彼女は特殊清掃業

犬丸継見

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狸、山を降りて狗に往き逢う事

第五話 特殊清掃B家

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 あれからひかりちゃんの家には、さっぱり幽霊が出なくなった。そりゃそうだよね、ああまできれいさっぱり食べられて「特殊清掃」されちゃったんだから。
(アコさん、本当に強いなあ……あんな、狼みたいな……いや、でも犬なのか)
 布団にごろ寝しながら、私はぼんやり考えた。
 八百八狸の長たる隠神刑部神が如何に四国で最強、っていっても、それはたまたま頭数が多くて、偉い人間の役に立ったから、そして人間と良い感じの落としどころを見つけてきたから「四国最強」とか言われるんだ。騙されて松山藩の乗っ取りにまで利用されかかって封印されたんだから、多分本当はそんなに強くないし賢くない。それよか、「特殊清掃」で細々生きてきた犬神筋の方がよっぽど賢くてしたたかだと思う。
 アコさんの一番の稼ぎって、多分あの「特殊清掃」。まあ言ってみたら蛇神憑きとか狐憑きの拝み屋さんと変らないってことか。ただ、蛇神とか狐みたいに霊力を使うんじゃなく、あの禍々しい「咒」でもって相手を制圧して食べて、自分の咒の中に取り込んでしまう。消化する。そして、雪だるま式にアコさんは咒を更に高めていく。極限まで咒が極まったらアコさんはどうなるんだろう。神になる?大口真神のような犬の神に?
 ――それともまさか、咒の塊の祟り神になる?――
 それを想像して、私は少し背筋がひやっ、とした。アコさんの咒の器は、あとどれくらい余裕があるんだろう。お風呂の栓が抜けるみたいに、アコさんからも少しずつ咒が抜けなきゃいけないんじゃないだろうか。怖くなって、私はがばりと起き上がった。ふ、と乾いた葉っぱの臭いが鼻を霞める。おじいちゃんにおしつけられたきりになっている柏の葉っぱが、カサカサに干からびて臭いを発していた。悪い匂いじゃない、柏の臭い。一枚拾って臭うと、落ち着くハーブみたいな臭いがする。
「……どうにかしなきゃなあ……」
 このまま放っておいたら、柏の葉っぱは全部干からびて粉々になって最悪虫に食われてしまう。全く、何でおじいちゃんはこんなものを私によこしたのか……あ、そうだ。
 私は学近の百均を思い出し、トートバッグに財布とスマホを放り込んだ。小学校の頃、まだあの久谷の辺りに活気があった頃に御遊戯程度に教えてもらった「枯葉の栞」の作り方。全部栞にしてしまえば、ラミネートなりなんなりしてしまえばいいんだ。スニーカーを履いて、私は外に飛び出した。


 気分転換に、夕方の学生街をうろつく。学校傍のローソンの辺りまで行くと、にゃあお、にゃあお、と猫の鳴き声がした。正直、学校の近くは猫が多い。学生のゴミの出し方は雑だし、外で呑んだ男子のポイ捨ても多いし、コンビニとか生協から出てきた学生が気まぐれに「かわい~」って餌をあげちゃうから、居ついて増える。学内の生協のベンチを占領してることもある。犬は「危ない!」って保健所にすぐ捕まるけど、こんなに大量の猫は見逃されてしまう。アコさんはどう思ってるんだろう。
 御多分に漏れず、ローソンの裏でローソンの制服を着た男の人が残飯を猫たちにあげていた。にゃあお、にゃあお、クルクルクルクル、と猫の鳴きまねをしながら、その細身の男の人は猫たちを集めていた。猫集会だ。細身でイケメンのその男の人の胸には、「白」とだけ書かれたプレートが付いていた。中国人留学生かな。このローソンが猫の拠点になるのかなあ。あの人怒られないのかな。国立私立どっちの大学の人だろう。
 その時、スマホがポケットの中で振動した。見ると、アコさんからLINE。
「仕事の話、聞きに来なよ。タダメシ食えるよ。平和通り沿いのガストで客待ちだからなるはやで」
 仕事の話。あの「特殊清掃」の話だ。ちょうど時間もいい感じだし、何より懐具合の寂しい大学生にはタダメシはありがたい。ガストっていうチョイスもナイス。私はローソンに背を向けて、百均に寄る旨だけ送ってガストに向かおうとした。その背中に
「にゃああお」
 と男の猫なで声、猫の鳴きまねが投げかけられた。振り返ると、色白イケメン留学生がにやにやしながら私の方を見ていた。ん、この人ちょっとおかしいのかもしれない。おちょくってるつもりかもしれないけど、気味悪いな。アコさんこの人のこと知ってるかな。ひかりちゃんと麻由里ちゃんにも言っとこうっと。私は留学生さんの目を気にしないようにして、出来るだけ足早に私は百均に向かった。

「お疲れちゃーん。まあ好きなの頼みない。全部この子らの支払いやから」
 私が着くなり、アコさんはボックス席で正面に座った男女をあごでしゃくった。机の上には既に食い散らかされた料理皿の山。これだけで幾らぐらいするんだろう。犬神筋は大食い、っていうのは知ってるけど、これは流石に目の前の2人に申し訳なくなる。心なしか顔色が悪いし。私はアコさんの隣に座って、
「えと、トマトソーススパゲッティお願いしますぅ……」
 とできるだけ安く、できるだけ腹持ちしそうなものを頼む。目の前の男女がほっとしたような顔をする。そこにアコさんが
「あ、マンゴーパンケーキとマンゴーサンデー、喫茶店のプリンソフトクリーム&ブラウニーも」
 と容赦なく食後のデザートを乱発するから、目の前の男女はますます苦い顔になった。かわいそうに。この人達、多分何も食べてないんだろうな。女の人も男の人も、美男美女。カップルかな。というか、これだけの注文のお金払えるのかな。2人の目の前にはあの「特殊清掃 犬神明子」の名刺がある。お客さんなんだ。
「この子らは高校の同級生。旦那さんは教員で奥さんは銀行員。だからお支払いはよろしう。こっちは非課税世帯の貧乏障害者とひよっこ大学生やけん」
「……」
 なるほど、だから2人もちゃんとした格好なのね。というか、アコさん高校行ってたんだ。友だちいたんだ。友だち、って言う割には、2人とも萎縮してるけど。
「んで?陽キャカップルのあんたたちが陰キャ嫌われもんの私を頼るなんてよっぽどのことっしょ?なんかあんの?とりま話聞かせて?」
 アコさんは急かすようにそう言うと、テーブルの上に黒い手帳と黒いペンを並べた。アコさんの4月の予定は案外埋まってて、
「緑町北の赤崎マンション516号21h以降」
「東温市の市営団地204号23h以降※本当に霊?」
「借家の枝村さんちの修理。雨どい」
「今月集金開始」
 と、色々書きこまれている。アコさんはペンを取って、とんとんと予定表を叩く。
「まず、式はいつだった?」
「し、4月15日の土曜日。大安の日」
 女の人が、びくびくしながら言った。大安の日の昼間。私はぴんときた。
「あ、もしかして結婚式ですか!?おめでとうございます!」
「ありがとうございま……」
「やっぱり私は『のけもの』か。まあ意地汚い性悪の犬神筋はムラハチが基本でしょ。今度の依頼も、両家の親御さんが知ったら嫌がるんじゃない?」
 へっへっへ、とアコさんは笑いながらきっちり4月15日の大安の日に「式」と書き込む。そして、白紙のページを開いて「4/15 別府・土井 結婚」と書き殴った。何だか居心地が悪くなって、私は運ばれてきたスパゲッティに集中しようとした。その横で、パフェを犬食いで片っ端から片付けながらアコさんが聞く。
「で?それから何かあった?詳細はよ。言わないと無限に注文しまくるよ?犬神は大食いなんだから」
 がん、がん、とアコさんがテーブルの足を蹴った。多分アコさん、この2人嫌いなんだ。嫌いだけど、お金になるから助けるつもりなんだ。金のなる木としか思ってない。でもぎりぎりっぽい。何度も首元を押さえてる。首が抜けないように。
「お、俺ら15日に結婚式だったんだけど、い、犬上さん覚えてる?高校の時の中尻《なかじり》さんって子。一応、チカの友達グループだから招待したんだけど、なんか様子がおかしかったんだよ。一応参加してくれたんだけど」
「んん?中尻ぃ?いたねえそんな子。私の陰口言ってたから、校内放送で陰口の録音ご開陳してあげた中尻さんね?それがどうかしたの?あの子はただの人間でしょ」
 しれっとすごいことを言いながら、アコさんは手帳に「中尻」と書いた。お嫁さん——チカさんのグループだったから、お友達枠でのお呼ばれだったらしい。旦那さんの方は、深刻そうに眉間に皺を寄せた。チカさんの方はすっかり小さくなってる。
「……毎晩毎晩、夢の中で、夫婦そろって中尻さんに殺されるんだ……どんなに逃げても捕まるし、絶対にどんな形であれ殺される……夫婦そろって、そんな夢を見る。んで、昨日なんか俺が夢の中で腕掴まれて、これ」
 そう言った旦那さんの手首には、紫色の手形が付いていた。へっへっへ、とアコさんが笑う。
「あー、そうなるだろうねえ。別府君さあ。中尻さんってあんたのこと好きだったんだよ。今更恨み始めたとはねぇ、中尻さん。連絡とか取ってみた?まだ生きてる?」
「い、一応チカを間に挟んでそれとなく『元気?』とか聞いてみた……Facebookも稼働してるし、応答あるから生きてると思う……何でそんなこと聞くん?」
「ふふん、企業秘密」
 アコさんの手帳の字は、もう勢いに任せて速記みたいに書き殴ってるから読めない。ただ、私にも見えた文字が

「生霊」

 だった。なるほど、中尻さんは生きながらにして、この夫婦を恨んで、妬んで、呪って生霊になって飛んで行ってるんだ。やっぱり人間は怖すぎる。
 チカさんはおそるおそる、アコさんに自分のスマホの画面を見せた。
「犬上さん、あのね、これジリちゃんのtwitterなんだけど……炎上しちゃって、そのツイートがこれなんだけど……あたしらの、ことだよね……お式の後の投稿なんだけど……」
 覗き込んで、私もピンときた。私も見たことある。トレンドに上がってたキーワード。

『結婚式の加害性』

『結婚式なんて、色んな人を散々呼びつけて3万払わせて祝え!っていう場でしょ。催す側は結婚式の加害性に自覚的になった方が良い!人を傷つけることもあるんだよ!』
 こうやって見るとなんて暴論。そんなに嫌なら出なきゃよかったのに。結婚式なんて、昔みたいに強制参加じゃないんだし、もちろんあっという間に爆発炎上、中尻さんのツイートは爆心地となって結婚式が終わっても尚削除されていない。よっぽど強固な意志に基づくんだろう。理不尽極まりないけど、好きな人の結婚式を目前にしたらこうも言いたくなるのかなあ。人間は怖い。アコさんは待ってましたと言わんばかりに大声でハイテンションにまくしたてた。
「あらまあ、やってんねえ!祭りじゃ祭りじゃ!て感じねえ!『加害性』とはデカく出たじゃない!自分が『被害者』ってか——馬鹿でしょ」
 最後の一言だけ、ぞっとするような低い唸り声だった。アコさん、これはキレたっぽいな。私でも理不尽に感じる内容だもん、ややこしい性格のアコさんは猶更腹立つんだろう。
「いいよ、受けて立つわ。一度あんた達の家に上がらせて。なあに、多分暴れたり不吉なことはしないよ。ただ中尻さんの高まった呪力……恨みパワー的な奴を『食う』だけ。何か、生霊の通り道になる触媒があるんだろうし。中尻さんに直接会いに行っても、知らぬ存ぜぬで恨みパワーを隠されて食べ損ねるだろうしね」
「あ、ありがとう……支払いは……」
「口座振り込みて言ったでしょ。本音を言えば私だってあんた達と関わりたくないんだから。コトが済んだら振り込んどいて。バックレたら一族郎党食うから!あっはっは!」
 牙を剥いて、アコさんは笑う。目の前の新婚夫婦は震え上がっている。私も震え上がりながら、ちゃっかりスパゲッティを食べ終えていた。貧乏大学生は飢えているのだ。ごちそーさまでした。


「まあ私には招待状来ないからね。あの2人はおしどりで有名だったから結婚するだろうとは思ってたけど」
「アコさん郵便受け見ないでしょ?もしかしたら招待状とか来てたかもしれないよ?」
「来るわけない。犬神筋だから」
 そう言って、アコさんは古いクローゼットの中をごそごそ探っていた。同級生とはいえ社会人面前での仕事ということで、ちゃんとした服を探してるみたい。アコさん、ちゃんと持ってるのかな。私的には、普段のあの茶色いワンピースでもいい気がするんだけど……
「うーん、やっぱこれしかないな。これでいいや。私服か喪服よりゃマシっしょ」
 そう言ってアコさんは、就活とかで着たの?っていうようなリクルートスーツ(パンツ)と黒のカッターシャツを引っ張り出した。黒シャツに黒スーツでちょっとホストみたいな服に見える……
「アコさん30代だよね?オフィスカジュアルとかないの!?てかドレスとか振袖とか着て結婚式出たことないの?」
「ナイナイ!犬神筋は『のけもの』がド定番、仕事の定着も冠婚葬祭へのお呼ばれも滅多に無いの!何せムラハチだから!」
「ムラハチ……?」
「む・ら・は・ち・ぶ!村八分!不吉なもんは結婚式に呼ばないの!サベツってやつ!ゼンコクスイヘイシャとか知らない?『人間に光あれ』とはいっても残念ながら私らは犬畜生だった……まあ自分は慣れたけど。スーツ着れっかなぁ」
 アコさんは私の目の前でズボンを脱ぎ、パンツスーツを履き始めた。目のやり場に困る。同性だけど。
「ていうか、高校の子らと仲良くないのよ。中尻さんの晒しはまだ軽くて、あの旦那のほう——別府ヒロトも陽キャが過ぎて恨んでアキレス腱ぶったぎってバスケ出来ないようにしたし、嫁の土井チカは家が火事、他の同級生は5人家族が首吊った。教員は1人病死、1人事故死、2人逮捕。そんな感じ」
「そんな感じ、って……アコさん、祟る方でも犬神なんだね。人死んでるし、怖すぎるし、妬んで羨んだの?」
「まあね、みんなで人間同士楽しそうにしてたし、別府ヒロトなんかは正直私もちょっと好きだったし。だから振られて、チカと付き合った時に爆発しちゃった。他の子たちとか先生も、大体そんな経緯。うらやましかったり、憎らしかったり」
「……」
 寂しそうにアコさんは笑って、パンツスーツを着こなして見せた。なるほど、身長が高くて足が長いから背筋を伸ばしたらそこそこかっこいい。特殊な商売というか、ちゃんとしたお祓い屋さんみたい。その瞬間アコさんはぱぱぱっとスーツを脱ぎ、スウェットに着替え始めていた。
「まあ、犬神の筋の中でも大暴れしたのは自分くらいだね。弟も父さんも犬神だけど、うちは牝犬が強い筋でね。牡犬は腰抜けよ。母さんは愛媛と高知の境目の拝み屋から嫁いできてくれた人柱みたいなもんだし、親戚の犬どもはみんな自分が食べちゃった。もう絶縁よ絶縁。借家と不動産やるから独立しろってんで、このザマ」
「アコさん、中尻さんのツイートどんどん伸びてるしぶっ叩かれてるよ。これ、生霊がもっと強くならない?『他人の幸せを祝えない人』だよ?」
「あんたさぁ、私の話無視?」
 アコさんの自分語りを無視して私はTwitterを見ていた。どんどん燃える。どんどん叩かれる。そしてどんどん呪詛は高まる。危険な兆候かも。中尻さんは生きながらにして人間じゃなくなるかも?でも何になるんだろう。アコさんに感じた不安と似たものを、私は感じた。 
「いいの?止めなくていいの?仲裁とか、アコさんTwitterやってるんだよね?何か干渉しないの?」
 アコさんはげらげら笑う。そして、私の目の前で中尻さんにリプライした。
『他人を祝えないなんて嫉妬の強い人ですね。だからひとりなんですよ』
「あーあ、ブロックされちゃった」
「アコさん!煽ってどうするの!炎上に加担しちゃってんじゃん!」
 アコさんはあれだけ食べたのに、ちっとも膨らまないお腹を撫でながらにやあと笑った。べろり、と舌を出して舌なめずりする。
「餌は太らせた方が良い。犬神はいつでも腹ペコなんだから。どうせもう、止まらない。『止められないよ』」
 その顔は、嬉しそうで、どこか悲しそうだった。


「ごめんください、特殊清掃に参りました『犬神明子』です」
「どうぞ、よろしくお願いします。」
 私とアコさんは、白昼堂々別府家――アパートの一室、に招き入れられた。まだ新しい部屋、新しい家具。白を基調にしたお洒落な部屋。模範的新婚夫婦の部屋という感じ。ご夫婦はお茶も出さずに、部屋の隅で小さくなっている。
「あれから何かあった?悪化したりとかした?」
 アコさんの問いに、旦那さんの方が手首のより濃くなった痣と、足首の痣を見せる。どちらも掴まれたような痣。奥さんも、首に巻いていたストールを外す。両手で絞められたような痣。ああ、中尻さんは本当に、炎上すればするほど呪力を貯めて、その分ここで暴れてたんだ。
 でも、「通り道」ってなんだろう。呪力の抜け穴的な感じだろうか。私はアコさんの後を追う。アコさんは早速鼻をふんふん言わせて、部屋をあちこち覗き始めた。
「おい、寝室まで見るなよ!」
「見ないとダメでしょ。寝てる間に色々やられてるんだから。万が一通り道があったらどうするの。ま、何もないからいいけど。中高から色々オトナやってた奴が今更ゴム見られたくらいで恥ずかしがるんじゃないよ」
 アコさんは容赦なく寝室まできっちり覗き、布団までひっくり返して見せた。やりすぎじゃないの、って思うけど、確かに布団の中に何か入れられてる可能性もありうる。泥棒みたいに忍び込まれたらどうしようもない。
「お、これは……懐かしいねえ、中尻、新川、桐本、重松……」
 アコさんは目ざとくローチェスト上の写真立てに飛びついた。銀色で可憐なリボン枠に縁どられたその写真は、チカさんを真ん中にして女の人が左右2人ずつ挟むように立っている。多分、結婚式当日の集合写真だ。
「中尻さんって、どの人?」
「右端、黄色のドレスに黒のボレロ。茶のボブの女」
 ああ、と私は思わず息を呑んだ。確かに姿だけなら結婚式に普通にいそうな人なんだけど、立ち上る怨念が写真だけでもひどい。これは確かに生霊になってるんだろうなあ、って思うしかなかった。毎晩悪夢も見せるだろうし、物理的な影響だって及ぼすだろうなあ。
 だって、写真ですら中尻さんは「姿がシルエットみたいに真っ黒になって、服と髪以外は全身塗りつぶされてる」。怨念の、黒。他の人、一緒に写真を撮った同級生や新郎新婦さんには普通に見えてるんだろうけど、私と多分アコさんには、正体が見えてる。それくらいの、煙みたいに立ち上る呪力。個人的な嫉妬と、SNSの炎上とでもう完全に暴走して「出来上がって」る。それなのに、何食わぬ顔で結婚式に来て写真を撮った。来ないと言う選択肢もあるのに、わざわざ来て、証を残した。その執念。私は怖くなって、思わずアコさんの腕に縋りついた。
「これは本人無自覚なのか……?いや、うーん……出るもの次第か……」
「この写真は『通り道』じゃないの?」
「違うよ。これはあくまで残り物というか、影みたいなもの。『通路』は具体的にないと、あんな風に影響を物理的に及ぼすまでにはいかない」
 アコさんはそう言って、ぱたん、と写真立てを倒した。確かに、あの生霊のおぞましさは見ていたくない。群れたハエみたいなシルエット。怖かった。
 アコさんはリビングの中央でふんふんふん、と何度も鼻を鳴らした。臭いを嗅いでる。微かな中尻さんの、生霊の残り香を辿ろうとしている。夫婦は本当に怖がって、部屋の隅っこに縮こまってる。アコさん、そんなに怖いのかなあ。
「……うん?何でこんなところで……?」
 アコさんは急に方向転換して、トイレを覗いた。そしてあろうことかサニタリーボックスを開けて臭いを嗅ぐ。
「ちょっと!犬上さんやめてよ!昨日捨てたばっかりだから何もないって!ていうかそんなとこ覗くって常識なさすぎ……」

「違うな。あんたの血じゃない」

 怒っているチカさんを押しのけて、アコさんはリビングに戻った。そして再び、ふんふんふんと臭いを嗅ぐ。そしてその目が、かっと見開かれた。迷いなく大股で歩き、さっきとは別のローチェストの方へ向かう。そこにはキティちゃんとダニエルくんの和装のウエディングぬいぐるみがあった。よくある、祝電とかで送ることが出来るプレゼントだ。アコさんはその両方をわっしと持ち上げて、クンクンと臭った。そしてさっ、と片手を私達の方に差し出す。
「刃物。カッターでも包丁でも何でもいい。汚れてもいい刃物、貸して」
「おいっ、まさか切るつもりじゃないだろうな!せっかくもらったものなんだぞ!お祝いのプレゼントで——」
「中尻さんから?」
 旦那さん、ヒロトさんの顔が引きつる。チカさんは驚いた顔でヒロトさんを見た。
「ちょっと、どういうこと!これって東くんにもらったって言ってたじゃん!」
「責めてやるなよ。どうせ無理やり押し付けられて、昔フッた負い目もあって受け取っちゃったんでしょ。見た目にはいいものだし。しっかし、人間って言うのは本当に鼻が鈍いんだねえ。『こんな臭い』の近くで生活するなんて、私は無理だ」
「え、アコさん、臭いなんてしないよ……」
 ちら、とアコさんは私を横目で見下ろして嘲笑するようにふふんと鼻を鳴らした。
「へー、カンの強い……『広義の仲間の』ひなちゃんでさえも無理か……」
 アコさんに、チカさんが工具カッターを貸した。アコさんは「サンキュ」とそれを受け取って、迷いなく刃を出して2つのぬいぐるみの首を一気に力を込めてびぃぃぃっ、と刎ねた。そして、綿を一気に引きずり出す。
「っあ!?」
「きゃああああああっ!」
「う、え……?」
「『通り道』みーつけたっ……本当に、ポプリで臭いまで隠すとは用意周到と言うか、悪足掻きと言うか……」
 アコさんが引きずり出した綿、カップル人形の中綿は、赤茶色く汚れていた。どう見ても、血。それも、さっきアコさんが嗅ぎに行ったサニタリーボックスに入っているはずの——

「『経血を仕込む』なんてガキみたいな呪い、もうなりふり構ってられないんだねえ?中尻さん?

 ぬいぐるみの底に、縫い直した跡があったよ。中綿だけ詰め直したんだろうねえ。
 よく考える。けど、もう『おしまい』」

 アコさんはその血だらけの中綿に両手を突っ込んで、目を閉じた。そして、ふんふんと鼻を鳴らす。「通り道」を辿ってる。そしてきっとその先には、生霊の大元、中尻さんがいる。つまり、アコさんは生きてる中尻さんを—―
「自分は、自分たち犬神は、ここから——嫉妬から、生まれた。『あれが欲しい』『あれが羨ましい』『妬ましい』『憎らしい』『私は悪くない』『悪いのはあいつら』。そんな、身勝手極まりない嫉妬と被害者意識で犬神は生まれた。」
 ぐるるるるう。アコさんは唸る。
「こんな奴に、自分たちの首は斬られた。いつの代かはわからないけれど、ずっと昔に、こういう奴の願いを叶えるために、捕らわれて、飢えさせられて、限界まで苦しめられて、その果てに首を斬られ踏みつけられ——」
 ぞわぞわと体が総毛立つ。アコさんの牙が、「通り道」を辿って、中尻さんの元へ。中尻さんの首へ。生霊を食べると言うことは、魂を食べると言うこと。つまりそれは、中尻さんが……
「生きながらにして外道に堕ちたね。あなたの魂、いただきます!」

 うあああああああああおおおおおおおおおおおおおおおお!

 シュンっ、と一瞬、アコさんの首が消えた。多分、「通り道」の向こうで中尻さんの魂が犬の頭に食べられたんだと思う。

 首だけが飛んで、中尻さんを食い潰した。

 ご夫婦には見えなかったみたいで、びくびくしながらアコさんを見ている。単にアコさんが叫んだだけ、に見えたんだろう。私はもう半ば諦めた気持ちで、チカさんに言ってみた。
「あの、連絡がつくなら、中尻さんに連絡してみてください。LINE通話で」
「え、あ、うん。わかった……」
 しばらく、チカさんは通話をかけてるみたいだった。長い長い時間に感じられた。ただ、アコさんがぼそっと
「……ご馳走様でした」
 と呟いた。それと同時に、チカさんの着信に誰かが出たみたいだった。
「もしもし、私、中尻さんの友人の別府チカという者ですが……え!?あ、すみません!救急車、お願いします!」
 チカさんは通話を切って、アコさんに言った。

「人殺し!ジリちゃん、会社でいきなり倒れて、会社の人が今救急車呼んでるって……あんた、ジリちゃん殺したんでしょ!犬神筋だから……」
「そうだよ?それが悪い?あんた達はわかってなかったの?生霊を犬神にぶつけるっていうことは、生者の魂を犬神の餌にするのと同じだ、って。どうせあのまま放っといたら、殺されたのはあんた達2人だった。どちらかしか、なかったのよ。両捕りなんて旨い話は、ない」

 せめてこの人形を、バカ旦那が受け取らなきゃね。アコさんは毒づいた。それを言われると、チカさんもヒロトさんも何も言えなくて、青い顔でうつむいていた。
 アコさんはぺろん、と口の周りを舐めて私の方を向いた。
「仕事はおしまい、ひなちゃん。おいとましましょう」
「アコさん、中尻さん大丈夫なの?死ぬの?」
 私はアコさんに聞いた。アコさんはしきりに口の周りを舐めながら答える。
「運が良かったら、植物人間。運が悪かったら、死んでる」
「死、って……アコさん、それ以外やりようなかったの!?」
 私は思わず声を上げた。生きる人間を殺す、食い殺すなんて。理は通ってるけど、私は耐えられなかった。多分、ご夫妻も耐えられない。ただ、アコさんだけが飄々としている。ふん、と鼻を鳴らしてその場の全員に言い聞かせるように言った。
「どうせ遅かれ早かれ中尻さんはそうなってたよ。人を妬み、人を恨むってのはそういうこと。自分の先祖も、嫉妬の呪いのために犬を殺して子孫がこうなった。それを受け止めるだけの覚悟がないなら端から呪いなんてするもんじゃない」
 生霊なんかに成り下がって、まだ若かったのに、とアコさんはどこか悔しそうに、悲しそうに吐き捨てた。

 ――殺したくなんかなかった。ごめんなさい――


 家の近くまで帰って来て、やっとこさ人心地ついた。あれからご夫婦は一応お礼を言ってくれて、約束の報酬は振り込むと念書を書いてくれた。アコさんはそれを受け取り、無言で家を出た。そのままアコさんは黙々と俯き加減で歩いている。暑苦しいけど気のせいかクールでちょっとセクシーなスーツ姿のまま。ヒールが歩きにくそう。私は空気を明るくしようとして、無理に話を切り出した。
「アコさんも、誰かいい人いないの?あの2人同い年でしょ?」
「いるわけないでしょ。ムラハチで、自活……家事もままならなくて、ヒトゴロシで。私は、生涯独身の負け犬の中の負け犬、負け犬神さ」
 つん、とアコさんは鼻先を空に向けた。それがなんだか可愛くて、アコさんにも誰か犬神筋を含めて受け入れてくれる人が現れてくれたらいいなあ、って思う。
 
 にゃああおう。

 いつしか、私達は学近のローソンを通り過ぎようとしていた。いつも通り、ローソンの裏で、猫を集めて残飯をあげている「白さん」。色白で、黒髪で、ちょっとヒヤッとする感じのイケメンさん。
「ああーーーーおう」
 「白さん」は笑って、立ち上がってこちらを見ながら鳴いた。私、じゃなく、アコさんを見てる。アコさんはちら、と「白さん」を見て、呟いた。
「へぇ……?随分猫臭くしてくれてるじゃないの。『よそもの』かい?」


 

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