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潤一の思惑は?
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*彩矢*
隼人くんママにさよならを言って、保育園へ向かった。
様々な疑問と困惑が頭の中を交錯し、早鐘のように打つ鼓動のせいで息苦しい。
潤一は、悠李と雪花を連れ戻しに来たのだろうか?
弁護士は大丈夫と言っていたけれど、本当に信頼できるのか?
いざとなったら手段を選ばない潤一だけれど、勝手にアメリカに連れ帰ったとしたら、立派な犯罪になる。
そんなリスクを負ってまでして、子供を連れ帰るわけはない。
……そう思うけれど。
「美穂先生、こんばんは」
暗くなる気持ちを振り切るように、平然とした顔で玄関へ入り、明るく挨拶をした。
「あっ、ママ! パパ帰って来たよ! ほら、悠李が言ったとおりでしょ。パパちゃんと帰って来たよ!」
嬉しそうに叫んだ悠李の笑顔に胸が痛んだ。
「よお! 彩矢、遅いな。待ってたんだぞ」
潤一もなに食わぬ顔をして、非難めいた目を向けた。
「突然来てそんなこと言われてもね。連絡もないのに分かるわけないわ」
悠李には申し訳ないと思いながらも、目も合わせずにつっけんどんに答えた。
「相変わらず可愛げのない女だな」
呆れたように潤一は言った。
「今日は悠李と雪花、変わりありませんでしたか?」
潤一を無視して、なんとなくそわそわして、視点の定まらない美穂先生に尋ねた。
「は、はい、今日は二人とも、ケンカもしないで楽しそうに遊んでました」
「いつも、ありがとうございます。さっき隼人くんが悠李とじゃんけん列車をして遊んだって教えてくれました」
「最近は隼人くんと仲がいいですね。おとなしい子ですけど、二人で静かに絵を描いてたり、、」
美穂先生が言い終わらないうちに、悠李が興奮して話に割り込んだ。
「ママ、パパがね、悠李にドローンを買ってくれたんだって! 明日、公園で遊ぶんだよっ!!」
「悠李、ママは美穂先生とお話をしてるでしょ! それに明日は大切な用事があるからダメよ」
「えー! なんの用事? どこへ行くの?」
明日は家に佐野さんが来てくれるんだから、悠李には家にいて欲しい。
「と、とにかくダメなの。じゃあ、もう帰るよ。美穂先生、ありがとうございました。また来週お願いします」
「悠ちゃん、雪花ちゃん、また来週ね!」
美穂先生が慌てたようすで悠李と雪花に笑顔を向けた。
「美穂先生、さようなら」
悠李と雪花も美穂先生に挨拶をして手を振った。
潤一は含み笑いを浮かべていたが、わざと美穂先生を無視しているように見えた。
あれでもうまく誤魔化しているつもりなのだろうか。
潤一の考えなど、すべてお見通しだ。
若くて可愛い美穂先生に、気のあるそぶりでも見せていたのだろう。
いつまでたっても懲りないひと。
「雪花、パパが抱っこしてやるよ」
私と手をつないでいる雪花に、潤一が手をのばした。
雪花は思いっきりベーっと舌を出した。
「なんだよ、品のない遊びばっかり覚えて。やっぱり保育所なんてダメだな。ちゃんとした幼稚園に入れないと」
「どうしてまた急に帰って来たの? お義母さんの具合でも悪いの?」
「研修はやめることにしたんだ。俺には組織の中で上手く立ちまわれるような器用さはないからな。開業するほうがずっといい」
憎らしいほど図太い潤一のふてぶてしさを、羨ましく思うこともあるけれど、それはそれで反感をかうことも多いのだろう。
個人主義のアメリカでさえ無理なら、日本ではやはり難しいと思った。
「……そう。じゃあ、ジェニファーさんと赤ちゃんも日本へ?」
「まぁな、そのうち呼び寄せるよ」
「ママ、どうして明日は公園で遊べないの?悠李、ドローンで遊びたい!!」
こんなときは一体どう言い聞かせるべきなのか?
「ねぇ、いいでしょう? 」
切実に訴える悠李に対して、ひとつとして言い訳が見つけられず、押し黙る。
「別にアメリカに連れて行こうとしているわけじゃないんだぞ。月に二回は面会させると言ったじゃないか」
確かに運動会の日、親権を争いたくなくて、そんなことを言った覚えがある。
まったく会わせないとは言えないけれど、、
今は間が悪すぎる。
一日も早く遼くんになついて欲しいから。
遼くんがパパになってくれるのを喜んで欲しいから。
「明日はちょっと、、来週の土日じゃダメかしら?」
「月曜日から大学へ戻るから、その後のことは約束できないな。明日くらいしか遊んでやれない」
「ママ、お願い。悠李なんでもお手伝いするよ。ねぇ、いいでしょう?」
これ以上無理じいすると事態は悪くなるような気がした。悠李は遊べなかった悔しさで、佐野さんの訪問を疎ましく思うに違いない。
「わかったわ。じゃあ、明日の午前中に連れて行くわ。一時間くらい遊んだらいいでしょう?」
「わざわざ面倒だろ。悠李、今日は白石の婆ちゃんの家に泊れよ。そのほうが朝からたくさん遊べるからな」
「うん、そうする!! 悠李、白石のお婆ちゃんの家に泊まる!」
「ゆ、悠李、、」
「雪花も来るか? 白石の婆さんが喜ぶぞ」
「いやっ!」
雪花はまた、ベーっと舌を出した。
「躾がなってないな。先が思いやられる。じゃあ、今日は悠李だけ連れて行くよ」
「わーい、やったー!!」
飛びはねて喜ぶ悠李を、もう止めることはできなかった。
「じゃあ、また明日な。悠李、パパの車はあっちだ」
潤一がパーキングのほうを指差した。
「うん! ママ、バイバイ!!」
潤一と手をつないで去っていく悠李の後ろ姿に、言い知れぬ不安が押し寄せた。
「あら、悠ちゃんはどうしたの?」
キッチンで夕飯の支度をしていた母が、
私と雪花しかいないのを見て、訝しげな顔をした。
「保育所に潤一さんが来ていたの。悠李とっても喜んで、今日は白石のお義母さんの家に泊まるって……」
「まぁ、どうしてそんなことを許したのよ!」
「私だって行かせたくなかったわ。でも、月二回面会させるって約束しちゃったし、とにかく悠李がとっても喜んでしまって、止められなかったのよ」
母にそう説明したものの、後悔の気持ちがどんどん膨れ上がって気持ちを塞いだ。
「悠ちゃんはあんな父親のどこがいいのかしら。ちっとも可愛がってもらえなかったっていうのに!」
母は婿としては潤一が気に入っていたのだけれど、その分裏切られた恨みが強いのだと思う。
「可愛がってもらえなかったから、だから今、それを取り返したいんじゃないかな」
「今ごろになって可愛がられてもね。明日は本当のお父さんが来る日だっていうのに、ありがた迷惑だわ。嫌がらせかしら? 人を困らせることばかりして」
母は憤慨しながら、トントンと野菜を刻んだ。
「ママ、おなかすいた」
「雪花ちゃん、外から帰ったら、手を洗ってうがいをしようね」
……遼くんにはなんて言ったらいいんだろう。
雪花と一緒に手を洗いながら、落胆する遼くんの顔を思い浮かべた。
「まさか、悠ちゃんをアメリカに連れて行くつもりじゃないでしょうね?」
夕食をすませ、雪花をお風呂に入れて寝かしつけたあと、待ちかねていたように母が尋ねた。
「研修はやめて、アメリカから帰って来たんですって。出世は諦めたみたい」
「あら、そうなの? 意外と根性がないのね。なにが研修よ、よそに子供を作って来ただけじゃないの。本当に呆れるわね。佐野さんには言ったの? 悠李は元夫のところへ行ってるって」
「まだよ、これから電話する。でも、大丈夫よ、明日会えなくても。佐野さん、悠李とは仲がいいの。雪花がなついてくれるかのほうが心配で」
「そうかしら? 雪ちゃんは大丈夫よ、まだ二歳ですもの。悠ちゃんのほうが心配だわ。これから毎月二回も面会することになったら、、本当に新しいパパと仲良くなんて出来るかしら」
「……… 」
迂闊だったのか。
たった一年で研修から戻ってくるなんて。
最低でも二年はロスにいると思っていたのに。
親権の心配がなくても、悠李が潤一に執着するようなことになったら……。
なんて言っていいのかわからないけれど、明日来ることになっている佐野さんに、知らせないわけにはいかなかった。
沈んだ気持ちで電話した私に、佐野さんは意外にも前向きな考えを示してくれた。
“ 少しずつ慣れていけばいいんじゃないのかな。本当の親子でもうまくいかない時はあるし、俺は悠李の気持ちを大事にしてあげたいな ”
母が言ったネガティブな予告に怯えていたけれど、楽観的に語った佐野さんに癒された。
そうだ、焦ってみても仕方がない。
悠李はそのうちわかってくれるはず。
潤一なんかより遼くんのほうが、ずっといいパパだということを。
昨夜、悠李を午前中に迎えに行くと連絡を入れたのに、潤一からはなんの連絡もなかった。
既読しているのに返信しないなんて。
電話をしても出ない。
もう、公園へ遊びに行ったのかも知れない。
どこまでも勝手な人。
佐野さんはお昼に呼ぶつもりだったけれど、悠李がいないので、夕飯を一緒にということになった。
どんなに楽しいオモチャだろうと、午前中一時間も遊ばせたら十分満足するだろう。
潤一も慣れない子供との遊びには、うんざりしているはずだ。
地下鉄に乗って潤一の実家の白石へ向かった。
今では他人となってしまった義母と会うのは、気の重いことだった。
玄関のブザーを押すと、なんの応答もないままにドアが開いた。
「あら、あなた一人なの? 雪花ちゃんはどうしたのよ?」
感情をストレートに伝える義母が嫌いではないのだけれど、その迫力にはいつも恐ろしさを感じる。
「すみません、今日はゆっくりしてられないものですから。雪花はまた日を改めて連れて来ます」
「久しぶりに来たっていうのに、一目だけでも会わせてあげようっていう心遣いはないの? じゃあ、ひとりでなにをしに来たのよ? そんなに私に会いたかったの?」
心底がっかりした元義母は、悔しまぎれの嫌味を言った。
「悠李を迎えにきたんですけど……」
「朝の早いうちから二人して出かけたわよ。久しぶりに来たっていうのに、悠ちゃんだって私のことなんかそっちのけなんだから。祖母を敬うとか、いたわるなんてことは少しも教えられてないのね」
「すみません。潤一さんが買ってくれたオモチャに夢中になってしまって……」
「オモチャのせいじゃないわよ、躾の問題よ! とにかく家へ入りなさい。もう、お昼ですもの、そのうち帰ってくるでしょう 」
家にはあがらずに悠李だけ連れ帰りたかった。
「あ…そこの公園ですよね。遊んでいるかどうか、ちょっと見てきます。
さほど遠くない公園に向かった。
今更、義母と差し向かいで話をするなど、苦痛以外のなにものでもない。
聞いてあげることで、義母のストレスは解消するとは思うけれど。
何度か子供たちと訪れたことのある公園。
ドローンを飛ばすには絶好の、小春日和な日曜日。
だけど、ドローンで遊んでいる親子はいなかった。
定年を過ぎたくらいの男性がひとり、ベンチに横たわっていた。
ここの公園じゃないのだろうか?
スマホを開いても潤一からはなんの連絡もない。
再度電話しても繋がらなくて、どんどん不安が高まってくる。
『今どこにいるんですか? 返事をください。悠李を早く返してください!』
怒りのメッセージを送信して途方にくれる。
そういえば昨日、保育園には車でお迎えに来ていたはず。
潤一はレンタカーを借りているんだった。
じゃあ、車で出かけているってこと?
もう、十二時を過ぎている。どこかでランチでもしているのだろうか。
ドローンを飛ばすなら、大きな公園じゃないとダメかも知れない。
少し遠い大きな公園まで足をのばす。
広くて大きな公園だけれど、お昼も過ぎているせいか、来ている人はまばらだった。
見渡してもドローンで遊んでいるような親子は見当たらず、犬と遊んでいる中年女性と、ベンチに腰を下ろしているお爺さん。キャッチボールをしている青年が二人の他は、遠くで親子連れが仲良くお弁当を広げて食べているだけだった。
やっぱりいないと思い、帰りかけたけれど、遠くにいる親子連れの子供の服が、悠李のものと同じ色だった。
遠くて顔ははっきり見えないけれど、あれはどう見ても悠李に違いない。
でも、親子連れは三人だ。
一体、誰と来ているの?
潤一の隣にいるのは女性のようだ。
早足でその親子連れの方へ向かう。
胸騒ぎがして引き返したくなったけれど、悠李を置いて帰るわけにはいかない。
かなりそばまで近づくと、はにかんだような笑顔を潤一に向けているその女性は、予想していた通りのひとだった。
美穂先生……。
隼人くんママにさよならを言って、保育園へ向かった。
様々な疑問と困惑が頭の中を交錯し、早鐘のように打つ鼓動のせいで息苦しい。
潤一は、悠李と雪花を連れ戻しに来たのだろうか?
弁護士は大丈夫と言っていたけれど、本当に信頼できるのか?
いざとなったら手段を選ばない潤一だけれど、勝手にアメリカに連れ帰ったとしたら、立派な犯罪になる。
そんなリスクを負ってまでして、子供を連れ帰るわけはない。
……そう思うけれど。
「美穂先生、こんばんは」
暗くなる気持ちを振り切るように、平然とした顔で玄関へ入り、明るく挨拶をした。
「あっ、ママ! パパ帰って来たよ! ほら、悠李が言ったとおりでしょ。パパちゃんと帰って来たよ!」
嬉しそうに叫んだ悠李の笑顔に胸が痛んだ。
「よお! 彩矢、遅いな。待ってたんだぞ」
潤一もなに食わぬ顔をして、非難めいた目を向けた。
「突然来てそんなこと言われてもね。連絡もないのに分かるわけないわ」
悠李には申し訳ないと思いながらも、目も合わせずにつっけんどんに答えた。
「相変わらず可愛げのない女だな」
呆れたように潤一は言った。
「今日は悠李と雪花、変わりありませんでしたか?」
潤一を無視して、なんとなくそわそわして、視点の定まらない美穂先生に尋ねた。
「は、はい、今日は二人とも、ケンカもしないで楽しそうに遊んでました」
「いつも、ありがとうございます。さっき隼人くんが悠李とじゃんけん列車をして遊んだって教えてくれました」
「最近は隼人くんと仲がいいですね。おとなしい子ですけど、二人で静かに絵を描いてたり、、」
美穂先生が言い終わらないうちに、悠李が興奮して話に割り込んだ。
「ママ、パパがね、悠李にドローンを買ってくれたんだって! 明日、公園で遊ぶんだよっ!!」
「悠李、ママは美穂先生とお話をしてるでしょ! それに明日は大切な用事があるからダメよ」
「えー! なんの用事? どこへ行くの?」
明日は家に佐野さんが来てくれるんだから、悠李には家にいて欲しい。
「と、とにかくダメなの。じゃあ、もう帰るよ。美穂先生、ありがとうございました。また来週お願いします」
「悠ちゃん、雪花ちゃん、また来週ね!」
美穂先生が慌てたようすで悠李と雪花に笑顔を向けた。
「美穂先生、さようなら」
悠李と雪花も美穂先生に挨拶をして手を振った。
潤一は含み笑いを浮かべていたが、わざと美穂先生を無視しているように見えた。
あれでもうまく誤魔化しているつもりなのだろうか。
潤一の考えなど、すべてお見通しだ。
若くて可愛い美穂先生に、気のあるそぶりでも見せていたのだろう。
いつまでたっても懲りないひと。
「雪花、パパが抱っこしてやるよ」
私と手をつないでいる雪花に、潤一が手をのばした。
雪花は思いっきりベーっと舌を出した。
「なんだよ、品のない遊びばっかり覚えて。やっぱり保育所なんてダメだな。ちゃんとした幼稚園に入れないと」
「どうしてまた急に帰って来たの? お義母さんの具合でも悪いの?」
「研修はやめることにしたんだ。俺には組織の中で上手く立ちまわれるような器用さはないからな。開業するほうがずっといい」
憎らしいほど図太い潤一のふてぶてしさを、羨ましく思うこともあるけれど、それはそれで反感をかうことも多いのだろう。
個人主義のアメリカでさえ無理なら、日本ではやはり難しいと思った。
「……そう。じゃあ、ジェニファーさんと赤ちゃんも日本へ?」
「まぁな、そのうち呼び寄せるよ」
「ママ、どうして明日は公園で遊べないの?悠李、ドローンで遊びたい!!」
こんなときは一体どう言い聞かせるべきなのか?
「ねぇ、いいでしょう? 」
切実に訴える悠李に対して、ひとつとして言い訳が見つけられず、押し黙る。
「別にアメリカに連れて行こうとしているわけじゃないんだぞ。月に二回は面会させると言ったじゃないか」
確かに運動会の日、親権を争いたくなくて、そんなことを言った覚えがある。
まったく会わせないとは言えないけれど、、
今は間が悪すぎる。
一日も早く遼くんになついて欲しいから。
遼くんがパパになってくれるのを喜んで欲しいから。
「明日はちょっと、、来週の土日じゃダメかしら?」
「月曜日から大学へ戻るから、その後のことは約束できないな。明日くらいしか遊んでやれない」
「ママ、お願い。悠李なんでもお手伝いするよ。ねぇ、いいでしょう?」
これ以上無理じいすると事態は悪くなるような気がした。悠李は遊べなかった悔しさで、佐野さんの訪問を疎ましく思うに違いない。
「わかったわ。じゃあ、明日の午前中に連れて行くわ。一時間くらい遊んだらいいでしょう?」
「わざわざ面倒だろ。悠李、今日は白石の婆ちゃんの家に泊れよ。そのほうが朝からたくさん遊べるからな」
「うん、そうする!! 悠李、白石のお婆ちゃんの家に泊まる!」
「ゆ、悠李、、」
「雪花も来るか? 白石の婆さんが喜ぶぞ」
「いやっ!」
雪花はまた、ベーっと舌を出した。
「躾がなってないな。先が思いやられる。じゃあ、今日は悠李だけ連れて行くよ」
「わーい、やったー!!」
飛びはねて喜ぶ悠李を、もう止めることはできなかった。
「じゃあ、また明日な。悠李、パパの車はあっちだ」
潤一がパーキングのほうを指差した。
「うん! ママ、バイバイ!!」
潤一と手をつないで去っていく悠李の後ろ姿に、言い知れぬ不安が押し寄せた。
「あら、悠ちゃんはどうしたの?」
キッチンで夕飯の支度をしていた母が、
私と雪花しかいないのを見て、訝しげな顔をした。
「保育所に潤一さんが来ていたの。悠李とっても喜んで、今日は白石のお義母さんの家に泊まるって……」
「まぁ、どうしてそんなことを許したのよ!」
「私だって行かせたくなかったわ。でも、月二回面会させるって約束しちゃったし、とにかく悠李がとっても喜んでしまって、止められなかったのよ」
母にそう説明したものの、後悔の気持ちがどんどん膨れ上がって気持ちを塞いだ。
「悠ちゃんはあんな父親のどこがいいのかしら。ちっとも可愛がってもらえなかったっていうのに!」
母は婿としては潤一が気に入っていたのだけれど、その分裏切られた恨みが強いのだと思う。
「可愛がってもらえなかったから、だから今、それを取り返したいんじゃないかな」
「今ごろになって可愛がられてもね。明日は本当のお父さんが来る日だっていうのに、ありがた迷惑だわ。嫌がらせかしら? 人を困らせることばかりして」
母は憤慨しながら、トントンと野菜を刻んだ。
「ママ、おなかすいた」
「雪花ちゃん、外から帰ったら、手を洗ってうがいをしようね」
……遼くんにはなんて言ったらいいんだろう。
雪花と一緒に手を洗いながら、落胆する遼くんの顔を思い浮かべた。
「まさか、悠ちゃんをアメリカに連れて行くつもりじゃないでしょうね?」
夕食をすませ、雪花をお風呂に入れて寝かしつけたあと、待ちかねていたように母が尋ねた。
「研修はやめて、アメリカから帰って来たんですって。出世は諦めたみたい」
「あら、そうなの? 意外と根性がないのね。なにが研修よ、よそに子供を作って来ただけじゃないの。本当に呆れるわね。佐野さんには言ったの? 悠李は元夫のところへ行ってるって」
「まだよ、これから電話する。でも、大丈夫よ、明日会えなくても。佐野さん、悠李とは仲がいいの。雪花がなついてくれるかのほうが心配で」
「そうかしら? 雪ちゃんは大丈夫よ、まだ二歳ですもの。悠ちゃんのほうが心配だわ。これから毎月二回も面会することになったら、、本当に新しいパパと仲良くなんて出来るかしら」
「……… 」
迂闊だったのか。
たった一年で研修から戻ってくるなんて。
最低でも二年はロスにいると思っていたのに。
親権の心配がなくても、悠李が潤一に執着するようなことになったら……。
なんて言っていいのかわからないけれど、明日来ることになっている佐野さんに、知らせないわけにはいかなかった。
沈んだ気持ちで電話した私に、佐野さんは意外にも前向きな考えを示してくれた。
“ 少しずつ慣れていけばいいんじゃないのかな。本当の親子でもうまくいかない時はあるし、俺は悠李の気持ちを大事にしてあげたいな ”
母が言ったネガティブな予告に怯えていたけれど、楽観的に語った佐野さんに癒された。
そうだ、焦ってみても仕方がない。
悠李はそのうちわかってくれるはず。
潤一なんかより遼くんのほうが、ずっといいパパだということを。
昨夜、悠李を午前中に迎えに行くと連絡を入れたのに、潤一からはなんの連絡もなかった。
既読しているのに返信しないなんて。
電話をしても出ない。
もう、公園へ遊びに行ったのかも知れない。
どこまでも勝手な人。
佐野さんはお昼に呼ぶつもりだったけれど、悠李がいないので、夕飯を一緒にということになった。
どんなに楽しいオモチャだろうと、午前中一時間も遊ばせたら十分満足するだろう。
潤一も慣れない子供との遊びには、うんざりしているはずだ。
地下鉄に乗って潤一の実家の白石へ向かった。
今では他人となってしまった義母と会うのは、気の重いことだった。
玄関のブザーを押すと、なんの応答もないままにドアが開いた。
「あら、あなた一人なの? 雪花ちゃんはどうしたのよ?」
感情をストレートに伝える義母が嫌いではないのだけれど、その迫力にはいつも恐ろしさを感じる。
「すみません、今日はゆっくりしてられないものですから。雪花はまた日を改めて連れて来ます」
「久しぶりに来たっていうのに、一目だけでも会わせてあげようっていう心遣いはないの? じゃあ、ひとりでなにをしに来たのよ? そんなに私に会いたかったの?」
心底がっかりした元義母は、悔しまぎれの嫌味を言った。
「悠李を迎えにきたんですけど……」
「朝の早いうちから二人して出かけたわよ。久しぶりに来たっていうのに、悠ちゃんだって私のことなんかそっちのけなんだから。祖母を敬うとか、いたわるなんてことは少しも教えられてないのね」
「すみません。潤一さんが買ってくれたオモチャに夢中になってしまって……」
「オモチャのせいじゃないわよ、躾の問題よ! とにかく家へ入りなさい。もう、お昼ですもの、そのうち帰ってくるでしょう 」
家にはあがらずに悠李だけ連れ帰りたかった。
「あ…そこの公園ですよね。遊んでいるかどうか、ちょっと見てきます。
さほど遠くない公園に向かった。
今更、義母と差し向かいで話をするなど、苦痛以外のなにものでもない。
聞いてあげることで、義母のストレスは解消するとは思うけれど。
何度か子供たちと訪れたことのある公園。
ドローンを飛ばすには絶好の、小春日和な日曜日。
だけど、ドローンで遊んでいる親子はいなかった。
定年を過ぎたくらいの男性がひとり、ベンチに横たわっていた。
ここの公園じゃないのだろうか?
スマホを開いても潤一からはなんの連絡もない。
再度電話しても繋がらなくて、どんどん不安が高まってくる。
『今どこにいるんですか? 返事をください。悠李を早く返してください!』
怒りのメッセージを送信して途方にくれる。
そういえば昨日、保育園には車でお迎えに来ていたはず。
潤一はレンタカーを借りているんだった。
じゃあ、車で出かけているってこと?
もう、十二時を過ぎている。どこかでランチでもしているのだろうか。
ドローンを飛ばすなら、大きな公園じゃないとダメかも知れない。
少し遠い大きな公園まで足をのばす。
広くて大きな公園だけれど、お昼も過ぎているせいか、来ている人はまばらだった。
見渡してもドローンで遊んでいるような親子は見当たらず、犬と遊んでいる中年女性と、ベンチに腰を下ろしているお爺さん。キャッチボールをしている青年が二人の他は、遠くで親子連れが仲良くお弁当を広げて食べているだけだった。
やっぱりいないと思い、帰りかけたけれど、遠くにいる親子連れの子供の服が、悠李のものと同じ色だった。
遠くて顔ははっきり見えないけれど、あれはどう見ても悠李に違いない。
でも、親子連れは三人だ。
一体、誰と来ているの?
潤一の隣にいるのは女性のようだ。
早足でその親子連れの方へ向かう。
胸騒ぎがして引き返したくなったけれど、悠李を置いて帰るわけにはいかない。
かなりそばまで近づくと、はにかんだような笑顔を潤一に向けているその女性は、予想していた通りのひとだった。
美穂先生……。
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