16 / 55
第1章
不安な日々
しおりを挟む夕食後、修二さんから電話があって、明日から取材と調査のために、釧路へ行くことになったとのこと。
長編を書くための資料を探したり、色々な準備が必要なので、滞在期間が少し伸びるかもしれないと言う。
「悪いんだけど、締め切り前の連載も残ってるんだ。今夜アパートで書き上げてから、明日の朝、まっすぐ釧路へ向かうから。来てくれたばかりなのに、本当にごめん」
仕事が無いよりはいいと思うけれど……。
楽しみにしていただけに、とっても残念。
ーーー寂しい。
中学の教師をしている両親は、夜じゃないと家には戻らないので、日中は谷家で過ごし、夜になってから実家に帰ったりした。
お母様が用意してくださったベビーカーに美冬を乗せて、近くの公園まで出かけた。
もう11月も過ぎているせいか、公園で遊んでいる親子連れはなかった。
小高い丘の上にあるこの公園は、冷たい風が吹き抜けてかなり寒い。
閑散とした園内をゆっくりと散策する。
美冬の相手をしているのは楽しいけれど、専業主婦はやっぱり性に合っていないのか、暇をもてあます。
修二さんのお家だと、勝手にあちこち掃除もできないし。
というか、谷家はいつも綺麗に整理整頓されている。
美冬が昼寝をしている間、忙しいときはしたくても出来なかった読書も、なんとなく落ち着かなくて、楽しむ気分にはなれなかった。
修二さんが釧路から戻ってこないうちは、アパートも探しも一人では決めかねるし。
修二さんは才能がある人だとは思う……。
だけど、売れっ子作家とは言えない。
作家として、やっていけるのだろうか。
もちろん小説家がダメでも、薬剤師の資格がある。今の修二さんなら十分復帰できる。
いくつも病院を経営しているお家の息子なのだから、雇ってもらえないこともないだろうし。
修二さんが小説を書く仕事の方が楽しくて、やりがいがあるのなら、協力してあげたいけれど。
だけど、いくら裕福なご実家があるとしても、ご両親の援助など受けずに暮らしたい。
しばらくは、谷さんのご実家で暮らしてもいいとは思うけれど。
お部屋はたくさんあるのだし、なんといっても、お父様もお母様もこんなに美冬を可愛がってくださるのだから。
「美冬、寒くない? 誰もいないし、もう帰ろうか」
閑散とした公園は淋しくて、楽しい気分になれなかった。
フードのついたコートを着せて、暖かくはしてきたけれど、美冬のほっぺも赤くなっていた。
来週の11月16日は、美冬の一歳のお誕生日だ。
お誕生日だけは、修二さんにもいてもらいたいけれど。
公園を出ようとしたところで、二匹のわんちゃんを連れた女性とすれ違った。
ポニーテールにスポーツウェアがよく似合う、快活な感じの女性。
リードに繋がれた、こげ茶のトイプードルと、真っ白なポメラニアンが競うように駆けていた。
ーーールパンと不二子にそっくり。
犬は種類が同じだと、みんな同じような顔をしているけれど。
それにしても……。
そういえば、修二さんが連れていったルパンは誰が面倒をみているのだろう?
取材で家を空けるなら、普通は実家に預けてから行くと思うけれど。
「ルパン、雪、ちょっと待って! こっちよ、こっち!」
リードを引っ張られた女性が、わんちゃんたちの名を呼んだ。
えっ、ルパン? ……ゆき?
偶然だろうか?
見れば見るほど谷家のルパンに思えて、そのまま帰る気分になれなくなった。
犬と園内をゆっくり散歩している女性を注意深く観察した。
私と同じくらいの年齢に見える。
スリムで素晴らしくキリリとしまった体幹。
なかなかの美人でもある。
嫌な胸さわぎがした。
もしかして、、もしかして、修二さんの恋人?!
ーーーそうだった。
なぜだか忘れていた。
修二さんはとってもモテる人だったということを。
女性のほうが修二さんを放っておいてはくれないのだ。
だけど、どうして?
また、私を騙すの?
ベビーカーを押しながら涙ぐむ。
ルパンを散歩させていたあの人が恋人だと、まだはっきりしたわけでもないのに。
小説を書くためにアパートを借りてるなどと言っていたけれど、本当は彼女と一緒に暮らすためではないのだろうか。
悪い方にしか考えられなくて、猜疑心はどんどん膨らんでくる。
美冬がいなかったら、浮気者の修二さんとの結婚は諦めたかもしれない。
だけど、修二さんは美冬のパパだから。
この子に優しいパパがいて欲しい。
それに、やっぱり私は修二さんが好き。
谷家へ戻り、リビングへ入ると、チーズの焼ける香ばしい匂いがしていた。
「外は寒かったでしょう。ホタテのグラタンを作ったのよ。もう少しで焼きあがるから待っててね」
対面キッチンから声がして、お母様が微笑んだ。
「お母様、お昼は自分で適当に済ませますから、気を遣わないでください。毎日、美味しいものばかり食べて、このままだと大変なことになります」
この数日間で、体重が2kgも増えたのだ。
「あら、ごめんなさい。ふっくらした有紀ちゃんだって可愛いわよ。それより早く籍を入れないとね。美冬がいつまでも非嫡出子なんて可哀想だわ」
「…………」
思わず泣きそうになってうつむいた。
だめだ、ちゃんと話そう。私の勘違いかもしれないんだから。
こんな風にモヤモヤしたまま過ごしたくない。
「修二さんに電話してみます。来週の16日は美冬の誕生日なんです。それまでに、帰って来られるといいんですけど」
修二さんもお昼ご飯を食べているだろうか?
ドキドキしながらLINEの通話をタッチした。
すぐに修二さんは電話に出てくれた。
『有紀ちゃん、どうしたの? 何してたんだい?』
いつもの明るい声が聞こえて、少しホッとした。
「あ、あの、修二さん、いつごろ帰って来られるかなって、、。来週の16日は美冬のお誕生日だから」
『そうか、多分16日なら大丈夫だと思うよ。もうすぐ終わりそうだから、ごめん』
本当に聞きたいことはそのことじゃなかった。
「修二さん、ル、ルパンはどこにいるの? どこに預けているの?」
返事がすぐに返ってこなくて、不安感が高まる。
やっぱり、やっぱり、あの人は。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
7
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる