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9皿目:探索と悪戯
しおりを挟むミルクに浸したパンとスープを小さな器に1皿ずつ食べたチビは、寝床に戻って満足げに「ナァウ」と鳴くと、細く痩せっぽちな小さな腹をさすった。
今は、これがチビの胃にとっての適量なのだろう。
欲を言えば、もう少し食べて欲しいところだが、無理に与えようとして失敗した覚えのあるボガードは、そんな思いをグッと我慢して薬入りの水だけを差しだした。
――ナァアァ、ニャァウゥ
「ご機嫌だな、チビ」
――ナァアァァ、アルゥ
水差しを両手に抱え、ゴクゴクと飲みながらも鳴き声の止まらないチビに、ボガードは思わず笑ってしまった。
ーーチビはよく鳴き、よく動く生き物だ。
昨日は目覚めたばかりでもあり、知らない場所で緊張していたのもあるだろう。
教会に向かう道中など、可哀想なくらいにニャアニャアと鳴くのでボガードも随分気を揉んだものだった。
今朝は、目覚めた直後こそボーッとしていたものの、小便を済ませたらスッキリしたのか、居間の中を歩き回ったりボガードの腕にじゃれついたりと、驚くほど緊張感なく楽し気に過ごしている。
猫は家に慣れるまで早くとも数週間はかかるというが、その常識はこの小さくツルンとした生き物には当てはまらなかったらしい。
――アルゥゥ、ニャァウ
ボガードが自分用のスープを器にとって戻ってくると、チビは寝床から抜け出して、さっそく探索の続きを始めていた。
「釜戸だけには近寄るなよ。……まったく、見ていて危なっかしいな」
ボガードの家は、狩猟用の作業場と居住スペースが併設された作りになっており、生活の拠点となるこの炊事場兼居間は、家の中でも特に広い空間である。
中央には食卓、奥には風呂に通じる扉と寝室へ通じる扉があり、チビの寝床は、どこからでも確認がしやすいよう、風呂と寝室の扉の間に拵えてあった。
チビの寝床から見て右手は炊事場で、左手は木箱の山が乱雑に積まれた荷物置き場だ。
木箱を片付ければソファでもおけそうなものだが、面倒くさがってもう何年もそのままにしてある。
――ニャオウ!
イスに腰かけて何の気なしにチビの行方を追っていたボガードは、チビの視線が木箱の山に定まっているのを見て、しまった、と片眉を上げた。
「チビ、だめだ…………あ」
スタタタと木箱の前まで駆けて行ったチビが、ピョンと手前の木箱に飛び乗る。
所詮室内に積まれた木箱なので、そこまでの高さはないのだが、野生味の全くないこの生き物のこと、うっかり落ちでもしたら大変だ。
ボガードは、自分の食事は後回しにして、チビのいる木箱の下へと移動し、傍で動向を見守ることにした。
チビはボガードの気も知らず、意気揚々と木箱の山を上って行く。
いくらもしないうちに一番高い木箱の上へとたどり着き、ひと際甲高いこえで「ヤウゥ!」と鳴いた。
「高い所が好きか。しかし、こんな木箱の山では安心して遊ばせられないな……」
隙間に落ちて、挟まりでもしたら大変である。
チビには悪いが、食事が終わったら木箱は出来る限り片付けてしまおう、とボガードはひとりごちた。
それからのチビは、思う存分に高見から室内を観察し、木箱の裏に隠れていた窓から外を覗いたり、扉をひとつひとつ触っては開きやしないかと試したりしていた。
ボガードはテーブルに戻って冷めたスープを啜っていたが、ふと気が付くと、あちこち探索していたはずのチビが、ボガードの横に並んでテーブルの上をのぞき込んでいる。
――ニャーァ
テーブルには、パンと果物が置いてあったので、興味をそそられたのだろう。
先ほどは満腹そうにしていたが、少し動いてまた食べられるようになったのだろうか。
食べられるに越したことはないと、ボガードはチビをテーブルの上へと抱えあげてやった。
――ニャアォ
「パンでも食うか?」
牛乳には浸していないが、もしかしたらそのままでも食べるかもしれない。
パンを口元に持って行ってやると、チビは、少し匂いを嗅ぐ仕草をした後、ボガードの手からパンをつかみとった。
そのまま食べるかと思いきや、パンをくるりと回して不思議そうに眺め、テーブルにコンコンとぶつけたり、指を食い込ませて穴を開けたりしている。
「チビ……これはおもちゃじゃない」
ボガードが眉を寄せて低い声を出しても、チビは怯む様子もなくパンに釘付けだ。
――食べ物で遊ぶことを、覚えられても困るか。
ボガードは、チビの手からパンを取り返そうとした。
しかし、ボガードの手がパンを掴んだ瞬間、チビは慌ててパンをボガードの腕ごと抱き込み、渡すものかとばかりにグイグイと後ろに引っ張りだす。
しまいには、パンを取ろうとしたボガードの親指に標的をかえてガブリと噛みつき、両手と顎の力で必死に抵抗しだした。
「おい」
まさか、そこまでパンで遊びたいのか。
その必死さが可笑しくて、ボガードは思わず笑ってしまった。
牙がないので痛くもないが、ガジガジと口を動かすので少しこそばゆい。
手を放してやっても良いのだが、そんなチビの小さな抵抗がなんとも可愛らしく、ついつい放すのが惜しくなってしまう。
ボガードは、噛まれたままの親指をからかうように小刻みに動かし、つやつやとした小さな歯列をくすぐるようになぞった。
赤い唇から覗く白い歯は、上も下も行儀よく綺麗に整列していて、触り心地が良い。
指を動かす度に赤い舌が追いかけてくるので、爪を当てないように舌の裏側を慎重に撫でてやれば、チビの目がふっと細まり、唇の緊張が緩んだのが分かった。
――ヤゥ……
「気持ちが良いか?……そういえば、猫の歯ブラシはこうやってやるんだったか」
人族に飼われている猫にも歯ブラシが必要だというので、昨日のうちに子供用の歯ブラシを購入しておいたのだった。
歯ブラシに慣れていない子猫は、こうして口内を撫でられることから慣れていくのだという。
いまだにパンを握ったままのチビは、しかし手の力が緩んで目がとろんとしている。
ーーこのまま、歯ブラシの感触に慣れさせるのも良い。
ボガードは頬の裏や上顎をそろそろと撫でながら、反対の手でチビを引き寄せ、撫でやすいように腕に囲い込んだ。
チビはもう、一切の抵抗を忘れたようで、気持ちよさそうにボガードに身をゆだねている。
時折、思い出したようにチビの舌が蠢き、口内に侵入したボガードの親指をレロレロと舐めていく。
指の腹の丸みが気に入ったのか、そこをしつこく舐めたがったため、ボガードからも指を擦りつけてやるとクプリと涎が溢れた。
――アゥ、アゥ
チビの口内は、温かくツルツルとしていて、とても心地が良い。
親指だけでは物足りなくなって、人差し指も入れようとしたが、あまりに小さいチビの口へ2本も入れてしまっては可哀想な気がして、ボガードは舌を摘まんで揉んでやったり、前歯や上顎の辺りをくりくりと撫でてやるに留めた。
そのうち、飲み込みそびれた涎が口の端から溢れ、チビのツルンとした顎を伝っていく。
ボガードはいつの間にか、チビの口内を探ることに夢中になっていた。
チビが惚けた顔でボガードを見つめるので、ボガードの目もまた、チビの濡れた黒瞳に吸い寄せられ、ぴたりとくっついてしまったかのようだ。
いつまでも続くかに思えたそんな感覚は、ついつい奥へと進みすぎた指に、チビが唇を窄ませて嘔吐いたことで終わりを迎えた。
ハッとしてボガードが指を引き抜くと、チビの唇からチュプンと可愛らしい音がなる。
――……ハゥ?
ため息のような鳴き声を上げて呆けているチビが、どうしようもなく可愛く、ボガードはついついチビの頭に頬を擦りつけ、額にチュッと優しくキスをした。
「気持ちよかったな、チビ。……歯ブラシの時にこれだけ大人しければ、俺も助かるんだが」
――ニァ?……アルゥ……ニャアァォオ
いつの間にか手から滑り落ちていたパンは、床に転がってしまっていたため、もうこれはチビのおもちゃで良いかと、ボガードは拾って渡してやったのだった。
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