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31皿目:こころさわぐ
しおりを挟む――あーあ。
風呂の中で致してしまった後、不知火は熱くなった息を吐きながら、アルジを止めなかったことを後悔していた。
いつもなら、湯舟でゴシゴシ体を洗った後、予め桶に張っておいた湯で体を綺麗に洗い流すのだ。
今日はアルジが機能停止していたため、桶を覗いても綺麗な湯は張られておらず、体を流すことが出来ない。
アルジはいつも、体を洗った後は隣の浴槽の水を使って冷えるのも構わずザカザカと流してしまうので、別に問題ない。
だが、当然日本ではいつでも温かい湯がでるシャワーを愛用していた不知火が、よりによってこんな秋も始めの季節に…………頭から水を被らなければならないなんて、考えただけで身震いがした。
……しかし、普通の泡ならまだしも、2人分のナニカまでくっついているだろうヌルヌルの体を、流さない訳にはいかない。
「はあ…………しょうがない。やるか」
不知火は覚悟を決め、桶に掬った水を頭からドバッ!とひと思いにかけた。
「ッうううううう!!!つめて~~!!!」
――グゥア!
足をバタバタさせながら髪を濯いでいると、後ろからギュウと抱きしめられ、寒さが少しマシになる。
よしよし、そのままいろよとアルジの腕を抱き返しながら、もうひと掬い水を被ると、アルジが片手で手早く髪を洗い流し、すぐさまタオルをかけてくれた。
「ああああ゛あ゛あ゛……さむ……さむいいいいぃ」
――ァァゴゴア、グゥア……ゥァゴァウウグオォ
奥歯をガチガチ鳴らして震えている不知火を、アルジがタオルに包んだまま素早く抱えあげる。
そしてドカドカ走って火のついた釜戸の前に下ろすと、タオルの上から毛布を回しかけ、寝床も持ってきて敷いてくれ、足の間に不知火を挟む形で、残った水気を念入りに拭いてくれた。
「サンキュー、アルジ。はあ……生き返る……」
冷え切った体に、温かい炎の揺らめきがじんわりと沁みていく。
タオルを広げて、アルジがゴシゴシと不知火の体を温めてくれる。
毛布越し、背中に感じるアルジの体温。
次第に温まっていく体と、安らいでいく心。
大分乾いたはずなのに、ぽたり、ぽたりと雫の落ちる音がして、不知火はふと、後ろを振り返った。
「……ふっ。あはははははッ!すげえビショビショじゃん!お前も拭けよ!」
滴り落ちる雫がアルジの周りに水たまりを作っている。
毛皮がある分、不知火よりもよっぽどびしょ濡れなのに、頓着しないアルジに不知火は大笑いして、自分のタオルをアルジの頭へと被せた。
――グゥア……グォ、グアァォン
「俺はもう乾いたって。いいよ、次は俺が拭いてやるから…………って、おい」
拭いてやろうと立ち上がったのに、アルジが振り向いた不知火をそのまま抱き固め、身動きが取れなくなってしまった。
抜け出そうともがいても、アルジの腕の力は強く…………胸の真ん中あたりにピッタリと耳を当てて、固定されたまま、動けない。
…………ああこれ、腹でもやられたやつ…………恐らく、心臓の音を聞いているのだろう。
「ええと……ヒートショックを心配してんのかな?多分大丈夫よ、俺まだ若いし、健康優良児だから」
ぽんぽん、とアルジの頭を撫でてやる。
ーーお前が思ってるよりはか弱くねぇよ……って、化け物語では、何て言うのだろう。
ぽたりぽたりと落ちる雫が、まつ毛を伝って頬へと流れていく。
せっかく拭いてもらった胸部や背中が、またびしょびしょになってしまった。
ーーアルジは、まだまだ動かない。
……何をそんなに、心配しているのやら。
不知火は苦笑して、グググとどうにか腕だけ抜け出すと、抱き固められた恰好のまま、アルジの体を拭きあげてやった。
静かでいて、落ち着いた空間に……化け物と人間が、1匹ずつ。
腕を精一杯伸ばしても届き切らない、大きな体を包み込む、大きなふわふわのタオル。
――ぽかぽか、ぽかぽかしている。
温かい。温かい部屋で、暖かい大きな生き物を抱えて……濡れた体を拭き上げ、柔らかい被毛が顔を出す度に、ふんわり、温かい気持ちが、胸の中に広がっていく。
ーーここはなんて、幸せな世界だろう。
言葉のいらない世界。ただただ、温かい世界。
パチリと薪の爆ぜる音に、ゆらゆら揺れる炎の影。
夜の森を吹きすさぶ風も、ここにいればただ、窓を揺らすばかりで不知火を吹き飛ばしはしない。
――この幸せは、いつまで続くのだろう。
不知火はふと……タオルを握る、自分の手のひらを見つめた。
ここは、不知火の知らない、化け物達の世界。
ちっぽけな人間などすぐに淘汰されてしまう、大きな物達の住まう世界。
ーー最初から、分かっている。
自分が、1人では何も出来ない、弱くてもろい生き物だなんて。
アルジが、俺を拾ってくれた。
アルジが、寝床を与え、看病し、食事を作り、俺をここまで生きながらえさせてくれた。
だからこそ、自分は生きている。
ーーこの幸せは、現実だ。
……だけど、とても、脆くて儚い。
窓1枚隔てただけの…………アルジが不知火のために作ってくれただけの、小さな小さな、ただの箱庭。
――……俺は、何も知らない。
自分のいるこの場所のこと。自分を喰らおうとしていた獣のこと。この世に根差す文化のこと。
自分は何故ここにいるのか。アルジは何故、俺を助けてくれたのか。
ーーあの家は、あの子どもは誰で、女の化け物達は誰なのか。
アルジが何に笑って、何を楽しそうに話していたのか。
一体いつ何にショックを受けて、こんなに不安そうにしているのか。
…………お前はみんなに、何て呼ばれていたのか。
お前の本当の名前なんて、知らない。
名前を呼んでやることも、状況を察してやることも……慰めの言葉をかけてやることもできない。
お前を、他の化け物のような、大きくてふわふわの被毛で包み込んで、安心させてやることができない。
――俺は、お前と同じ生き物じゃない。
「…………」
ふわふわになった被毛に、両手をうずめて、頬を寄せる。
……この温かい世界が、これからどれだけ続いてくれるのか。
自分はペットだけど……アルジが触れてくれるから、小さな希望が生まれてしまった。
好きだなぁ、と思ってしまった。
――なあアルジ。俺には何も、分からないんだ。
――……でも、お前も知らないだろ。
お前が不安になってるから、俺もちょっとだけ……不安になっちゃったんだよ。
――……あーあ。このまま、ずっとずっとここでこうして……ふわふわ、もふもふして……一緒に、いたいなぁ。
「……な、アルジ。あったけーな」
アルジの額にチューをして顔を覗き込むと、金色の双眸がひたりと不知火を捕らえた。
落ち窪んだ眼孔の陰に、炎の光に揺れる瞳。じっと見つめていると、吸い込まれそうになって、不知火は抗わずに顔を寄せる。
額がくっつき、次に鼻面を合わせる。焦点が合わない視界の中、丸みを帯びていた瞳孔がキュッと縮まり、縦に深い溝を刻んだ。
――グゥア。
「うん。アルジ」
ニッコリ歯を見せてほほ笑めば、アルジの眼が細まり、ゆっくりと瞬く。
不知火もアルジの瞬きに合わせるように、ゆっくり、ゆっくりと瞼を落とした。
チュ。
鼻と鼻を寄せて、口と口を寄せて、温かい体温を交換する。
あったかいあったかい、親愛の証。
ペットだとか、家族だとか、そんなことはもう、忘れてしまった。
好き。
それだけを、ひたすらに伝える。
――グゥア。……ゴゴォォゴ?
「うんうん、アルジ。大好きだよ」
何て言ったのかなんて、そんなのはもう考えるのやめた。
そんなのは考えてもわからん。
分かるのは、今アルジは自分を見ていて、自分もアルジだけを見ているということだ。
――グゥア。ゴゴォォゴ?
「うんうん、アルジ。大好きだよ」
大事なのはそれだけ。
だからもう、地響き語はいいって。
太くてごつい首元に腕を絡め、アルジの唇にギュウと唇を押し付ける。
鋭い犬歯が唇に触れ、不知火はかぷりとそれに噛みついた。
尖がった先端に舌を触れさせると、アルジがそっと顎を引き、犬歯の代わりに舌を咥えさせられる。
「はむ……んぅ、んんんッ……あぅ、はッ。アルジ……ちゅぅ、むッ」
犬歯を舐めようとする不知火と、それを防ごうとするアルジの攻防はしばらく続き、口の端からどちらのかも分からない唾液が流れて顎を伝う。
ふわっとした浮遊感の後、ゆっくりとアルジが歩き出したのに気が付き、不知火は「んんんッ」と喉を鳴らしてアルジへの口づけを深くしたのだった。
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