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春の嵐
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*彩矢*
「いやっ、行かない! 保育園きらい」
「雪ちゃん、バァバと家にいても楽しくないでしょ。ほら、ちゃんと靴下を履いてちょうだい」
「バァバとおうちにいる!」
美穂先生が園を解雇されてからというもの、雪花はヘソを曲げてしまって、朝の忙しい時間帯に度々このような駄々をこねた。
「雪花ちゃん、萌奈ちゃんが待ってるよ。プリキュアごっこしようねって約束したでしょう?」
「プリキュアしない! 萌奈ちゃんきらい!」
「雪花ちゃん!」
言い出したら聞かない雪花をなだめるのは、容易でない。
「仕方がないわね。今日は雪ちゃん休ませましょう。あなたも早く行かないと遅刻するわよ。悠ちゃんだけ連れてってあげて」
母はサッサとあきらめて、肩でふぅとため息をついた。
「ダメよ。いつもそうやって甘やかしてばかりいたら、これから大変なことになるもの。雪花、早くしてくれないとママ遅れちゃうわ」
二階へ逃げようと階段に向かった雪花をつかまえて、靴下を履かせようとした。
「いやっ、いかない! !」
靴下を履かせせるのに手間取っていたら、悠李があばれる雪花の腕を押さえつけた。
「雪花っ、ママがお仕事に遅れるって言ってるでしょっ! 」
悠李は私を助けようとしてくれたのだけれど、それは逆効果にしかならなかった。
雪花はますます抵抗して泣き叫んだ。
「うぎゃぁー! ぎゃーっ、うわーーん!!」
泣き叫ぶ雪花と格闘している私たちに見かねた母が飛んできた。
「もう、やめなさい。これ以上無理強いしたら、本当に保育園が嫌いになっちゃうわ」
いつでもこんな我儘に屈服してしまうことが、本当に雪花のためになるだろうか。
それでもこれ以上の無理強いは、確かによくない気がして、連れて行くことを断念した。
雪花はすぐに泣きやんで、ベーッと舌を出すと、階段を駆け上がって二階の部屋へ逃げてしまった。
わが娘とはいえ、なんて憎らしいのだろう。
あの子は一体どんな娘に育つのか。
自分とはあまりに異質なタイプで、どんな風に対応するのが一番なのか全くわからない。
「……悠李、じゃあ、二人で行こうね」
「雪花はいつもわがままなんだからっ!!」
怒りのやり場をなくした悠李は、雪花の幼稚園バッグをつかむと、思いっきり床に叩きつけた。
雪花に対する悠李の正義感は、キツすぎると感じるときがある。
正反対の生真面目な気性を持つ悠李は、わがまま放題の雪花に妬ましさを感じているのだろうか。
子育てに自信が持てなくなり、暗い気持ちで玄関に向かった。
玄関で靴を履き外に出ると、ここ数日の陽気で歩道の雪はすっかり融けていた。
三月がもうすぐ終わるなんて信じられない。ついこの間、お正月が終わったばかりだというのに。
なんて早いんだろう。
徒歩五分ほどのところにある保育園へ、悠李と手をつなぎながら歩いた。
いつもは左手にバッグを下げ、右手は雪花と手をつないでいた。
なので悠李は文句を言うこともなく、私の隣をだまって歩いてくれていたけれど、本当はこうして手をつなぎたかっただろうな。
お兄ちゃんと云えども、まだ四歳の男の子なのだ。
「悠李は保育園楽しい? 行きたくない日もあるでしょう?」
「ないよ。だって保育園に行かないとママが困るでしょ?」
いい子すぎる悠李に、なんとも言えない不安を感じた。雪花より、もっと深刻な問題が生じそうな、そんな気がして。
「悠李も行きたくないときは言ってもいいのよ。我慢ばかりしなくていいんだからね」
「……うん、ママ、美穂先生はどうして保育園を辞めちゃったの? 雪花を連れていったのは美穂先生なの? 奏太くんがね、ママからそう聞いたんだって」
どこからそんな情報が漏れたのだろう。
警察沙汰になるような事件だったのだ。漏れないほうがおかしいのかも知れない。
もしかして、美穂先生と潤一の関係までバレているのだろうか。
「……美穂先生は誘拐するつもりじゃなかったの。お父さまが亡くなったばかりで、、だから、うまく言えないんだけど、きっと一人ぼっちで寂しかったのよ」
寂しいが理由で幼児を連れ去るなど、決して許されることではないけれど、美穂先生を悪く言うことには抵抗があった。
「ママ、悠李もパパがいなくなって寂しいよ。パパに会いに行ってもいい?」
「……そ、そうね。パパもきっと悠李と雪花に会いたがっているわね。そのうち連絡してあげる」
「本当? じゃあ、土曜日に会える?」
「えっ、、あ、あのね、土曜日はね、佐野のおじちゃんがアパートに遊びにおいでって誘ってくれたの。おじちゃん、とってもきれいなマンションに引っ越したんですって。悠李も行ってみたいでしょう?」
「……….」
いつものように喜んでくれるかと思ったのに、悠李は曇った顔をしてうつむいた。
「おじちゃんね、、悠李の好きなハンバーグを作ってみるって張り切ってるのよ。泊まってもいいんですって。きっとすごく楽しいよ!」
「………わかった。じゃあ、おじちゃんのうちに行く」
悠李が仕方なくそう言ったことに気づいたけれど、出来ることなら今は潤一に会わせたくないのが正直な気持ちだ。
「よかった。悠李が行かないって言ったら、おじちゃんガッカリするものね」
「ママもガッカリするでしょう?」
私の思いをすべて見透かすように悠李が言った。
「悠李が行きたくなかったら行かなくていいのよ。無理して行っても、おじちゃんだって悲しい気持ちになるでしょう」
この言い方になんとなく、脅しが込められているような、そんな後ろめたさを感じた。
「…悠李いくよ、おじちゃんのウチに」
「あ、…ありがとう、悠李。パパは忙しいからすぐには会えないかもしれないけど、ちゃんと連絡するからね」
「………うん」
悠李は仕方なくコクンとうなずいた。
無理をさせているのは分かっている。
だけど、いつまでも潤一に執着などしていたら、この先ずっと寂しい気持ちを引きずるはずだ。
とにかく早く佐野さんに慣れて、パパになってくれて嬉しいと感じさせたい。
“ 大した荷物もないから引っ越しは一人で出来る ” と遼くんは言っていた。
私としてはなんとなく、家族ぐるみで引っ越し作業を楽しみたかった。
子供たちがいたら、お手伝いではなく、逆に足手まといになるのはわかってるけど。
二人で選んだ家具や家電の配置は、あらかじめ決めておいたから、あとは悠李と雪花が慣れてきたら、少しずつ私たちの荷物を運び込む予定だった。
私はもっと余裕を持って、悠李に接してあげるべきだったのだろう。
悠李の気持より、自分の欲求を優先していたのだ。
「いやっ、行かない! 保育園きらい」
「雪ちゃん、バァバと家にいても楽しくないでしょ。ほら、ちゃんと靴下を履いてちょうだい」
「バァバとおうちにいる!」
美穂先生が園を解雇されてからというもの、雪花はヘソを曲げてしまって、朝の忙しい時間帯に度々このような駄々をこねた。
「雪花ちゃん、萌奈ちゃんが待ってるよ。プリキュアごっこしようねって約束したでしょう?」
「プリキュアしない! 萌奈ちゃんきらい!」
「雪花ちゃん!」
言い出したら聞かない雪花をなだめるのは、容易でない。
「仕方がないわね。今日は雪ちゃん休ませましょう。あなたも早く行かないと遅刻するわよ。悠ちゃんだけ連れてってあげて」
母はサッサとあきらめて、肩でふぅとため息をついた。
「ダメよ。いつもそうやって甘やかしてばかりいたら、これから大変なことになるもの。雪花、早くしてくれないとママ遅れちゃうわ」
二階へ逃げようと階段に向かった雪花をつかまえて、靴下を履かせようとした。
「いやっ、いかない! !」
靴下を履かせせるのに手間取っていたら、悠李があばれる雪花の腕を押さえつけた。
「雪花っ、ママがお仕事に遅れるって言ってるでしょっ! 」
悠李は私を助けようとしてくれたのだけれど、それは逆効果にしかならなかった。
雪花はますます抵抗して泣き叫んだ。
「うぎゃぁー! ぎゃーっ、うわーーん!!」
泣き叫ぶ雪花と格闘している私たちに見かねた母が飛んできた。
「もう、やめなさい。これ以上無理強いしたら、本当に保育園が嫌いになっちゃうわ」
いつでもこんな我儘に屈服してしまうことが、本当に雪花のためになるだろうか。
それでもこれ以上の無理強いは、確かによくない気がして、連れて行くことを断念した。
雪花はすぐに泣きやんで、ベーッと舌を出すと、階段を駆け上がって二階の部屋へ逃げてしまった。
わが娘とはいえ、なんて憎らしいのだろう。
あの子は一体どんな娘に育つのか。
自分とはあまりに異質なタイプで、どんな風に対応するのが一番なのか全くわからない。
「……悠李、じゃあ、二人で行こうね」
「雪花はいつもわがままなんだからっ!!」
怒りのやり場をなくした悠李は、雪花の幼稚園バッグをつかむと、思いっきり床に叩きつけた。
雪花に対する悠李の正義感は、キツすぎると感じるときがある。
正反対の生真面目な気性を持つ悠李は、わがまま放題の雪花に妬ましさを感じているのだろうか。
子育てに自信が持てなくなり、暗い気持ちで玄関に向かった。
玄関で靴を履き外に出ると、ここ数日の陽気で歩道の雪はすっかり融けていた。
三月がもうすぐ終わるなんて信じられない。ついこの間、お正月が終わったばかりだというのに。
なんて早いんだろう。
徒歩五分ほどのところにある保育園へ、悠李と手をつなぎながら歩いた。
いつもは左手にバッグを下げ、右手は雪花と手をつないでいた。
なので悠李は文句を言うこともなく、私の隣をだまって歩いてくれていたけれど、本当はこうして手をつなぎたかっただろうな。
お兄ちゃんと云えども、まだ四歳の男の子なのだ。
「悠李は保育園楽しい? 行きたくない日もあるでしょう?」
「ないよ。だって保育園に行かないとママが困るでしょ?」
いい子すぎる悠李に、なんとも言えない不安を感じた。雪花より、もっと深刻な問題が生じそうな、そんな気がして。
「悠李も行きたくないときは言ってもいいのよ。我慢ばかりしなくていいんだからね」
「……うん、ママ、美穂先生はどうして保育園を辞めちゃったの? 雪花を連れていったのは美穂先生なの? 奏太くんがね、ママからそう聞いたんだって」
どこからそんな情報が漏れたのだろう。
警察沙汰になるような事件だったのだ。漏れないほうがおかしいのかも知れない。
もしかして、美穂先生と潤一の関係までバレているのだろうか。
「……美穂先生は誘拐するつもりじゃなかったの。お父さまが亡くなったばかりで、、だから、うまく言えないんだけど、きっと一人ぼっちで寂しかったのよ」
寂しいが理由で幼児を連れ去るなど、決して許されることではないけれど、美穂先生を悪く言うことには抵抗があった。
「ママ、悠李もパパがいなくなって寂しいよ。パパに会いに行ってもいい?」
「……そ、そうね。パパもきっと悠李と雪花に会いたがっているわね。そのうち連絡してあげる」
「本当? じゃあ、土曜日に会える?」
「えっ、、あ、あのね、土曜日はね、佐野のおじちゃんがアパートに遊びにおいでって誘ってくれたの。おじちゃん、とってもきれいなマンションに引っ越したんですって。悠李も行ってみたいでしょう?」
「……….」
いつものように喜んでくれるかと思ったのに、悠李は曇った顔をしてうつむいた。
「おじちゃんね、、悠李の好きなハンバーグを作ってみるって張り切ってるのよ。泊まってもいいんですって。きっとすごく楽しいよ!」
「………わかった。じゃあ、おじちゃんのうちに行く」
悠李が仕方なくそう言ったことに気づいたけれど、出来ることなら今は潤一に会わせたくないのが正直な気持ちだ。
「よかった。悠李が行かないって言ったら、おじちゃんガッカリするものね」
「ママもガッカリするでしょう?」
私の思いをすべて見透かすように悠李が言った。
「悠李が行きたくなかったら行かなくていいのよ。無理して行っても、おじちゃんだって悲しい気持ちになるでしょう」
この言い方になんとなく、脅しが込められているような、そんな後ろめたさを感じた。
「…悠李いくよ、おじちゃんのウチに」
「あ、…ありがとう、悠李。パパは忙しいからすぐには会えないかもしれないけど、ちゃんと連絡するからね」
「………うん」
悠李は仕方なくコクンとうなずいた。
無理をさせているのは分かっている。
だけど、いつまでも潤一に執着などしていたら、この先ずっと寂しい気持ちを引きずるはずだ。
とにかく早く佐野さんに慣れて、パパになってくれて嬉しいと感じさせたい。
“ 大した荷物もないから引っ越しは一人で出来る ” と遼くんは言っていた。
私としてはなんとなく、家族ぐるみで引っ越し作業を楽しみたかった。
子供たちがいたら、お手伝いではなく、逆に足手まといになるのはわかってるけど。
二人で選んだ家具や家電の配置は、あらかじめ決めておいたから、あとは悠李と雪花が慣れてきたら、少しずつ私たちの荷物を運び込む予定だった。
私はもっと余裕を持って、悠李に接してあげるべきだったのだろう。
悠李の気持より、自分の欲求を優先していたのだ。
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