死の守り神は影に添う

星見守灯也

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 地図を前に、誰がどこに配置されるかを確認した。吸血鬼を誘いだし、肉を切りとって力をそぐ。それから青戸の一夜木を掘りかえし、本体をつりだす。ぎりぎりまで弱らせ、そこから先は竜がどうにかするだろう。

「ほかに聞きたいことは」

 ひととおり流れを確かめた後、ヤマが見まわした。緊張した顔のモモカ、意気ごむトモエ、もう一度地図を見るナヨシ、落ちついているイチコ。その後ろでミトラがタカノリに電話で指示を出している。タカノリは関係各所を走り回っているところだ。

 じっと聞いていたコウがユエンの前に出た。まっすぐに竜老公を見あげる。

「……ぼくもなにかしたい」
「おや。コウくん、助けてくれるのか?」

 すぐに答えたのはミトラだった。近所の子供に話しかけるように背をかがめた。

「コウくんがなにかしなくても、俺たちでちゃんと解決するよ。それでも?」
「うん。ぼくが考えてそうしたいって思った、から」
「よいことをしてもやりなおせない。なかったことにはならない」
「……うん」

 人生、いつだってやりなおせるとは言うけれど、実際やりなおすのは不可能だ。たとえよいことをしたとして、悪いことをした事実はなくならない。……逆に言えば、悪いことをしたからといって、よいことをした事実がなくなるわけでもない。

「だけど、これから新しく始めることはできる。コウくんはどうしたい?」
「ええと……わからないけど、あれはだいじなものを壊すから、きっと悲しい。悲しいのは嫌だ。だから、ぼくはそれを止めるのになにかしたいんだ」

 あの吸血鬼を止めなければならない。そうしないとクナドみたいに泣く人がいるんだろう。クナドをもう泣かせたくなかった。クナドは強くてなんでもできると思っていたけれど、そんなはずがないとわかってしまった。

「たぶん、それが……やさしくてかっこいいんだと思う」
「……それはよい。では、やってもらおう」

 竜老公がヒゲを揺らし、ははははっと笑った。

 彼はただ守られるものではない、哀れまれるものでもない、自分自身として生きるものになろうとしている。それはきっとコウのなかで変わることだ。許されることや信用されることとは別だけれど、人間にとって悪いことではない。

 竜はコウの肩に手を置き、ぐるりと人間を見まわしてから、ミトラに言った。

「我には血のまじないがある。同じ血を持つものは互いに傷つけることができない。それはこの子も同じだ。情念をひきはがした後、彼女の懐に入るためにはコウの力が必要だと考える。……まかせてもらえるだろうか」
「わかった。コウくん、どうかお願いします」

 彼が必要だというなら人間がなにか言うことはない。ミトラに頭をさげられて、コウは照れたように軽くうなずいた。竜老公は懐から一枚の紙を取り出す。シワひとつなく、元の大きさのままきれいに出てきた。くるりと丸めてコウに渡す。

「そのときがきたら、彼女にこれを見せてやってくれ。だいじな仕事だよ」
「うん。ちゃんとやる」

 コウはしっかりと答えて絵を受けとった。緊張したようにぎゅっと握っている。
 その首の後ろにユエンが手をまわした。少し探るようにして、首のつけ根から灰色の鏃を抜く。長い髪の毛がするりと出てきて塵になった。

「これはもういらんな。自分で決めて進むとよい」



 黒い翼は鳥のものともコウモリのものとも似ていない。ゲンが形を変えたそれは、マントのようにも見える。その翼をひるがえしてアオは闇を飛びあがった。ユエンを脇に抱え、この都市の一番高いところまで。トンと足をついたのは深夜のスカイツリー、展望回廊の屋根上だ。

「血をまいて呼びよせ、そこを叩く。私は影で地面を塞ぎ、各地点に誘導する」

 アオは右手に黒の手袋をしていた。服で隠しきれない首から顔の右半分が灰色になり、筋と血管が浮きあがっている。右目は落ちくぼみ、なかから金青《こんじょう》の眼球がのぞいていた。それは生きた目ではなく冷たい石のようだ。暗いなかでもユエンの顔がはっきり見えるのはこの食人鬼化した目のためか。

 ユエンは牛のような角が生え、金と赤の混じった目で街を見おろしている。

「弱らせたら木を掘りおこし、本体を引きずりだす。あとはアオ、おまえが肉から切り離せ。そうしたらコウと竜の小童がなんとかするだろう」

 ユエンはアオに灰色の鏃を渡した。それはアオの手に触れると茎《なかご》が長く伸びて槍のように形を変える。アオはそれを軽く振ってみて、手になじむことを確かめた。ユエンの使い魔になったからか、彼女の分身である翼も槍も自分の体のように感じられた。

「いい感じだ。ユエンさん、まかせたよ」

 アオたちはユエンと竜の策に命を預けると言った。それは信仰に近いものだ。

「『信じる』と言ってくれないか」
「うん、俺はユエンさんを信じてるよ」

 信じているとき「信じる」とは自明のことであり、わざわざ口に出しはない。それを言葉にすることは強力なまじないだ。何度も疑いながら、それでも信じることだ。

 アオはユエンを見てうなずく。ユエンも見かえしてうなずき返す。きっとうまくいく、大丈夫だと気やすく笑いあった。

「じゃ、行ってくるわ」
「ああ。行ってこい」

 そのとたん漆黒の影がこの大きな都市を飲みこんだ。



「やれやれ、そんなに血っていいもんかねえ……」

 深夜、両国の公園。トモエのぼやきは、ナヨシとシァオミンのほかに誰も聞いていなかった。廃棄血液を地面にまき、吸血鬼をおびきよせる作戦だ。

「血液を使った料理はありますけどね。けっこうおいしいですよ」

 組合と鬼害対はアオを除いて全員、額に竜の血で印をつけた。今はもう目に見えないが、竜の守りだ。竜の血族と一瞬誤認させることにより、受ける攻撃を緩めるとか吸血鬼の恐怖に対抗できるとかなんとかかんとか。

「まだかかるか」

 スマホを見てナヨシがつぶやいた。竜老公の話から数時間、もう少し準備する時間がほしかった。明日の夜でもいいのではと思ったが、竜老公の側に問題があるという。つまり、竜が見つかる可能性をできるだけ少なくしたいのだと。

「……ユエンさんのほうは大丈夫。こっちはどうです?」
「ミトラさんの合図待ちだ」

 黒い翼をすべらせアオがおりてきた。ナヨシがうなずいた横で、シァオミンが面白そうに大きな翼を見た。吸血鬼はコウモリや蛾《が》に変身して空を飛ぶという。例えば人間が犬や猫のような尻尾をもったらどういう感覚なのだろう。

「それ、どんな感じなんですか?」
「ええと、チャリンコみたいなもんです。あまり考えなくても動かせる。ユエンさんは、人間が使うと脳に負荷がかかるって言ってたけど……」
「へえ、いいなあ。ボクもほしいよ。カッコいいし」

 トモエが「バカなことを」とシァオミンの腰を力いっぱいはたく。シァオミンがびくりと跳ねて叩かれたところをさすった。「痛ったいなあ」。

 少し空気が緩んだのを打ち切ったのは呼びだし音。ナヨシがスマホをとった。

「はい。わかりました、すぐに始めます」



 青戸。一夜木の付近では黒い空に細かい雪が舞っていた。

 警官に案内され、近所の住人が連れだって避難している。夜遅くに申し訳ないが、こればかりはしかたがない。祠の向こうでは一夜木の根を掘りかえす準備をしていた。

 その一方、コウが天を見あげている。

「天気は人の気持ちとは関係がないよ。たまたま、そうなっただけだ」
「……うん」

 ミトラの肩の上に蛾が一匹止まっていた。竜老公の使い魔だ。先ほどまで話していた男も竜本体ではなくこの蛾である。

「竜老公、どうして今になって協力することにしたんだ?」

「人目を避ける必要があった。我を狙うものがいる。あの娘をそそのかしたもの、今、存在する吸血鬼のほとんどを生みだしたものだ。それは我を倒すため、子の吸血鬼や食人鬼、傀儡《かいらい》を放っている。傀儡は人に成りかわってそこに生活する。我を見つけると、それを共有して認識した個体を攻撃しようとするだろう」
「同じ傀儡をか? なぜ」

 竜を直接襲うのであればわかるが、どういうことだとミトラが疑問を返した。

「あれには我を倒せない。血のまじないがあるからね。だから『偶然』によって消そうとしている」

 竜はそれを倒すこともできないが、逆に倒されることもない。そいつは竜を直接消し去ろうとはせず、「たまたま」巻きこまれて消えるように考えた。

「想像してみるといい。我の近くで大規模な事故や爆発が起こることを。……人間もそれを望まないと思うが?」
「なるほど、それは怖い話だ」

 時間はすでに丑三つ時を過ぎ、眠らない都市の短い夢のなかだ。短時間で許可を取り、住人の避難と、各地点の地下になにが埋まっているかの確認をした。タカノリはよくやった。こういう仕事は信頼できるやつだ。

 一夜木も周囲が深く掘られ、伸びた根が切られた。合図があればいつでも掘りあげられる。その後の作業員の避難とあわせてタイミングをはかる必要があった。

「怖いか。人間は怖いものを恐れつつ好む」

 竜老公は穏やかに微笑んだ。恐ろしい金色の目が柔らかく細められる。

「む?」
「ジェットコースターとか、お化け屋敷とか大好きだろう?」
「それは……人によると思うが、まあ、そうだな」

 怖いものは興奮する。自分に危険がなけれは化け物に襲われても楽しめる。個人差こそあれ自分の恐怖心を試し、打ち勝つことで満足感を得るのだろう。偽の恐怖を克服した体験は、現実で未知の恐怖を乗り越える道にもなる。

「人は本物よりホンモノらしい恐怖を作って楽しむ。怖がりな我にとってはうらやましい話だ」
「怖いのを楽しむ、か」
「……少し前、恐ろしい吸血鬼が倒される小説を書いてもらったことがある。人はそれを楽しんだ。そして吸血鬼に対抗できるようになったというわけだ」
「小説を書かせた?」

 吸血鬼の小説といえば、有名な作品だと「カーミラ」や「吸血鬼ドラキュラ」か。今では数えきれないほどあるだろう。実際の吸血鬼はあまり知られていないから、人々の吸血鬼のイメージというのは多くが創作物によるものだ。

「ああ、映画にもなった。我は映画が好きだ。この前、見たのは『ネオギガシャークvsメカグール団』というものだ。ホラー映画だな。人間からの評価はよくないが、見ると『怖い』ことは面白いのではないかと思える。じつにいい」
「ははは、バカバカしいか。そうだな、怖がるということはときにおかしなものだ。笑えるじゃないか」

 通話をしていたタカノリがこちらにうなずいた。避難が完了したらしい。

「よし、始めようか」



「どうだ」
「ボクはおっけー」
「同じく」
「いつでも」
「なら、始める」

 パックから血をこぼすと、土にじわりと染みこんでいく。そのとたんぐらりと大きく揺れた。少し距離をとってナヨシが戟を握りなおした。トモエがよろけないよう、足を開いて踏ん張る。シァオミンは最初から片膝をついて待っている。

 来る。ゴゴゴ……と地鳴りがして地面が盛りあがったかと思うと、裂けてなかからそれが現れた。強い土の匂いをまとっているのは乾いた肉塊。いくつもの目が開く。黒い目、暗赤色の目、明るい黄色の目、緑褐色の目。そして同じく、牙の並んだ口。

「なんだあれ……」

 その目は「見られている」という恐れを湧きあがらせた。恐怖が足を止める。

 真っ先に動いたのはアオだ。地面を蹴って翼で空気を押しだし、ナヨシたちの頭上を駆ける。二度目と思えば怖くはなかった。肉塊はアオを認識して手を伸ばした。そこにも多くの目と口がついている。アオの槍が伸びた腕を薙ぎはらった。

 やや遅れてナヨシが三叉戟で手をからめとり、ぶつりとねじ切った。目と口は閉じると消え、また違うところに現れるようだ。恐ろしいそれを意識しないようにしながら、すべるようになめらかに重心を移し、突きいれる。

 トモエとシァオミンも四方に広げられた腕を切り飛ばす。斧の腹で受けてひねり落とし、上から叩き切った。腰を落とし踏みこんで、柳葉刀で大きく円を描くように振りきる。血しぶきがあがり、手がざらりと塵になって舞いあがる。

 塵に変わったそばから次々に腕が出てきてきりがない。やってもやっても肉塊が弱った気配がしないので不安になる。血を吸ったぶん以上に切りとらなくてはならないのに、このままでは押し切られるという恐怖がぞろりと背筋に迫ってくる。

「かまわん! 少しずつだが減ってきてる!」

 アオの言葉を信じる。終わりが見えないが無尽蔵というはずもない。トモエはとっさに地面に手をつき、伸びてくる腕をひねるように避けた。追撃をかわし、そのまま飛びこんで斧の一撃を入れる。手が、血が、塵に変わって消えていく。斧を返して上方から来る腕を両断する。肉塊はたえまなく暴れているため気を抜けない。

 シァオミンの背後から手が押し寄せてくる。前方の腕に対応するのに手一杯で気づいていない。とっさにナヨシが間に入って盾で受ける。受けが間にあわず、ベキッと嫌な音がした。つかまれる。すぐさま左手の盾を離し、右腰の短刀を抜く。革の腰巻を裂いた手を切り落とし、盾に組みついた腕を断ち切った。

 その頭上、低空を飛ぶアオが多くの手を引きつけながら、三人がとり逃がした腕を攻撃していた。一瞬、手の群れのなかに隙間ができた。「頼む!」。アオがそこをめがけて突きこんでいく。トモエとシァオミンが腕をはらい、ナヨシが近づく腕をすべて打ち落とす。

 翼をすぼめて一直線に接近すると、アオは肉塊に槍を打ちこんだ。ここに「中身」はない。そのまま薙ぎはらうように切り裂いた。引きちぎられた肉塊が塵に変わる。噴きあがった血もまた、塵になって落ちていった。

 この場所はここまでだ。ナヨシたちにうなずき、アオは次の場所へと飛びたった。残ったナヨシがスマホをとる。

「柊です。こちらは終わりだ、次を頼みます。被害はなし」
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