六華 snow crystal 5

なごみ

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第1章

美冬、六ヶ月

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**有紀**


早くも生後6ヶ月をすぎた美冬は、丸みを帯びて、一層かわいらしい赤ちゃんになった。


先月の4月から、美冬を院内の託児所に預けて仕事に復帰した。


美冬といつも一緒にいられないことは、哀しく辛いことだけれど、シングルマザーだということを忘れてはいけない。


貯金が目減りしてくるに従って、さすがに不安と焦りを感じた。


将来の教育費のことなども、今からしっかりと計画して貯蓄しなくてはいけない。


子供の学資保険に入らないと。


三歳くらいになったら、習い事もさせたいし。


託児所に預けているうちは、送り迎えができないから、ちょっと無理だろうな。


働くお母さんたちは、どうやって習い事をさせているのだろう。


二人の子を託児所に預けている比嘉さんに、後で聞いてみよう。



プルルルル~~!


回診後の処置台を片付けていたら、ナースコールが鳴った。


「はーい、どうしましたか~?」


『点滴が終わりましたぁ』


「今行きまーす!」







昨日、妹の遥香から電話が来た。


今年の九月に結婚するという。


あんなに合コンばかりしていた遥香だけれど、結局お相手は同じ職場の銀行員とのこと。


まだ一度もお目にかかったわけでもないけれど、堅気な職業だし、遥香はおかしな人を選ぶとも思えないから、良かったと思う。


私の離婚騒動で藤沢家には、なんともいえない暗い空気を送り込んでしまったから。


おめでたい出来事で、家族が再び明るさを取り戻せたことがとても嬉しい。


すでに結納もすませているが、私とは顔を合わせたこともないので、一度北海道に帰って来たらとのこと。


そろそろ美冬のお披露目だってしないと………。



妹の遥香には口止めを条件に打ち明けていたのだが、両親と駿太にはまだ言えてなかった。
 


父と母のショックを思うと気が咎めるけれど、かわいい美冬を前にしたら、怒りも落胆も吹き飛んでしまうだろう。







昼休み託児所に行って、美冬におっぱいをあげる。


すっかりミルクに慣れてしまったようで、あまり飲んではくれなかった。


と言うより、ミルクばかり飲まされているせいで、私のおっぱいも出が悪くなってしまったのだ。


「美冬はもう、お腹いっぱいなんだね~」


最近はキャッキャッとはしゃいでよく笑う。


この子の笑い上戸なところは私に似たのかもしれない。


「ごめんね。さっき泣いたときにミルクを飲ませちゃったの」


五十代後半のベテラン保育士、金城泰代さんがそばに来て、美冬を覗きこんだ。


「大丈夫です。ミルクに慣れてくれないと、私も困りますから。最初は大変だったなぁ、美冬はミルク飲めなくて泣くし、私のおっぱいは張ってカチンカチンになるし。メッチャ痛かった~~」


「預ける前にミルクで慣らしておかないんだもの。そりゃあ、カチカチになるでしょう。だけど、でーじ(とっても)可愛いさぁ、この子。ニコニコご機嫌ちゃんで。ちゅらさんになれるさね~」


うふっ、嬉しい!


やっぱり、誰がみてても美冬はかわいいもんね~~。


それに修二さんは多才だ。


きっと素晴らしいDNAを受け継いでいるに違いない。


でもママはね、才能があっても無くても、どんな美冬だって大好きだよ。






託児所には7名ほどの子供がいて、2人の保育士さんがお世話をしてくれている。


乳児は美冬だけで、あとは2歳以上の子供たちだ。


若いほうの保育士さんは座卓テーブルで、子供たちと折り紙をいじっていた。


託児所だと園庭もなく、中々お外へ連れて行ってもらえないことが、少し寂しい。


乳児は手がかかるのだから、贅沢なことは言えないけれど。


もう、5月も過ぎて外は真夏のように暑い。


子供を外で遊ばせることなどを考えると、日差しが強すぎる沖縄より、北海道のほうがずっと楽しいように思える。


もちろん、沖縄にも良いところはたくさんあるのだけれど。


来月休みをとって、北海道へ帰省することになっている。


名目は遥香の婚約者さんとの顔合わせだけれど、美冬のお披露目が第一の目的だ。


美冬、あなたのおじいちゃんとおばあちゃんに、もうすぐ会えるからね。





***


那覇空港を10時過ぎの便で立ち、新千歳に着いたのは16時40分だった。


飛行機の中で、美冬が泣き続けたらどうしようと思っていたけれど。


ミルクに慣れてしまった美冬はさほど泣きもせず、なんとか無事にたどり着いてホッとする。



これから列車に乗ったら、札幌の自宅に着くのは18時30分くらいかな?


家族も帰宅する頃だから、ちょうどいい。


両親の驚愕した顔を想像し、少し憂鬱な気分に襲われる。


藤沢家の長女として1番に信頼され、頼りにもされて来たと自負していたけれど。


ここ数年はことごとく両親の期待を裏切り、落胆させてばかり。


だけどそれは私の素行の悪さからきたものではない。


遼介と結婚したことも、修二さんの子を妊娠してしまったことも今は後悔はない。


私の努力では及ばないアクシデントがあったのだ。


色々あったけれど、結果が良ければいいでしょ。


こんなに可愛い美冬が生まれたのに失敗したなんて思いたくない。







美冬を抱っこしてスーツケースを引っ張りながら歩くのは、かなりしんどい。


トイレで美冬のオムツを替えてから改札を抜け、17時30発の列車に乗った。


列車内は混んでいたけれど、シルバーシートがひとつ空いていて、運良く座ることができた。


「美冬、飛行機の中で泣かないでいてくれて、ありがとう」


ミルクもたっぷりと飲んだ美冬はご機嫌で、とても助かる。


スーツケースが転がらないように、足で抑え、美冬をあやしながら車窓から懐かしい北海道の風景を見た。


夕暮れの恵庭の街並み。


夏至に近づいているこの時期、外はセピア色に染まりかけているけれど、まだ明るい。


車中からでも新緑の清々しい空気が感じられ、心が浮き立つ。


やっぱり故郷っていいなぁと、この時期だから特にそう思う。


3泊4日の短い帰省だけれど、北海道の美味しいものをたくさん食べて帰ろうっと。







札幌駅で降り、地下鉄東豊線に乗り換えて、元町駅で下車した。


家まで歩いて6分ほどだ。


「美冬~~  疲れたね、もうすぐだよ」


「あぶぶぅ、あぶ」


抱っこ紐で前抱きされている美冬は、ぱっちりと目を開けて、ジッと私を見つめている。


家に近づいてくるに従って、緊張してきた。



私が行くことは知らせているけれど……。



自宅に到着し、鍵は持っていたけれど、玄関のブザーを押した。



「はーい!」と、いつも通りの元気な母の声が聞こえた。


ガチャとドアが開いて、約一年ぶりの母と対面した。


「あ、あの、ただいま……」


母は私の顔よりも先に、抱っこされている美冬に目をやった。



「み、美冬~~!!」


えっ?


ど、どうして美冬の名前知ってるの?



「何してんのよ、早く入りなさい」


母は待ちきれないように、ボケっと突っ立っていた私の手からスーツケースをもぎ取った。






内緒と言っていたのに、遥香のおしゃべり!


だけど、母も喜んでいたみたいだし、まぁ、いいか。


一年ぶりのリビングはほとんど何も変わってはいなかった。


リビングの隣の和室にベビー用のおふとんや、おもちゃが用意されているのを見て、胸が熱くなる。


「あ、あの、ごめんなさい。黙ってて……」


母の顔をうかがいながら、抱っこ紐の美冬を下ろし、用意してくれたお布団へ寝かせた。


「もう生まれちゃったんだから、ゴチャゴチャ言うのはやめましょう。美冬が可哀想だわ。ねぇ、美冬~~」


布団に降ろされて、手足をバタバタさせていた美冬を母は抱き上げた。


「本当に可愛い子ねぇ、美冬ちゃんは」


「お、お父さんも知ってる?  お父さん、なんて言ってた?」


まだ帰ってきていない、父に対面するのが怖ろしい。



「そりゃあ、ひどく怒ってたわよ。お父さんも私もね。なんの相談もなく沖縄へ行ったと思ったら、勝手に再婚なんかして。それはまだ許せるとしても、すぐに離婚して子供が生まれただなんて、あまりにも無茶苦茶でしょう。あなたをそんな風に育てた覚えはないわよ」



「ごめんなさい……」


なにひとつ言い訳は見つからず、黙りこむ。


「でもね、お母さんはあなたを信じることにしたの。きっとどうにもならない事情があってのことだってね。そうなんでしょう?」


咎めることなく、慈しむように語る母の目を見て、思わず涙がこみ上げる。


「ありがとう。今はまだ言えないの。いつかちゃんと話すわ。でも、信じて。私は間違ったことはしてないよ。だから、だから、美冬を産もうって思ったの」


「わかってる。お父さんもお母さんも有紀のことは信頼してる。美冬はみんなで可愛がってあげなきゃ」


「お母さん……」


涙が次々と溢れて止まらなくなる。


沖縄での出産は色々な人たちの助けもあって、それほど過酷なことはなかった。それでも当然、心細さが全くないわけはなかった。


今こうして肉親の暖かさに触れ、自分一人で背負っていたものが、少しだけ軽くなった気がした。


「ほら、いつまでも泣いていたら、美冬に笑われるよね~」


美冬が初めて対面した祖母を見つめて、「うばぁ、うばぁ」と笑った。


「わ~  この子、もう、ババァって言ってるよ。美冬は言葉が早いのね~~」







その後、父と妹の遥香が帰ってきて、久しぶりに賑やかな藤沢家の夕食だった。


お祝いだからと、近所のお寿司屋さんから出前のお寿司を取り、遥香がデパ地下で買ってきたお惣菜のご馳走。


大学生の駿太はバイトで遅かったけれど、10時過ぎに帰ってきて、美冬に大きなくまのぬいぐるみをプレゼントしてくれた。




自分の部屋ではなく、リビングの隣の和室に布団を敷いてもらい、美冬と並んで寝る。


「よかったね、美冬。みんなに可愛がってもらえて」


くまのぬいぐるみの横で寝息を立てている美冬にささやく。


やっぱり、家族っていいな。







翌朝はバタバタと慌ただしく、家族はみんなそれぞれに仕事や学校へと出かけて行った。


美冬とふたり取り残され、さて今日はどこへ行こうか。


友達は仕事をしているし、出産のことは以前おなじ病院だった可奈にしか話していなかった。


可奈とは明日の夜会うことになっている。


今日の夜は遥香の婚約者さんが来られる。


どんな人なんだろう。


まぁ、遥香が好きになる人だから、イケメンには違いないと思う。


「美冬、今日はどこへ行きたい?  せっかくのいいお天気だから、お外に行きたいよね」


谷家のそばの公園を思い出した。


今頃は藤棚が満開で綺麗だろうな。


宮の森まではちょっと遠いけど、行ってみようか……。


修二さんは今、麗奈さんとどこで暮らしているかな?


後遺症はすっかり良くなっていたから、仕事を頑張っているのだろう。


なんといっても、もう一児のパパなんだから。


別に美冬を会わせたいわけじゃないし……。


ううん、やっぱり、会わせたいのかな。


心のどこかにそんな気持ちがあることは否定できなかった。


だけど、会わせてどうなるの?


私も修二さんも傷つくだけ。







実家そばの公園というのもつまらない気がして、結局タクシーに乗り、宮の森にある谷家に近い公園を告げた。


公園の藤棚は予想通り満開で、素晴らしく美しい薄紫に心がなごむ。


「見てごらん、美冬。綺麗でしょう」



藤棚のしたのベンチに腰をおろし、修二さんと数年前、二人でここに座ったことを思い出す。



やっぱりノコノコとこんなところに来るのではなかった。


次第にみじめな気分になり、気が滅入ってくる。


向こうの遊具やお砂場のほうで、親子連れが5組ほど仲良く遊んでいた。


なんとなく人と話がしたくなって、思い切って行ってみることにした。





「こんにちは~!」


明るく元気に挨拶してみたものの、やはり沖縄ほどスンナリとは受け入れてもらえず、警戒心と怪訝さをあらわにされた。


だけど、そんなことをいちいち気にするタイプでもないので、図々しく砂場で遊んでいる子供に話しかけた。


「ねぇ、なに作ってるの?」


シャベルで砂を盛りつけている女の子に話しかけた。


「トンネルを作るの。こんな大っきいの!」


女の子は警戒することもなく、目を見開いて大きく手を広げた。


「うわーっ、大っきいねー! ねぇ、おばさんも手伝ってもいい?」


「うん、いいよ。いっしょに遊ぼう!」


違うものを作っていた子供たちも集まって、一緒に作り始めた。


大人たちはおしゃべりに夢中で、かまってもらえないせいか、子供たちからは喜んで迎えられた。



子供と遊ぶのは大好きだ。


看護師と保育士とどっちになるか迷ったほどだ。


子供たちと仲良く遊んでいるのをみて、お母さんたちが話しかけてきた。


「ご近所なんですか? 」


この辺に住んでいるママさんたちは、やはりカジュアルなスタイルでも洗練されていた。


風に乗って素敵なパルファムの香りが漂う。


「いいえ、今は沖縄に住んでいるんですよ。昨日、実家に帰ってきたばかりで」


「わ~  沖縄!  いいところですよね。何度か行ったことがあるわ」




沖縄の話で盛り上がり、1時間以上も話していたら、すっかり仲良しになっていた。


時計を見ると、もうお昼だった。


「じゃあ、さようなら。また、ご実家に帰られたら遊びにいらして」


おしゃれな奥様たちは社交辞令を告げて、子供と帰って行った。







「美冬、眠くなった?  そろそろ帰ろうか」


スマホでタクシーを呼び、藤棚の下のベンチに座って待っていた。


お昼はどこで何を食べようかな。


美冬を抱っこしているので、外食はやっぱり諦めたほうが良さそうだなどと考えていた。


そろそろタクシーが来る頃だけど……。


道路に目をやると、公園の入り口から犬を連れた男性が入って来た。


あっ、あのワンちゃんは、、



ルパン!!



そして、リードを手にしていた男性は、


しゅ、修二さん……。


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