六華 snow crystal 5

なごみ

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第1章

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沖縄からは、いつ頃戻って来るだろう。


昨日、あれから有紀を実家へ送り届け、今日は新千歳空港まで送る約束をした。


僕の運転が心配なのか、遠慮をしているのか、列車で行くから大丈夫と有紀は言った。


いま勤めている病院もすぐには辞められないとのことだから、もうしばらくは沖縄で暮らすことになるだろう。


正直、そのほうが助かる。


有紀ちゃんの実家へ車を走らせながら、今後のことをあれこれと考える。


有紀への気持ちと、夏帆に対する愛は僕にとって種類が違う。


そんなことは単なる言い訳だろうか。


有紀に本当のことを言えなかった僕は、卑怯者と言われても仕方がない。


昨日会ったばかりの娘の美冬は、すでにしっかりと僕の心を鷲掴みしていた。


それはこの子のためならなんでもしてあげたいと言った、有紀と同じ気持ちだ。


あの子のいい父親になってあげたいと、切実にそう思う。


だけど、夏帆に対する僕の気持ちに揺るぎはなかった。


有紀と美冬を犠牲にしても、僕は夏帆にできる限りの事をしてあげたい。


それは夫である僕の義務でもあるけれど、義務感などなくても僕は夏帆の喜ぶ顔が見たい。






午前9時過ぎに有紀ちゃんの実家に着いた。


両親はすでに仕事で出払っており、大学生の弟は夜遅くまでのバイトで、まだ寝ているのだと言う。


先週末に結婚した妹は、現在新婚旅行中。今ごろはロンドンの大英博物館でもまわっているかもしれないとのこと。


二人を乗せて、新千歳空港へ向かった。高速を使えば40~50分で到着できるだろう。


「北海道はこれから紅葉が綺麗ね。沖縄は季節ごとの花はあるけど、一年中同じ景色よ」


有紀が名残惜しそうに、車窓から流れる風景を見つめた。


「沖縄はこれから涼しくなって、ちょうどいい季節だろう。北海道はどんどん寒くなるからね。慌てて帰って来なくても、春までゆっくりしていてもいいよ」


「そんな気遣い、ちっとも嬉しくないわ。早く帰って来てくれ~って、嘘でもいいから言ってよ!」


有紀はかなり気分を害したように、僕を睨んだ。


気遣いではなく、本音だった。


「そ、そうだね。僕が冬のあいだ沖縄へ行くのもいいかなって、思ったものだから」


「それもいいかも知れないわね。でも、やっぱり早めに戻りたいわ。おじいちゃんやおばあちゃんに可愛がってもらえるって、幸せなことだもの」


僕は以前、かなり悪どい手を使って女性を騙す、結婚詐欺師が主人公の話を書いたことがあった。


現実では小説のようないい知恵は、少しも浮かばなかった。


僕の嘘はいずれはバレるだろう。


ひたいに嫌な汗をかいた。






「沖縄の人や文化なんかは楽しくて好きなのよ。でも気候はやっぱり寒いところのほうがいいかな。ちょっと動いただけで、すぐに汗をかいちゃうから、大変なの」


「引っ越しは一人で大丈夫かな?」


手伝いに来てと言われても、夏帆がいる限り、行くことなどできないけれど。


「大きなものは欲しい人がいたら、あげちゃうわ。運送料のほうがお金がかかっちゃうでしょう。細々したものをダンボールに詰めて送るだけなら簡単よ」


「そうだね、必要なものは来てからまた買えばいいよ」


「私の実家へ送ったほうがいい? それとも修二さんがいるマンションのほうがいい?」


「い、今のマンションは狭いんだ。三人で暮らすには狭すぎるな。とりあえず実家のほうへ送っておいてくれないかな。あとで車で運ぶから」


「そうね、そうする。でも、見たかったな。修二さんが今暮らしているマンション」


「……三人で暮らせるところを探しておくよ。いい物件が見つかるといいな」


「わーい!  楽しみ~~ 。なんだかわくわくしちゃう。ねぇ、美冬、早く札幌に戻ってきたいね」


有紀は満面の笑みを浮かべて、抱っこしている美冬のほっぺにキスをした。


ひとつの嘘は波紋のように広がり、更に収拾がつかなくなっている。


夏帆、僕は、僕はどうすればいい……。






“ できるだけ早く帰って来るね! ”


美冬を抱っこした有紀は、屈託のない笑顔で手を振ると、手荷物検査場を抜けていった。


僕にとって有紀と美冬は、もはや紛れもなく家族だった。


戸籍の上では妻である、夏帆以上に。


だけど、夏帆の命はあと数ヶ月なのだ。


急変して、明日にも逝ってしまいかねない。医師からの説明ではそう言うことだ。


有紀と美冬には申し訳ないが、我慢してもらうしかない。


夏帆のほうが大切ということではない。


余命のない夏帆を優先して幸せにしなければいけない。


有紀と美冬は、あとからでも幸せにするチャンスはある。


僕は有紀の寛容さに甘えているけれど、彼女なら理解してくれると信じている。


有紀なら……。


あんな僕を許してくれた有紀なのだから。


だけど、それだからこそ、もう二度と傷つけたくはなかった。



有紀、許してくれ。


僕には夏帆を見捨てることはできない。



車に戻り、検査入院している夏帆が待つ病院へ向かった。







「痺れがなくなって良かった。手が普通に使えるって、本当に幸せなことね」


2泊3日の放射線療法を終えて、手の麻痺が消えた夏帆は、まるで完治したかのような喜びようだった。


「新しい免疫療法も受けたほうがいいよ。簡単に諦めないで」


「なんだか幸せな毎日を過ごしてると、欲張りになってしまうわね。もっと生きたくなっちゃった。このふりかけ美味しい!」


母が作ったお手製のふりかけで朝ご飯を食べている夏帆が、やさしく微笑んだ。


「僕が作った味噌汁はどうなんだい? 大根おろしまで入れたんだよ」


「とっても美味しいわ。なめこと茄子って私の好きな組み合わせよ。でも、ごめんなさい。奥さんらしいことが出来なくて」


「美味しいって言ってもらえて嬉しいよ。お料理もやってみると意外と楽しいな。お袋さんに似たのかな。この卵焼きだって美味しいだろ?」


自分で褒め、少し焦げ目のある一切れをつまんで口に放り込んだ。


「巻き方が面白いのね。フフフッ」


甘さひかえめの卵焼きは、うまく返せなくていびつな形をしていた。


「夏帆を笑わせたかったんだよ。笑うと免疫が上がるって言うからね」


「ありがとう。このネギがつながってるのも、わざとなんでしょう? クスクスッ」


味噌汁から繋がったネギを箸で持ち上げ、夏帆は笑った。


「君は嫌味ったらしいから、長生きをする。大丈夫だ」


「うふふふっ、おかしくてお腹が痛いわ。あ~  本当に幸せ。 ……私、お母様にお会いしてみたかったな。でもやっぱりがっかりなさるわね。癌の末期患者がお嫁さんじゃ」


母の作った鰯の甘露煮を口に入れて、夏帆は寂しげにつぶやく。


急に落ち込む夏帆を、どう慰めてよいのかわからない。


「ごめん、夏帆。ちゃんと紹介したほうが良かったかも知れないな。反対なんかされると、ストレスになるような気がしたものだから」


「修二さんがいてくれたら、それで幸せなの。私のためだけに結婚してくれて、本当にありがたいと思ってるわ」


「夏帆、変な気遣いなんかしないで。僕も結婚できてすごく幸せなんだから」


僕は夏帆を喜ばせようとして、嘘を言ったわけじゃなかった。


だけど、有紀を裏切っていることには、間違いないだろう。



 


頻繁に送られてくるようになった美冬の写真と動画。


シングルマザーのイメージから来る、悲愴めいたものは少しも感じられない。


自宅アパートなのだろうけれど、いつも誰かがいて、賑やかな話し声が聞こえている。


美冬がお喋りなのは環境のせいか。


どの動画を見ても、有紀に不安げなようすは感じられなかった。


美冬を抱っこして、楽しげに笑い転げている。


有紀は、どこまでも逞しい。


だから、優しくもなれるのだろう。


確かにシングルマザーでも、有紀なら一人で十分にやっていける。


だけど僕は美冬の父でありたいし、有紀との結婚は長年の夢だった。


夏帆がもし、……もしも奇跡的に回復したとしたら、僕はどうするつもりなのだろう。




『10月いっぱいで、こちらの病院を辞めることになりました。冬のボーナスがちょっともったいないけど、親子三人で暮らすほうが大切でしょ。新居は見てから決めたいので、慌てて探さなくても大丈夫です』


約一ヶ月で有紀と美冬がやって来る。


夏帆にだけは、有紀と美冬の存在を知られてはならない。


有紀には正直に打ち明ける。戸籍を見ればわかってしまうことだ。


いつまでも隠し通せるものではない。










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