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37.小さなざわめき
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盛大な載冠式を終えたのち、私は新たな国の役職任命という現実の場へ向かうため、案内に従い別室へと足を運んだ。
重厚な扉が低い音を立てて閉じられる。
その瞬間、外から聞こえていた祝福の拍手や音楽は断ち切られ、華やかな余韻は一気に消えた。
ここは、祝宴の場ではなく、これからの国を語るための場だ。
マルセルが一歩前へ進み、恭しく頭を下げた。
「役職を決める前に、一つご報告を」
「何かしら?」
「王と王妃の足取りについてです」
私は、わずかに息を吐き、背もたれに身を預けた。
あの日――二人は、王太子を置き去りにして逃げた。
王として、親として、あり得るはずのない最悪の選択。
怒りよりも先に込み上げたのは、どうしようもない失望だった。
「依然として、行方はつかめておりません。王太子殿下も心当たりがないようで……ただ、かなり衰弱されているご様子です。毎日、神殿の祭壇で祈りを捧げているとか」
「……そうでしょうね」
私は、乾いた笑みを浮かべた。
「自分だけは見捨てられない、と信じていたのでしょうから」
沈黙が、肯定のように落ちる。
王も、王妃も、責任を投げ捨てた。
それでいて、息子だけは当然のように守られると思っていたのだとしたら、あまりにも、傲慢だ。
城の庇護もなく、臣下の忠誠もなく。
王冠を外した瞬間、彼らはただの無力な人間に過ぎない。
「王妃の実家に立ち寄った形跡もなく、消息は完全に途絶えております。ただ――」
「ただ?」
マルセルの声がわずかに詰まり、空気が張りつめる。
「“異世界の女神が現れた”とされる伝承の泉の近くで、王の指輪が発見されました」
私は、ゆっくりと目を細めた。
――別の世界へとつながるとされる泉。
都合のいい逃げ道として、どれほど甘美に映ったことだろう。行ったところでどうにかなるとでも思ったのかしら。いや、こちらの世界から誰かが行ったという記録すら残っていないというのに。
「異世界に救いを求めたのかしら。それとも」
私は、淡々と言葉を継ぐ。
「その場で、野盗に襲われて全てを失ったのか」
どちらにせよ、同情する理由はなかった。
守るべきものを捨てた者が、自分だけは守られると信じた報いだ。
「引き続き、捜索は続けます」
「ええ、そうね」
冷たく言い切る。だが、すでに結論は出ていた。
彼らが再び“王”として、いや、生きて姿を現すことは、二度とない。
『女神の名のもとに、その姿を現しなさい』
『女神よ、迷い子の影を照らし給え』
『逃れし者の影を暴き、全てを白日のもとに――』
どれほど祈りの言葉を重ねても、応えはなかったのだから。
生きてはいないだろう。
もはや、それを知る意味すらないが。
沈黙が、裁きのように積もり始めた、そのとき重たい空気を打ち破るように、明るい声が室内に響いた。
「私からも一つ、いいかしら」
エミリアが含みのある笑顔を浮かべて言う。
「アンヌのことよ。結局、女神の使徒であることを公表しなかったじゃない」
「また、その話ですか? エミリア様、何度言われても公表しませんよ」
アンヌが少しむくれたように返す。その頬の紅潮が、どこか幼くて可笑しかった。
「まあ、それはいいのよ。でもね、今後、ばれないとは限らないでしょう? アンヌに身分も後ろ盾も無いのは少し危ういわ。だから――」
エミリアはにっこりと笑った。
「アンヌは、私の娘にすることにしたの」
「え?」
アンヌがぽかんと目を見開く。室内の空気が一瞬止まり、次の瞬間、アンヌの瞳がうるんだ。
「アンヌ……。“え?” って何? いやなの?」
「い、いいえ! 本当に? 本当によろしいのですか?」
「もちろんよ」
エミリアは柔らかく微笑む。その眼差しには、母のような温かさが宿っていた。アンヌも長い間、彼女を母のように慕ってきた。
「ずっと考えていたの。いつ切り出そうか、時期を見計らっていただけよ。断ったら、今日からの訓練は倍ね」
「ふふ、断りません。嬉しいです」
アンヌは目尻をぬぐいながら笑った。私はふと、からかうように口を開く。
「よかったわね、アンヌ。これで、想い人との身分差はなくなったわね」
「ルシアーナ様っ!!」
顔を真っ赤にして、思わず叫ぶアンヌ。両手で頬を押さえ、飛び上がりそうな勢いだ。
「あら? 内緒だった? でも、ほとんど皆知っているわよ?」
室内のあちこちから、笑い声が漏れる。
数人だけがまだ事情を知らず、互いに顔を見合わせてそわそわしている。
アンヌの頬はさらに紅くなり、視線を床に落として小さく震えていた。
その様子を見て、私も思わず微笑んだ。
「では進めましょうか、マルセル」
「え? は、はい! そうですね、進めましょう。まずはルシアーナ様から、それぞれの役職についてお話しいただきます」
私はお祖父様に相談して事前に決めていた役職を順に説明していった。思った通り、ラザフォードは笑って首を振る。「新しい国に、頭の固い私は必要ないでしょう」と。
「では次はユリウスね。ユリウスには二つの役職から選んでもらうことにするわ」
「二つから選ぶのですか?」
「そう。この国の宰相か、王配か。どちらかを選んでほしいの」
「宰相か、王配……」
ユリウスは驚いた表情を見せた後、不意にマルセルの方を見た後、間を置いて私を見る。
「ルシアーナ様、いえ、王よ。あなたは、どちらを望まれますか?」
「王配よ」
私がそう答えると、ユリウスはすっと頷いた。
「わかりました。では、王配を承ります」
「ありがとう。では、次はマルセルの役職だけど……」
そのとき、ガレスが慌てて声を挙げた。
「い、いや、待て。じゃなかった、ちょっと待ってください」
「何かしら? 王配に反対なの?」
少しむっとしながらガレスの方を向く。
「いや違う。あー、賛成です。大賛成ですがが……その……なあ?」
皆に目配せしてもたもたするガレスの様子に、私は少し首をかしげた。言葉を探しているらしいけれど、何を言いたいのか分からないわ。
「そうね、もっとこう……ね」
「たしかに、あっさりというか、なんというか」
「思っていたのと違うというか……」
ささやき声や小さなざわめきが広間に広がる。どうやら少し戸惑っているようだ。
「ああ、そうだな……一度休憩することにするのはどうだろう、ルシアーナ」
お祖父様が、あきれたように呟く。あと少しで終わるのに、なぜ今休憩なのかしら。
「そうですね、いったん休憩しましょう」
マルセルまで同意する。
「おお、そうだ、ユリウス。休憩がてら、王と一緒に散歩に行くといいぞ」
皆にせかされ、私たちは部屋を出た。ユリウスと目が合う。ユリウスは、なぜ部屋を出されたのか分かっているようで、曖昧に笑っている。
「せっかくだから、散歩に行きましょうか」
自然に口をついて出た言葉に、彼はそっと手を差し出した。迷わず私はその手を取った。
重厚な扉が低い音を立てて閉じられる。
その瞬間、外から聞こえていた祝福の拍手や音楽は断ち切られ、華やかな余韻は一気に消えた。
ここは、祝宴の場ではなく、これからの国を語るための場だ。
マルセルが一歩前へ進み、恭しく頭を下げた。
「役職を決める前に、一つご報告を」
「何かしら?」
「王と王妃の足取りについてです」
私は、わずかに息を吐き、背もたれに身を預けた。
あの日――二人は、王太子を置き去りにして逃げた。
王として、親として、あり得るはずのない最悪の選択。
怒りよりも先に込み上げたのは、どうしようもない失望だった。
「依然として、行方はつかめておりません。王太子殿下も心当たりがないようで……ただ、かなり衰弱されているご様子です。毎日、神殿の祭壇で祈りを捧げているとか」
「……そうでしょうね」
私は、乾いた笑みを浮かべた。
「自分だけは見捨てられない、と信じていたのでしょうから」
沈黙が、肯定のように落ちる。
王も、王妃も、責任を投げ捨てた。
それでいて、息子だけは当然のように守られると思っていたのだとしたら、あまりにも、傲慢だ。
城の庇護もなく、臣下の忠誠もなく。
王冠を外した瞬間、彼らはただの無力な人間に過ぎない。
「王妃の実家に立ち寄った形跡もなく、消息は完全に途絶えております。ただ――」
「ただ?」
マルセルの声がわずかに詰まり、空気が張りつめる。
「“異世界の女神が現れた”とされる伝承の泉の近くで、王の指輪が発見されました」
私は、ゆっくりと目を細めた。
――別の世界へとつながるとされる泉。
都合のいい逃げ道として、どれほど甘美に映ったことだろう。行ったところでどうにかなるとでも思ったのかしら。いや、こちらの世界から誰かが行ったという記録すら残っていないというのに。
「異世界に救いを求めたのかしら。それとも」
私は、淡々と言葉を継ぐ。
「その場で、野盗に襲われて全てを失ったのか」
どちらにせよ、同情する理由はなかった。
守るべきものを捨てた者が、自分だけは守られると信じた報いだ。
「引き続き、捜索は続けます」
「ええ、そうね」
冷たく言い切る。だが、すでに結論は出ていた。
彼らが再び“王”として、いや、生きて姿を現すことは、二度とない。
『女神の名のもとに、その姿を現しなさい』
『女神よ、迷い子の影を照らし給え』
『逃れし者の影を暴き、全てを白日のもとに――』
どれほど祈りの言葉を重ねても、応えはなかったのだから。
生きてはいないだろう。
もはや、それを知る意味すらないが。
沈黙が、裁きのように積もり始めた、そのとき重たい空気を打ち破るように、明るい声が室内に響いた。
「私からも一つ、いいかしら」
エミリアが含みのある笑顔を浮かべて言う。
「アンヌのことよ。結局、女神の使徒であることを公表しなかったじゃない」
「また、その話ですか? エミリア様、何度言われても公表しませんよ」
アンヌが少しむくれたように返す。その頬の紅潮が、どこか幼くて可笑しかった。
「まあ、それはいいのよ。でもね、今後、ばれないとは限らないでしょう? アンヌに身分も後ろ盾も無いのは少し危ういわ。だから――」
エミリアはにっこりと笑った。
「アンヌは、私の娘にすることにしたの」
「え?」
アンヌがぽかんと目を見開く。室内の空気が一瞬止まり、次の瞬間、アンヌの瞳がうるんだ。
「アンヌ……。“え?” って何? いやなの?」
「い、いいえ! 本当に? 本当によろしいのですか?」
「もちろんよ」
エミリアは柔らかく微笑む。その眼差しには、母のような温かさが宿っていた。アンヌも長い間、彼女を母のように慕ってきた。
「ずっと考えていたの。いつ切り出そうか、時期を見計らっていただけよ。断ったら、今日からの訓練は倍ね」
「ふふ、断りません。嬉しいです」
アンヌは目尻をぬぐいながら笑った。私はふと、からかうように口を開く。
「よかったわね、アンヌ。これで、想い人との身分差はなくなったわね」
「ルシアーナ様っ!!」
顔を真っ赤にして、思わず叫ぶアンヌ。両手で頬を押さえ、飛び上がりそうな勢いだ。
「あら? 内緒だった? でも、ほとんど皆知っているわよ?」
室内のあちこちから、笑い声が漏れる。
数人だけがまだ事情を知らず、互いに顔を見合わせてそわそわしている。
アンヌの頬はさらに紅くなり、視線を床に落として小さく震えていた。
その様子を見て、私も思わず微笑んだ。
「では進めましょうか、マルセル」
「え? は、はい! そうですね、進めましょう。まずはルシアーナ様から、それぞれの役職についてお話しいただきます」
私はお祖父様に相談して事前に決めていた役職を順に説明していった。思った通り、ラザフォードは笑って首を振る。「新しい国に、頭の固い私は必要ないでしょう」と。
「では次はユリウスね。ユリウスには二つの役職から選んでもらうことにするわ」
「二つから選ぶのですか?」
「そう。この国の宰相か、王配か。どちらかを選んでほしいの」
「宰相か、王配……」
ユリウスは驚いた表情を見せた後、不意にマルセルの方を見た後、間を置いて私を見る。
「ルシアーナ様、いえ、王よ。あなたは、どちらを望まれますか?」
「王配よ」
私がそう答えると、ユリウスはすっと頷いた。
「わかりました。では、王配を承ります」
「ありがとう。では、次はマルセルの役職だけど……」
そのとき、ガレスが慌てて声を挙げた。
「い、いや、待て。じゃなかった、ちょっと待ってください」
「何かしら? 王配に反対なの?」
少しむっとしながらガレスの方を向く。
「いや違う。あー、賛成です。大賛成ですがが……その……なあ?」
皆に目配せしてもたもたするガレスの様子に、私は少し首をかしげた。言葉を探しているらしいけれど、何を言いたいのか分からないわ。
「そうね、もっとこう……ね」
「たしかに、あっさりというか、なんというか」
「思っていたのと違うというか……」
ささやき声や小さなざわめきが広間に広がる。どうやら少し戸惑っているようだ。
「ああ、そうだな……一度休憩することにするのはどうだろう、ルシアーナ」
お祖父様が、あきれたように呟く。あと少しで終わるのに、なぜ今休憩なのかしら。
「そうですね、いったん休憩しましょう」
マルセルまで同意する。
「おお、そうだ、ユリウス。休憩がてら、王と一緒に散歩に行くといいぞ」
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