六華 snow crystal 8

なごみ

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美穂の憂鬱

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*潤一*


久しぶりに会った美穂は、なんとなくやつれて見えた。


あの若造と別れたせいか?


だけどフラれたのはあの島村って男だろ。それとも執拗に追いまわされて、心が病んでいるのか?


「仕事を始めたそうだな。どうだ介護の仕事は? 大変だろう?」


いきなり奴と別れた理由を聞くのもなんだと思い、差しさわりのない話をした。


「…どうしたんですか?  わたしに何か?」


美穂は伏し目がちにオドオドと視線を泳がせた。


「用事があって来たんだ。美穂に助けてもらいたくてな」


「助けって、、なんですか?」


美穂は瞬きもせずに突っ立ったまま、俺を見据えた。


「うん、、だから、家事代行サービスだよ。家の中がメチャクチャなんだ」


「……代行サービスならわたしじゃなくても、専門の業者がいくらでもあります」


「気心が知れてるほうがいいだろう。美穂、、もう俺のところへ戻って来るつもりはないのか? あいつとは別れたんだろう?」


ウダウダとしたやり取りが煩わしくなり、単刀直入に聞いた。


「まだ勤め始めたばかりですから、すぐに辞めるわけには……」


美穂の返事はいつも曖昧で真意がわからない。


「いくら貰ってるんだよ? そこよりは出すよ。たくさんは無理だけどな。実は経済的にも困ってるんだ。助けてくれないかな?」


今は見栄を張ってる場合ではないし、美穂は金に執着する女ではない。むしろ、困っている人間を助けることに生きがいを感じるタイプだ。


「経済的にって、、なにかあったんですか?」


思いがけない返答に思えたのか、うつむいていた美穂が驚いたように顔をあげた。



「ちょっと訴訟を起こされてな。借金地獄なんだ」


「そ、訴訟って、、医療ミスでもされたんですか?」


「そんなヘマするわけないだろ。ケンカだよ。ぶん殴った相手が悪かった。一億円請求されてな」


「えーっ、一億円!!  相手はヤクザですか?」


美穂は心底驚いたように目を丸くした。


「ヤクザより悪いやつだよ。それで開業することにしたんだ。勤務医なんかやっていても返済できないからな。頼むよ、助けてくれよ」


やはり俺にはもう未練がないのか、美穂は困ったような顔をしてうつむいた。


「わたしではなんの助けにもなりません。もっと収入のよい方と結婚されたほうがいいと思います」


まぁ確かに、女医と結婚できたら借金はすぐに返済できるだろう。だけど、プライドの高い女医なんかと結婚したら、別の問題で悩まされるに決まってる。二人とも忙しすぎて、家事も分担ということになりかねない。


一般的に女医というのは偉そうで可愛げがない。患者から頼りなく見られることを警戒でもしているのか、人を小馬鹿にしたようなふんぞりかえった女が多い。可愛げのある女医を探している暇などあるものか。



「女の稼ぎをアテにするほど落ちぶれてないよ。家の事をちゃんとやってくれる女が欲しいんだよ」


「家事ができる女なんて沢山いるじゃないですか。わたし、、先生のことは早く忘れたいんです」


思いつめたような哀しげな顔をして美穂はつぶやいた。


「忘れたいってなんだよ。俺のことはもう嫌いか?まだあいつのことが好きなのか?」


「……わたしは逮捕歴のある女です。まともな人と一緒になんかなれないんです」


美穂は涙ぐみながら顔を歪めた。


「逮捕歴? お、おまえ、、一体なにをやらかした?」


思いもよらない美穂の爆弾発言に思わず後ずさった。



「雪花ちゃんを誘拐したじゃないですか。わたしは犯罪者ですよ。まともな人と結婚なんて出来ないんです」


はぁ?


「脅かすなよ、びっくりするだろう! おまえはバカか? 逮捕じゃない。連行されただけだろ。起訴されてもいないのになんで犯罪者なんだよ」


今頃になってなにを言い出すのかと思えば、まったく。


「……でも、やったことは犯罪です」


「美穂、いい加減にしろ!なんでいつも自分を不利に追い込むんだ。確かに雪花のことでは肝を冷やされたけどな。おまえに悪意がなかったことはみんな知ってる。だから起訴しなかったんじゃないか。……もしかして、あいつと別れたのはそのせいなのか?」


「……彼のお母様に、身辺調査すると言われて」


美穂は涙ぐみながら哀しげに目を伏せた。


そうだったのか。それで別れたってわけか。



「なるほどな。それでどうするんだよ。あいつはおまえのことを探していたぞ。また戻るのか?」


「……戻りません。彼のご両親は絶対に許してくれませんし、わたしもあの人たちは無理です」


「じゃあ、俺のところに来てくれるんだろ?」


なにを迷っているのか、美穂はうつむきながらまだ躊躇っているようだった。


「わたしには今、面倒をみないといけない母がいるんです」


虚ろな目をして美穂はポツリとつぶやく。


「なんで面倒をみないといけないんだよ! おまえを捨てた母親なんだろ」


「わたしが見捨てたら死んでしまうかも知れないんです。八月に熱中症で死にかけました。もう生きる気力がないみたいで、、心療内科に連れて行ったら双極性障害(躁鬱病)と言われて……」




はぁ、、まったく、どこまで身内に悩まされなきゃいけないんだか。あのクソ親父を見捨てて死なれたことに、責任を感じているのだろう。


「親が死んでもおまえのせいじゃない! 美穂、自分の幸せを第一に考えろ。俺のところに来たくないなら無理にとは言わない。だけどな、もう親の犠牲にはなるな!」


「先生はそんな目に遭ったことがないから言えるんです。見捨てた途端に死なれたりしたら、誰だってひどく落ち込みます!」


美穂は珍しく感情的に言い放った。


「俺のほうがずっとそんな目に遭ってるよ。毎日救えない命と向き合ってるんだ。見捨ててるわけではないけどな。自分の無力さに腹を立てたり、ひどく落ち込むことだってある」


「……最善を尽くしてダメなら、後悔することなどありません。あんな母でもわたしには見捨てることは出来ません」


そう言って美穂は唇をかみしめると、指で涙をはらった。


気の短い俺は、ウダウダと御託を並べる美穂にすっかり嫌気がさした。


「わかったよ。じゃあ返事は今じゃなくていい。気が向いたら電話でもくれ」


半ばどうでもいいような気分になり、帰ろうとしたら幽霊屋敷の玄関が突然開いた。






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