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第1章
藤沢家を訪問して
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*修二*
夜の7時を過ぎた頃、有紀の実家を訪れた。
行ってもいいのか有紀に確認を取りたかったが、LINEはブロックされていた。
有紀は実家にいるだろうか。
ちゃんと話を聞いてくれるだろうか。
門前払いも覚悟のうえで、玄関のブザーを鳴らした。
『はい?』
インターホンから、有紀のお母さんと思われる人の声が聞こえた。
「あ、あの、谷と申します。先日は大変な失礼をしてしまって、お詫びに伺ったのですが……」
程なくして玄関の扉が開いた。
「どうぞ、おあがりになって」
有紀のお母さんは何事もなかったかのように、微笑んで僕を迎え入れてくれた。
日頃から中学生を相手にしているだけあって、人に対しての寛容さと忍耐心が養われているのだろう。
リビングに入るとソファに腰掛けているお父さんが見えた。
なにかプリントのようなものに目を通していた。
「こんばんは。突然夜分に失礼します」
軽く頭を下げた僕に、お父さんはゆっくりと顔をあげた。
さすがに同じ中学教師でも、お母さんのような寛容な穏やかさは感じられなかった。
男親は母親とはまた違った感情を持つものなのだろう。
固まって突っ立っている僕に、「どうぞ、座ってください」と無表情にソファを指差して言った。
「失礼します」
言われたとおり、ソファに腰をおろした。
お母さんは二階へ有紀を迎えに行くのかと思っていたら、そんなそぶりは見せず、ご主人の隣に腰をおろした。
「あ、あの、、有紀さんは?」
落ち着かない気持ちで尋ねた。
「あの子は以前勤めていた同僚の看護師さんのところへ、しばらく泊まると昨日連絡があったんですよ。なにも聞いてないんですか?」
そうか、実家には帰ってなかったのか……。
「完全に怒らせてしまったようで、LINEをブロックされてしまって……。先日は大変な失礼をしてしまって、本当に申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げて謝った。
「なにか突然のアクシデントがおありになったのでしょう?」
寛大なお母さんの質問に、どこからどう話せば良いのかで迷う。
有紀のいないところで全てを話してもいいものだろうか。
多分、僕が美冬の父であることすら、わかっていないはずだ。
「ちょっと不幸がありまして………。突然だったもので慌ててしまって、、」
「まぁ、そうでしたか、大変でしたね。そんな理由なら仕方がありませんわ。でも有紀はなにをそんなに怒ってるのかしら?」
お母さんは優しく微笑み、同情までして理解を示してくださったけれど。
「差し支えなければ、どんな関係の人が亡くなったのか教えていただけませんか?」
厳格そうなお父さんからの質問に、思わず額から汗が流れた。
正直に言うしかないだろう。
それを言うために来たのだから。
「亡くなったのは、、僕の妻です」
無表情なままのお父さんとは対照的に、お母さんは態度を一変させた。
「な、何ですって!!」
凍りついたような顔で絶句したお母さんに、深く同情した。
「黙っていたことは謝ります。でも妻は余命3ヶ月と言われていて、僕たちは今年の8月に結婚したばかりなんです」
「だからって、結婚していたことを黙っているなんて、あまりにも酷くないですか ⁉︎」
お母さんはそう叫ぶと、最愛の娘を傷つけた敵のように僕を見つめた。
「とにかく、……最後まで話を聞こうじゃないか」
お父さんは初めからこんな展開を予想していたかのように冷静だった。
「先日亡くなった妻とは、犬の散歩をしていたときに知り合いました。癌で余命3ヶ月と診断されていた妻には、身内と言える家族が一人もいませんでした。幼い頃から家庭に恵まれない寂しい子供時代を送ってきた人で、そんな不幸な幼少期を送ってきた彼女を、短い期間だけでも幸せにしてあげたかったのです」
「それで、同情で結婚してあげたと?」
なにもかも見抜いていると言わんばかりの、お父さんの鋭い眼光が痛い。
「もちろん、同情だけではありません。人として素晴らしい女性でしたから。僕のほうがずっと彼女に支えられていたくらいです。だけど、6月に有紀に会っていなかったら、彼女とは結婚していなかったかもしれません。有紀は子供を抱いていたので、てっきり結婚してしまったのだと思ってしまったもので……」
「6月に? 6月に有紀と会ったんですか?」
お母さんはさっきよりは少し、冷静さを取り戻したように見えた。
「僕の家のそばにある公園のベンチに座っていて、どうしてこんなところに有紀がいるのか、あの時はそれがよくわからなくて。すぐにタクシーが来て、ろくに話は出来ませんでしたし」
「有紀はなぜそんな遠くの公園になんて行っていたのかしら」
ここからの話は、さっきまでの話よりも尚一層、言い出すのに勇気を必要とした。
「美冬は、、……僕の娘だからです」
「えっ、そ、それ、どういうこと? 離婚されたのは去年の秋でしたよね? なのになぜ有紀とそんな関係に!」
青ざめた顔をして、ひどくショックを受けているお母さんに、なんと言って謝ればいいのか……。
お父さんの顔も益々険しくなっていた。
「あの頃の僕は交通事故の後遺症がひどくて、家で暴れまくっていたのです。感情をコントロールできなくて、、それで最初の妻にも逃げられて益々自暴自棄になっていました」
「……ごめんなさい。それはうちの娘が運転して起こした事故でしたね。有紀をかばってくださったんでしたわね」
お母さんは怒りのやり場を無くしたかのようにうなだれた。
「いえ、無理に誘ったのは僕なんです。有紀は何度も断りました。僕は数日後に結婚を控えていたというのに、有紀に未練があったんです。結婚したくなくて逃げたかった」
「でも、婚約者の方とちゃんと結婚なさったのでしょう? だのにどうして有紀とそんな関係に?」
「有紀はひどい後遺症に悩まされていた僕に責任を感じていたのでしょう。僕の世話で疲れ切っていた母を助けようと、仕事帰りに寄ってくれるようになって。最初の妻にはすでに愛想をつかされてましたから、離婚は時間の問題だと思っていました」
「だけどまだ離婚もしていないうちにそんな関係になるなんて」
お母さんは承服しかねるといった険しい視線で僕を見つめた。
「離婚が成立したら有紀と再婚するつもりでいました。だけど麗奈が、、最初の妻が妊娠5ヶ月だと言って戻ってきたのです。結局は嘘だったのですが、離婚ができなくなって、有紀とは別れることになりました。彼女が妊娠していたなんて夢にも思わなくて……」
「あの子は私たちにも何の相談もしないで沖縄へ行ったんですよ」
声をつまらせ、お母さんは手で涙を拭いた。
「もう一つ言わなければいけないことがあります。有紀の妊娠は合意によるものじゃなかったんです。つまり、その、、僕はその頃まだ自分をセーブ出来なくて、、有紀さんに酷いことを……。申し訳ありませんでした」
「そんな、、それじゃあ、美冬は……」
深々と頭を下げた。とてもご両親の顔を見ることなどできなかった。
だけど、二人がどんなに傷ついているかは、容易に想像できた。
「大体のことはわかりました。申し訳ないが今日はもう帰ってくれませんか」
お父さんはそう言って立ち上がると、さっさと二階へ上がってしまった。
沈鬱ながらも、玄関まで見送りに出てくださったお母さんに一礼して、藤沢家を出た。
すっかり有紀の家族からも見放されたような気がした。
ちゃんと説明すれば許してもらえるなど、甘い考えだったのだ。
有紀にあんなことをしておいて僕は………。
時間が経ったところで、結局有紀にもご家族にも許してもらえるはずもない。
それは確かにショックなことではあった。
有紀との問題は一つとして解決していないけれど、一番つらいと思えた告白をしてしまえたことで、少しだけ肩の荷はおりた。
これでやっと夏帆の死を、心から悲しむことができると思った。
夏帆、君が死んでから、まだ一週間もたっていないのだ。
来年の春、桜の木の下へ埋めるまで、僕はずっと君のそばにいるから。
お骨がある夏帆の実家へ車を走らせた。
夜の7時を過ぎた頃、有紀の実家を訪れた。
行ってもいいのか有紀に確認を取りたかったが、LINEはブロックされていた。
有紀は実家にいるだろうか。
ちゃんと話を聞いてくれるだろうか。
門前払いも覚悟のうえで、玄関のブザーを鳴らした。
『はい?』
インターホンから、有紀のお母さんと思われる人の声が聞こえた。
「あ、あの、谷と申します。先日は大変な失礼をしてしまって、お詫びに伺ったのですが……」
程なくして玄関の扉が開いた。
「どうぞ、おあがりになって」
有紀のお母さんは何事もなかったかのように、微笑んで僕を迎え入れてくれた。
日頃から中学生を相手にしているだけあって、人に対しての寛容さと忍耐心が養われているのだろう。
リビングに入るとソファに腰掛けているお父さんが見えた。
なにかプリントのようなものに目を通していた。
「こんばんは。突然夜分に失礼します」
軽く頭を下げた僕に、お父さんはゆっくりと顔をあげた。
さすがに同じ中学教師でも、お母さんのような寛容な穏やかさは感じられなかった。
男親は母親とはまた違った感情を持つものなのだろう。
固まって突っ立っている僕に、「どうぞ、座ってください」と無表情にソファを指差して言った。
「失礼します」
言われたとおり、ソファに腰をおろした。
お母さんは二階へ有紀を迎えに行くのかと思っていたら、そんなそぶりは見せず、ご主人の隣に腰をおろした。
「あ、あの、、有紀さんは?」
落ち着かない気持ちで尋ねた。
「あの子は以前勤めていた同僚の看護師さんのところへ、しばらく泊まると昨日連絡があったんですよ。なにも聞いてないんですか?」
そうか、実家には帰ってなかったのか……。
「完全に怒らせてしまったようで、LINEをブロックされてしまって……。先日は大変な失礼をしてしまって、本当に申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げて謝った。
「なにか突然のアクシデントがおありになったのでしょう?」
寛大なお母さんの質問に、どこからどう話せば良いのかで迷う。
有紀のいないところで全てを話してもいいものだろうか。
多分、僕が美冬の父であることすら、わかっていないはずだ。
「ちょっと不幸がありまして………。突然だったもので慌ててしまって、、」
「まぁ、そうでしたか、大変でしたね。そんな理由なら仕方がありませんわ。でも有紀はなにをそんなに怒ってるのかしら?」
お母さんは優しく微笑み、同情までして理解を示してくださったけれど。
「差し支えなければ、どんな関係の人が亡くなったのか教えていただけませんか?」
厳格そうなお父さんからの質問に、思わず額から汗が流れた。
正直に言うしかないだろう。
それを言うために来たのだから。
「亡くなったのは、、僕の妻です」
無表情なままのお父さんとは対照的に、お母さんは態度を一変させた。
「な、何ですって!!」
凍りついたような顔で絶句したお母さんに、深く同情した。
「黙っていたことは謝ります。でも妻は余命3ヶ月と言われていて、僕たちは今年の8月に結婚したばかりなんです」
「だからって、結婚していたことを黙っているなんて、あまりにも酷くないですか ⁉︎」
お母さんはそう叫ぶと、最愛の娘を傷つけた敵のように僕を見つめた。
「とにかく、……最後まで話を聞こうじゃないか」
お父さんは初めからこんな展開を予想していたかのように冷静だった。
「先日亡くなった妻とは、犬の散歩をしていたときに知り合いました。癌で余命3ヶ月と診断されていた妻には、身内と言える家族が一人もいませんでした。幼い頃から家庭に恵まれない寂しい子供時代を送ってきた人で、そんな不幸な幼少期を送ってきた彼女を、短い期間だけでも幸せにしてあげたかったのです」
「それで、同情で結婚してあげたと?」
なにもかも見抜いていると言わんばかりの、お父さんの鋭い眼光が痛い。
「もちろん、同情だけではありません。人として素晴らしい女性でしたから。僕のほうがずっと彼女に支えられていたくらいです。だけど、6月に有紀に会っていなかったら、彼女とは結婚していなかったかもしれません。有紀は子供を抱いていたので、てっきり結婚してしまったのだと思ってしまったもので……」
「6月に? 6月に有紀と会ったんですか?」
お母さんはさっきよりは少し、冷静さを取り戻したように見えた。
「僕の家のそばにある公園のベンチに座っていて、どうしてこんなところに有紀がいるのか、あの時はそれがよくわからなくて。すぐにタクシーが来て、ろくに話は出来ませんでしたし」
「有紀はなぜそんな遠くの公園になんて行っていたのかしら」
ここからの話は、さっきまでの話よりも尚一層、言い出すのに勇気を必要とした。
「美冬は、、……僕の娘だからです」
「えっ、そ、それ、どういうこと? 離婚されたのは去年の秋でしたよね? なのになぜ有紀とそんな関係に!」
青ざめた顔をして、ひどくショックを受けているお母さんに、なんと言って謝ればいいのか……。
お父さんの顔も益々険しくなっていた。
「あの頃の僕は交通事故の後遺症がひどくて、家で暴れまくっていたのです。感情をコントロールできなくて、、それで最初の妻にも逃げられて益々自暴自棄になっていました」
「……ごめんなさい。それはうちの娘が運転して起こした事故でしたね。有紀をかばってくださったんでしたわね」
お母さんは怒りのやり場を無くしたかのようにうなだれた。
「いえ、無理に誘ったのは僕なんです。有紀は何度も断りました。僕は数日後に結婚を控えていたというのに、有紀に未練があったんです。結婚したくなくて逃げたかった」
「でも、婚約者の方とちゃんと結婚なさったのでしょう? だのにどうして有紀とそんな関係に?」
「有紀はひどい後遺症に悩まされていた僕に責任を感じていたのでしょう。僕の世話で疲れ切っていた母を助けようと、仕事帰りに寄ってくれるようになって。最初の妻にはすでに愛想をつかされてましたから、離婚は時間の問題だと思っていました」
「だけどまだ離婚もしていないうちにそんな関係になるなんて」
お母さんは承服しかねるといった険しい視線で僕を見つめた。
「離婚が成立したら有紀と再婚するつもりでいました。だけど麗奈が、、最初の妻が妊娠5ヶ月だと言って戻ってきたのです。結局は嘘だったのですが、離婚ができなくなって、有紀とは別れることになりました。彼女が妊娠していたなんて夢にも思わなくて……」
「あの子は私たちにも何の相談もしないで沖縄へ行ったんですよ」
声をつまらせ、お母さんは手で涙を拭いた。
「もう一つ言わなければいけないことがあります。有紀の妊娠は合意によるものじゃなかったんです。つまり、その、、僕はその頃まだ自分をセーブ出来なくて、、有紀さんに酷いことを……。申し訳ありませんでした」
「そんな、、それじゃあ、美冬は……」
深々と頭を下げた。とてもご両親の顔を見ることなどできなかった。
だけど、二人がどんなに傷ついているかは、容易に想像できた。
「大体のことはわかりました。申し訳ないが今日はもう帰ってくれませんか」
お父さんはそう言って立ち上がると、さっさと二階へ上がってしまった。
沈鬱ながらも、玄関まで見送りに出てくださったお母さんに一礼して、藤沢家を出た。
すっかり有紀の家族からも見放されたような気がした。
ちゃんと説明すれば許してもらえるなど、甘い考えだったのだ。
有紀にあんなことをしておいて僕は………。
時間が経ったところで、結局有紀にもご家族にも許してもらえるはずもない。
それは確かにショックなことではあった。
有紀との問題は一つとして解決していないけれど、一番つらいと思えた告白をしてしまえたことで、少しだけ肩の荷はおりた。
これでやっと夏帆の死を、心から悲しむことができると思った。
夏帆、君が死んでから、まだ一週間もたっていないのだ。
来年の春、桜の木の下へ埋めるまで、僕はずっと君のそばにいるから。
お骨がある夏帆の実家へ車を走らせた。
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