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第1章
美冬、六ヶ月
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**有紀**
早くも生後6ヶ月をすぎた美冬は、丸みを帯びて、一層かわいらしい赤ちゃんになった。
先月の4月から、美冬を院内の託児所に預けて仕事に復帰した。
美冬といつも一緒にいられないことは、哀しく辛いことだけれど、シングルマザーだということを忘れてはいけない。
貯金が目減りしてくるに従って、さすがに不安と焦りを感じた。
将来の教育費のことなども、今からしっかりと計画して貯蓄しなくてはいけない。
子供の学資保険に入らないと。
三歳くらいになったら、習い事もさせたいし。
託児所に預けているうちは、送り迎えができないから、ちょっと無理だろうな。
働くお母さんたちは、どうやって習い事をさせているのだろう。
二人の子を託児所に預けている比嘉さんに、後で聞いてみよう。
プルルルル~~!
回診後の処置台を片付けていたら、ナースコールが鳴った。
「はーい、どうしましたか~?」
『点滴が終わりましたぁ』
「今行きまーす!」
昨日、妹の遥香から電話が来た。
今年の九月に結婚するという。
あんなに合コンばかりしていた遥香だけれど、結局お相手は同じ職場の銀行員とのこと。
まだ一度もお目にかかったわけでもないけれど、堅気な職業だし、遥香はおかしな人を選ぶとも思えないから、良かったと思う。
私の離婚騒動で藤沢家には、なんともいえない暗い空気を送り込んでしまったから。
おめでたい出来事で、家族が再び明るさを取り戻せたことがとても嬉しい。
すでに結納もすませているが、私とは顔を合わせたこともないので、一度北海道に帰って来たらとのこと。
そろそろ美冬のお披露目だってしないと………。
妹の遥香には口止めを条件に打ち明けていたのだが、両親と駿太にはまだ言えてなかった。
父と母のショックを思うと気が咎めるけれど、かわいい美冬を前にしたら、怒りも落胆も吹き飛んでしまうだろう。
昼休み託児所に行って、美冬におっぱいをあげる。
すっかりミルクに慣れてしまったようで、あまり飲んではくれなかった。
と言うより、ミルクばかり飲まされているせいで、私のおっぱいも出が悪くなってしまったのだ。
「美冬はもう、お腹いっぱいなんだね~」
最近はキャッキャッとはしゃいでよく笑う。
この子の笑い上戸なところは私に似たのかもしれない。
「ごめんね。さっき泣いたときにミルクを飲ませちゃったの」
五十代後半のベテラン保育士、金城泰代さんがそばに来て、美冬を覗きこんだ。
「大丈夫です。ミルクに慣れてくれないと、私も困りますから。最初は大変だったなぁ、美冬はミルク飲めなくて泣くし、私のおっぱいは張ってカチンカチンになるし。メッチャ痛かった~~」
「預ける前にミルクで慣らしておかないんだもの。そりゃあ、カチカチになるでしょう。だけど、でーじ(とっても)可愛いさぁ、この子。ニコニコご機嫌ちゃんで。ちゅらさんになれるさね~」
うふっ、嬉しい!
やっぱり、誰がみてても美冬はかわいいもんね~~。
それに修二さんは多才だ。
きっと素晴らしいDNAを受け継いでいるに違いない。
でもママはね、才能があっても無くても、どんな美冬だって大好きだよ。
託児所には7名ほどの子供がいて、2人の保育士さんがお世話をしてくれている。
乳児は美冬だけで、あとは2歳以上の子供たちだ。
若いほうの保育士さんは座卓テーブルで、子供たちと折り紙をいじっていた。
託児所だと園庭もなく、中々お外へ連れて行ってもらえないことが、少し寂しい。
乳児は手がかかるのだから、贅沢なことは言えないけれど。
もう、5月も過ぎて外は真夏のように暑い。
子供を外で遊ばせることなどを考えると、日差しが強すぎる沖縄より、北海道のほうがずっと楽しいように思える。
もちろん、沖縄にも良いところはたくさんあるのだけれど。
来月休みをとって、北海道へ帰省することになっている。
名目は遥香の婚約者さんとの顔合わせだけれど、美冬のお披露目が第一の目的だ。
美冬、あなたのおじいちゃんとおばあちゃんに、もうすぐ会えるからね。
***
那覇空港を10時過ぎの便で立ち、新千歳に着いたのは16時40分だった。
飛行機の中で、美冬が泣き続けたらどうしようと思っていたけれど。
ミルクに慣れてしまった美冬はさほど泣きもせず、なんとか無事にたどり着いてホッとする。
これから列車に乗ったら、札幌の自宅に着くのは18時30分くらいかな?
家族も帰宅する頃だから、ちょうどいい。
両親の驚愕した顔を想像し、少し憂鬱な気分に襲われる。
藤沢家の長女として1番に信頼され、頼りにもされて来たと自負していたけれど。
ここ数年はことごとく両親の期待を裏切り、落胆させてばかり。
だけどそれは私の素行の悪さからきたものではない。
遼介と結婚したことも、修二さんの子を妊娠してしまったことも今は後悔はない。
私の努力では及ばないアクシデントがあったのだ。
色々あったけれど、結果が良ければいいでしょ。
こんなに可愛い美冬が生まれたのに失敗したなんて思いたくない。
美冬を抱っこしてスーツケースを引っ張りながら歩くのは、かなりしんどい。
トイレで美冬のオムツを替えてから改札を抜け、17時30発の列車に乗った。
列車内は混んでいたけれど、シルバーシートがひとつ空いていて、運良く座ることができた。
「美冬、飛行機の中で泣かないでいてくれて、ありがとう」
ミルクもたっぷりと飲んだ美冬はご機嫌で、とても助かる。
スーツケースが転がらないように、足で抑え、美冬をあやしながら車窓から懐かしい北海道の風景を見た。
夕暮れの恵庭の街並み。
夏至に近づいているこの時期、外はセピア色に染まりかけているけれど、まだ明るい。
車中からでも新緑の清々しい空気が感じられ、心が浮き立つ。
やっぱり故郷っていいなぁと、この時期だから特にそう思う。
3泊4日の短い帰省だけれど、北海道の美味しいものをたくさん食べて帰ろうっと。
札幌駅で降り、地下鉄東豊線に乗り換えて、元町駅で下車した。
家まで歩いて6分ほどだ。
「美冬~~ 疲れたね、もうすぐだよ」
「あぶぶぅ、あぶ」
抱っこ紐で前抱きされている美冬は、ぱっちりと目を開けて、ジッと私を見つめている。
家に近づいてくるに従って、緊張してきた。
私が行くことは知らせているけれど……。
自宅に到着し、鍵は持っていたけれど、玄関のブザーを押した。
「はーい!」と、いつも通りの元気な母の声が聞こえた。
ガチャとドアが開いて、約一年ぶりの母と対面した。
「あ、あの、ただいま……」
母は私の顔よりも先に、抱っこされている美冬に目をやった。
「み、美冬~~!!」
えっ?
ど、どうして美冬の名前知ってるの?
「何してんのよ、早く入りなさい」
母は待ちきれないように、ボケっと突っ立っていた私の手からスーツケースをもぎ取った。
内緒と言っていたのに、遥香のおしゃべり!
だけど、母も喜んでいたみたいだし、まぁ、いいか。
一年ぶりのリビングはほとんど何も変わってはいなかった。
リビングの隣の和室にベビー用のおふとんや、おもちゃが用意されているのを見て、胸が熱くなる。
「あ、あの、ごめんなさい。黙ってて……」
母の顔をうかがいながら、抱っこ紐の美冬を下ろし、用意してくれたお布団へ寝かせた。
「もう生まれちゃったんだから、ゴチャゴチャ言うのはやめましょう。美冬が可哀想だわ。ねぇ、美冬~~」
布団に降ろされて、手足をバタバタさせていた美冬を母は抱き上げた。
「本当に可愛い子ねぇ、美冬ちゃんは」
「お、お父さんも知ってる? お父さん、なんて言ってた?」
まだ帰ってきていない、父に対面するのが怖ろしい。
「そりゃあ、ひどく怒ってたわよ。お父さんも私もね。なんの相談もなく沖縄へ行ったと思ったら、勝手に再婚なんかして。それはまだ許せるとしても、すぐに離婚して子供が生まれただなんて、あまりにも無茶苦茶でしょう。あなたをそんな風に育てた覚えはないわよ」
「ごめんなさい……」
なにひとつ言い訳は見つからず、黙りこむ。
「でもね、お母さんはあなたを信じることにしたの。きっとどうにもならない事情があってのことだってね。そうなんでしょう?」
咎めることなく、慈しむように語る母の目を見て、思わず涙がこみ上げる。
「ありがとう。今はまだ言えないの。いつかちゃんと話すわ。でも、信じて。私は間違ったことはしてないよ。だから、だから、美冬を産もうって思ったの」
「わかってる。お父さんもお母さんも有紀のことは信頼してる。美冬はみんなで可愛がってあげなきゃ」
「お母さん……」
涙が次々と溢れて止まらなくなる。
沖縄での出産は色々な人たちの助けもあって、それほど過酷なことはなかった。それでも当然、心細さが全くないわけはなかった。
今こうして肉親の暖かさに触れ、自分一人で背負っていたものが、少しだけ軽くなった気がした。
「ほら、いつまでも泣いていたら、美冬に笑われるよね~」
美冬が初めて対面した祖母を見つめて、「うばぁ、うばぁ」と笑った。
「わ~ この子、もう、ババァって言ってるよ。美冬は言葉が早いのね~~」
その後、父と妹の遥香が帰ってきて、久しぶりに賑やかな藤沢家の夕食だった。
お祝いだからと、近所のお寿司屋さんから出前のお寿司を取り、遥香がデパ地下で買ってきたお惣菜のご馳走。
大学生の駿太はバイトで遅かったけれど、10時過ぎに帰ってきて、美冬に大きなくまのぬいぐるみをプレゼントしてくれた。
自分の部屋ではなく、リビングの隣の和室に布団を敷いてもらい、美冬と並んで寝る。
「よかったね、美冬。みんなに可愛がってもらえて」
くまのぬいぐるみの横で寝息を立てている美冬にささやく。
やっぱり、家族っていいな。
翌朝はバタバタと慌ただしく、家族はみんなそれぞれに仕事や学校へと出かけて行った。
美冬とふたり取り残され、さて今日はどこへ行こうか。
友達は仕事をしているし、出産のことは以前おなじ病院だった可奈にしか話していなかった。
可奈とは明日の夜会うことになっている。
今日の夜は遥香の婚約者さんが来られる。
どんな人なんだろう。
まぁ、遥香が好きになる人だから、イケメンには違いないと思う。
「美冬、今日はどこへ行きたい? せっかくのいいお天気だから、お外に行きたいよね」
谷家のそばの公園を思い出した。
今頃は藤棚が満開で綺麗だろうな。
宮の森まではちょっと遠いけど、行ってみようか……。
修二さんは今、麗奈さんとどこで暮らしているかな?
後遺症はすっかり良くなっていたから、仕事を頑張っているのだろう。
なんといっても、もう一児のパパなんだから。
別に美冬を会わせたいわけじゃないし……。
ううん、やっぱり、会わせたいのかな。
心のどこかにそんな気持ちがあることは否定できなかった。
だけど、会わせてどうなるの?
私も修二さんも傷つくだけ。
実家そばの公園というのもつまらない気がして、結局タクシーに乗り、宮の森にある谷家に近い公園を告げた。
公園の藤棚は予想通り満開で、素晴らしく美しい薄紫に心がなごむ。
「見てごらん、美冬。綺麗でしょう」
藤棚のしたのベンチに腰をおろし、修二さんと数年前、二人でここに座ったことを思い出す。
やっぱりノコノコとこんなところに来るのではなかった。
次第にみじめな気分になり、気が滅入ってくる。
向こうの遊具やお砂場のほうで、親子連れが5組ほど仲良く遊んでいた。
なんとなく人と話がしたくなって、思い切って行ってみることにした。
「こんにちは~!」
明るく元気に挨拶してみたものの、やはり沖縄ほどスンナリとは受け入れてもらえず、警戒心と怪訝さをあらわにされた。
だけど、そんなことをいちいち気にするタイプでもないので、図々しく砂場で遊んでいる子供に話しかけた。
「ねぇ、なに作ってるの?」
シャベルで砂を盛りつけている女の子に話しかけた。
「トンネルを作るの。こんな大っきいの!」
女の子は警戒することもなく、目を見開いて大きく手を広げた。
「うわーっ、大っきいねー! ねぇ、おばさんも手伝ってもいい?」
「うん、いいよ。いっしょに遊ぼう!」
違うものを作っていた子供たちも集まって、一緒に作り始めた。
大人たちはおしゃべりに夢中で、かまってもらえないせいか、子供たちからは喜んで迎えられた。
子供と遊ぶのは大好きだ。
看護師と保育士とどっちになるか迷ったほどだ。
子供たちと仲良く遊んでいるのをみて、お母さんたちが話しかけてきた。
「ご近所なんですか? 」
この辺に住んでいるママさんたちは、やはりカジュアルなスタイルでも洗練されていた。
風に乗って素敵なパルファムの香りが漂う。
「いいえ、今は沖縄に住んでいるんですよ。昨日、実家に帰ってきたばかりで」
「わ~ 沖縄! いいところですよね。何度か行ったことがあるわ」
沖縄の話で盛り上がり、1時間以上も話していたら、すっかり仲良しになっていた。
時計を見ると、もうお昼だった。
「じゃあ、さようなら。また、ご実家に帰られたら遊びにいらして」
おしゃれな奥様たちは社交辞令を告げて、子供と帰って行った。
「美冬、眠くなった? そろそろ帰ろうか」
スマホでタクシーを呼び、藤棚の下のベンチに座って待っていた。
お昼はどこで何を食べようかな。
美冬を抱っこしているので、外食はやっぱり諦めたほうが良さそうだなどと考えていた。
そろそろタクシーが来る頃だけど……。
道路に目をやると、公園の入り口から犬を連れた男性が入って来た。
あっ、あのワンちゃんは、、
ルパン!!
そして、リードを手にしていた男性は、
しゅ、修二さん……。
早くも生後6ヶ月をすぎた美冬は、丸みを帯びて、一層かわいらしい赤ちゃんになった。
先月の4月から、美冬を院内の託児所に預けて仕事に復帰した。
美冬といつも一緒にいられないことは、哀しく辛いことだけれど、シングルマザーだということを忘れてはいけない。
貯金が目減りしてくるに従って、さすがに不安と焦りを感じた。
将来の教育費のことなども、今からしっかりと計画して貯蓄しなくてはいけない。
子供の学資保険に入らないと。
三歳くらいになったら、習い事もさせたいし。
託児所に預けているうちは、送り迎えができないから、ちょっと無理だろうな。
働くお母さんたちは、どうやって習い事をさせているのだろう。
二人の子を託児所に預けている比嘉さんに、後で聞いてみよう。
プルルルル~~!
回診後の処置台を片付けていたら、ナースコールが鳴った。
「はーい、どうしましたか~?」
『点滴が終わりましたぁ』
「今行きまーす!」
昨日、妹の遥香から電話が来た。
今年の九月に結婚するという。
あんなに合コンばかりしていた遥香だけれど、結局お相手は同じ職場の銀行員とのこと。
まだ一度もお目にかかったわけでもないけれど、堅気な職業だし、遥香はおかしな人を選ぶとも思えないから、良かったと思う。
私の離婚騒動で藤沢家には、なんともいえない暗い空気を送り込んでしまったから。
おめでたい出来事で、家族が再び明るさを取り戻せたことがとても嬉しい。
すでに結納もすませているが、私とは顔を合わせたこともないので、一度北海道に帰って来たらとのこと。
そろそろ美冬のお披露目だってしないと………。
妹の遥香には口止めを条件に打ち明けていたのだが、両親と駿太にはまだ言えてなかった。
父と母のショックを思うと気が咎めるけれど、かわいい美冬を前にしたら、怒りも落胆も吹き飛んでしまうだろう。
昼休み託児所に行って、美冬におっぱいをあげる。
すっかりミルクに慣れてしまったようで、あまり飲んではくれなかった。
と言うより、ミルクばかり飲まされているせいで、私のおっぱいも出が悪くなってしまったのだ。
「美冬はもう、お腹いっぱいなんだね~」
最近はキャッキャッとはしゃいでよく笑う。
この子の笑い上戸なところは私に似たのかもしれない。
「ごめんね。さっき泣いたときにミルクを飲ませちゃったの」
五十代後半のベテラン保育士、金城泰代さんがそばに来て、美冬を覗きこんだ。
「大丈夫です。ミルクに慣れてくれないと、私も困りますから。最初は大変だったなぁ、美冬はミルク飲めなくて泣くし、私のおっぱいは張ってカチンカチンになるし。メッチャ痛かった~~」
「預ける前にミルクで慣らしておかないんだもの。そりゃあ、カチカチになるでしょう。だけど、でーじ(とっても)可愛いさぁ、この子。ニコニコご機嫌ちゃんで。ちゅらさんになれるさね~」
うふっ、嬉しい!
やっぱり、誰がみてても美冬はかわいいもんね~~。
それに修二さんは多才だ。
きっと素晴らしいDNAを受け継いでいるに違いない。
でもママはね、才能があっても無くても、どんな美冬だって大好きだよ。
託児所には7名ほどの子供がいて、2人の保育士さんがお世話をしてくれている。
乳児は美冬だけで、あとは2歳以上の子供たちだ。
若いほうの保育士さんは座卓テーブルで、子供たちと折り紙をいじっていた。
託児所だと園庭もなく、中々お外へ連れて行ってもらえないことが、少し寂しい。
乳児は手がかかるのだから、贅沢なことは言えないけれど。
もう、5月も過ぎて外は真夏のように暑い。
子供を外で遊ばせることなどを考えると、日差しが強すぎる沖縄より、北海道のほうがずっと楽しいように思える。
もちろん、沖縄にも良いところはたくさんあるのだけれど。
来月休みをとって、北海道へ帰省することになっている。
名目は遥香の婚約者さんとの顔合わせだけれど、美冬のお披露目が第一の目的だ。
美冬、あなたのおじいちゃんとおばあちゃんに、もうすぐ会えるからね。
***
那覇空港を10時過ぎの便で立ち、新千歳に着いたのは16時40分だった。
飛行機の中で、美冬が泣き続けたらどうしようと思っていたけれど。
ミルクに慣れてしまった美冬はさほど泣きもせず、なんとか無事にたどり着いてホッとする。
これから列車に乗ったら、札幌の自宅に着くのは18時30分くらいかな?
家族も帰宅する頃だから、ちょうどいい。
両親の驚愕した顔を想像し、少し憂鬱な気分に襲われる。
藤沢家の長女として1番に信頼され、頼りにもされて来たと自負していたけれど。
ここ数年はことごとく両親の期待を裏切り、落胆させてばかり。
だけどそれは私の素行の悪さからきたものではない。
遼介と結婚したことも、修二さんの子を妊娠してしまったことも今は後悔はない。
私の努力では及ばないアクシデントがあったのだ。
色々あったけれど、結果が良ければいいでしょ。
こんなに可愛い美冬が生まれたのに失敗したなんて思いたくない。
美冬を抱っこしてスーツケースを引っ張りながら歩くのは、かなりしんどい。
トイレで美冬のオムツを替えてから改札を抜け、17時30発の列車に乗った。
列車内は混んでいたけれど、シルバーシートがひとつ空いていて、運良く座ることができた。
「美冬、飛行機の中で泣かないでいてくれて、ありがとう」
ミルクもたっぷりと飲んだ美冬はご機嫌で、とても助かる。
スーツケースが転がらないように、足で抑え、美冬をあやしながら車窓から懐かしい北海道の風景を見た。
夕暮れの恵庭の街並み。
夏至に近づいているこの時期、外はセピア色に染まりかけているけれど、まだ明るい。
車中からでも新緑の清々しい空気が感じられ、心が浮き立つ。
やっぱり故郷っていいなぁと、この時期だから特にそう思う。
3泊4日の短い帰省だけれど、北海道の美味しいものをたくさん食べて帰ろうっと。
札幌駅で降り、地下鉄東豊線に乗り換えて、元町駅で下車した。
家まで歩いて6分ほどだ。
「美冬~~ 疲れたね、もうすぐだよ」
「あぶぶぅ、あぶ」
抱っこ紐で前抱きされている美冬は、ぱっちりと目を開けて、ジッと私を見つめている。
家に近づいてくるに従って、緊張してきた。
私が行くことは知らせているけれど……。
自宅に到着し、鍵は持っていたけれど、玄関のブザーを押した。
「はーい!」と、いつも通りの元気な母の声が聞こえた。
ガチャとドアが開いて、約一年ぶりの母と対面した。
「あ、あの、ただいま……」
母は私の顔よりも先に、抱っこされている美冬に目をやった。
「み、美冬~~!!」
えっ?
ど、どうして美冬の名前知ってるの?
「何してんのよ、早く入りなさい」
母は待ちきれないように、ボケっと突っ立っていた私の手からスーツケースをもぎ取った。
内緒と言っていたのに、遥香のおしゃべり!
だけど、母も喜んでいたみたいだし、まぁ、いいか。
一年ぶりのリビングはほとんど何も変わってはいなかった。
リビングの隣の和室にベビー用のおふとんや、おもちゃが用意されているのを見て、胸が熱くなる。
「あ、あの、ごめんなさい。黙ってて……」
母の顔をうかがいながら、抱っこ紐の美冬を下ろし、用意してくれたお布団へ寝かせた。
「もう生まれちゃったんだから、ゴチャゴチャ言うのはやめましょう。美冬が可哀想だわ。ねぇ、美冬~~」
布団に降ろされて、手足をバタバタさせていた美冬を母は抱き上げた。
「本当に可愛い子ねぇ、美冬ちゃんは」
「お、お父さんも知ってる? お父さん、なんて言ってた?」
まだ帰ってきていない、父に対面するのが怖ろしい。
「そりゃあ、ひどく怒ってたわよ。お父さんも私もね。なんの相談もなく沖縄へ行ったと思ったら、勝手に再婚なんかして。それはまだ許せるとしても、すぐに離婚して子供が生まれただなんて、あまりにも無茶苦茶でしょう。あなたをそんな風に育てた覚えはないわよ」
「ごめんなさい……」
なにひとつ言い訳は見つからず、黙りこむ。
「でもね、お母さんはあなたを信じることにしたの。きっとどうにもならない事情があってのことだってね。そうなんでしょう?」
咎めることなく、慈しむように語る母の目を見て、思わず涙がこみ上げる。
「ありがとう。今はまだ言えないの。いつかちゃんと話すわ。でも、信じて。私は間違ったことはしてないよ。だから、だから、美冬を産もうって思ったの」
「わかってる。お父さんもお母さんも有紀のことは信頼してる。美冬はみんなで可愛がってあげなきゃ」
「お母さん……」
涙が次々と溢れて止まらなくなる。
沖縄での出産は色々な人たちの助けもあって、それほど過酷なことはなかった。それでも当然、心細さが全くないわけはなかった。
今こうして肉親の暖かさに触れ、自分一人で背負っていたものが、少しだけ軽くなった気がした。
「ほら、いつまでも泣いていたら、美冬に笑われるよね~」
美冬が初めて対面した祖母を見つめて、「うばぁ、うばぁ」と笑った。
「わ~ この子、もう、ババァって言ってるよ。美冬は言葉が早いのね~~」
その後、父と妹の遥香が帰ってきて、久しぶりに賑やかな藤沢家の夕食だった。
お祝いだからと、近所のお寿司屋さんから出前のお寿司を取り、遥香がデパ地下で買ってきたお惣菜のご馳走。
大学生の駿太はバイトで遅かったけれど、10時過ぎに帰ってきて、美冬に大きなくまのぬいぐるみをプレゼントしてくれた。
自分の部屋ではなく、リビングの隣の和室に布団を敷いてもらい、美冬と並んで寝る。
「よかったね、美冬。みんなに可愛がってもらえて」
くまのぬいぐるみの横で寝息を立てている美冬にささやく。
やっぱり、家族っていいな。
翌朝はバタバタと慌ただしく、家族はみんなそれぞれに仕事や学校へと出かけて行った。
美冬とふたり取り残され、さて今日はどこへ行こうか。
友達は仕事をしているし、出産のことは以前おなじ病院だった可奈にしか話していなかった。
可奈とは明日の夜会うことになっている。
今日の夜は遥香の婚約者さんが来られる。
どんな人なんだろう。
まぁ、遥香が好きになる人だから、イケメンには違いないと思う。
「美冬、今日はどこへ行きたい? せっかくのいいお天気だから、お外に行きたいよね」
谷家のそばの公園を思い出した。
今頃は藤棚が満開で綺麗だろうな。
宮の森まではちょっと遠いけど、行ってみようか……。
修二さんは今、麗奈さんとどこで暮らしているかな?
後遺症はすっかり良くなっていたから、仕事を頑張っているのだろう。
なんといっても、もう一児のパパなんだから。
別に美冬を会わせたいわけじゃないし……。
ううん、やっぱり、会わせたいのかな。
心のどこかにそんな気持ちがあることは否定できなかった。
だけど、会わせてどうなるの?
私も修二さんも傷つくだけ。
実家そばの公園というのもつまらない気がして、結局タクシーに乗り、宮の森にある谷家に近い公園を告げた。
公園の藤棚は予想通り満開で、素晴らしく美しい薄紫に心がなごむ。
「見てごらん、美冬。綺麗でしょう」
藤棚のしたのベンチに腰をおろし、修二さんと数年前、二人でここに座ったことを思い出す。
やっぱりノコノコとこんなところに来るのではなかった。
次第にみじめな気分になり、気が滅入ってくる。
向こうの遊具やお砂場のほうで、親子連れが5組ほど仲良く遊んでいた。
なんとなく人と話がしたくなって、思い切って行ってみることにした。
「こんにちは~!」
明るく元気に挨拶してみたものの、やはり沖縄ほどスンナリとは受け入れてもらえず、警戒心と怪訝さをあらわにされた。
だけど、そんなことをいちいち気にするタイプでもないので、図々しく砂場で遊んでいる子供に話しかけた。
「ねぇ、なに作ってるの?」
シャベルで砂を盛りつけている女の子に話しかけた。
「トンネルを作るの。こんな大っきいの!」
女の子は警戒することもなく、目を見開いて大きく手を広げた。
「うわーっ、大っきいねー! ねぇ、おばさんも手伝ってもいい?」
「うん、いいよ。いっしょに遊ぼう!」
違うものを作っていた子供たちも集まって、一緒に作り始めた。
大人たちはおしゃべりに夢中で、かまってもらえないせいか、子供たちからは喜んで迎えられた。
子供と遊ぶのは大好きだ。
看護師と保育士とどっちになるか迷ったほどだ。
子供たちと仲良く遊んでいるのをみて、お母さんたちが話しかけてきた。
「ご近所なんですか? 」
この辺に住んでいるママさんたちは、やはりカジュアルなスタイルでも洗練されていた。
風に乗って素敵なパルファムの香りが漂う。
「いいえ、今は沖縄に住んでいるんですよ。昨日、実家に帰ってきたばかりで」
「わ~ 沖縄! いいところですよね。何度か行ったことがあるわ」
沖縄の話で盛り上がり、1時間以上も話していたら、すっかり仲良しになっていた。
時計を見ると、もうお昼だった。
「じゃあ、さようなら。また、ご実家に帰られたら遊びにいらして」
おしゃれな奥様たちは社交辞令を告げて、子供と帰って行った。
「美冬、眠くなった? そろそろ帰ろうか」
スマホでタクシーを呼び、藤棚の下のベンチに座って待っていた。
お昼はどこで何を食べようかな。
美冬を抱っこしているので、外食はやっぱり諦めたほうが良さそうだなどと考えていた。
そろそろタクシーが来る頃だけど……。
道路に目をやると、公園の入り口から犬を連れた男性が入って来た。
あっ、あのワンちゃんは、、
ルパン!!
そして、リードを手にしていた男性は、
しゅ、修二さん……。
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