六華 snow crystal 6

なごみ

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二人の美穂先生

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**潤一**



悠李にドローンを持たせるのを忘れた。


ぼんやりとうなだれていた美穂先生は、広げていた弁当を片付け始めた。


彩矢に引っ張られ、悠李は何度も振りむきながら帰っていった。


そして彩矢は、とうとう俺とは一度も視線を合わせなかった。



まぁ、こんなものだろうな。


離婚した夫婦が笑って " さようなら ” というのも可笑しな話しだろう。


初めから無理のある結婚だったんだ。


花蓮と航太の代わりに、あいつと悠李を少しでも幸せにしてやりたいと思ったけれど。


佐野に似ている悠李を可愛がることは、俺にとって難しいことではあった。


それでも俺なりに努力したつもりだ。


だけど彩矢はまだ、佐野に未練を持っていた。俺の娘、雪花を産んだあとでもだ。


そのことが俺にはどうしても許せなかった。





「あ、じゃあ、私はこれで、、」


弁当を片付け終えた美穂先生が立ちあがって頭を下げた。


「送るよ。公園の駐車場に車を停めてあるんだ」 


「大丈夫です。地下鉄で帰りますから」


彩矢からなにか入れ知恵でもされたのか、美穂先生も俺を避けているように感じられた。


「 せっかくの休日に申し訳なかったな。お礼も兼ねて今晩一緒に食事でもどうだい?」


「……いえ、大丈夫です。今日はいいお天気で気晴らしになりましたから、お気になさらないでください。じゃあ、さようなら」


さっきまでとは違う、あきらかに警戒心あらわなようすから、ジェニファーのことでも聞かされたのかも知れない。


「待ってくれよ、どうしたんだよ、急によそよそしくなったな。彩矢から俺の悪口でも聞かされたか?」



率直な質問に動揺したのか、顔をこわばらせた。


「そのようなことは聞かされてません。ただ松田さんがもう再婚されていて、先月お子さんがお生まれになってると知らされました。でもそんなことは私と関係のないことですから」
 


ーーやっぱりそうだったのか。


「そうだな。そんなことは無関係な話だ。あいつはとにかく心配性で、俺のことはなんだって邪推する。めちゃくちゃ忙しくて家に帰れなくても、浮気していると思ってるんだ。まぁ、よそに子供を作った俺が何を言っても説得力には欠けるけどな」


ふん、彩矢め!


せっかくの甘いムードをぶち壊しに来やがって。


「……でも、悠李くんのママは、そんな松田さんが好きで結婚なさったのでしょう。浮気をする人だって分かっていても……。話していてなんとなくそう感じました」


「それは違うな。あいつには結婚前から好きな男がいたんだ。もうすぐそいつと再婚するよ。俺たちの結婚は初めから破綻していたんだ」


そうだ、よく五年も持ったものだ。


「……そうでしょうか?  そんな風には感じませんでしたけど。あ、余計なことですね、ごめんなさい」
  

「とにかく家まで送るよ。こんなところまで呼び出して、本当に悪かったよ」


まだ迷っている美穂先生を急き立てるように駐車場へ向かった。




アパートは菊水駅から歩いて十分ほどのところだと言う。


白石駅から二駅ほどしか離れていないから、すぐに着いてしまうだろう。


送り届けたあとは琴似のマンションへ行く。


必要な書類や書籍、荷物を運び出さなければいけない。


「今日は悠ちゃんとっても楽しそうでしたね。パパのこと大好きなのがすぐにわかりました。私のお手伝いなんて必要なかったと思います」


考えごとをしながら運転していたら、沈黙が苦手なのか、美穂先生が話し始めた。


俺はまだ彼女を諦めたわけではなかったけれど、ご機嫌をとることはもうやめた。


逃げる女を追いかけるのは逆効果だから。


それに、結婚願望の強い女と遊ぶのは厄介だ。


流石にこんな歳になると揉め事はできる限り避けたい。


というか、もうたくさんだ。



「あ、あの、もしかして、怒ってます? お食事のお誘いを断ったこと」


黙りこくっている俺を恐る恐る見つめる彼女が可愛かった。


「怒るわけないでしょう。断られて当然だ。前妻に見放された子持ちの男なんかと食事しても、楽しくないに決まってる」


「………。」


「今日は本当に助かったよ。まぁ、はじめての面会に成功したところで、明日から仕事で忙しくなるから、なかなか会うこともできなくなるんだけどね」


彩矢は本当に月二回の面会を許してくれるだろうか。


弁護士を通して、正式に決めておかなければいけない。


「よかったら、悠ちゃんと雪花ちゃんの様子を時々LINEで知らせましょうか?」


彼女の言葉の端々に、未練のようなものを感じるのは思い過ごしか……


追えば逃げたがり、去れば追いかけたくなるのは、男女を問わず共通の心理か。


彼女は迷っているのかもしれない。



「それはありがたいな。彩矢からはなかなか聞けないから。美穂先生は本当に優しいな」


「たまにしか逢えないなんて、寂しすぎますもの。二人とも可愛い盛りですし」


そんなたわいもない会話をしているうちに、十分ほどでアパートに着いてしまった。


築三十年以上は経っているような、ボロいアパートだった。


確かに保育士の仕事は、ハードな割に薄給だと聞いているけれど。


それにしても………。


「わざわざ送っていただいてありがとうございました。じゃあ、明日からお仕事頑張ってください」


彼女はなにか名残惜しそうに車から降りた。


「美穂先生、ありがとう。弁当、本当に美味かったよ」


寂しく微笑み、軽く頭を下げた美穂先生に見送られ、アクセルを踏んだ。






琴似のマンションへ車を走らせながら、心はいつしか十五年も昔の高校時代にさかのぼっていた。


ーー美穂先生。


その懐かしい名前の響きに当時の切ない想いがよみがえる。


今頃、どうしてるだろう。


浅倉美穂。


高校二年のときのクラス担任。


あの頃、美穂先生は就任してまだ二年目の新米教師だった。


教科は数学。


高二の新学期を迎え、クラス担任が発表された全体朝礼の日、俺たち男子はどよめき、歓喜の声をあげた。


あの年頃の男というものは、とかく大人の女性に憧れを抱くものだ。


例外にもれず、俺も美穂先生にぞっこんだった。


クラスの女子や、サッカー部の練習をこっそり見にくる下級生にも、可愛い女はいっぱいいたけれど、俺は一途に美穂先生だけを追い求めた。


こんな俺にも純情なときはあったのだ。
 


美穂先生は長身のスレンダー美人で、何をしてもサマになるイカした女だった。


ライダージャケットにグラマラスなボディを包み、750ccのバイクをかっ飛ばして通勤していた。


外したメットから、艶やかなロングヘアーがサラリと落ちる光景に、いつもゾクッとさせられたものだ。


俺以外にも美穂先生に夢中になっていた男どもはいたけれど、当時二十三歳の美穂先生にとって、俺たちはただの悪ガキにしか見えなかったに違いない。


休み時間、うるさくまとわりつく俺たちを、嫌がりもせずに可愛がってはくれたけれど、適当にあしらわれている感は否めなかった。


当然といえば当然のことだ。


いつまでも大勢の取り巻きのひとりとしか思われていないことが、俺には不満だった。


だけど、十七歳だった俺に、担任教師とプライベートに付き合う方法などわかるはずもなかった。


サッカーの練習を終え、クタクタになって自宅に戻ったあとも、美穂先生を想っては、悶々とした眠れぬ夜を過ごした。





秋の長雨でグラウンドが使用できない室内トレーニングの日。


ボールを使わない筋トレなどはつまらなくて、そんな日はいつも練習をサボってバレー部をのぞきに行った。


美穂先生は女子バレー部の顧問だった。


バレー部員がスパイク練習などをしているとき、俺もセッターにトスをあげてもらって
スパイクを打ったりして楽しんだ。


運動神経のいい俺のスパイクはビシバシと決まり、熱っぽい目を向けてくる女子もいた。


練習に図々しく割り込む俺に対して、女子部員も顧問の美穂先生も寛大だったが、隣のコートで練習していた男子部員は面白くなかったらしい。


五、六名のバレー部員に下校途中で待ち伏せされ、人気のない空き地へ連れていかれた。


中にはすでに退部している受験間近の三年までいた。


俺の通っていた高校は、道内では有名な進学校だったが、ここにいる三年は、まともな大学には到底入れそうもない落ちこぼれに違いなかった。


その憂さを晴らすために、こんなバカバカしいことに加担しに来たのだろう。


「おまえはバレー部員でもないのに、いつも目障りなんだよっ、今度邪魔しにきたらタダじゃおかないぞ!!」


下手くそなくせに図体だけはバカでかい、顔なしと呼ばれていた男が怒鳴りつけた。


「顧問の美穂先生の許可を得てるんだ。おまえらにツベコベ言われる筋合いはない」


「はぁ?  美穂先生の許可だぁ?  バカ! あの新米教師にそんな権限はないよ。俺たちが目障りだから来るなっていってるんだよっ ‼︎ 」


名前も知らない、口を聞いたこともない三年が、凄みを効かせてわめいた。



ふん、アホらしい。


こんなバカどもには関わりたくもない。


無視して奴らの間を通り抜けようとしたところ、その三年に腕をつかまれた。


「待てよ、逃げるのか 」


「今から浪人が決まってるようなマヌケの相手をしているヒマはないよ」


俺の嫌味は図星だったらしく、その三年は血相を変えた。


「て、てめぇ、、調子にのるなよっ、ぶっ殺されたいか。おまえは一年の時から生意気なんだよっ ‼︎ 」


ケンカでは負けたことのない俺だったけれど、六対一では勝ち目はないし、なんといっても暴力事件などを起こして、サッカーの試合に出られなくなるようなことは避けたかった。


まぶたが腫れあがるほどボコボコに殴られはしたけれど、立ち上がれないほどのダメージは受けなかった。


口の中が切れて血の味がした。


手で血をぬぐって起きあがり、草むらに投げ捨てられていたスクールバッグを拾った。





蹴られて痛む足を引きずりながら、よろよろと地下鉄駅に向かって歩いていたら、車道から俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。


「松田くん ⁉︎  」


腫れた瞼で振り向くと、750ccにまたがった美穂先生だった。


道路脇にバイクを停めた先生が、慌てて駆け寄ってきた。


「どうしたの?  誰にやられたの? 」


「いや、、考え事をして歩いていたら、つまずいて側溝に落ちてしまいました」


「そんな訳ないでしょう。ウソが下手ね。うちの高校のジャージだったから、誰かと思ったら、またあなただったのね」


ため息混じりに美穂先生は、非難とも憐れみともつかない目で俺を見つめた。


これまでも、クラスでトラブルが発生するたびに、俺はなにかしらの形で問題に関わっていることが多かった。


美穂先生にとって、すでにトラブルメーカーというイメージが定着しているのだろう。


「病院で診てもらったほうがいいわ。骨折でもしていたら大変なことだわ。後ろに乗って」


美穂先生は俺の腕をつかんで、バイクの後ろに乗るように促した。


マジか ⁉︎


こんないい目に遭えるとは思ってもみなかった。


熱をもってズキズキしていた頰の痛みさえ、消え失せたように感じた。


「落ちないでよ。ちゃんとつかまってて」


「は、はい、、」


美穂先生のくびれたウエストに腕をまわした。


秋風は冷たく、Tシャツの上にジャージしか着ていなかった俺は、凍死しそうなほど寒かった。


だけど心は焦げつきそうなほどに燃えて、美穂先生にしがみつきながら、この時間がいつまでも続いてくれることを願った。


ライダージャケットから伝わってきた温もりと柔らかさ。そして、なんともいえない甘く濃密な香り。


そんなラッキーな出来事があって、美穂先生に対する俺の想いは、もう歯止めがきかないほど膨らむ一方だった。


懐かしい思い出に浸って運転しているうちに、琴似のマンションに着いた。


同じ美穂でも、保育園の美穂先生はタイプがまったく違うな。



マンションのドアを開け、中へはいった。


人気のない静まり返ったリビングは寒々として、離婚のわびしさを強く感じさせた。


ブレーカーまで落とされてはいなかったが、冷蔵庫のコンセントさえも抜かれていた。


彩矢たちはずっとここのマンションは使っていないのだろう。


小樽から琴似のこのマンションに越してきて、俺自身は丸一年も住んでいない。


ローンはまだ三十年以上も残っている。


慰謝料と養育費のかわりに、彩矢にやってもいいと思っていたけれど。


佐野とこのマンションで暮らす気にはならないのだろう。


確かにそれは、俺にとってもいい気はしない。


売却して慰謝料を支払ったほうが、お互いにいいだろうと思った。


俺は片づけが苦手だから、家のことはジェニファーが来てから決めることにしよう。


クローゼットにあった段ボールに、必要なものを詰め込むと、時差ボケと朝早くから悠李と遊んだ疲れが出たのか眠くなった。


寝室のベッドに横たわり、目を閉じた。



三時間以上も寝ていたらしい。


目がさめると、カーテンをしていない窓の外はすでに暗くなっていた。


時計を見ると午後五時を過ぎていた。


頭のモヤモヤがなくなり、寝不足がかなり解消された。


気分がスッキリすると、まっすぐ実家に帰るのがつまらなく思えた。


やっぱり夕食は美穂先生と食べることにしよう。


警戒心が強い美穂先生と、すぐにいい関係になろうなどとは思っていない。


今日のところは、楽しく食事ができればそれでいい。


中年になったからなのか、楽しみは後に残しておきたい気分だ。


はにかんでうつむいた美穂先生のあどけないしぐさを思い出し、思わず笑みがこぼれた。


バスルームで軽くシャワーを浴び、急いでマンションを出た。




ボロいアパート前の駐車場に車を停め、躊躇することもなく電話をかけた。


『……はい、片山です』


俺からの電話を待っていただろうか。それとも妻子持ちは本当にお断りか。


「あ、俺だけど、やっぱり晩飯に付き合ってくれないかな? 一人で食べるのは侘しいだろ、頼むよ」


『……… 』


彼女は本当に嫌がっているのかも知れない。


正直すぎる俺には、本心を隠して相手に合わせようとする、日本人特有の心理が理解できないところがある。


「もう、アパートの前に着いてるんだよ。待ってるから、じゃあ」


どっちでもいいような気分になり、電話を切った。


十五分待って来なかったら帰ろう。


こんな強引な俺だけれど、すっぽかされたことだって沢山ある。


だけど、こちらから誘わなければなにも始まらない。


基本的に女というのは誘われることを待っている。


いつかステキな誰かがあらわれて、寂しく哀しい今の現実から、強引に連れ去ってくれることを。


そして、その理想的な王子は、生涯に渡って心底自分だけを愛してくれる。


女はそんな童話にでも出てくるような夢物語が好きなのだ。


俺も十代の頃はまだ、似たような馬鹿げた夢を追い続けていた。


美穂先生と本当に結婚できると思っていたのだ。



完全に裏切られ、俺のプライドは木っ端みじんに打ち砕かれた。


ひどく落ち込んで、ご飯が喉を通らなくなり、一ヶ月で体重が十キロ落ちた。


立ち直るのに半年はかかったと思う。


忘れるためにガムシャラに勉強をして、翌年北大医学部に合格した。


俺が女を取っ替え引っ替えしながら遊ぶようになったのは、医学部に入ってからだ。


女などまったく信用できない。


俺の誘いに乗ってきた女のほとんどは、将来は医者と結婚したいという不純な動機を持っていた。


結婚したいのは俺ではなく、あくまでも医者なのだ。


そんな見え見えの打算的な女を振っても、気が咎めることもなかった。


中には泣きわめいたりして、手こずらせる女もいるにはいたけれど。


そんな苦い思い出に浸っていたら、安アパートの錆びた鉄製の階段が、カンカンと鳴り響く足音が聞こえた。




やはり、来たな。


まだ迷っているのか、暗い顔をして車に近づいて来た。


俺は慌てて運転席から降り、礼を言った。


「いつも突然で悪いな。来てくれてありがとう。もう少し待って来なかったら帰ろうと思ってたんだ」


「いえ、わたし、……松田さんからの連絡を待ってました。ずっと、、ずっと待ってました」


一大決心でもしたかのように、強い視線で俺を見つめた。



思ってもみない捨て身の告白に動揺する。



ーーうまく行き過ぎだろう。



この女と遊ぶのは、ちょっと危険かもしれない。



 









 















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