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第2章
泥酔されて
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**慎也**
消費者金融2社から50万円づつ借りて、100万円を用意した。
慰謝料というよりは、奢られた飲食代と、同居中世話になった御礼のつもりだ。
三ヶ月ほど同居して世話になったとはいえ、20万も負担はさせていないだろう。
ーー精神的苦痛ってなんだよ。
初体験ってわけでもないのに。
35歳にもなって、傷モノにされたとでも言いたいのか。
確かにあの時は、居候させてもらえて助かったけれど……。
家賃を滞納しすぎて大家に追い出され、ネットカフェなどを利用していた僕を、美波さんが助けてくれた。
『だったらうちに来なさいよ、部屋が二つあるから。今は物置にしてるんだけど、片付けたら慎也くんが来ても住めると思うよ』
美波さんの好意に素直に甘えてしまった。
ふたりの間に恋愛感情などないと僕は思っていた。
本当にただの飲み友達だった。だから居候させてもらえるだけで十分だったのだ。
誘ってきたのはむしろ美波さんのほうだった。
美波さんに対して、正直僕はそんな気分にはなれなかったけれど、女性に恥をかかせるのは気の毒だと思った。
それに世話になっている負い目もあって、美波さんの機嫌を損ねて追い出されたくはなかった。
そんな微妙な同居生活だったから、同棲していたと言われても仕方がないのかも知れない。
それにしても300万も請求される覚えはない。裁判で争ったとしても負けないだろう。
だけど同じ職場にいて、そんな争いごとは起こしたくない。
もったいないとは思うけれど、100万円は仕方がないのかなと思う。
あんなに激怒しているのだ。50万では腹の虫が収まらないだろう。
このローンのことを沙織になんて言ったらいいのだろう。
仕事帰り、美波さんが指定した居酒屋へ行った。以前も何度かいっしょに行ったことのある、札幌駅そばの居酒屋。
お金を渡すだけなのに居酒屋って、、
仲たがいをしたいとは思わないけれど、もう一緒に食事をする気分にはなれない。
最後に飲食代も払わせたいのだろうか。美波さんと個人的に飲みに出るのは、多分これが最後だろうな。
沙織は夜勤だから慌てて帰る必要はないけれど。
午後7時に待ち合わせたのに、僕が居酒屋へ着くと、美波さんはすでに酔っていた。
「あ、慎也く~ん、ここよぉ~ !」
カウンターにいた美波さんが、トロンとした目で僕を手招きした。
焼いた魚や揚げ物の匂いが空腹を刺激した。
店内はほどよく混んでいて活気があった。
威勢のよいスタッフの声は今の心境では耳障りに感じられた。
「なんだよ、来てるなら言ってくれたらよかったじゃないか。僕だってもっと早く来れたのに」
時間を潰すためにわざわざスタバに寄ってから来たのだ。
「ゴチャゴチャ言ってないで早く座りなさいよ」
美波さんが僕の腕をつかんで隣に引き寄せた。
「悪いんだけどあまり長居は出来ないんだ。先にこれ渡しておくよ」
封筒に入れた100万円を差し出す。
「なによ、金の切れ目が縁の切れ目ってこと? ずいぶん冷たいのね。早く帰らないと北村に怒られるってわけ?」
沙織が今日は夜勤であることを、事務の美波さんは知らないのだろう。
文句を言いながらも美波さんは、封筒の中身をチラと確認してからバッグにしまい込んだ。
「そうだよ、僕たち新婚なんだから、少しは気を遣ってくれよ」
もう美波さんに気に入られたいとは思わないので、冷たく言い放った。
さっさとマンションに帰って休みたい。
「あらあら、そうですか、それはお熱いことで。それにしてもどうしたの? このお金。いつも金欠病の慎也くんがさぁ。もしかして、またカードローン?」
探るように僕を見つめた美波さんの目には、侮蔑が込められていた。
「そんなこと、どうだっていいだろう。とにかくこれで借りは全部返したからな。もうグダグダ言うのは無しにしてくれよ」
「あら、それなら300万よ。もっとグダグダ言わないとスッキリしないもの。あと200万キッチリと払いなさいよ。それなら黙って別れてあげる」
やはり酔っているのか?
シラフで言っているのなら、もう許さない。
「いい加減にしないと、恐喝で訴えるぞ」
滅多に怒ることのない僕でも、さすがに腹が立った。
「あら、怖いわね。あんな性悪女なんかと結婚するから、すっかり変わってしまって。純真で優しい慎也くんが好きだったのにさ」
「性悪女はそっちだろう。沙織は恐喝なんてしないよっ!」
理不尽な要求をされた恨みが、積もり積もって思わずキツイ言葉が出た。
「男にフラれて自殺未遂する女のほうが百倍も怖いじゃないのっ、あんな最低女と比べられたくないわよっ!!」
沙織さんの自殺未遂は、僕と佐野さんと美波さんだけの秘密だった。
沙織さんが低血糖で救急搬送された日、ご家族の連絡先がわからなくて、事務の美波さんに電話をした。
美波さんからは、いくら慎也くんでも個人情報は勝手に教えられないと言われた。それは確かにそうだから、美波さんには詳しい経緯を説明するしかなかったのだ。
その頃の僕は美波さんのことを信頼もしていたから、こんなふうに言われるなんて思ってもみなかった。
美波さんはフラれた腹いせに、沙織の自殺未遂のことを言いふらしたりするだろうか。
「もっと若くて可愛い子なら許せたのよ。よりによって北村なんてね。人をバカにしているわ、いくら美人だからって……」
そう言って美波さんはテーブルに突っ伏した。
泣いているのだろうか?
「沙織はちょっと変わっているけど優しいし、いい所たくさんあるんだ。美波さんも付き合えばわかるよ」
「わからないままで結構です! このお金返すわ。慎也くんはお金が欲しくてわたしがあんなこと言ったと思ってたの?」
ふて腐れたように美波さんは酎ハイのグラスを持ち上げ、いっきに流しこむ。
「………」
100万円はもったいないけれど、返すと言われると、それはまたそれで困るような気がした。
「もう友達でもなんでもないわね。私は信頼さえされてなかったんだから。お金なんかいらないわよ、返すわ!」
美波さんはさっき仕舞い込んだ100万円をバッグから取り出すと、カウンターテーブルの上に叩きつけた。
「ちょっと、お兄さん、梅酒サワーちょうだい!」
「美波さん、もうやめておいたほうがいいって、、このお金は受け取ってくれよ。今まで本当にお世話になりっぱなしだったから……」
「いらないわよ。慰謝料を請求するよりも自殺のほうがいい人だって言うんだから、私も自殺するわよ。死ぬわ、死んでやる!!」
カウンター越しの店員もまわりの客も、さっきからずっと僕たちのやり取りに聞き耳をたてているのがわかった。
「ずいぶん酔ってるんだな。もう帰ったほうがいいよ。送って行くから帰ろう」
美波さんの腕をつかんで引っ張りあげた。
「ほうっておいてよ! 今夜は飲み明かすんだから。早く帰りなさい、美人の奥さんが待ってるんでしょ、さっさと帰って!!」
「美波さん、、」
みんなの注目を浴びていたたまれないことこの上ないが、こんな美波さんをおいて帰れるわけがない。
開きなおってメニューをながめ、ノンアルのビールと焼き鳥セットを頼んだ。
「あっ、わたしにもビール! 」
今飲んでいた酎ハイを飲み干して、美波さんはビールを追加した。
「飲みすぎだろう。明日は休みじゃないのに」
いくら酒豪の美波さんでも、飲み方が尋常でない。
「どうしたのよ? 帰らないの?」
凄むような目つきで美波さんは僕を見つめた。
「置いて帰れるわけないだろう、こんなに酔ってるのに。せっかく渡したお金をなくされても困るじゃないか」
美波さんのバッグを勝手に開けて、100万円入った封筒を押し込む。
「やめてよ、お金なんていらないって言ったでしょ。私は慎也くんを困らせたくて言っただけよ。わかってないのね」
本当にいらないのだろうか。法外な要求ではあったけれど。
「わかってないって言われてもさ、、僕たち結婚の話なんてしたことなかったよね? お世話になったことは本当にありがたいと思っているけど、別に裏切ったつもりはないよ」
運ばれてきたビールを飲みながら弁解をした。
「付き合ってから同棲に進んだら、その先にあるのは結婚じゃない。そう考えるのが普通でしょ? いちいち口に出さなくたって、女ならそう考えるわ。慎也くんがそんなに無責任な人だなんて思わなかったわ」
そんなものだろうか。二人の考え方にこんなにズレがあったなんて。
もう何を言っていいのかわからなくなり、運ばれてきた焼き鳥にかじりつく。
「今更こんなこと言っても意味ないのよね。慎也くんはもう結婚しちゃったんだもの。祝ってあげなくちゃいけないって、わかってるの、、わかってる、うっ、うっ、」
酒乱ぎみだった美波さんは、今度は泣き上戸になっていた。
怒鳴られるよりも、泣かれるほうがずっと辛いということに気づく。
食欲さえなくなって、大好きな砂肝は本当に砂を噛むようだった。
「最近、会ってくれなくなったなぁとは思っていたのよ、でも北村と付き合ってたなんて全然気づかなかった。まさか慎也くんがあんな女にひっかかるなんて思ってもみなかったから」
「美波さんとはもうずっと飲みに行ってなかっただろう。連絡さえ取ってなかったんだから。なのに僕を結婚相手のように思うっておかしいじゃないか」
「長く付き合っていたら、少し距離をおきたいとか、そんな気持ちになることだってあるじゃないの。しつこくしたら嫌われると思ったから連絡もひかえていたのよ。そうしたら突然結婚したなんてうわさを聞いて、うっ、うっ、、目の前が真っ暗になったわ。わたしの人生なんて終わったわ、、もう、おしまいよ~~、うわーーーん!!」
「美波さん、ここでこんな話やめようよ。恥ずかしくないのかい。と、とにかくもう出よう」
まわりの客の好奇の目にさらされながら、勝手に会計をすませた。
フラついている美波さんの腕を引いて、駅前の駐車場までなんとか歩いてきたけれど。
「美波さん、早く乗って。アパートに送るから」
やっとのことで後部座席に押し込んで座らせた。
おとなしくアパートへ帰ってくれるだろうか。
ここから美波さんのアパートまで、約10分ほどで着くはずだ。
コインを入れて駐車料金を清算し、車を発進させた。
交差点を右折して、交通量の多い駅周辺から抜け出す。
「ねえ、この車いくらしたのよ? 新車でしょう? ずいぶん金まわりがよくなったのねぇ。わかったわ! これ北村が買ってくれたんでしょう?」
後部座席に横たわった美波さんは、妄想を膨らませては、ムニャムニャとクダを巻いていた。
身勝手な憶測にイライラしたけれど、早く送り届けてしまいたかった。
「北村はたぶん父親の遺産でも手に入れたんだわ。お金の力で慎也くんを手なづけたってわけなのね」
「違うよ! 勝手な想像するなよ」
酔っぱらいとは分かっていても苛立ちを抑えきれなかった。
「あー、なんだか気持ちが悪くなってきた」
そう言った途端、“ うっ ” と声がして美波さんはシートに思いっきりゲロを吐いた。
「わーっ‼︎ なにやってんだよぉ」
まだ購入して3ヶ月ほどしか経っていない新車が……。
憤りを通り越し、マジで泣きそうになった。
気を鎮めて運転に集中する。
車内に強烈なゲロの匂いが立ちこめた。
早く送り届けて、さっさとゲロの始末をしないと、シートに匂いが染み付いてしまう。
やっと美波さんのアパートに到着し、二階にある部屋まで肩をかして連れていった。
モタモタしている美波さんからカギを奪ってドアをあけ、あがりかまちに座らせた。
「じゃあ、これで。僕が出たあとカギをかけ忘れないで。バッグに大金が入ってるんだからね」
「待ってよ、待って、、慎也くん、お願い、今夜だけはそばにいて」
酔っているとは思えないほど強い力で美波さんが僕の腕にしがみついた。
「なに言ってるんだよ。僕はもう結婚しているんだよ。泊まったりできるわけないだろう」
つかまれた腕をなんとか振りほどいた拍子に " ゴン! ” と、美波さんは壁に頭を打ちつけた。
「だ、大丈夫かい? 」
「もういいわよ、帰りなさいよ、帰りなさい! 死んでやるから、死んでやる~~ わーーっ!!」
「み、美波さん……」
泣き崩れて床に突っ伏したままの美波さんを残して帰ることは出来なかった。
一体、どうしろっていうんだよ……。
消費者金融2社から50万円づつ借りて、100万円を用意した。
慰謝料というよりは、奢られた飲食代と、同居中世話になった御礼のつもりだ。
三ヶ月ほど同居して世話になったとはいえ、20万も負担はさせていないだろう。
ーー精神的苦痛ってなんだよ。
初体験ってわけでもないのに。
35歳にもなって、傷モノにされたとでも言いたいのか。
確かにあの時は、居候させてもらえて助かったけれど……。
家賃を滞納しすぎて大家に追い出され、ネットカフェなどを利用していた僕を、美波さんが助けてくれた。
『だったらうちに来なさいよ、部屋が二つあるから。今は物置にしてるんだけど、片付けたら慎也くんが来ても住めると思うよ』
美波さんの好意に素直に甘えてしまった。
ふたりの間に恋愛感情などないと僕は思っていた。
本当にただの飲み友達だった。だから居候させてもらえるだけで十分だったのだ。
誘ってきたのはむしろ美波さんのほうだった。
美波さんに対して、正直僕はそんな気分にはなれなかったけれど、女性に恥をかかせるのは気の毒だと思った。
それに世話になっている負い目もあって、美波さんの機嫌を損ねて追い出されたくはなかった。
そんな微妙な同居生活だったから、同棲していたと言われても仕方がないのかも知れない。
それにしても300万も請求される覚えはない。裁判で争ったとしても負けないだろう。
だけど同じ職場にいて、そんな争いごとは起こしたくない。
もったいないとは思うけれど、100万円は仕方がないのかなと思う。
あんなに激怒しているのだ。50万では腹の虫が収まらないだろう。
このローンのことを沙織になんて言ったらいいのだろう。
仕事帰り、美波さんが指定した居酒屋へ行った。以前も何度かいっしょに行ったことのある、札幌駅そばの居酒屋。
お金を渡すだけなのに居酒屋って、、
仲たがいをしたいとは思わないけれど、もう一緒に食事をする気分にはなれない。
最後に飲食代も払わせたいのだろうか。美波さんと個人的に飲みに出るのは、多分これが最後だろうな。
沙織は夜勤だから慌てて帰る必要はないけれど。
午後7時に待ち合わせたのに、僕が居酒屋へ着くと、美波さんはすでに酔っていた。
「あ、慎也く~ん、ここよぉ~ !」
カウンターにいた美波さんが、トロンとした目で僕を手招きした。
焼いた魚や揚げ物の匂いが空腹を刺激した。
店内はほどよく混んでいて活気があった。
威勢のよいスタッフの声は今の心境では耳障りに感じられた。
「なんだよ、来てるなら言ってくれたらよかったじゃないか。僕だってもっと早く来れたのに」
時間を潰すためにわざわざスタバに寄ってから来たのだ。
「ゴチャゴチャ言ってないで早く座りなさいよ」
美波さんが僕の腕をつかんで隣に引き寄せた。
「悪いんだけどあまり長居は出来ないんだ。先にこれ渡しておくよ」
封筒に入れた100万円を差し出す。
「なによ、金の切れ目が縁の切れ目ってこと? ずいぶん冷たいのね。早く帰らないと北村に怒られるってわけ?」
沙織が今日は夜勤であることを、事務の美波さんは知らないのだろう。
文句を言いながらも美波さんは、封筒の中身をチラと確認してからバッグにしまい込んだ。
「そうだよ、僕たち新婚なんだから、少しは気を遣ってくれよ」
もう美波さんに気に入られたいとは思わないので、冷たく言い放った。
さっさとマンションに帰って休みたい。
「あらあら、そうですか、それはお熱いことで。それにしてもどうしたの? このお金。いつも金欠病の慎也くんがさぁ。もしかして、またカードローン?」
探るように僕を見つめた美波さんの目には、侮蔑が込められていた。
「そんなこと、どうだっていいだろう。とにかくこれで借りは全部返したからな。もうグダグダ言うのは無しにしてくれよ」
「あら、それなら300万よ。もっとグダグダ言わないとスッキリしないもの。あと200万キッチリと払いなさいよ。それなら黙って別れてあげる」
やはり酔っているのか?
シラフで言っているのなら、もう許さない。
「いい加減にしないと、恐喝で訴えるぞ」
滅多に怒ることのない僕でも、さすがに腹が立った。
「あら、怖いわね。あんな性悪女なんかと結婚するから、すっかり変わってしまって。純真で優しい慎也くんが好きだったのにさ」
「性悪女はそっちだろう。沙織は恐喝なんてしないよっ!」
理不尽な要求をされた恨みが、積もり積もって思わずキツイ言葉が出た。
「男にフラれて自殺未遂する女のほうが百倍も怖いじゃないのっ、あんな最低女と比べられたくないわよっ!!」
沙織さんの自殺未遂は、僕と佐野さんと美波さんだけの秘密だった。
沙織さんが低血糖で救急搬送された日、ご家族の連絡先がわからなくて、事務の美波さんに電話をした。
美波さんからは、いくら慎也くんでも個人情報は勝手に教えられないと言われた。それは確かにそうだから、美波さんには詳しい経緯を説明するしかなかったのだ。
その頃の僕は美波さんのことを信頼もしていたから、こんなふうに言われるなんて思ってもみなかった。
美波さんはフラれた腹いせに、沙織の自殺未遂のことを言いふらしたりするだろうか。
「もっと若くて可愛い子なら許せたのよ。よりによって北村なんてね。人をバカにしているわ、いくら美人だからって……」
そう言って美波さんはテーブルに突っ伏した。
泣いているのだろうか?
「沙織はちょっと変わっているけど優しいし、いい所たくさんあるんだ。美波さんも付き合えばわかるよ」
「わからないままで結構です! このお金返すわ。慎也くんはお金が欲しくてわたしがあんなこと言ったと思ってたの?」
ふて腐れたように美波さんは酎ハイのグラスを持ち上げ、いっきに流しこむ。
「………」
100万円はもったいないけれど、返すと言われると、それはまたそれで困るような気がした。
「もう友達でもなんでもないわね。私は信頼さえされてなかったんだから。お金なんかいらないわよ、返すわ!」
美波さんはさっき仕舞い込んだ100万円をバッグから取り出すと、カウンターテーブルの上に叩きつけた。
「ちょっと、お兄さん、梅酒サワーちょうだい!」
「美波さん、もうやめておいたほうがいいって、、このお金は受け取ってくれよ。今まで本当にお世話になりっぱなしだったから……」
「いらないわよ。慰謝料を請求するよりも自殺のほうがいい人だって言うんだから、私も自殺するわよ。死ぬわ、死んでやる!!」
カウンター越しの店員もまわりの客も、さっきからずっと僕たちのやり取りに聞き耳をたてているのがわかった。
「ずいぶん酔ってるんだな。もう帰ったほうがいいよ。送って行くから帰ろう」
美波さんの腕をつかんで引っ張りあげた。
「ほうっておいてよ! 今夜は飲み明かすんだから。早く帰りなさい、美人の奥さんが待ってるんでしょ、さっさと帰って!!」
「美波さん、、」
みんなの注目を浴びていたたまれないことこの上ないが、こんな美波さんをおいて帰れるわけがない。
開きなおってメニューをながめ、ノンアルのビールと焼き鳥セットを頼んだ。
「あっ、わたしにもビール! 」
今飲んでいた酎ハイを飲み干して、美波さんはビールを追加した。
「飲みすぎだろう。明日は休みじゃないのに」
いくら酒豪の美波さんでも、飲み方が尋常でない。
「どうしたのよ? 帰らないの?」
凄むような目つきで美波さんは僕を見つめた。
「置いて帰れるわけないだろう、こんなに酔ってるのに。せっかく渡したお金をなくされても困るじゃないか」
美波さんのバッグを勝手に開けて、100万円入った封筒を押し込む。
「やめてよ、お金なんていらないって言ったでしょ。私は慎也くんを困らせたくて言っただけよ。わかってないのね」
本当にいらないのだろうか。法外な要求ではあったけれど。
「わかってないって言われてもさ、、僕たち結婚の話なんてしたことなかったよね? お世話になったことは本当にありがたいと思っているけど、別に裏切ったつもりはないよ」
運ばれてきたビールを飲みながら弁解をした。
「付き合ってから同棲に進んだら、その先にあるのは結婚じゃない。そう考えるのが普通でしょ? いちいち口に出さなくたって、女ならそう考えるわ。慎也くんがそんなに無責任な人だなんて思わなかったわ」
そんなものだろうか。二人の考え方にこんなにズレがあったなんて。
もう何を言っていいのかわからなくなり、運ばれてきた焼き鳥にかじりつく。
「今更こんなこと言っても意味ないのよね。慎也くんはもう結婚しちゃったんだもの。祝ってあげなくちゃいけないって、わかってるの、、わかってる、うっ、うっ、」
酒乱ぎみだった美波さんは、今度は泣き上戸になっていた。
怒鳴られるよりも、泣かれるほうがずっと辛いということに気づく。
食欲さえなくなって、大好きな砂肝は本当に砂を噛むようだった。
「最近、会ってくれなくなったなぁとは思っていたのよ、でも北村と付き合ってたなんて全然気づかなかった。まさか慎也くんがあんな女にひっかかるなんて思ってもみなかったから」
「美波さんとはもうずっと飲みに行ってなかっただろう。連絡さえ取ってなかったんだから。なのに僕を結婚相手のように思うっておかしいじゃないか」
「長く付き合っていたら、少し距離をおきたいとか、そんな気持ちになることだってあるじゃないの。しつこくしたら嫌われると思ったから連絡もひかえていたのよ。そうしたら突然結婚したなんてうわさを聞いて、うっ、うっ、、目の前が真っ暗になったわ。わたしの人生なんて終わったわ、、もう、おしまいよ~~、うわーーーん!!」
「美波さん、ここでこんな話やめようよ。恥ずかしくないのかい。と、とにかくもう出よう」
まわりの客の好奇の目にさらされながら、勝手に会計をすませた。
フラついている美波さんの腕を引いて、駅前の駐車場までなんとか歩いてきたけれど。
「美波さん、早く乗って。アパートに送るから」
やっとのことで後部座席に押し込んで座らせた。
おとなしくアパートへ帰ってくれるだろうか。
ここから美波さんのアパートまで、約10分ほどで着くはずだ。
コインを入れて駐車料金を清算し、車を発進させた。
交差点を右折して、交通量の多い駅周辺から抜け出す。
「ねえ、この車いくらしたのよ? 新車でしょう? ずいぶん金まわりがよくなったのねぇ。わかったわ! これ北村が買ってくれたんでしょう?」
後部座席に横たわった美波さんは、妄想を膨らませては、ムニャムニャとクダを巻いていた。
身勝手な憶測にイライラしたけれど、早く送り届けてしまいたかった。
「北村はたぶん父親の遺産でも手に入れたんだわ。お金の力で慎也くんを手なづけたってわけなのね」
「違うよ! 勝手な想像するなよ」
酔っぱらいとは分かっていても苛立ちを抑えきれなかった。
「あー、なんだか気持ちが悪くなってきた」
そう言った途端、“ うっ ” と声がして美波さんはシートに思いっきりゲロを吐いた。
「わーっ‼︎ なにやってんだよぉ」
まだ購入して3ヶ月ほどしか経っていない新車が……。
憤りを通り越し、マジで泣きそうになった。
気を鎮めて運転に集中する。
車内に強烈なゲロの匂いが立ちこめた。
早く送り届けて、さっさとゲロの始末をしないと、シートに匂いが染み付いてしまう。
やっと美波さんのアパートに到着し、二階にある部屋まで肩をかして連れていった。
モタモタしている美波さんからカギを奪ってドアをあけ、あがりかまちに座らせた。
「じゃあ、これで。僕が出たあとカギをかけ忘れないで。バッグに大金が入ってるんだからね」
「待ってよ、待って、、慎也くん、お願い、今夜だけはそばにいて」
酔っているとは思えないほど強い力で美波さんが僕の腕にしがみついた。
「なに言ってるんだよ。僕はもう結婚しているんだよ。泊まったりできるわけないだろう」
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「だ、大丈夫かい? 」
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