六華 snow crystal 2

なごみ

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打ちのめされて

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遼介
11月4日

午前10時過ぎに、彩矢ちゃんの家のそばに車を停車して考える。


電話をしても会ってはくれそうにない彩矢ちゃんと、どうやったら会えるのだろう。


家を訪問して、お母さんが出て来た場合、なんて言ったらいいのか?


どんな要件で会いに来たのかぐらいは伝えなければいけないと思う。


そもそも実家に彩矢ちゃんがまだいるのかどうかさえもわからない。


俺と有紀の思い過ごしで、実は松田先生と仲良く暮らしているというのであればいいのだけれど。


彩矢ちゃんの家のそばにある公園に車を停め、とにかく家へ行ってみることにする。


だけど……お母さんに俺の顔が孫の顔に似ていると気づかれないだろうか。


そんなことになると、また大変なトラブルになってしまう。


やっぱりやめておいた方がいいだろうか。


彩矢ちゃんと松田先生の生活が、俺の余計な訪問で台無しにならないとも限らない。


立ち止まり、公園の駐車場へ引き返そうとすると、向こうから手をつないだ親子連れが歩いて来るのが見えた。


彩矢ちゃんと子供だ!


あわてて公園のトイレの陰に隠れた。





彩矢ちゃんが、お砂場セットのバケツをぶら下げて、手をつないだ子どもとブランコの方へ行った。


男の子はブランコがお気に入りのようだ。急ぎ足でつないだ彩矢ちゃんの手をグイグイと引っぱっている。


彩矢ちゃんに抱っこされて、ブランコに乗せられる。


「い~ち、に~い、さ~ん・・・」


彩矢ちゃんが数をかぞえながら背中をやさしく押している。


北風が吹き抜ける閑散とした誰もいない公園。


休日に、こんな場所でしか遊ぶところのない二人が憐れな気がして胸が痛くなる。


ブランコに飽きたのか、今度は降りて砂場へ向った。


彩矢ちゃんと一緒にお砂場でなにかを一生懸命に作っている子供の、小さな後ろ姿に愛おしさを覚える。


もう一度、その男の子の顔が見たかった。


出来ることなら抱き上げて、肩車だって高い高いだって喜ぶことならなんだってしてあげたい。


だけど多分、何ひとつもしてあげることはできないだろう。


やるせない思いで二人を見つめる。


子供はお砂場にも飽きて、またブランコのほうへ歩いて来た。


彩矢ちゃんも腰をあげ、こちらを向いた。


離れていたけれど、彩矢ちゃんが俺の存在に気づいたように思われた。


また子供をブランコに乗せている彩矢ちゃんのところへ歩いて行く。



俺がそばに来たことを気にもとめない風に、彩矢ちゃんはブランコに乗っている子どもの背中を押している。


松田先生とはどうなったのかといきなり聞くわけにもいかず、実家にはいつまでいるのかと聞いてみた。


やはり思った通りの答えが返って来た。


八月に離婚したと言う。今は実家のそばの内科医院に勤めていると。


妊娠して一番困っているときに見離すようなことを言って、なんの力にもなれなかったことをまず詫びた。


軽率だった自分が一番悪いのだから、気にしないでと彩矢ちゃんが言った。


子供がブランコから降りて、またお砂場の方へ歩いていく。


彩矢ちゃんと二人、ふたつ空いているブランコに腰を降ろす。


どうして俺の子だと言ってくれなかったのか、との問いにはこんな答えだった。


喪中の松田先生に無理を言って結婚してもらったのに、すぐに離婚してとは言えなかったと。


俺の子だったのに松田先生は別れようとは言わなかったのかと聞く。


「離婚はしない、佐野のところへは絶対に行かせない」と言われたらしい。


「だったら、どうして離婚したんだい?」


 「莉子ちゃんに赤ちゃんが出来たから」


「…………」


最悪の展開に返す言葉が見つけられない。


ーー有紀、有紀、俺、どうすればいい?


わからない、わからないよ、助けてくれよ、


有紀!





悩んでみたところで、俺の気持はここへ来る前からすでに決まっていた。


有紀とは絶対に別れられない。離れたくない。


だけど、この頼りなげな彩矢ちゃんと俺の息子。


 不幸せにしか見えないこの親子を見捨てなければいけないのか。


彩矢ちゃんとのその後のやり取りは、惨憺たるものだった。


確かに彩矢ちゃんのいう通りだ。


何ひとつもしてやれないのに、わざわざ余計なことを言いに来ただけなんだ。


自分は何が言いたくてここへ来たのか?


あの時、妊娠した彩矢ちゃんを見放したつもりはなくて、

あれからずっと後悔して苦しんで、


彩矢ちゃんが俺の子どもを連れて戻ってくることを、ただひたすら待っていて、


無責任に見放した訳ではないと、彩矢ちゃんに言い訳をしたかっただけだった。



自分自身のために……。


 いつも自分のことしか考えていない松田先生を軽蔑していた。


人間性においては、あの人よりは上だと思っていた。


だけど、彩矢ちゃんと俺の子どもを救ったのは、結果的に松田先生だった。


 言い訳だけを言いにきた自分の卑劣さを彩矢ちゃんに見抜かれて、もう何も言えない。


いつも泣いていた彩矢ちゃんを守ってあげたくて、助けてあげたくて、それは自分の勝手な思い込みで、結局は自分の幸せにしか関心がなかったのかも知れない。


彩矢ちゃんのためになることなんて何ひとつも出来ないまま、今日も別れるしかないのだから。






この人、だあれ?  どこのおじさん?


そう言いたげにジッと俺を見つめている小さな息子が目の前にいた。


26年前の自分と変わらない顔をした俺の息子。


ごめん、俺、おまえには何もしてあげられない。


思わず涙でぼやけた息子を抱きしめた。


びっくりして泣き出したけれど、もう二度と抱きしめることなんて出来ないんだから。


彩矢ちゃんから二度と会いに来ないでと言われた。


この子はこれからもずっと松田の子だからと言って子どもを抱き上げた。


そして気丈にも、俺と有紀の幸せの邪魔なんてしないと言い捨て、去っていった。


そうだ、確かに俺は有紀との幸せを選んだんだ。


あの不幸せなふたりを見捨てて……。


ひとりブランコに座って、いつまでも涙が止まらなかった。









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