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楽歩

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36.女神の光と王冠

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 朝の陽光は古城の塔の頂まで澄み渡り、青空は新しい時代の幕開けを祝福するように輝いていた。

 花々が咲き誇る庭園からは風に乗って花の香りが届き、遠くでは祝砲の音が低く響いた。


 そんな晴れやかな朝、今日は載冠式が行われる。

 アンヌが静かに身支度を手伝ってくれていた。



 「アンヌ、まだ間に合うわよ。今日私が王になったとき、あなたには同じ女神の使徒として私の隣に立ってほしいの」


 鏡越しに微笑みかける。アンヌの披露を考えて、彼女のための華やかなドレスも用意してある。



「もう、ずっと言っているじゃないですか。お断りします。目立ちたくないのです」

「何も話さなくていいのよ。隣に立っているだけで」


 アンヌは、私の髪をとかしながら困ったように笑う。



「私、緊張するので、そういうのは無理なんです。ルシアーナ様にお任せです。それに、目立ったら……私を捨てた親が名乗り出て、面倒なことになるかもしれないじゃないですか」

「守ってあげられるわ」


 私の言葉に、アンヌは静かに首を振った。


「異世界の女神の使徒の伝承。もう一人の女神の使徒も、民には伝わっていないじゃないですか。きっと私と同じだったと思いますよ。はい、もうこの話は終わりです」


 そう言って微笑むアンヌの顔を、私はしばらく見つめていた。



 アンヌは知らない。

 
 伝承に語られる“もう一人の女神の使徒”は、辺境の小さな男爵家に生まれた令嬢だったという。

 荒野に囲まれた地。冬は雪が深く、春は風が強い。そんな寂しい土地に、私と同じく女神の紋章を舌に宿した赤子が生まれた。

 乳母が最初にそれを見つけ、驚きのあまり泣き出したと記録に残っている。

 “神の子がこの地に降りた”、その噂は瞬く間に広がり、男爵家は信者と好奇の目で溢れかえった。

 彼女は幼いころから祈りと礼儀を叩き込まれたという。


 「神の御声を代弁するための訓練」と称して、たくさんの言葉を試すことを強いられ、誤れば叱責された。声がかれて出なくなったことも一度や二度ではなかった。

 
 幼子にふさわしい自由は、与えられなかった。


 けれど、彼女は幼いながらも周囲の期待に応えようとした。神官の言葉を暗記し、夜ごと冷たい聖堂で祈り続けた。


 ――だが、祝福はやがて呪いに変わる。



 両親は、娘が“神に選ばれた証”を持つことを誇りながら、その力を家の繁栄に利用しようとした。

 訪ねてくる貴族や神官の前で、少女に加護を乞わせ、奇跡を起こすよう迫った。

 できなければ、食事すら与えられなかったと記されている。

 彼女は次第に口を閉ざすようになった。舌に宿る印を、呪われた鎖のように感じていたのかもしれない。

 ある夜、彼女は母にこう問うたという――


「女神は本当にこんなこと望んでいるの?」


 だが、その問いに答える者はいなかった。家族は沈黙を従順と誤解し、娘の声が失われつつあることに気付かなかった。


『女神を利用しようとする者の前で、声を出すことはできない』


 皆が寝静まった深夜。彼女は、そう一言つぶやいた。

 そして、彼女は、その日から言葉を失った。


 朝の祈りのとき、呼びかけられても返事をせず、唇は動いても声は出なかった。やがて沈黙は彼女を包み、世界と自分を隔てる壁になった。それは恐怖でも反抗でもなく、静かな絶望の形。

 両親は失望し、娘を「加護を失った」と言い放ち、屋敷の奥に閉じ込めた。春の日差しが差す中庭の花も、彼女の部屋には届かなかったという。


 その記録を読むたび、胸が痛んだ。

 

 けれど、その伝承の結びは悲劇ではない。


 異世界から来たもう一人の女神の使徒が、彼女に手を差し伸べたのだ。

 その人は太陽のように明るく、どんな沈黙にも怯まず、ただ笑ってそばにいたという。その優しさに触れ、令嬢は少しずつ言葉を取り戻していった。


 私は、鏡越しに見上げた。

 
「……アンヌ」


 呼びかけると、彼女は手を止め、穏やかな笑みを浮かべた。光が彼女の髪を透かし、柔らかく輝いている。

 

「式典の準備ができました。ルシアーナ様、移動をお願いします」

 侍従の声に導かれ、立ち上がる。外へ出ると、陽光がまぶしく私を照らした。



 女神の銅像のある広間に着くころには、空はさらに澄み渡り、ステンドグラスを透けた光が、足元に七色の道を描いていた。

 広間の両脇には、整然と並ぶ貴族たちと神殿の司祭たち。


 金糸で刺繍された礼服の裾が光を受けて微かに揺れ、ざわめきひとつなく、空気は祈りのように静まり返っている。

 進むたび、衣の裾が床をかすめる音が静寂に溶ける。神官が厳かな声で聖句を唱え始める。


「――女神の恩寵、この地に再び満ちることを」


 声が響くたび、空気が揺れるように感じた。中央の祭壇には、新しい王家の紋を刻んだ金の冠が置かれている。

 私は跪き、両手を胸に重ねる。

 神官長が冠を持ち上げ、荘厳な口調で宣誓文を読み上げる。


「この日より、女神の使徒たる者、ルシアーナ・アイゼンベルクは、ヴァルデニア国王の座に立つ。女神の導きと慈愛をこの地に示し、民を護り、真なる光をもたらす者なり」


 冠が静かに頭上に置かれた瞬間、広間に差し込む光が一段と強くなる。ステンドグラスの女神が微笑んでいるように見えた。

 外からは、祝砲とともに民の歓声が上がる。



『女神の名において、この国に誓う。民に希望を与え、闇に迷う者を導くことを。この地に生きるすべての者が、恐れではなく、祈りと共に明日を迎えられるように』


 声が広間に響いた。その瞬間、冠に宿る宝石が虹色の光を放った。女神が即位を祝福しているかのようだった。








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