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薬剤師の谷さん
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4月28日
あの日以降も、佐野さんから何度かお誘いのメールをもらった。
ハンバーグとポテサラのお礼や、今までずっと有紀に甘え過ぎていたなどの反省の言葉。
無視するのも大人気ないと思い、当たり障りのないおちゃらけた返信をした。
4月から入った新人看護師たちの指導などで忙しいと言い訳をして、誘いの方はなんとか断ることができている。
でも、寂しい・・・すごく会いたい。
夜勤者への申し送りを終え、帰りに薬局へ寄った。
めずらしく谷さんから食事に誘われる。
薬剤師の谷さんとはとても気が合って、時々立ち寄ってはおしゃべりをして帰る。
「え~ ! な~に、谷さんが奢ってくれるの?」
「う、うん。有紀ちゃん、なにが食べたい?」
谷さんはいつも ” 有紀ちゃん ,, なんて名前をちゃん付けで呼ぶから、ハイジがお気に入りだった子ヤギにでもなったような気分になる。
「なんでもいい。好き嫌いないもん」
谷さんの赤のミニ・クーパーにはじめて乗った。
「ふーん、かわいいね、このクルマ」
「そう? 有紀ちゃんに気に入ってもらえて嬉しいな」
運転する谷さんの横顔を見た。
とてもきれいな横顔をしていて、目はあまり大きくない和風のお醤油顔をしている。
身長は高い方だけれど、ほっそりしているから、隣に立つとわたしが余計に太って見えそう。
銀ブチのメガネなんかして知性を感じさせるところが、ちょっとステキだなと思う。
実際、かなりのインテリだ。
専門の薬学以外にも色々な分野のことをとてもよく知っている。
谷さんの薀蓄は楽しいから、嫌いな虫の話だろうと歴史や政治だろうと、聞いているうちにとても興味がわいてくる。だから、つい日勤の帰りはふらりと薬局に立ち寄りたくなる。
「最近、母親がうるさくてさ、早く結婚しろって」
イタリアンのお店で生ハムサラダを食べていたら、谷さんが突然そんな話をはじめた。
谷さんからこんな話題が出ようとは思いもしないのでちょっと驚く。
「そうなんだぁ、谷さんは結婚したくない人なの? いるんでしょ、彼女?」
「いないよ、彼女なんて。いないのにそんな気にはなれないからね。やたら縁談とか写真を持ってこられて、その度に断わるのが面倒になっちゃてさ。本当にもう結婚しようかなって最近思ってしまって」
「谷さん彼女いなかったの? いると思ってた。いるって聞いてたよ。みんなもそう思ってるし」
「そんなこと言ったこともないのに、どうしてかな?」
谷さんは少し困ったような顔をして、私から視線をそらせた。
「いないようには見えないもんね。イケメンだし、頭も性格もいいから」
「そんなことはないよ。だけど面倒くさがりだからな。すごく結婚したいってわけでもないんだけど、うるさいからなぁ~」
「谷さんだったら、きっといい人がすぐに見つかると思うけどね」
谷さん、ちょっとマザコンぽいかも? などと思いながら、レタスと生ハムにフォークを突き立てた。
「本当にそう思う?」
谷さんが真面目な顔をして見つめているので、口に入れた生ハムが喉につまりそうになる。
「う、うん、思うよぉ~、誰か紹介してあげようか? うちの病院、谷さんのファンって結構いるんだよね~」
言ってしまってから、また余計なお節介をしていることに気づく。
「ごめん、私よりお母さんの方がいい人見つけられるよね。私ってすぐよけいなお節介したがる人だから」
慌てて弁解する。
「有紀ちゃんが付き合ってくれないかな?」
谷さんが突然思いもよらないことを言ったので、吹き出しそうになった。
「へっ、私? な、なんで? だめだよ、そんなの。谷さんのお母さんに気に入られるはずないじゃん」
私と付き合いたい男の人がいるなんて、冗談としか思えなかった。
「どうして? まだ会ったこともないのに」
「だって、私じゃ、びっくりするでしょ。太ってるし、女らしくないし」
「女の人は結婚したらどうせ太るじゃない。そうならない人もいるけど、そんなことよりも大切なことがあると思うな、結婚って」
ーー谷さん、本気なの?
「で、でも、やっぱり、谷さんと私じゃ釣り合わないと思う・・・」
谷さんのおうちのことは聞いたこともないし、何も知らないけれど、なんとなく私たちとは違う育ちの良さや、階層の違いが感じられた。
ブランドのことなどよく知らないけれど、服装も一般の人とはちょっと違って、上質で洗練されたものをいつもステキに着こなしている。
「どういうところが釣り合わないのかな? 僕はずっと有紀ちゃんみたいな子がいいなって思ってたよ。家に帰ってこんな子が待っててくれたら楽しいだろうなって。いつも僕の馬鹿らしい話を真剣に聞いてくれるのって、有紀ちゃんだけだし」
「でも・・・お母さんが勧めてくれた人にも一応会ってみたら? たぶん私より可愛くてステキな人だと思うよ」
谷さんを恋愛の対象として見たことはこれまで一度もなかった。年齢が少し離れていたからかもしれない。
突然、告白なんかされても困惑してしまう。
「有紀ちゃん、最近きれいになったよね。もしかして、もう決まった人でもいるのかな? それならはっきり言ってくれてかまわないんだけど」
「……そんな人はいないけど」
片思いの彼は、まったく望みのない相手なのだ。
「そうか、良かった。なんかすごく痩せたみたいだし、どんどんきれいになっていくからちょっと焦ってしまって」
これは喜ぶべきことなのだろうか? 私にとっては千載一遇のチャンスなのかも知れない。
だけど……。
魚介類のパスタとマルゲリータピザが運ばれてきた。
「いくらきれいでもツンケンして、すぐにヒステリー起こすような子はダメなんだ。有紀ちゃんみたいにいつもコロコロ笑ってる明るい子がいいんだなぁ」
「私そんなにいつでも笑ってないし、怒るときだってあるよ。いつも妹とケンカしてるし」
「まぁ、笑ってばかりいられても困るけど。でも基本的に朗らかだろう。・・・結婚を前提に付き合ってくれないかな? 今すぐに返事してくれなくていいから。急にこんな話ししてびっくりしただろう?」
「う、うん」
谷さんみたいなインテリから交際を申し込まれるなんて思ってもみなかった。
タイプとは多少ずれているけど、誰が見ても私にはもったいないくらいの男性だ。
この先、私に谷さん以上の人が現れて、気に入ってもらえるなんて幸運はないような気もする。
ペスカトーレのバーナ貝から身を引き剥がしながら考える。
これからの人生をずっと独身でいるのか、それとも谷さんで妥協して結婚してしまうのがよいのだろうか。
妥協なんて言い方は失礼だ。
容姿やら何やら、妥協してくれているのはむしろ谷さんの方なのだから。
でもまだ23歳で、二者択一を迫られるのは早すぎる。
もっとあとで好みの人が現れたりするのではないだろうか?
でも100%理想の人と結婚なんて所詮、出来るわけないんだ。
みんな自分のレベルを考えながら、我慢できるところは目をつぶって、折り合いをつけているに違いない。
佐野さんは彩矢のことを抜きに考えても、私のことを女としてみてくれる可能性なんてない。
「谷さん、本当にわたしでいいの?」
「えっ、すぐに返事をくれるのかい? 」
フォークにクルクルと麺を巻きつけて谷さんは微笑んだ。
「……私なんかでいいんだったら」
「いいに決まってるじゃない。だから誘ったんだから。嬉しいなぁ、思いきって言ってみるものだな。有紀ちゃん、ありがとう」
奥二重の優しい目で見つめられて、ちょっとドギドキした。
本当にこれでよかったのかな? だんだんと自信がなくなってくる。
あの日以降も、佐野さんから何度かお誘いのメールをもらった。
ハンバーグとポテサラのお礼や、今までずっと有紀に甘え過ぎていたなどの反省の言葉。
無視するのも大人気ないと思い、当たり障りのないおちゃらけた返信をした。
4月から入った新人看護師たちの指導などで忙しいと言い訳をして、誘いの方はなんとか断ることができている。
でも、寂しい・・・すごく会いたい。
夜勤者への申し送りを終え、帰りに薬局へ寄った。
めずらしく谷さんから食事に誘われる。
薬剤師の谷さんとはとても気が合って、時々立ち寄ってはおしゃべりをして帰る。
「え~ ! な~に、谷さんが奢ってくれるの?」
「う、うん。有紀ちゃん、なにが食べたい?」
谷さんはいつも ” 有紀ちゃん ,, なんて名前をちゃん付けで呼ぶから、ハイジがお気に入りだった子ヤギにでもなったような気分になる。
「なんでもいい。好き嫌いないもん」
谷さんの赤のミニ・クーパーにはじめて乗った。
「ふーん、かわいいね、このクルマ」
「そう? 有紀ちゃんに気に入ってもらえて嬉しいな」
運転する谷さんの横顔を見た。
とてもきれいな横顔をしていて、目はあまり大きくない和風のお醤油顔をしている。
身長は高い方だけれど、ほっそりしているから、隣に立つとわたしが余計に太って見えそう。
銀ブチのメガネなんかして知性を感じさせるところが、ちょっとステキだなと思う。
実際、かなりのインテリだ。
専門の薬学以外にも色々な分野のことをとてもよく知っている。
谷さんの薀蓄は楽しいから、嫌いな虫の話だろうと歴史や政治だろうと、聞いているうちにとても興味がわいてくる。だから、つい日勤の帰りはふらりと薬局に立ち寄りたくなる。
「最近、母親がうるさくてさ、早く結婚しろって」
イタリアンのお店で生ハムサラダを食べていたら、谷さんが突然そんな話をはじめた。
谷さんからこんな話題が出ようとは思いもしないのでちょっと驚く。
「そうなんだぁ、谷さんは結婚したくない人なの? いるんでしょ、彼女?」
「いないよ、彼女なんて。いないのにそんな気にはなれないからね。やたら縁談とか写真を持ってこられて、その度に断わるのが面倒になっちゃてさ。本当にもう結婚しようかなって最近思ってしまって」
「谷さん彼女いなかったの? いると思ってた。いるって聞いてたよ。みんなもそう思ってるし」
「そんなこと言ったこともないのに、どうしてかな?」
谷さんは少し困ったような顔をして、私から視線をそらせた。
「いないようには見えないもんね。イケメンだし、頭も性格もいいから」
「そんなことはないよ。だけど面倒くさがりだからな。すごく結婚したいってわけでもないんだけど、うるさいからなぁ~」
「谷さんだったら、きっといい人がすぐに見つかると思うけどね」
谷さん、ちょっとマザコンぽいかも? などと思いながら、レタスと生ハムにフォークを突き立てた。
「本当にそう思う?」
谷さんが真面目な顔をして見つめているので、口に入れた生ハムが喉につまりそうになる。
「う、うん、思うよぉ~、誰か紹介してあげようか? うちの病院、谷さんのファンって結構いるんだよね~」
言ってしまってから、また余計なお節介をしていることに気づく。
「ごめん、私よりお母さんの方がいい人見つけられるよね。私ってすぐよけいなお節介したがる人だから」
慌てて弁解する。
「有紀ちゃんが付き合ってくれないかな?」
谷さんが突然思いもよらないことを言ったので、吹き出しそうになった。
「へっ、私? な、なんで? だめだよ、そんなの。谷さんのお母さんに気に入られるはずないじゃん」
私と付き合いたい男の人がいるなんて、冗談としか思えなかった。
「どうして? まだ会ったこともないのに」
「だって、私じゃ、びっくりするでしょ。太ってるし、女らしくないし」
「女の人は結婚したらどうせ太るじゃない。そうならない人もいるけど、そんなことよりも大切なことがあると思うな、結婚って」
ーー谷さん、本気なの?
「で、でも、やっぱり、谷さんと私じゃ釣り合わないと思う・・・」
谷さんのおうちのことは聞いたこともないし、何も知らないけれど、なんとなく私たちとは違う育ちの良さや、階層の違いが感じられた。
ブランドのことなどよく知らないけれど、服装も一般の人とはちょっと違って、上質で洗練されたものをいつもステキに着こなしている。
「どういうところが釣り合わないのかな? 僕はずっと有紀ちゃんみたいな子がいいなって思ってたよ。家に帰ってこんな子が待っててくれたら楽しいだろうなって。いつも僕の馬鹿らしい話を真剣に聞いてくれるのって、有紀ちゃんだけだし」
「でも・・・お母さんが勧めてくれた人にも一応会ってみたら? たぶん私より可愛くてステキな人だと思うよ」
谷さんを恋愛の対象として見たことはこれまで一度もなかった。年齢が少し離れていたからかもしれない。
突然、告白なんかされても困惑してしまう。
「有紀ちゃん、最近きれいになったよね。もしかして、もう決まった人でもいるのかな? それならはっきり言ってくれてかまわないんだけど」
「……そんな人はいないけど」
片思いの彼は、まったく望みのない相手なのだ。
「そうか、良かった。なんかすごく痩せたみたいだし、どんどんきれいになっていくからちょっと焦ってしまって」
これは喜ぶべきことなのだろうか? 私にとっては千載一遇のチャンスなのかも知れない。
だけど……。
魚介類のパスタとマルゲリータピザが運ばれてきた。
「いくらきれいでもツンケンして、すぐにヒステリー起こすような子はダメなんだ。有紀ちゃんみたいにいつもコロコロ笑ってる明るい子がいいんだなぁ」
「私そんなにいつでも笑ってないし、怒るときだってあるよ。いつも妹とケンカしてるし」
「まぁ、笑ってばかりいられても困るけど。でも基本的に朗らかだろう。・・・結婚を前提に付き合ってくれないかな? 今すぐに返事してくれなくていいから。急にこんな話ししてびっくりしただろう?」
「う、うん」
谷さんみたいなインテリから交際を申し込まれるなんて思ってもみなかった。
タイプとは多少ずれているけど、誰が見ても私にはもったいないくらいの男性だ。
この先、私に谷さん以上の人が現れて、気に入ってもらえるなんて幸運はないような気もする。
ペスカトーレのバーナ貝から身を引き剥がしながら考える。
これからの人生をずっと独身でいるのか、それとも谷さんで妥協して結婚してしまうのがよいのだろうか。
妥協なんて言い方は失礼だ。
容姿やら何やら、妥協してくれているのはむしろ谷さんの方なのだから。
でもまだ23歳で、二者択一を迫られるのは早すぎる。
もっとあとで好みの人が現れたりするのではないだろうか?
でも100%理想の人と結婚なんて所詮、出来るわけないんだ。
みんな自分のレベルを考えながら、我慢できるところは目をつぶって、折り合いをつけているに違いない。
佐野さんは彩矢のことを抜きに考えても、私のことを女としてみてくれる可能性なんてない。
「谷さん、本当にわたしでいいの?」
「えっ、すぐに返事をくれるのかい? 」
フォークにクルクルと麺を巻きつけて谷さんは微笑んだ。
「……私なんかでいいんだったら」
「いいに決まってるじゃない。だから誘ったんだから。嬉しいなぁ、思いきって言ってみるものだな。有紀ちゃん、ありがとう」
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