六華 snow crystal 5

なごみ

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第1章

居酒屋で

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**有紀**

今朝は朝食の支度をして、日勤の加奈を送りだし、洗濯機をまわした。


加奈は美冬を可愛がってくれるし、居心地はいいけれど、いつまでも居候していられるわけもない。


横田くんと会うのを我慢させていたかもしれない。結婚したいくらい好きなんだから、やっぱり我慢してくれたのだと思う。


加奈は本当に優しいな。


午後、美冬が昼寝するのを待って、これから住むアパートと、託児所つきの勤め先を探した。


職場もアパートもスマホで探せるからとても便利。


だけど、まだ哀しみから抜け出すことは難しかった。


ついこの間まで修二さんと三人で暮らすことを夢みていたのだ。



もう会うこともないのだろうか。


私と美冬が消えてくれて、内心ホッとしているのかもしれない。




……ふりだしに戻っただけじゃない。



私は美冬がいるだけで、あんなに幸せだったのに。


もう、期待なんかさせないでよね!!





不動産屋を検索しながら、そんなことをアレコレと考えていたら、どんどん気が滅入ってきて涙が出てきた。



どうしたの、わたし………。



わたしってそんなにヤワだった?



まだ失恋したばかりなんだもん、元気なほうがおかしいよね。


美冬の寝顔を見つめていたら、涙が止めどなく流れた。


美冬が寝ているうちに思いっきり泣いておこう。


そうしたら、またきっと元気になれるから。


美冬のためにもっと強いママになるんだから……ならないといけないんだから。






午後、お昼寝から目が覚めた美冬と遊び、洗濯物をたたみ終えて時計を見ると、4時を過ぎていた。


今日の晩ご飯は何にしようかな。加奈になにが食べたいか、聞いておけばよかった。


もしかしたら横田くんと外食してくるかも。


「ねぇ、美冬は晩ご飯はなにがいい?」


おすわりして、小さなリスのぬいぐるみで遊んでいる美冬を不憫に思う。


美冬の好きな積み木や、大きなふわふわのうさちゃんのぬいぐるみ、アンパンマンのあいうえおなんかのオモチャは、みんな実家や谷家に置いてあるから。



「ごめんね、美冬……」


「マンマ、あーぶぅ、ぶ、」


「だよね、遊びたいよね」 


この11月の寒空じゃ外遊びも難しいし、車がないとどこへ行くにも不便。


あ、そうだ! 


キッチンの棚から小麦粉をボールに出し、水を少し加えた。




「ほーら、美冬、小麦粉の粘土だよ」


フローリングの床は、あとで拭けば大丈夫だろう。


「マンマ、おにに!」


美冬が小麦粉のかたまりをニギニギしながら言った。


「ほんとだ、おにぎりみたいだね」


キャッキャッと楽しく遊ぶ美冬の笑顔がみられて、少し元気がでた。


小麦粉粘土で遊んでいたら、加奈からのLINE。



『今日は外で食べよう。和希も有紀に会いたいってさ。仕事が終わったら、アパートへ迎えに行くね!』


横田くんに会うのはなん年ぶりかな?


私より2歳年上だから、もう30なんだ。みんな、おじさんとおばさんになっていくんだな。



NHKの子供番組を見ていたら、加奈から『あと15分くらいで迎えに行く』と連絡が入った。


トートバッグにオムツや麩菓子などを詰めて準備した。


横田くんは本当に私に会いたいのかな?



「なーんか、お邪魔だよね~~  私たち」


美冬の顔をのぞき込みながら話しかける。


ピンク色のポンチョを美冬に着せて抱っこした。夜は寒いから帽子もかぶらないとね。


手編み風の毛糸の帽子に、フリルとリボンがあしらわれた上質なポンチョ。


これもお母様から頂いたステキな高級ブランド。


お母様はどんなにか残念に思っているのだろうな。あんなに喜んで美冬を可愛がってくださったのに。


孫に会えなくなったお母様を想うと、胸が痛んだ。


アパートの階段を降りて、出入り口の引き戸をカラカラ開けると、ちょうど加奈が車から降りてくるところだった。



「あら、部屋で待ってていいのに。寒かったでしょう」


ステキなファーのついたモッズコートは、明るいロングヘアーの加奈によく似合っていた。


やっぱり恋愛している独身女性はオシャレできれいだなぁと感心する。


「ううん、いま降りてきたばかりよ。わざわざ迎えに来させてごめんね。あ、横田くんだ!」




運転席にいた横田くんが私をみて手をあげた。


横田くんはヘアスタイルが今風にカットされて、ムースなんかでアレンジまでしているように見えた。


「お久しぶりーっ! わー   横田くんがオシャレになってる~~  うはははっ」


美冬と後部座席に乗り込んで冷やかした私を、横田くんが恨めしそうににらんだ。


「いつもひとこと多いんだよ、おまえは。性格は変わらないな。だけど子持ちになってたとはなぁ、意外とやるな」



別にハメをはずしたわけじゃないんだけどね……。


家族からも友人からも誤解されているのだけれど、弁解するわけにもいかない。


「まぁね、やるときゃやるのよ、みくびるな」


横田くんとは何歳になっても、ずっとこんな風に軽口をたたける仲だと思う。


「ハハハッ、相変わらず面白いやつだな。何が食べたい? 今日は有紀の好きなものでいいぞ」


「ありがとう。なんでもいいんだけど、美冬がいるから小上がりのある店がいいかな」


「じゃあ、居酒屋みたいなとこでいいか?」


「うん、お願い。加奈はいい?」


「大丈夫よ。美冬ちゃんは何が食べられるかなぁ」


助手席の加奈が振り向いて、美冬に優しく微笑みかけた。


横田くんと加奈はとってもいい夫婦になりそう。




大通り駅から徒歩で3分ほどにある、横田くん行きつけという炉端居酒屋。


お座敷のある広い店内は混雑していて、威勢のいい店員たちのかけ声が飛びかっていた。


ちょっと騒がしいけど、美冬がいるから静かすぎるよりはいいかな。小さな子を連れた家族づれもいて少しホッとする。


小上がりのテーブル席に着き、美冬をとなりに座らせた。


美冬はもの珍しそうにあたりをキョロキョロと見まわしている。


「すっごくいい匂い!  美冬の好きなお魚があるかな~~」


メニューを開いて美冬に話しかける。


「子ども向けのものはあまりなかったかもね。ごめんね、美冬ちゃん」


「見た目はファミレスのほうが子ども向けのものがあるけれど、大切なのは味だもん。美冬だって北海道の美味しいお魚食べたいよね」


「まず、適当に頼んじゃっていいかな? あとで食べたいのは追加するってことで」


「それがいいわ、おまかせしまーす!」


常連の横田くんがおすすめを適当に選んでオーダーした。





炉端に運ばれてきた羅臼産のホッケやししゃも、ホタテ、牡蠣などを網に乗っける。


しばらくすると、分厚いホッケがジュージューと音をたてた。


お皿に取り、中骨をはずしたホッケに大根おろしとお醤油をたらしていただく。


「う~ん、めっちゃ美味しい!  脂乗りが最高~!  ほら、美冬も食べてごらん」


美冬の小さなお口にフーフー冷まして、ほぐした身を入れてあげた。


こんな小さな子でも美味しいものはわかるのだろう。美冬は気に入ったようでパクパク食べた。


「牡蠣は食べられないかな? プリプリして美味しいよ」


加奈が貝からはずして、牡蠣の身を小皿に取ってくれた。


「ありがとう、加奈。生じゃなかったら食べられるわ。お鍋の牡蠣だって食べられたもんね」



「もうすっかり母親が板についてるって感じだな。仕事は当分休むのか?」


横田くんがノンアルコールビールを飲みながら、美冬を見つめた。



そのまなざしになんとなく、同情が込められているような気がして落ち着かなくなる。



「ううん、そんなにゆっくりはしていられないわ。シングルマザーなんだもの働かなくちゃ」


出来るだけ明るく、あっけらかんと言ったつもりだけれど。



「だよな、子供は金がかかるからな」



横田くんはそう言って、また腕時計をチラリと見た。


「どうしたの?  これから何か用事でもあるの?」


さっきから時間を気にする横田くんは、なんとなくソワソワして見えた。


「あ、いや、別に用事はないよ。このホタテも焼けてるぞ、食えよ」


そう言って、焼けたホタテをお皿に取ってくれた。


「あ、ありがとう。大丈夫よ、私と美冬のことは気にしないでいいから、加奈と横田くんもちゃんとたべてね。私も美冬も大食いなんだから」


「有紀の爆食い、なつかしいな。でも太らないんだな。気をつけてるのか?」


「……気をつけてなんかいないわよ。子育てはハードなのよ。太ってる余裕なんかないわ」



これには少しウソが含まれている。


修二さんに嫌われたくなくて、食事にはかなり気をつけていた。好きなだけ食べてるとどんどん太るのは昔から変わらないから。



だけどそんな努力も無駄だった。


再婚していたなんて、あまりにも早すぎない?


いくらモテるからって………。


ホッケの残りを食べながら、少しだけ感傷にひたっていた。


目の前のフライドポテトを一人でつまんで食べていた美冬が、テーブルにつかまって立ち上がった。



「うわ~~ 見て、美冬ちゃんが歩いてる!!」


横田くんの隣いた加奈が気づいて声をあげた。


美冬は両手でバランスをとりながら、じょうずに歩いていた。




ーー美冬。



嬉しい気持ちと悲しい気持ちがない交ぜになって、何故だか涙がこぼれた。



この感動的な喜びの瞬間を、修二さんや家族と分かち合いたかった。


美冬がどんどん歩いて行くので、立ちあがって美冬を抱きしめた。



「歩けたね、美冬、おめでとう!」


こぼれる涙をぬぐって美冬を抱き上げたら、入り口のほうからやってきた男性が、ジッと私をみつめていた。



「りょ、遼介……」




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