六華 snow crystal 8

なごみ

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立ち直れないままに

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*聡太* 


母の手紙に差し込まれていた写真の女性。


美人の部類に入ると言っていいだろう。写真の彼女は自信に満ちあふれた笑顔で僕を見返していた。


こんな溌剌とした女性は、母や一般的な男性にとっては理想的なのかも知れない。


だけど、今までの経験から、僕に太刀打ちできるような相手ではない気がした。


会ったところで、互いに気まずい思いをするのは目に見えている。


何もかもが違いすぎるのだ。


確かに誰もが好感持てる要素を兼ね備えた女性のように見える。


そんな女性は僕にとって重すぎるし、彼女にしても僕は得体の知れないつかみどころのない人間にしか見えないだろう。


説明したところで母には伝わらない。あの人は理解しようとさえしない。自分の価値判断に自信を持ちすぎているから。


たとえ彼女が僕好みの人だったとしても、会うつもりなど毛頭ない。母の思惑どうりになど、なってたまるか!


明るく微笑んでいる女性の写真を粉々に引きちぎり、ゴミ箱に捨てた。






美穂さんからなんの連絡もなく立ち直れずにいた僕は、バイト以外は引きこもるような生活を送っていた。


母から写真の彼女に会うつもりがあるのかと、ラインが届いていた。


なんの返事もせずにスルーする。


自分の欲求にしか関心のない母はデリカシーに欠ける。


条件で相手を選ぶことが当たり前の母に、理解を望む僕が間違っている。


ヤケになって暴れたくもなるけれど、流石にそこまで若くはない。


だけど、親の思惑どおりに無難に大学を卒業し、就職してしまうことに虚しさを覚えた。


何度か美穂さんのお母さんが住む真駒内の家に行ってみたけれど、返事はいつも変わらず、なんの連絡もないとのことだった。


もしかして自殺なのではないのか?


そんな恐ろしい考えが脳裏をよぎると、居ても立っても居られない気分になった。


本当にどこへ行ってしまったのだろう。







囲碁サークルのメンバーである牧口圭太《まきぐちけいた》からラインが入っていた。


“ 体調の方はどう? 少しか良くなったのかい?”


塞ぎ込んで、いつまでも心配させているのも気が引けた。


"だいぶ良くなったよ。今夜平田の家で寄せ鍋でもやらないか? “


食欲のない今は焼肉の気分ではなかったし、11月にもなったので、みんなで鍋を囲むのがいいと思った。


” いいね。寒くなったもんな。鍋たべてあったまろ “


ということで、平田のアパートで鍋をすることになった。


牧口は自宅から通っている学生だけど、平田貴弘《ひらたたかひろ》は、大学の近くにアパートを借りている。なのでいつも便利な平田の家に集まる。


僕たちは一緒に買い出しなどはせず、それぞれ食べたい具材を持ち寄るようにしている。その方が効率的だし、割り勘などといった面倒もなくてすむ。


持ち合わせがないときは、手ぶらでも良いことになっている。




平田はいつも肉を買ってくるから、僕は海鮮を買うことが定番となっていた。自宅から通っている牧口は、家庭菜園している実家の野菜や豆腐、白滝などを持ってくることが多い。


雪はまだ降っていないので自転車で行くことにした。平田のアパートには駐車場がないから。


ダウンのコートを着て手袋をはめていても、かなりの寒さだった。冷たい風が容赦なく頬に当たり、肌がビリビリと乾いていくのを感じた。


北大のイチョウ並木も落ち葉が散っていた。黄色く染まった道路を通り抜ける。


少し遅れて平田のアパートに着いた。


大学に近い彼のアパートは、駅チカでもあるので築年数が古いわりに家賃は高い。


木造二階建ての古びたアパートの階段を登った。


ブザーも押さずに、塗装の剥げた206号のドアを開けると、鍋のいい匂いがした。







「久しぶり!」


出来るだけ元気を装い、明るく声を出した。


何度も訪れているワンルームのアパート。スタイリッシュな部屋とはほど遠い年季の入ったくすんだ内装。


それでも平田は掃除はきちんとしているようだ。乱雑な感じはないし、ゴミなどの臭いもない。男の一人暮らしとしては合格点をあげていいだろう。


まぁ、僕の部屋と同じレベルだ。


「島、遅かったな。肉なくなるぞ~」


平田がゴマだれに絡めた肉を食べながら、モグモグとくもった声を出した。


「いいよ、海鮮買ってきたから。気にしないで食べろよ」


狭いキッチンに立ち、スーパーの袋から買ってきた魚の切り身やホタテ、つみれなどのパックを取り出す。







「島、なんか痩せたんじゃね? 」


キッチンに立った僕を牧口が上目遣いに見上げた。


島というのは僕のことで、彼らから島村とは呼ばれない。


「……まぁ、色々あってね」


打ち明けたいような気持ちもして、少し言葉を濁した。


「どうした? バイト、クビにでもなったか?」


平田も少し心配げに僕を見つめた。


座卓テーブルの下に敷かれてある座布団に腰を下ろす。


カセットコンロの火でグツグツしている鍋に、買ってきた海鮮を投入した。


「おっ、いいね~~ 、タラにホタテ、つみれかぁ。うまそー」


「その余ってる野菜も入れちゃおうよ」


ザルに残っていた白菜やしめじ、春菊などを全部ぶち込む。






グツグツいっていた鍋が、具材を投入した途端に音が消え、なんとなくそれにつられて僕たちも静まり返ってしまった。


沈んでいる僕の気持ちが二人に伝わっているようで気が咎めた。


「そ、それで? なにがあって激やせなんかしたんだ?」


牧口が少し気遣うように口火を切った。


「ちょっと言いにくいんだけどさ、……実は失恋したんだ」


この二人から恋愛のアドバイスは期待できないけれど、聞いてもらうことで少しは気が晴れるかもしれない。


「ヒョエーーーッ!! マ、マジカ?  もしかして、付き合ってたのか?」


平田がのけぞりながら大袈裟に驚いた。


「失恋かぁ、、まぁ、それはキツいんだろうけどね。そういうことから見放されている僕にとっては羨ましい限りだな」


牧口は少しの同情もみせずにしんみりと語った。


「マジで俺も一度でいいからフラれてみてぇ」


平田にまで羨ましがられると、あんなに落ち込んでいたことさえ、とても贅沢なことのように思えてくる。


美穂さんに出会えたことに、なんの後悔もないけれど。


だけど、あんな別れかたって……








牧口にしても平田にしても、イケメンとまでは言えないとしても、どこにでもいそうな普通の男だ。ヘアスタイルや服装に気を配れば、見た目もそれほど悪くないと思う。


要するに見た目ではなく、僕らのような奥手には、恋愛のチャンスなど中々巡って来ないということだ。


「それで?  なんでフラれてしまったんだい?」


僕への同情心は一気に低下したのか、少しシラけたように平田が口を開いた。


「う、うん、ちょっと両親に反対されてしまって、、結婚したいって言ったら」


「け、結婚!!」


元々ギョロ目の牧口が、大きな眼を見開いて、素っ頓狂な声をあげた。


「学生結婚かぁ。 なんでまたそんなに急いで……ま、まさか妊娠させたとか?」


思考を巡らせた平田が思いついたように言った。


平田の推理はごく普通の感覚だ。僕が結婚を急いでいたのは、同棲という関係があまり好きではなかったのと、一緒にいる幸福感を味わったあとでは、離れて暮らすことなど考えられなかったから。


それに美穂さんが、あの医師のところへ行ってしまいそうで怖かった。







「妊娠はさせてないけど、、」


詳しいことまでは説明できずに口ごもる。


「だったらそんなに慌てなくてもいいんじゃないのか? 学生の身じゃ親が反対するのは当たり前だろ。付き合ってるうちに嫌なところが見えて気が変わるってこともあるかも知れないし、結婚はよく考えて決めたほうがいいよ」


慎重派でもない平田に諭されて、なんとも言えない気分になる。


「確かにね。言いたいことはわかるよ」


僕は自分の考えが100%正しいとは思わない。


だけど、あやふやな気持ちで結婚を決意したのではないことを、彼らに上手く説明するのは困難だった。







「それで? どんな娘《こ》だい? 美人なのかい?」


一番聞きたかったのはそれだと言わんばかりに、牧口は身を乗り出した。


「まぁ、僕にとってはね。とっても綺麗な子だよ」


眼を伏せ、愁いをただよわせた美穂さんの横顔を思い出し、胸がしめつけられた。


「チクショー!  どこの学部だよ? 同じ理工ではないんだろ?」


平田が嫉妬心まる出しに毒づいた。


「学生ではないんだ。自動車教習所で知り合ったんだ」


「教習所! もしかして、女性指導教官か?」


牧口が突拍子もないことを言うので思わず吹き出す。







「違うよ。同じ教習生だよ。お金がなくて缶コーヒーを買いそこねていたら、彼女が奢ってくれたんだ。それがきっかけさ」


「うひょ~! 貧乏で得することもあるんだな。いいなぁ、なんで俺にはそんなチャンスが舞い込んでこないんだよー!!」


平田が憎々しげにつぶやいた。


「僕だって勇気を出してランチに誘ったんだよ。断られるのを覚悟でさ。平田も牧口もいいなと想う子がいたら誘ってみるといいよ。こういうことは指をくわえて待っていても、何も始まらないだろ」


「おおーっ! 上から目線ってやつだな。だけど、ランチに誘って一体なにを話せばいいんだ? そういうことを考えただけでゾッとするんだよな。笑いを取れない芸人みたいでさ。想像しただけで冷や汗が出てくるよ」



僕らは牧口のそんな悩みに心底共感する。


僕も同じような恐れを持っていた。でも、美穂さんだからなのか、思ったほどの緊張や焦りは感じなかった。やはり、僕にとって美穂さんは特別な人で、安らげる女性だったのだろう。


もうこの先、そんな女性に出会えるような気がしない。








「だけど、結婚は先でもいいわけだろう? なぜ別れなきゃいけなかったんだい?彼女は結婚願望が強かったのかい?」


鍋をつつきながら牧口が疑問を投げかけた。


「いや、結婚を焦っていたのは僕のほうさ。うちの母が彼女にひどく辛辣なことを言って、、それで彼女は……」


美穂さんは誰よりも人からの批判に弱い人だ。そして、自分に対しても厳しすぎる。


「なるほどね。母親って嫁に息子を取られることに我慢できないって言うもんな。それで彼女はブチギレてしまったわけか?」


牧口がしたり顔でわかったようなことを言った。


「ブチギレたわけではないと思う。多分、ひどく傷ついたんだよ。さよならも言わないで、行方をくらましてしまって、、」







「そうか、それは心配だな。その後、なんの連絡もないのか?」


牧口が鍋をつつきながら聞いた。


「ああ、心当たりは探してみたんだけどね。
ラインはブロックされてるし、謝りたくても連絡のしようがないんだ」


やっと二人にも僕の悩みの深刻さが伝わったようだ。


「……確かにそういうのって、やり切れないね。スパッとフラれたら諦めもつくけど」


平田も慰めの言葉が見つからないようで、曇った顔をして目をそらした。


「ごめん、なんだか暗くなってしまったな。鍋煮えたよ。こういう時は食べて元気だすしかないよな。食べよう!」


しんみりとさせてしまったけれど、悩みを共有してもらったせいか、少し気持ちが軽くなったような気もした。


それに彼らが言ったように僕は、美穂さんに出会えて幸せだったのだ。




とても貴重な経験をさせてもらった。



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