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第一章 名医の条件、仁医の条件
アンジュの危機
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星屑の海の中に三つの満月が浮かんでいる。
まるで黒い布の上に無数の宝石を散らしたようだ。
今夜は三つ子月。
空燃えの始まりを告げる夜であり、月が最も美しく輝く時だ。
温い風と囁くような葉音。
虫の声に空燃えの色が交じり、小川がせせらぎを奏でている。
幸か不幸か、松明と物騒な気配が場所を示した。
桔梗は一心不乱にそこを目指し、やがて壁にぶつかったようにビタッ!と止まる。
「ひっ、っ!」
悲鳴を上げかけ、慌てて口を押さえる桔梗。
近くで山賊とセシリャの護衛が戦っているからだ。
どちらに見付かっても巻き込まれる。
セシリャは大きな松明の傍に腹を抱えて倒れており、その足下にアンジュがグッタリとしている。
『セシリャさんっ、アンジュッ、まさか死っ』
桔梗はセシリャに駆け寄って右手首に触れた。
指先を力強い脈拍が打つ。
失神しているだけだ。
桔梗の足から力が抜け、次いで崩れるように座り込む。
「良かった、ホントに良かっ………、なっ、どっ、血?」
彼女の右手にヌルリとした物が付いている。
桔梗は慌てて目線を動かし、それを見て息を呑んだ。
アンジュの前足の被毛が黒くなっており、そこから大量の血が流れている。
意識も呼吸も弱く、このままでは死んでしまう。
「アンジュッ!」
桔梗はアンジュに飛び付き、その怪我を見てパニックを起こした。
顔が白くなり、両手がカタカタと震える。
今にも失神しそうだ。
たかが猫と言うなかれ。
アンジュは桔梗に育てられ、桔梗と共に世界を渡り、桔梗と共に生きてきた。
彼女にとっては家族であり、日本を思い出す縁でもある。
「どっ、どうしよう……。
どうしようどうしようどうしようどうしようっ!!
アンジュがっ、っ、アンジュが死んじゃう!」
桔梗は生死に関わるほどの怪我と無縁だった。
大量の血を見た事も手術をした事もない。
知識と経験は切っても切れない関係であり、どちらが欠けても意味がない。
経験がなければ技術が育たず、技術が育たなければ知識を活かせないからだ。
「えっと、えっと、えっと…………、止血だ、止血しなきゃっ!」
桔梗はアンジュの前足の被毛を掻き分けながら目を皿のようにして患部を探す。
幸い今夜は三つ子月。
松明と合わせれば十分な光源になる。
暫くすると、彼女の左手に何とも言えない感触がした。
それと同時に血臭が強くなる。
「あっ、ここ?」
桔梗は迷ってる暇はない!と言わんばかりの形相で右手を左手に重ね、一呼吸してからグッ!と押す。
「圧迫して……、止血して……、それから………、ガーゼだっ!
ガーゼで押さえて包帯を巻いて固定、よしっ、覚えてるっ!」
桔梗は左手を白衣のポケットに突っ込み、そこから大量のガーゼと包帯を取り出す。
「っ、大丈夫、大丈夫。
あんなに頑張ったじゃない。
ここでビビってどうするっ。
私しかアンジュを助けられないんだから、しっかりしろっ!」
左手をギュウッと握り締めながら自己暗示をかける桔梗。
本当は怖い。
怖くて堪らないし、誰かに縋りたい。
手術のしの字も知らない自分では知識を活かせない。
下手をすればアンジュを殺してしまう。
だが、どんなに怖くても、どんなに縋りたくても、ここには自分しかいない。
時間が経てば経つだけアンジュの命が消えていく。
後には退けないのだ。
「動脈は…………、切れてない。
中は…………………、セーフ」
桔梗はそう呟きながら患部の周りを探りつつ止血する。
落ち着いたらしく、その手付きに迷いはない。
経験も技術もないが、度胸はあるのだろう。
「ふ~~~ぅ」
息を吐きながら残ったガーゼで血を拭く桔梗。
『出血が多いのが気になるけど、内蔵も骨も無事っぽいし、後少し持ってくれれば………。
救急箱持って来りゃ良かった』
余談だが、桔梗の救急箱にはメス、剪刀、鑷子、鉗子、針、縫合糸、持針器、聴診器、注射器、駆血帯、ガーゼ、滅菌ガーゼ、ノイロシート、麻酔薬、鎮痛薬、包帯etcがギッチリと詰まっている。
どれも彼女が大枚をはたいて作らせた逸品だ。
救急箱があれば簡単な手術は出来る。
それ往診鞄じゃん!という突っ込みは受け付けない。
『ウチに帰る時間はないし、そもそもセシリャさんを一人に出来ない。
けど、このままじゃっ』
桔梗がそう思いながら唇を噛んだ時、高い音が夜陰を切る。
警笛だ。
『助かった』
桔梗はグッタリと脱力した。
まるで黒い布の上に無数の宝石を散らしたようだ。
今夜は三つ子月。
空燃えの始まりを告げる夜であり、月が最も美しく輝く時だ。
温い風と囁くような葉音。
虫の声に空燃えの色が交じり、小川がせせらぎを奏でている。
幸か不幸か、松明と物騒な気配が場所を示した。
桔梗は一心不乱にそこを目指し、やがて壁にぶつかったようにビタッ!と止まる。
「ひっ、っ!」
悲鳴を上げかけ、慌てて口を押さえる桔梗。
近くで山賊とセシリャの護衛が戦っているからだ。
どちらに見付かっても巻き込まれる。
セシリャは大きな松明の傍に腹を抱えて倒れており、その足下にアンジュがグッタリとしている。
『セシリャさんっ、アンジュッ、まさか死っ』
桔梗はセシリャに駆け寄って右手首に触れた。
指先を力強い脈拍が打つ。
失神しているだけだ。
桔梗の足から力が抜け、次いで崩れるように座り込む。
「良かった、ホントに良かっ………、なっ、どっ、血?」
彼女の右手にヌルリとした物が付いている。
桔梗は慌てて目線を動かし、それを見て息を呑んだ。
アンジュの前足の被毛が黒くなっており、そこから大量の血が流れている。
意識も呼吸も弱く、このままでは死んでしまう。
「アンジュッ!」
桔梗はアンジュに飛び付き、その怪我を見てパニックを起こした。
顔が白くなり、両手がカタカタと震える。
今にも失神しそうだ。
たかが猫と言うなかれ。
アンジュは桔梗に育てられ、桔梗と共に世界を渡り、桔梗と共に生きてきた。
彼女にとっては家族であり、日本を思い出す縁でもある。
「どっ、どうしよう……。
どうしようどうしようどうしようどうしようっ!!
アンジュがっ、っ、アンジュが死んじゃう!」
桔梗は生死に関わるほどの怪我と無縁だった。
大量の血を見た事も手術をした事もない。
知識と経験は切っても切れない関係であり、どちらが欠けても意味がない。
経験がなければ技術が育たず、技術が育たなければ知識を活かせないからだ。
「えっと、えっと、えっと…………、止血だ、止血しなきゃっ!」
桔梗はアンジュの前足の被毛を掻き分けながら目を皿のようにして患部を探す。
幸い今夜は三つ子月。
松明と合わせれば十分な光源になる。
暫くすると、彼女の左手に何とも言えない感触がした。
それと同時に血臭が強くなる。
「あっ、ここ?」
桔梗は迷ってる暇はない!と言わんばかりの形相で右手を左手に重ね、一呼吸してからグッ!と押す。
「圧迫して……、止血して……、それから………、ガーゼだっ!
ガーゼで押さえて包帯を巻いて固定、よしっ、覚えてるっ!」
桔梗は左手を白衣のポケットに突っ込み、そこから大量のガーゼと包帯を取り出す。
「っ、大丈夫、大丈夫。
あんなに頑張ったじゃない。
ここでビビってどうするっ。
私しかアンジュを助けられないんだから、しっかりしろっ!」
左手をギュウッと握り締めながら自己暗示をかける桔梗。
本当は怖い。
怖くて堪らないし、誰かに縋りたい。
手術のしの字も知らない自分では知識を活かせない。
下手をすればアンジュを殺してしまう。
だが、どんなに怖くても、どんなに縋りたくても、ここには自分しかいない。
時間が経てば経つだけアンジュの命が消えていく。
後には退けないのだ。
「動脈は…………、切れてない。
中は…………………、セーフ」
桔梗はそう呟きながら患部の周りを探りつつ止血する。
落ち着いたらしく、その手付きに迷いはない。
経験も技術もないが、度胸はあるのだろう。
「ふ~~~ぅ」
息を吐きながら残ったガーゼで血を拭く桔梗。
『出血が多いのが気になるけど、内蔵も骨も無事っぽいし、後少し持ってくれれば………。
救急箱持って来りゃ良かった』
余談だが、桔梗の救急箱にはメス、剪刀、鑷子、鉗子、針、縫合糸、持針器、聴診器、注射器、駆血帯、ガーゼ、滅菌ガーゼ、ノイロシート、麻酔薬、鎮痛薬、包帯etcがギッチリと詰まっている。
どれも彼女が大枚をはたいて作らせた逸品だ。
救急箱があれば簡単な手術は出来る。
それ往診鞄じゃん!という突っ込みは受け付けない。
『ウチに帰る時間はないし、そもそもセシリャさんを一人に出来ない。
けど、このままじゃっ』
桔梗がそう思いながら唇を噛んだ時、高い音が夜陰を切る。
警笛だ。
『助かった』
桔梗はグッタリと脱力した。
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