六華 snow crystal 2

なごみ

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失望の新婚生活

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有紀
11月4日

仕事帰りにいつものスーパーへ寄った。


夕食の準備が面倒と感じたことはあまりないけれど、さすがに今日はそんな気分にはなれず、出来合いのお惣菜を買った。


第一、食欲などないのだ。


揚げ物とナムル、アボカドのサラダをカゴに入れる。こんな日は遼介だって食べられないかも知れない。


6時過ぎに家に着き、ドキドキしながらドアを開けた。


玄関に遼介の脱いだ靴はあったけれど、リビングにはいなかった。


寝室で休んでいるのかな?


彩矢には逢えたのだろうか?


恐る恐る寝室のドアを開けてみた。


遼介はベッドに伏せっていた。


眠っているのだろうか?


声をかけずに、ドアを閉めようとしたら、


「おかえり」


と、遼介が顔を上げずに言った。


「た、ただいま。寝てるのかと思った。お腹すいたでしょ、今、ご飯の用意するね」


慌ててドアを閉め、洗面所で手を洗い、うがいをした。


キッチンでパックのお惣菜をお皿に移していると、遼介が背後から抱きしめた。


「有紀……有紀……。」


遼介……泣いてる。


彩矢に……逢ったんだね。


それで、それで、

私に、私に別れて欲しいって言いたいの?


まだ、結婚して4ヶ月しか経っていないのに……。


「いいよ、……彩矢のところへ行っても。わたし、わたしは大丈夫だから」


震える声でそう言ったら、閉じた目から涙がこぼれ落ちた。


「有紀、そばにいてくれ。俺、おまえじゃなきゃ駄目だ」


抱きしめている手を振りほどき、振り向いて遼介を見つめた。


「彩矢のところへ行かなくてもいいの?   私たち一緒にいられるの?」


「有紀のそばにいたい」


「遼介!!」


ずっと不安で押し潰されそうだった気持ちから解放され、遼介の胸に飛び込んで泣いた。


だけど、だけど、本当にこれでいいの?


赤い目をしている遼介を見て、胸が痛んだ。


「彩矢は、彩矢はなんて?」


「8月に離婚したって。今は近所の内科に勤めてるって言ってた」


やっぱり松田先生とはうまくいかなかったんだ。だけど、なぜ早くそうしなかったのだろう。


「なぜ早くそうしなかったの?……どうして今頃になって」


「莉子が松田先生の子を妊娠したらしい」


「莉子先輩が!」


そんな、、


彩矢が、あまりにも彩矢が可哀想すぎる。だから、あんなに暗い顔をしていたんだ。


「私たち本当に一緒にいていいの?」


別れずに済んだ安心感のあとは、罪悪感で胸がいっぱいになる。


「どっちを選んだって、苦しむことに変わりはないんだ。どっちを選んだって……」


「養育費は?  いくら払う?」


「……いらないって言われた。はじめから俺なんてあてにしてないって。俺と有紀の幸せの邪魔なんてしたくないって」


「そんなこと、そんなこと言われても幸せになんかなれないよ!」


「そうでも言わないと、気がおさまらなかったんだろう。何もしてやれないのに、ただ言い訳を言いに行っただけだから」


「……… 」


わかる気もする。自分が逆の立場でもそう言ったかも知れない。


彩矢は気は強くないけど、プライドは高いから。







遼介
11月10日

陰鬱な空気は中々去ってはくれなかった。


当然といえば、当然なのだろう。


もしかしたら一生続くのかも知れない。


それがあの二人への罪滅ぼしになるのだろうか。


あんなに明るかった有紀が、いつも何か遠慮がちに見えて悲しくなる。


俺たちに子供でも出来たら、もう少し希望や喜びも生まれるのだろうか。


だけど、正直、子作りする元気さえ湧いてこない。


……有紀、ごめん。





遼介
11月12日

良くないことは重なるものなのか、10月に新しく赴任してきた中堅のDrとは、どうもソリが合わない。


とにかくいつも些細なことを見つけては、重大なミスに繋がるような口ぶりで説教をしたがる。


パワハラめいた毎日にかなりメゲる。


先週もCT室で撮影準備をしていたら、運ばれて来た患者の前で訳もわからず怒鳴られた。


「何のことを言ってるのか意味がわからない!」


八つ当たりのようなことばかりされて、思わず怒鳴りかえした。


山本と言う背の低いそのDrは、ずり下がる黒いフレームの眼鏡を持ち上げて、上目遣いに俺を睨みつけた。


ミスをした覚えはない。


一体、何が不満なのか?


いつものことだ。ムシの居所が悪かったのだろうと、気にしないように心を落ち着けた。



今日はMRIの患者が撮影中に少し動いたせいで、画像がぶれた。


患者には事前に撮影時間の長さと動かないようにとの説明はしてある。


それでも、やはり動いてしまう患者はたまにいる。


そういう事は今までにも何度かあったが、こんなに激怒する医師に出会ったのは初めてだ。


「おまえ一体、何年レントゲン技師やってんだよ!」


若いナースの前で怒鳴られ、立つ瀬がない。


赴任して来たばかりのこの医師と、この先しばらく付き合わなければいけないのかと考えただけで、胃が痛くなって来た。






有紀
11月16日

食堂でひとりお昼ご飯を食べていたら、谷さんが隣に来て座った。


「めずらしいね、有紀ちゃんがひとりでご飯食べてるのって」


「あ、谷さん」


谷さんが微笑んで、カキフライ定食の載ったトレイをテーブルに置いた。


「あれっ?  なんかまた痩せた?」


谷さんに見つめられて戸惑う。


「え、そうかな? 変わらないと思うけど……」


今まで痩せたねと言われたら、それは褒め言葉だった。


最近はあまり嬉しくない。


確かに痩せ方が病的で美しくなったように感じられない。


「幸せ太りしないんだな。それ以上痩せなくてもいいと思うけど。だけど、有紀ちゃんのウエディングドレス似合ってたなぁ。本当に綺麗だった」


「ありがとう。谷さんはまだ結婚の予定はないの?」


うん、まだだよ。きっとそう言うとばかり思って聞いた。


「あ、、なんか聞かれてから言うのもなんだけど、実は先月婚約したんだ」


た、谷さんが婚約!


「え~っ!  そ、そうなの?  あ、お、おめでとうございます」


自分から聞いておいて、ひどくショックを受ける。


「有紀ちゃんの知ってる子だよ」


「えっ?」


「柳原亜美。隣に住んでた子。うちに来たときに会っただろう」


「亜美さん!!」


「びっくりした?  なんか、手近なところで恥ずかしいんだけどね」


「………」


どうして、亜美さん?


会ったことはなくても、谷さんのお母さんが勧めてくれる見合い相手の方が、亜美さんなんかよりは100倍もいいに決まってるではないか。


「じゃあ、谷さんのお母様も喜んで……?  」


「どうかなぁ?  うちのお袋さんは有紀ちゃんが気にいってたんだけどね」


「わ、わたしなんて、谷さんに全然ふさわしくないけど……」


「まだ先のことだけどね。多分来年の秋ぐらいかな?」


谷さんがカキフライにタルタルソースをつけて食べ始めた。


亜美さんの勝ち誇った意地の悪い顔を想像して、悔しい気持ちでいっぱいになる。


谷さんが亜美さんを気に入って選んだのだから、それでいいではないか。


だけど……。






11月23日

日勤の仕事を終えて帰宅し、夕食の準備をする。7時を過ぎた頃、遼介が帰ってきた。


最近はいつでも元気なことなどないけれど、今日は ” ただいま ,, も言わずに、帰ってくるなりソファに倒れ込んだ。


「どうしたの?  ご飯食べないの? 冷めちゃうよ」


ソファに寝そべっている遼介を、心配げに見おろす。


「うん…」


身体を起こした遼介の顔は暗かった。


「どこか調子わるい?」


「いや、ごめん、ご飯食べるよ。手を洗ってくる」


目も合わせずにそう言って洗面所へ向かった。


元気がないだけじゃない。不機嫌な遼介を見て、なにか問題が発生したことを直感した。


楽しい会話もなく、重苦しい雰囲気の中で夕食をとる。


ミラノ風カツレツに、ラタトゥユ。


最近は美味しいとも言わずに、出されたものをただ黙々と食べるだけ。


……寂しい。


「有紀、ちょっと言わなきゃいけないことがあるんだけど」


食事を終えだ遼介が、うつむいたまま呟いた。


「な、なに?」


嫌な予感がして、緊張する。


やっぱり、彩矢と子供のところへ行きたいってこと?


「俺、今の病院、今年いっぱいで辞めることにした。勝手に一人で決めてしまって悪いんだけど……」


「えっ、じゃあ、また違う病院に変えるってこと?」


「い、いや、次の病院が決まってるわけではないんだけど……」


「次を決めてからの方がいいよ。看護師みたいにいつでも求人があるわけじゃないんだから」


「わかってるよ、そんなこと。だけど、もう限界なんだ!」


「どうして?  なにかあったの?」


「先月やって来た医師とはとても一緒に仕事なんかやってられない!」


「……人間関係はどこへ行ったって必ずついて回ることじゃないの」


そんなことでいちいち辞めるなんて。


誰にだって職場には一人や二人の苦手な人がいて、みんな我慢をして働いているではないか。


遼介は甘えていると思った。


「これでも我慢してるんだよ。本当はもう明日からだって行きたくないんだ。だけど、ボーナスはもらった方がいいだろ。だから今年いっぱいは行く。悪いけど、もう決めたから」


「………」


































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