六華 snow crystal 8

なごみ

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浩輝くんとの別れ

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*茉理*  


「もしかして、島村くんはストーカーじゃなかったのかな?」


ガックリと肩を落とし、マンションを去って行く後ろ姿に心が痛んだ。


「あいつは女が嫌がることは出来ない男だろ。ストーカーではないな。美穂には幸せになってもらいたかったのにな」


寂しげに語った潤一くんまで、ションボリとした足取りで駐車場へ向かった。


……もしかして、まだ美穂さんに未練があるのかな。


なんとなく罪の意識がめばえ、気分が落ち込む。


二人の仲を引き裂いたのは私だから。


そんなつもりはなかったけど、結果的にそうなってしまった。美穂さんがマンションを出て行ってしまうなんて思わなかったもの。
 


三月も半ばを過ぎ、道路わきの雪もかなり融けて無くなっていた。



無言のまま運転している潤一くんを見て、悲しくなる。


美穂さんを幸せにしてあげたかったんだろうな。口は悪いけど、意外と優しいから。







「ねえ、……まだ、美穂さんのことが好き?」


不安な気持ちがぬぐえず、口に出す。


「どうしたんだよ。藪から棒に」


潤一くんは前方から目を離さずにぶっきらぼうな言い方をした。


「さっきから黙ったままだから……」


潤一くんは美穂さんのこと、とっても大切にしていたもんね。


「好きとかそういうのじゃないよ。ただ、やっぱり幸せから見放された女なんだと思うとなんだかな。島村となら幸せになれると思ったけどな」


「……茉理のせいだよね。酷いこと言って美穂さんを追い出しちゃったから」


あの時、売り言葉に買い言葉でかなり辛辣なことを言ってしまったのだ。


セックス付きの家事代行サービスって言ったら、美穂さんは泣きながらマンションを飛び出してしまった。


二人は愛し合ってたのだから、美穂さんはそんなこと気にしなくてよかったのに。






私に嫉妬の感情がなかったと言ったら嘘になる。


色っぽく儚げで、私にはない魅力を持つ美穂さんが妬ましかったのだ。


その頃の私は、先生からも浩輝くんからも恋愛の対象にされてなかったから。


「美穂さん、茉理と会ったせいで不幸になっちゃったね」


まるで、人を押しのけて自分の幸せを勝ち取ったみたい。


「俺は美穂を幸せに出来るような男じゃない。俺と結婚しても寂しい思いをさせるだけだからな」


そうだろうか。美穂さんは先生に尽くしてあげられるだけで幸せだったと思う。


「そんなことないよ。好きな人と結婚できたら、それだけで幸せだよ。美穂さんみたいに尽くすのが好きなタイプは尚更そうよ」


「俺は美穂の家事能力を頼っていただけだ。あいつもその事に気づいてたんだろ。だから島村を選んだんだよ」






「じゃあ、どうして別れちゃったの? あの二人……」


「結局、縁がなかったんだろう。結婚に向いてそうで向いてないのかも知れないな、美穂は。あいつは自分から幸せを放棄してしまうクセがある」



確かに美穂さんって、よくわからないところがあったけど。


ていうか我慢しすぎだし、奉仕と犠牲が趣味みたいな人だ。


「潤一くんはさ、、後悔しない?  美穂さんを幸せにしてあげなくても」


「なに言ってるんだよ。だから、俺には美穂を幸せに出来ないと言っただろ」


「もしかしたら美穂さんは潤一くんのことが忘れられなくて、島村くんと別れたのかもよ」


「それはない。美穂は自分の意思で島村を選んだ。おまえだってその場にいて見てたじゃないか」


「………… 」


確かにあの時の島村くんは、ひるむことなく潤一くんと張り合って。


あんな大人しそうな人が自分のために必死で戦っていたら、さぞかし心を揺さぶられたことだろう。


だけど……


「それに俺は自分の幸せを犠牲にしたりはしない。いま俺に必要なのは茉理、おまえなんだよ」


そう言って潤一くんはハンドルから左手を離すと、私の手をギュッと握った。


全身で幸せを感じた。


わたし、愛されてる。


生きてるって、なんて素晴らしいんだろ。





十時を過ぎて家に帰っても当然ママはいない。居ても煩わしいことの方が多いから居なくて構わないけれど………


私たちの結婚を許してくれたママは、これから一人で寂しくないのかな?


ママはまだ若いし、再婚するかも知れないけど。ママにも今度こそいい人が現れて、幸せになってくれるといいな。だけど、ママのメガネに叶う男性など、簡単に現れるわけもないか。


軽くシャワーを浴び、パジャマに着替えてベッドに入る。


ラインに浩輝くんからのメッセージ。


『来週の月曜、東京に引っ越す。茉理はいつ頃来られる? 』


「ごめんね。まだ決められない」


『不安なら、俺のマンションで一緒に暮らしてもいいけど。利便のいい広い新築マンションだぞ。まぁ、彼氏と別れないうちから、そんな気分にはなれないだろうけどな』


「もう少し考えてから、決まったら連絡するね」


『まだ結婚するとか考えてないよな? それだけは絶対にやめとけよ』


「うん、わかった」


『多分だけど、茉理のデビューは4月の下旬か、ゴールデンウィークあたりを予定してる。あまり練習しているヒマがないから、茉理が知ってる歌いやすい曲を選んでおくよ』


これ以上ウソをつくのが心苦しく、了解!のスタンプを押してスマホを閉じた。






ボーカルなんて、どうして引き受けちゃったんだろ。


あの頃は、潤一くんがプロポーズしてくれるなんて、夢にも思わなかったもんね。


いくら四月に結婚するにしても、私もなにか始めないと。


この歳で専業主婦はあまりに寂しい。


とりあえず、アルバイトでもしてみようかな。もしかしたら、天職が見つかるかも知れない。






ネットでアルバイトの募集など検索して見ていたら、いつのまにか寝ていた。



ーー夜中の何時だろう。


突然、酔ったママに起こされた。


「茉理~~  起きなさい!  ビッグニュースよ~~ !!」


お布団をはがされ、頬をペシペシと叩かれる。


「なによ!  気持ちよく寝てるのに起こさないでよね」


「もう、聞いてったら! ママは今日、プロポーズされちゃったのよ。しかも、びっくりするような資産家なの!」


熟睡していたところを起こされ、頭はボーッとしていても、ママの興奮が伝わってきて次第に覚醒してくる。


「はぁ?  騙されてない?  ちゃんと調べたの?」


ママは確かに美人で魅力的だけど、もう四十を過ぎたオバサンなんだから。






「あら、騙されてるのはどっちかしらね? あなたの彼の方がずっとヤバイじゃないの。病院経営なんて本当に儲かるのかしら?」


「茉理は別にお金持ちになりたいわけじゃないもん。その人、本当に独身なの?」


どんなにお金持ちだって、愛人じゃあ、飽きられて終わりだもんね。


「いい歳して不倫なんてするわけないでしょう。割に合わないことなんかもうしないわ。もちろん離婚歴があって、子供さんもいる人だけど、みんな成人しているし。ねぇ、茉理、一緒にウエディングドレス着ようか? フフフッ、ママだって、あなたになんか負けないわよーっ!!」


ご機嫌なママはいきなり大きな声で叫ぶ。


「こんな真夜中に大声ださないでよ」


酒乱よりは陽気な方がまだいいけど、まったく酔っ払いはどうしようもない。






仕方なく起き上がり、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出してママに差し出す。


「ほら、お水飲んで。早く着替えて、もう寝てよ」


「あら、おめでたい話をしてるっていうのに、どうしてお水なの?  一緒にワインでも飲みましょう。あなたももう成人なんでしょ」


ソファに腰をおろし、トロンとした目をしてママは呟く。


「まだ17才なんだから、未成年よ。早く寝ようよ~」


ママがこんなに酔っ払うのって珍しい。本当の話なんだろうか?  お酒の席でのプロポーズなんてジョークじゃないの?


ママはまだ飲むと言いながらも、ムニャムニャ言いながらソファに倒れこんでしまった。


「そんなとこで寝たら風邪ひくよ! もう、ママったら!」


仕方なく、お布団を持ってきて掛けてあげる。


有名な財界人って誰だろう?


社交界が好きなママには向いてるかもね。


優しいパートナーと結婚して幸せになってくれるなら、それが一番いいけど。







今日は浩輝くんが東京へ旅立つ日。


ラインでお別れじゃ、あまりに哀し過ぎるので、空港まで見送りに来た。


十三時時二十五分発の飛行機と言っていた。


検査場を抜けてしまったら会うことは出来ないので、二時間も前に新千歳空港に到着し、JRの改札口で待っていた。


浩輝くんは時間ギリギリタイプだから、早めに着いてることはないと思う。


出発時刻三十分前になって、やっと浩輝くんが改札を抜けて来るのが見えた。


浩輝くんは歌って踊れるミュージシャンではないけれど、とてもイカしたビジュアル系ロックバンドのボーカル。


グレーの髪に赤のジャケット。


また無名のミュージシャンでありながら、雑踏の中で一際輝いていた。ボーカルはやっぱり浩輝くんのままがいいと思った。


荷物は宅配で送ってしまったのか、スーツケースひとつ持っておらず、とても身軽。






「浩輝くん!」


「茉理!!  どうしたんだ? おまえも一緒の便で行くのか?」


キツネにつままれたようなポカンとした顔でわたしを見つめた。


「ううん、お見送りに来たの。浩輝くん、遅いよ。あと三十分しかないよ!」


「三十分もあれば大丈夫だよ」


そう言いながらも、立ち止まって話している時間はないので歩きながら話す。


「浩輝くん、あ、あのね、茉理、やっぱり、ボーカルは無理なの」


言いにくいことだけど、躊躇している暇はなかった。


「今更、なに言ってるんだよ。リハーサルには必ず来なきゃダメだぞ。早めに上京してくれよな」


思ったとおり浩輝くんは、まったく聞く耳を持ってくれない。






「浩輝くんのことは大好きだから、ケンカ別れしたくないんだ。あのね、茉理やっぱり結婚することにしたの」


上昇するエスカレーターに並んで足を乗せた。


「そんなことを言うためにわざわざ見送りに来たのか!」


イライラした様子で浩輝くんは語気を強めた。


「ラインでお別れなんて寂しすぎるもの。浩輝くんにはスイスにいた頃から助けてもらったし」


「そうだろ。俺くらい茉理を理解している人間はいないからな。せっかく変態オヤジから救ってやったってのに、なんでまた中年のロリコン男と結婚なんだよっ!」


浩輝くんの大声に驚いたのか、前に立っていたエスカレーターの乗客がチラッと振り向いた。


「……ロ、ロリコンとは違うよ」






「とにかくだ、どうして結婚を焦るのかが俺には理解できないね。一緒に暮らしてみてからでも遅くないだろ? そいつ、おまえの慰謝料を狙ってるんじゃないの? 庶民にとって三億円は大金だからな 」


「違うよ、そんな人じゃないから」


わかってくれるとは思ってなかったけど、もしかしたら、


“ そうか、じゃあ、幸せになれよ ”  


って言ってくれる可能性だって、1%くらいはあるかもと期待して来た。


エスカレーターを登りきると、浩輝くんは無言のまま足早に歩き出す。


「ねぇ、待ってよ、ねぇ、浩輝くんったら!」


搭乗時刻が迫っているのだからのんびりはしてられないけど、浩輝くんが急いでいるのは怒っているからだ。


年度末のせいか、空港はいつもより混雑しているように見えた。


土産物を買い求めるたくさんの乗客とすれ違いながら、浩輝くんのあとを追った。






プレミアム専用カウンターが近づいたので、


「浩輝くん!! じゃあ、元気でね!」


と、大きな声で言ったけど。


「茉理、おまえのこと、絶対に許さないからな!」


浩輝くんは目も合わさずにそんな哀しい言葉を投げつけると、プレミアムチェックインを通って行ってしまった。


多分、こんな別れになるような気はしていた。


それが現実に起こってみると、やっぱり絶望的な哀しみに襲われた。


とっても大切な友人だったのに。


私たち、もう会うことも出来ないの?


泣きながら来た道を戻り、到着ロビーへと向った。







意気消沈のまま札幌駅に到着し、あてもなく歩いていた。


忙しく足早に行き交う人たちは、どこへ行くのかな?


なんの目標もなく漂っているのは、世界中で自分だけみたいな気持ちになり、一層気が滅入る。


このまま自宅マンションへ帰るか、アルバイトを探すか迷いながら大通り公園を歩いていると、広場の方から誰かの話す声が聞こえた。


選挙のための演説のようだけれど、聴いている人は十人ほどでまばらだった。


政治に興味はないので、そのまま通り過ぎるつもりだったけれど、その演説の言葉のひとつひとつが心に響いて足が止まった。


政治に関心のない私でも、なんとなく不穏な今の世の中には危機感を持っていた。


力強く演説しているその男性は、私のそんな漠然とした不安を的確にとらえていた。






もっと希望を持てるような日本をみんなで作ろう!

自分の国に誇りを持てるように、正しい歴史を学ぼう!

正しい情報を共有して、この危機から立ち上がろう!


長いことスイスで暮らしていたけれど、この日本という国がこんなに好きだったということに今気づかされた。


友達もいない寂しい札幌に留まっていたのは、日本が好きだったからなんだ。


どんなによその国で長く暮らしていても、私はどこまでも日本人だった。


そんなことがとても嬉しく誇りに思えるような演説で、私はいつのまにかボロボロに泣いていた。


今までに見た、なん億円もかけて製作された映画より感動したと思う。


演説が終わり、聴いていた人たちはみんな割れんばかりの拍手を送っていた。私もこんなに手が痛くなるほど拍手を送ったのは初めてだ。








まだ若く見えるその男性は、笑顔で一礼してから、ビールのコンテナみたいな台から降り、マイクやスピーカーなどを片付け始めた。


聴いていた人たちは、大事な用事を思い出したかのように足早に去って行った。


「あ、あの、、」


このまま帰る気にはなれなくて、後片付けをしているその男性に話しかけた。


「はい?」


まだ三十代後半に見えたその男性は、にこやかな笑顔を向けてくれた。


「なにかお手伝い出来ることってありませんか?」



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