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楽歩

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29.玉座に射す影 side 国王

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 side 国王

「……まだか!」


 玉座の間に、苛立ちの声が響きわたった。

 昼をとうに過ぎても、何ひとつ報告はない。



「はい、陛下。城門を監視している兵からの連絡は、いまだ、届いておりません」

 侍従長の声が、空気の張り詰めた部屋に静かに響いた。


おかしい。刻限はとうに過ぎている。約束の時刻を考えれば、ルシアーナ一行は、今ごろ城門をくぐっているはずだ。

 待たせてやるつもりが、まさかこちらが待たされるとは。

 頭に不快な熱がこもり、思わず握りしめた玉座の肘掛は、きしっと鳴った。

「まさか、すっぽかすつもりか?」

 低く吐き捨てる。



「はっ! それならそれで構わぬ。こちらに有利になるだけだ」

 自然と、口角が吊り上がった。

 外交の場での遅刻ほど、印象を悪くするものはない。

 信用を削り、評判を地に落とす絶好の機会、そう考えた、そのときだった。


 空気が、変わった。

 ぞくり、と背筋を這い上がる魔力の波。次の瞬間、床が淡く光り、複雑な魔法陣が浮かび上がる。

「な……っ!」

 眩い光が弾け、金属が擦れるような音が耳を刺し、耳を押さえる。


 転移魔法……!? この城の防護結界を外から突破し、ここに? そんな馬鹿な!

 よりにもよって玉座の間のど真ん中に、人影が幾つも現れる。

 ルシアーナ、大公、ユリウス、ラザフォードと数名――主要どころが、勢揃いと言うわけか。

 光が静まる。

 そこに立っていたのは、金糸のように輝く髪を持つ女。艶やかな笑みと、何かを見透かすように凛とした金の眼差し。ルシアーナ。

「待たせたかしら?」

 ルシアーナは、劇場の主役のように微笑んだ。


 その一歩ごとに空気が押し出されるように揺れ、兵士たちは無意識に足を引いた。


 後ろにいるのは、侍女、アンヌ。以前、ルシアーナを一瞬で送り返した、あの異常な速度と理不尽なほど強引な転移が、思い出される。

 今回も……。やはり力のある魔術師だったか。

 冷たい汗が、背を一筋に流れた。


 
 表情を崩さぬよう、ゆっくりと玉座にもたれ直す。



「――いや、時間通りだ」

 静かに言い放ち、用意された椅子を示す。

 玉座の間を覆う空気は重いな、ルシアーナは堂々としている。ここが自分のテリトリーであるかのように。



「まずは、王太子の解放を願おう」

 切り出すと、ルシアーナはちらりと後ろの王太子を見た後、唇に笑みを乗せ、片眉をふわりと持ち上げた。



「かまわないわ。ただ飯ぐらいで役にも立たないもの。見返りなしで差し上げるわ」


 その瞬間、玉座の間にざわめきが走った。

 不要になった玩具でも「はいどうぞ」と投げ捨てるかのような口ぶり。

 縄を解かれた王太子が、たまらずこちらへ駆け寄ってくる。



「父上、私は――!」

「うるさい、黙れ!」


 私の怒声が玉座の間を鋭く裂いた。

 王太子の顔が引きつり、悔しさと羞恥が混ざった顔をする。


 しかし、私は冷ややかに言い捨てる。



「お前は何も言わず、座っていろ」


 王太子は唇を噛んで俯き、サラの傍へ退いた。


……この愚か者が。国の恥をさらしおって。

 ルシアーナの目が、愉快そうに細められる。



「王太子の件については、私からも詫びよう。教育を誤ったようだ」


 その一言に、王太子が椅子を乱暴に立ち上がる。しかし、宰相が背後から静かに肩を押さえつけた。

 

 玉座の間の中央で、視線と沈黙が交差する。




「しかし、報復だとしても、民を誘拐するとは。あまりに度を越している。やりすぎたな、ルシアーナ。断固、抗議する」

 ルシアーナは肩をひとつすくめた。



「まあ、民は自らの意思で我が国に来たのですわ。――ガレス、あれを」


 軽い合図とともに、背後の騎士が前に出る。恭しく礼をし、巻かれた紙束を差し出した。細い帯でまとめられ、一枚一枚に名前が記されている。


「これは何だ」

「我が国の民となることを希望している者たちの署名ですわ」

「笑わせるな。民の書字率は低い。署名などできぬ者も多いのだ」



 皮肉を返すと、ルシアーナはかえって穏やかに微笑む。



「書けぬ者には、代筆を」

 何とでも言える……!



「こんなもの、本当かどうかも分からん。民を一度帰せ。私が耳で聞き、目で確かめるまでは信じるわけにはいかん。それに、サラが申しておる。お前が“呪い”を吐いたと」

 私はサラへと視線を向ける。



「はい、そうです! 民の意識を奪い、無意識のまま魔方陣へ導く、恐ろしい言葉を……!」

 その叫びに、家臣たちが一斉にざわめいた。



「なんと恐ろしいことを……」
「女神の力をそんなことに――!」
「罰が下るぞ!」


 重なる憤りで玉座の間の空気がざわつく。

 だがルシアーナは、その中心で微笑みを欠片も崩さない。



「ルシアーナ様、その署名だって、脅して書かせたのでしょう? ああ……女神を愛する者たちの嘆き声が、ここにも届いくよう。きっと彼らは、粗末に扱われているのでしょうね」

「そんなことはありません。私が証人です」


 声を上げたのは、ルシアーナの傍らに立つ男――見覚えのある顔。

 ああ、我が国の元騎士団長だ。

 なんてやつだ、裏切ったのか……。



「お前は、たしか我が国の騎士団長だったな」

「はい。私も兵も、人間らしい生活をしております。何も、不自由なく」

「嘘だ! 私は牢に入れられた!」



 王太子が叫ぶ。サラが王太子を慌てて宥め、優しげな顔で騎士団長に問う。



「騎士団長様……あなた、脅されているのね? 大丈夫、嘘をつかなくてもいいわ」

 だが、騎士団長は静かに首を横に振る。



「違います。本当です」

「ああ、ルシアーナ様。あなた、この方に暗示でもかけたのね。あなたに都合のいい虚偽の言葉を吐くように、女神の力を使って。同じ女神の使徒として、あなたを恥ずかしく思います」

 サラの言葉にルシアーナはふっと笑った。



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