46 / 55
第2章
慎ちゃん、なんて大嫌い!!
しおりを挟む
*沙織*
あんなに信頼していた人から裏切られるなんて。
新婚1ヶ月で浮気……。
しかもあんな女に100万円も渡すなんて。
ーー嘘ばっかりじゃない。
慎ちゃんがしたことは、絶対に許す気になれない。私じゃなくたって、どんな女だって許せないわよ。
だけど、これからどうしたらいいの。
離婚して一人で生きて行く?
私の人生って、やっぱりそういう風に出来ているの?
身体中の水分が、全部流れてしまうくらい泣いた。
この喪失感から立ち直るには、とても時間がかかりそう。
前夫の吉岡には初めから冷めた諦めというものがあった。
それでも別れたときはそれなりに傷つきもし、泣いたりもしたけれど、これほどのショックは受けなかった。
むしろ、別れられてホッとしたというのが、正直な気持ちだった。
吉岡は部屋に隠しカメラと盗聴器を置いて、私を監視していたのだ。
こんなことまでされてショックではあったけれど、これでやっと別れる口実が出来たと思えた。
たった半年の結婚生活。
莉子と松田先生を見返すことが目的だった愛のない結婚。
上手くいくわけがなかった。
盗撮なんかされても、優しくしてくれた吉岡には、それほどの憎しみは持てなかったけれど。
泣いて詫びる吉岡に申し訳ない気持ちだけが募った。
彼も気の毒なほど、私と同じ孤独の匂いがする人だったから。
たげど、だからといって傷をなめ合いながら暮らすような生活に、満足など出来るわけがなかった。
慰謝料も何もいらないからと、離婚届に無理やり印を押させ、サッサと札幌へ逃げ帰った。
あれから、三年が過ぎた。
今頃どうしているのだろう。
翌朝、鏡を見ると瞼がひどく腫れていた。
こんな顔で仕事に行かなければいけないなんて。
ほとんど何も食べていないけれど、食欲はなく、最悪の気分で出勤した。
それでも一人家にこもって鬱々しているよりは、仕事をしていたほうが気が紛れてまだマシな気もした。
病棟には、わたし以上に絶望して苦しんで いる患者がたくさんいる。
健康で自由に動けるだけでも十分に幸せなのだ。
そんな風にいい聞かせながら仕事をしても、心は少しも晴れなかった。
特にミスもトラプルも起こさずに仕事を終えられたことにホッとする。
こんな日に、同僚と揉め事などがあったら、泣き出してしまうに違いない。
タイムカードを押して一階へ降りた。
慎ちゃんはまだレントゲン室にいるだろうか。
会いたいような会いたくないような、複雑な気持ちが交錯した。
レントゲン室のほうを見つめ、後ろ髪を引かれる気持ちで更衣室へ向かった。
職員通用口を出ると、飲料自販機の前に慎ちゃんが立っていた。
無視して通り過ぎたわたしを、慎ちゃんがすがるような目で追いかけてきた。
「沙織、頼むから話を聞いてくれよ。確かに嘘をついてた。だけど、裏切るつもりじゃなかったんだ。僕たちの生活を壊したくなくて、なんとか穏便に済ませたかったんだよ」
「なにが穏便よっ、自分の都合ばっかりじゃない。私の貯金を使い果たしたら、また次の女を見つけるんでしょう。慎ちゃんの気持ちは十分わかったわ。もう構わないで!」
「そんなんじゃないって! 頼むよ、信じてくれよ、、どう言えば分かってくれるんだよ?」
切実に訴える慎ちゃんの眼差しに、少し心が動いた。だけど、その何倍もの怒りがこみ上げて、それを制御することは出来なかった。
「あの女に聞いてみたらどう? いい歳なんですもの、最高のアドバイスがもらえるはずだわ」
辛辣な嫌味を言ってはみたけれど、そういう自分ももう若くはない。
慎ちゃんより四歳も年上なのだ。
「とにかく、このまま別れるわけにはいかないだろう。よく話し合おう。信じてくれなくてもいいよ。でも、聞いて欲しいんだ。頼むよ、沙織!」
「悪いけど、もう関わりたくないの。慎ちゃんみたいな人にアレコレ言われたら、またコロっと騙されて、貯金は底をついてしまうわよ。無一文になって棄てられるのだけはごめんだわ!」
また泣きそうになって小走りで逃げ出し、地下鉄駅へと向かった。
なによ、詐欺師!!
あんな女と別れられないでいる慎ちゃんなんて、もう顔も見たくない。
翌日、病院の売店に昼食を買いに行ったら、佐野さんがいた。
無視をしたのに、おにぎりとお茶を選んでいた私のそばへやって来た。
「沙織、、俺がこんなこと言うのは差し出がましいと思うけど、橋本のこと許してやれよ」
小声でボソボソとささやく。
「無理ね、許容範囲を超えているわ。あの女と暮らしたほうが上手くいくんじゃないかしら。とにかく私はもうたくさん」
昆布のおにぎりと緑茶を選んでレジに向かい、清算を済ませる。
売店を出たわたしの背に向かって佐野さんは言い放った。
「橋本はハメられたんだよ。信じてやれよ!」
私だって信じたい。
誰よりも、誰よりも慎ちゃんを信じたい。
私ほど慎ちゃんに頼りきってる女など、他にいないではないか。
別れてまだ二日しかたっていないのに、もう不安でいっぱいになっている。
またパニックを起こしてしまったらどうしよう……。
助けてくれる人は一人もいないんだ。
そう思っただけで、息が詰まりそうになる。
慎ちゃんなしで、これから生きていけるのだろうか……。
仕事を終え、更衣室へ入ると、奥まったすみに置かれている古びたソファに、事務の渡辺美波がどっかりと鎮座していた。
黒いレザーのソファは所々破れていて、中の白い詰め物が見えている。
よれてくすんだ白のTシャツに、ベージュのイージーパンツを履いている渡辺は、くたびれ具合がソファと一体化しているように見えた。
しばらく美容室に行ってないように見えるセミロングは、うねって跳ねていた。
ふん、あんな女のどこがいいんだか。
慎ちゃんの趣味を疑うわ。
それにしても、着替えも終わっているのになぜ帰らずにいるのだろう。
まだなにか言い足りないことでもあるのか。
素早く白衣を脱いで、フリルが可愛い巻きスカートの黒いワンピースを身につける。
背後からジッと着替えを見られているようで、気分が良くなかった。
不愉快な気持ちで着替えを済ませ、ロッカーの扉をしめた。
「橋本さん、ちょっといいかしら? 話があるの」
やはり渡辺は私を待っていたのだった。
こんな女と二度と口など効きたくない。
更衣室にはまだ数人の職員が、ペチャクチャおしゃべりしながら着替えをしていた。
渡辺を無視して、返事もせずに更衣室を出た。
「橋本さ~ん! ちょっと待ってったら」
人を馬鹿にしたような嫌味ったらしい呼び方に苛立つ。
「急いでるの、あなたと話なんてないわよ」
「待ってよ、やっぱりこの百万円を返したいのよ」
渡辺はバッグから封筒を取り出して、私の前に立ちはだかった。
ーー百万円を ⁉︎
すでに支払い能力を失っている慎ちゃんが、ローンで借りた百万円は、わたしが支払うハメになるだろう。
だけど、この女からは意地でも受け取りたくなかった。
「 慎ちゃんがあなたを可哀想に思ってあげた百万円なんでしょう? 黙って貰っておいたらどう?」
心底軽蔑したように、憐れんで言った。
「百万円は返すわよ。そのかわり慎也くんと別れてあげて欲しいの。慎也くんね、早まって結婚しちゃったことをとっても後悔しているの。なんだか可哀想になっちゃって……」
「あなたにそんなことを指図される筋合いはないわ。目障りだからどいて!」
立ちはだかっている渡辺を押しのけ、職員通用口へ向かう。
いらないわよ、慎ちゃんなんて。
そんなにあの女がいいなら、結婚すればいいわ。いつでも別れてあげるわよ!!
込みあげる涙をグッとこらえ、職員通用口を出ると、昨日と同じ自販機の前に慎ちゃんが立っていた。
「さ、沙織、、」
慎ちゃんが切実なようすで、近づいてきた。
「頼むから、話を聞いてくれないかな? 」
ーービシッ!!
我慢していた悔し涙がこぼれ落ちて、慎ちゃんの頬を思いっきり引っぱたいていた。
「沙織………」
「話ならもう聞いたわよ。いけ好かないあの女からね。いいわよ、いつだって離婚してあげる!」
呆気にとられて目を丸くしている慎ちゃんを残して、地下鉄駅へと走った。
あんなに信頼していた人から裏切られるなんて。
新婚1ヶ月で浮気……。
しかもあんな女に100万円も渡すなんて。
ーー嘘ばっかりじゃない。
慎ちゃんがしたことは、絶対に許す気になれない。私じゃなくたって、どんな女だって許せないわよ。
だけど、これからどうしたらいいの。
離婚して一人で生きて行く?
私の人生って、やっぱりそういう風に出来ているの?
身体中の水分が、全部流れてしまうくらい泣いた。
この喪失感から立ち直るには、とても時間がかかりそう。
前夫の吉岡には初めから冷めた諦めというものがあった。
それでも別れたときはそれなりに傷つきもし、泣いたりもしたけれど、これほどのショックは受けなかった。
むしろ、別れられてホッとしたというのが、正直な気持ちだった。
吉岡は部屋に隠しカメラと盗聴器を置いて、私を監視していたのだ。
こんなことまでされてショックではあったけれど、これでやっと別れる口実が出来たと思えた。
たった半年の結婚生活。
莉子と松田先生を見返すことが目的だった愛のない結婚。
上手くいくわけがなかった。
盗撮なんかされても、優しくしてくれた吉岡には、それほどの憎しみは持てなかったけれど。
泣いて詫びる吉岡に申し訳ない気持ちだけが募った。
彼も気の毒なほど、私と同じ孤独の匂いがする人だったから。
たげど、だからといって傷をなめ合いながら暮らすような生活に、満足など出来るわけがなかった。
慰謝料も何もいらないからと、離婚届に無理やり印を押させ、サッサと札幌へ逃げ帰った。
あれから、三年が過ぎた。
今頃どうしているのだろう。
翌朝、鏡を見ると瞼がひどく腫れていた。
こんな顔で仕事に行かなければいけないなんて。
ほとんど何も食べていないけれど、食欲はなく、最悪の気分で出勤した。
それでも一人家にこもって鬱々しているよりは、仕事をしていたほうが気が紛れてまだマシな気もした。
病棟には、わたし以上に絶望して苦しんで いる患者がたくさんいる。
健康で自由に動けるだけでも十分に幸せなのだ。
そんな風にいい聞かせながら仕事をしても、心は少しも晴れなかった。
特にミスもトラプルも起こさずに仕事を終えられたことにホッとする。
こんな日に、同僚と揉め事などがあったら、泣き出してしまうに違いない。
タイムカードを押して一階へ降りた。
慎ちゃんはまだレントゲン室にいるだろうか。
会いたいような会いたくないような、複雑な気持ちが交錯した。
レントゲン室のほうを見つめ、後ろ髪を引かれる気持ちで更衣室へ向かった。
職員通用口を出ると、飲料自販機の前に慎ちゃんが立っていた。
無視して通り過ぎたわたしを、慎ちゃんがすがるような目で追いかけてきた。
「沙織、頼むから話を聞いてくれよ。確かに嘘をついてた。だけど、裏切るつもりじゃなかったんだ。僕たちの生活を壊したくなくて、なんとか穏便に済ませたかったんだよ」
「なにが穏便よっ、自分の都合ばっかりじゃない。私の貯金を使い果たしたら、また次の女を見つけるんでしょう。慎ちゃんの気持ちは十分わかったわ。もう構わないで!」
「そんなんじゃないって! 頼むよ、信じてくれよ、、どう言えば分かってくれるんだよ?」
切実に訴える慎ちゃんの眼差しに、少し心が動いた。だけど、その何倍もの怒りがこみ上げて、それを制御することは出来なかった。
「あの女に聞いてみたらどう? いい歳なんですもの、最高のアドバイスがもらえるはずだわ」
辛辣な嫌味を言ってはみたけれど、そういう自分ももう若くはない。
慎ちゃんより四歳も年上なのだ。
「とにかく、このまま別れるわけにはいかないだろう。よく話し合おう。信じてくれなくてもいいよ。でも、聞いて欲しいんだ。頼むよ、沙織!」
「悪いけど、もう関わりたくないの。慎ちゃんみたいな人にアレコレ言われたら、またコロっと騙されて、貯金は底をついてしまうわよ。無一文になって棄てられるのだけはごめんだわ!」
また泣きそうになって小走りで逃げ出し、地下鉄駅へと向かった。
なによ、詐欺師!!
あんな女と別れられないでいる慎ちゃんなんて、もう顔も見たくない。
翌日、病院の売店に昼食を買いに行ったら、佐野さんがいた。
無視をしたのに、おにぎりとお茶を選んでいた私のそばへやって来た。
「沙織、、俺がこんなこと言うのは差し出がましいと思うけど、橋本のこと許してやれよ」
小声でボソボソとささやく。
「無理ね、許容範囲を超えているわ。あの女と暮らしたほうが上手くいくんじゃないかしら。とにかく私はもうたくさん」
昆布のおにぎりと緑茶を選んでレジに向かい、清算を済ませる。
売店を出たわたしの背に向かって佐野さんは言い放った。
「橋本はハメられたんだよ。信じてやれよ!」
私だって信じたい。
誰よりも、誰よりも慎ちゃんを信じたい。
私ほど慎ちゃんに頼りきってる女など、他にいないではないか。
別れてまだ二日しかたっていないのに、もう不安でいっぱいになっている。
またパニックを起こしてしまったらどうしよう……。
助けてくれる人は一人もいないんだ。
そう思っただけで、息が詰まりそうになる。
慎ちゃんなしで、これから生きていけるのだろうか……。
仕事を終え、更衣室へ入ると、奥まったすみに置かれている古びたソファに、事務の渡辺美波がどっかりと鎮座していた。
黒いレザーのソファは所々破れていて、中の白い詰め物が見えている。
よれてくすんだ白のTシャツに、ベージュのイージーパンツを履いている渡辺は、くたびれ具合がソファと一体化しているように見えた。
しばらく美容室に行ってないように見えるセミロングは、うねって跳ねていた。
ふん、あんな女のどこがいいんだか。
慎ちゃんの趣味を疑うわ。
それにしても、着替えも終わっているのになぜ帰らずにいるのだろう。
まだなにか言い足りないことでもあるのか。
素早く白衣を脱いで、フリルが可愛い巻きスカートの黒いワンピースを身につける。
背後からジッと着替えを見られているようで、気分が良くなかった。
不愉快な気持ちで着替えを済ませ、ロッカーの扉をしめた。
「橋本さん、ちょっといいかしら? 話があるの」
やはり渡辺は私を待っていたのだった。
こんな女と二度と口など効きたくない。
更衣室にはまだ数人の職員が、ペチャクチャおしゃべりしながら着替えをしていた。
渡辺を無視して、返事もせずに更衣室を出た。
「橋本さ~ん! ちょっと待ってったら」
人を馬鹿にしたような嫌味ったらしい呼び方に苛立つ。
「急いでるの、あなたと話なんてないわよ」
「待ってよ、やっぱりこの百万円を返したいのよ」
渡辺はバッグから封筒を取り出して、私の前に立ちはだかった。
ーー百万円を ⁉︎
すでに支払い能力を失っている慎ちゃんが、ローンで借りた百万円は、わたしが支払うハメになるだろう。
だけど、この女からは意地でも受け取りたくなかった。
「 慎ちゃんがあなたを可哀想に思ってあげた百万円なんでしょう? 黙って貰っておいたらどう?」
心底軽蔑したように、憐れんで言った。
「百万円は返すわよ。そのかわり慎也くんと別れてあげて欲しいの。慎也くんね、早まって結婚しちゃったことをとっても後悔しているの。なんだか可哀想になっちゃって……」
「あなたにそんなことを指図される筋合いはないわ。目障りだからどいて!」
立ちはだかっている渡辺を押しのけ、職員通用口へ向かう。
いらないわよ、慎ちゃんなんて。
そんなにあの女がいいなら、結婚すればいいわ。いつでも別れてあげるわよ!!
込みあげる涙をグッとこらえ、職員通用口を出ると、昨日と同じ自販機の前に慎ちゃんが立っていた。
「さ、沙織、、」
慎ちゃんが切実なようすで、近づいてきた。
「頼むから、話を聞いてくれないかな? 」
ーービシッ!!
我慢していた悔し涙がこぼれ落ちて、慎ちゃんの頬を思いっきり引っぱたいていた。
「沙織………」
「話ならもう聞いたわよ。いけ好かないあの女からね。いいわよ、いつだって離婚してあげる!」
呆気にとられて目を丸くしている慎ちゃんを残して、地下鉄駅へと走った。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
7
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる