式の夜、私はあなたに殺された。 彼に嫌悪されているのは知っていたけど、でも、殺されるほどだとは思っていなかった。 「誰も、お前なんか必要としていない」 最期の時に言われた言葉。彼に嫌われていても、彼にほかに愛するひとがいても、私は彼の婚約者であることをやめなかった。やめられなかった。私には責務があるから。 だけどそれも、意味のないことだったのだ。 彼に殺されて、気がつけば彼と結婚する半年前に戻っていた。 なぜ時が戻ったのかは分からない。 それでも、ひとつだけ確かなことがある。 あなたは私をいらないと言ったけど──私も、私の人生にあなたはいらない。 私は、私の生きたいように生きます。

妾の子だからといって、公爵家の令嬢を侮辱してただで済むと思っていたんですか?

木山楽斗
恋愛
公爵家の妾の子であるクラリアは、とある舞踏会にて二人の令嬢に詰められていた。 彼女達は、公爵家の汚点ともいえるクラリアのことを蔑み馬鹿にしていたのである。 公爵家の一員を侮辱するなど、本来であれば許されることではない。 しかし彼女達は、妾の子のことでムキになることはないと高を括っていた。 だが公爵家は彼女達に対して厳正なる抗議をしてきた。 二人が公爵家を侮辱したとして、糾弾したのである。 彼女達は何もわかっていなかったのだ。例え妾の子であろうとも、公爵家の一員であるクラリアを侮辱してただで済む訳がないということを。 ※HOTランキング1位、小説、恋愛24hポイントランキング1位(2024/10/04) 皆さまの応援のおかげです。誠にありがとうございます。

白い結婚で結構ですわ。愛人持ちの夫に興味はありません

鍛高譚
恋愛
公爵令嬢ルチアーナは、王太子アルベルトとの政略結婚を命じられた。だが彼にはすでに愛する女性がいた。そこでルチアーナは、夫婦の義務を果たさない“白い結婚”を提案し、お互いに干渉しない関係を築くことに成功する。 「夫婦としての役目を求めないでくださいませ。その代わり、わたくしも自由にさせていただきますわ」 そうして始まった王太子妃としての優雅な生活。社交界では完璧な妃を演じつつ、裏では趣味の読書やお茶会を存分に楽しみ、面倒ごととは距離を置くつもりだった。 ——だが、夫は次第にルチアーナを気にし始める。 「最近、おまえが気になるんだ」 「もっと夫婦としての時間を持たないか?」 今さらそんなことを言われても、もう遅いのですわ。 愛人を優先しておいて、後になって本妻に興味を持つなんて、そんな都合の良い話はお断り。 わたくしは、自由を守るために、今日も紅茶を嗜みながら優雅に過ごしますわ——。 政略結婚から始まる痛快ざまぁ! 夫の後悔なんて知りませんわ “白い結婚”を謳歌する令嬢の、自由気ままなラブ&ざまぁストーリー!

誰からも愛されない悪役令嬢に転生したので、自由気ままに生きていきたいと思います。

木山楽斗
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢であるエルファリナに転生した私は、彼女のその境遇に対して深い悲しみを覚えていた。 彼女は、家族からも婚約者からも愛されていない。それどころか、その存在を疎まれているのだ。 こんな環境なら歪んでも仕方ない。そう思う程に、彼女の境遇は悲惨だったのである。 だが、彼女のように歪んでしまえば、ゲームと同じように罪を暴かれて牢屋に行くだけだ。 そのため、私は心を強く持つしかなかった。悲惨な結末を迎えないためにも、どんなに不当な扱いをされても、耐え抜くしかなかったのである。 そんな私に、解放される日がやって来た。 それは、ゲームの始まりである魔法学園入学の日だ。 全寮制の学園には、歪な家族は存在しない。 私は、自由を得たのである。 その自由を謳歌しながら、私は思っていた。 悲惨な境遇から必ず抜け出し、自由気ままに生きるのだと。

処理中です...